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えーっと。
日本からの荷物のスイングロジカルノート、蒸気でホットアイマスク、DVD、イヤホンなどにほくほくしたり、仕事もしたりしながらあることをこつこつやってまして。
それはPiano Landmarksでのオープニングトークでの「24の調をセットとして曲集を書くというバッハが始めたウイルスにショパンやショスタコーヴィチが伝染した」というのでそれにあやかって?24の調ウイルスに感染してみたくなりまして。
前奏曲もフーガも書けませんが、何が出来るかなーと思ったところ、お題的、というかタロットカード的なものをデザイン・・・という形になりました。
Twitterではこちら、またはハッシュタグ「 #24keysvirus」で繰り広げております。
とりあえず表にまとめてみました。(twitterでの方が若干詳しい解説です)
これらはあくまでも私個人の見解というか印象ですが、色んな昔の作曲家が曲を書くときにある調を選ぶのは楽器の弾きやすさだけでなくもっと音楽的な、表現的な理由があると思います。
バッハの多くの厳かな名曲はロ短調で書かれていますし、ショパンは実際変イ長調が好きだった、という話が残ってますし。
ショスタコーヴィチがニ短調を得意としている印象があるのも、そしてショパンの革命エチュード、ユダヤ音楽の多く、ショスタコの弦楽四重奏第8番などがハ短調で書かれているのもきっと意味があるんだ、ということを日頃から思ってきました。
これはそんな思いの(ネタを交えた)一種の表現、さらに音楽の色彩の中枢をなす「調」というもの、色彩、そしてそれらにこめられた思いを何とか理解して、形にしてみようとした結果の産物です。
まあ、といっても私は無調の音楽専門なんですが(汗)
こういった調のイメージのルーツはバッハの「平均律」第1巻の24つの調の前奏曲とフーガ群にあって。
(あとはベートーヴェンの作品も結構イメージ確立に大きく貢献してますね)
第2巻はどっちかというとその自分で確立したイメージに逆らうような所があってそれもまた面白いです。
ショスタコーヴィチの24の前奏曲とフーガはもっとはっきりとその「伝統的な」イメージに挑戦、それを破壊するようなところがあってさらに面白いです。
なので意識しているのは私だけじゃないようです(笑)
いまプレビューしてみたのですが表が見にくいながらここまでおつきあいいただき有り難うございます。
今日の一曲はそんな前奏曲とフーガから一つ。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 24の前奏曲とフーガより第8番嬰ヘ短調
調のイメージに沿ってる曲はWikipediaで調の名前を引くと見つかると思うので、あえて逆らう側を。
ショスタコーヴィチは彼の前奏曲とフーガで調に関しての伝統的なイメージを壊すような曲を書くと言いましたが、これはなかなか良い例だと思います。
嬰ヘ短調は「抒情詩人」。ロマンチックさ、センチメンタルさ。バッハの平均律の第2巻の嬰ヘ短調のちょっと異例なロマンチックさに加えて、チャイコフスキーのバレエなどロマン派の音楽でもその美しい、芸術的な憂いは繊細な独特の色彩を備えています。
この曲のうち前奏曲は軽快で不気味な、ショスタコ得意の毒づきスケルツォ。半音動きや、割って入ってくるフラット系のハーモニー、奇妙に跳ね回るスタカートなどは色んなものがtwistedな「不思議の国」を思わせます。
でも圧巻なのは実はフーガの方。
詩人であり、美麗なハーモニーやメロディーで魅せるのが得意な嬰ヘ短調のはずが!
・・・たとえて言えば腐りかけ、でしょうか(汗)
はっきりした調をもたないまま、とぎれとぎれのメロディーとも言い難いテーマから始まり、ぐだぐだぐだぐだと赤緑茶の混ざったような不可思議な色彩で延々と6分間。
はっきりした色彩もなければ、方向性もなく。この曲を退屈に聞こえないようにするには相当自分の中ではっきりしたビジョンと、繊細な表現力が求められますね!
この曲にツボる気持ちの状態、ってなかなか難しいと思うんですけど・・・でもツボって心全体でこの曲を感じられる時は本当にこの曲は繊細で、深くて、ユニークなフレーバーを持ってると思います。
なんといいますか・・・発酵食品のように。
・・・単体では妙な曲ですけど、プログラムの組みようでは深ーい珍しいフレーバーをリサイタルにもたらすことができる曲なのかしら?
日本からの荷物のスイングロジカルノート、蒸気でホットアイマスク、DVD、イヤホンなどにほくほくしたり、仕事もしたりしながらあることをこつこつやってまして。
それはPiano Landmarksでのオープニングトークでの「24の調をセットとして曲集を書くというバッハが始めたウイルスにショパンやショスタコーヴィチが伝染した」というのでそれにあやかって?24の調ウイルスに感染してみたくなりまして。
前奏曲もフーガも書けませんが、何が出来るかなーと思ったところ、お題的、というかタロットカード的なものをデザイン・・・という形になりました。
Twitterではこちら、またはハッシュタグ「 #24keysvirus」で繰り広げております。
とりあえず表にまとめてみました。(twitterでの方が若干詳しい解説です)
ハ長調 | トリックスター | The Trickster | 自由自在、リアリズム、トリッキー。初め&始め。全ての色を有す白。 |
イ短調 | 戦乙女 | The War Maiden | はっきりした強さ、内面の不安、しなやかさ。 |
ト長調 | 旋風 | Vortices | 頭の回転の速さ、機動力、翼。メッセージ、弁舌、軽敏さ。 |
ホ短調 | 荒野 | The Wasteland | 広漠、過去、自由孤独。失うこと、未来へのサイクル。 |
ニ長調 | 八芒星 | The Octagram | 太陽、権威。剛健さ、単純さ。希望。 |
ロ短調 | 孤高の騎士 | The Lone Knight | ストイック、孤立、保守的。信念を貫き左右されない。 |
イ長調 | 花束 | The Bouquet | 慎ましい喜び、家族、祝福。羽目を外すことの暗示も。 |
嬰ヘ短調 | 抒情詩人 | The Lyric Poet | 感傷的、表現、芸術。感情に振り回される。 |
ホ長調 | 黄金の鐘 | The Golden Bells | 良い報せ、祭り事、商売と利益。活発。 |
嬰ハ短調 | 竜 | The Dragon | 激情、鋭さならびに冷たさ、隠れた繊細さ。 |
ロ長調 | 高揚 | Exaltation | エクスタシー、開眼、精神の解放。同時に奇癖、狂乱。 |
嬰ト短調 | 稲妻回路 | Lighting Circuits | すぐれた効率、機転、几帳面さ。冷徹。 |
変ト長調 | 蜃気楼 | The Mirage | 夢見心地、浮遊、願望。非現実的、理想。 |
変ホ短調 | 深淵 | The Abyss | 陰鬱、内面的、束縛、本質の追求。絶望。 |
変ニ長調 | 博愛 | Benevolence | おおらか、優しさ。自己意志の欠如。 |
変ロ短調 | 蛾 | The Moths | 不安定、気まぐれ、感受性の強さ。中立性。 |
変イ長調 | 無邪気 | Innocence | 純潔、明るさ、ナイーブさ。調和。 |
ヘ短調 | 血 | Blood | 情熱、犠牲、生命。行動を伴った強固な意志。 |
変ホ長調 | 征服者 | The Conqueror | 高貴、勝利。横柄さ、権力欲。 |
ハ短調 | 焔 | Inferno | 反乱、激動、熱いエネルギー。より大きな力に振り回される。 |
変ロ長調 | 天空 | The Sky | 若さ、澄んだ心、比較的外面的。真っ直ぐさ。 |
ト短調 | 蒼い泉 | The Pale Fountain | 涙、浄化、救い。一時的な停滞。 |
ヘ長調 | 春 | Spring | 誕生、暖かさ、母性、豊穣。 |
ニ短調 | 鋼鉄の鉤爪 | The Talon of Steel | 冷酷非情、運命、災害。とてつもなく巨大な力のコントロール。 |
これらはあくまでも私個人の見解というか印象ですが、色んな昔の作曲家が曲を書くときにある調を選ぶのは楽器の弾きやすさだけでなくもっと音楽的な、表現的な理由があると思います。
バッハの多くの厳かな名曲はロ短調で書かれていますし、ショパンは実際変イ長調が好きだった、という話が残ってますし。
ショスタコーヴィチがニ短調を得意としている印象があるのも、そしてショパンの革命エチュード、ユダヤ音楽の多く、ショスタコの弦楽四重奏第8番などがハ短調で書かれているのもきっと意味があるんだ、ということを日頃から思ってきました。
これはそんな思いの(ネタを交えた)一種の表現、さらに音楽の色彩の中枢をなす「調」というもの、色彩、そしてそれらにこめられた思いを何とか理解して、形にしてみようとした結果の産物です。
まあ、といっても私は無調の音楽専門なんですが(汗)
こういった調のイメージのルーツはバッハの「平均律」第1巻の24つの調の前奏曲とフーガ群にあって。
(あとはベートーヴェンの作品も結構イメージ確立に大きく貢献してますね)
第2巻はどっちかというとその自分で確立したイメージに逆らうような所があってそれもまた面白いです。
ショスタコーヴィチの24の前奏曲とフーガはもっとはっきりとその「伝統的な」イメージに挑戦、それを破壊するようなところがあってさらに面白いです。
なので意識しているのは私だけじゃないようです(笑)
いまプレビューしてみたのですが表が見にくいながらここまでおつきあいいただき有り難うございます。
今日の一曲はそんな前奏曲とフーガから一つ。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 24の前奏曲とフーガより第8番嬰ヘ短調
調のイメージに沿ってる曲はWikipediaで調の名前を引くと見つかると思うので、あえて逆らう側を。
ショスタコーヴィチは彼の前奏曲とフーガで調に関しての伝統的なイメージを壊すような曲を書くと言いましたが、これはなかなか良い例だと思います。
嬰ヘ短調は「抒情詩人」。ロマンチックさ、センチメンタルさ。バッハの平均律の第2巻の嬰ヘ短調のちょっと異例なロマンチックさに加えて、チャイコフスキーのバレエなどロマン派の音楽でもその美しい、芸術的な憂いは繊細な独特の色彩を備えています。
この曲のうち前奏曲は軽快で不気味な、ショスタコ得意の毒づきスケルツォ。半音動きや、割って入ってくるフラット系のハーモニー、奇妙に跳ね回るスタカートなどは色んなものがtwistedな「不思議の国」を思わせます。
でも圧巻なのは実はフーガの方。
詩人であり、美麗なハーモニーやメロディーで魅せるのが得意な嬰ヘ短調のはずが!
・・・たとえて言えば腐りかけ、でしょうか(汗)
はっきりした調をもたないまま、とぎれとぎれのメロディーとも言い難いテーマから始まり、ぐだぐだぐだぐだと赤緑茶の混ざったような不可思議な色彩で延々と6分間。
はっきりした色彩もなければ、方向性もなく。この曲を退屈に聞こえないようにするには相当自分の中ではっきりしたビジョンと、繊細な表現力が求められますね!
この曲にツボる気持ちの状態、ってなかなか難しいと思うんですけど・・・でもツボって心全体でこの曲を感じられる時は本当にこの曲は繊細で、深くて、ユニークなフレーバーを持ってると思います。
なんといいますか・・・発酵食品のように。
・・・単体では妙な曲ですけど、プログラムの組みようでは深ーい珍しいフレーバーをリサイタルにもたらすことができる曲なのかしら?
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