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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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To the Heaven of Birds...
本題に入る前に昨日の楽器と性格についてのエントリーの最初におことわりを付けとくの忘れたんでここでおことわりしておきます。
におことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。

本題なんですが。
昨夜ものすごく!ショックを受けたことがありまして。
生涯で2,3番目に大きいショックだったかもしれません。

なんで、なぜにして私はユヴォンヌ・ロリオ女史が今年の5月に亡くなったことを知らなかったんだ!!??

ユヴォンヌ・ロリオ女史。
メシアンの生徒のち2番目の妻であり、彼の一番の理解者。
そして彼の作曲した音楽を世に出した素晴らしいピアニストであり初めての「メシアン弾き」。
同時に彼女の存在はメシアンの作曲に影響を与えた、ミューズのような存在。
1992年に亡くなったメシアンの遺作「Concert a quatre」の完成にも手を添え、さらにメシアンコンクールの主審を務めた・・・メシアンの音楽とヴィジョンに彼に出会ってからの一生を捧げたある意味「祖」なのです。

メシアンが音楽関係や鳥関係で旅するときも一緒で。
二人がオーストラリアを訪れた時私の先生がコンサートを見にいったそうです。
ロリオ女史は素晴らしいピアニストで、手の大きさはそんなに大きくなかった、という話をしてくれました。
オーストラリアでは鳥の鳴き声を探しに行ったそうなのですが、もうメシアンは晩年に近かったのでオーストラリアの鳥の鳴き声は・・・あんまり曲に入れられなかったかなあ。

ロリオ女史の名前Loriodは実は鳥のカタログの第2曲「ニシコウライウグイス」の仏名Loriotと同じ発音で。
どこで解説読んでも意識してるって書かれているほど、あの曲には愛が詰まっています。本当に、本当に二人の愛の暖かさが見えるよう。

メシアン弾きにとってロリオ女史の演奏というのは・・・
ロリオ女史の演奏というのはメシアンの意志を最もくみ取っているものだと思います。
相互的なものでもありますし(メシアンはロリオ女史が演奏すること前提で曲書いてますし)。
ロリオ女史が世に出した20のまなざし、アーメンの幻影、鳥のカタログなど・・・もちろんそれぞれの奏者は自分の解釈があって自分の道を行くのですが、やっぱり基本というかオーソドックスはロリオ女史の演奏。
少なくとも私にとってメシアンの特定の演奏を「バイブル」的な扱いはしないようしているのですが、ロリオ女史の存在と演奏は私にとっては「グレートマザー」的な何かがあるのです。
遠い遠い人だけれど、メシアンの音楽を通じてどこか繋がっているから・・・今ものすごく悲しくて、そしてこんなに時間が経ってから知ったことをものすごく悔やんでいるのです。

大学在学中にチェロの巨匠ロストロポーヴィチが亡くなったとき、そして偉大な作曲家リゲティが亡くなったとき・・・ショックでした。同時に怖くなりました。
今巨匠と呼ばれる人もいつかは同じ道をたどるから。怖くて、淋しくてしょうがない。
違う視点で見れば今メルボルンにいる「メシアン弾き」(専門という意味で)って私の世代は私の他に一人もいなくて・・・本当に端くれの端くれだけれど、がんばってメシアンの音楽を弾いて、連鎖を続けていくべきなのかな、とふと思ってしまって。
がんばらないと、本当に。

私は無神論者なので天国の存在を信じていませんが、もしもメシアンが信じたように天国があるのなら、きっととロリオ女史はメシアンの隣で天国の鳥たちの声に耳を傾けているでしょう。
実際に二人は同じ墓に・・・メシアンが子供時代を過ごし別荘も後に建てたフランスのローヌ=アルプ地方、グルノーブルの近くにある墓地に、鳥をかたどったモニュメントの下に埋められているそうです。
こちらのサイトに詳細があります。)
いつかフランスに行って、メシアンがオルガニストだったパリのサントリニテ教会、「ダイシャクシギ」の舞台であるブルターニュ地方とともにグルノーブルのこのお墓に行ってご挨拶したいな、と心から思います。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「アーメンの幻影」より第5楽章「天使、聖者、鳥の歌のアーメン」



「ニシコウライウグイス」と迷ったのですがこっちに。
なぜならこの曲集こそメシアンとロリオ女史の愛の結晶(と私は思ってます)。
2台のピアノの為に書かれたこの曲集、1stピアノのパートをロリオ女史が担当し、2ndピアノのパートをメシアン自身が担当するように書かれています。
なので全楽章を通じて技巧がきらびやかなのは1stの方、逆に作曲的にというか音楽的な部分は2ndが担当しています。どちらも両者の得意が反映されてるのですね。

まるで春の日だまりのように暖かく明るい光に満ちていて、きらきら、ぴよぴよと喜びにみちたこの第5楽章。
天に住まう天使達、地に住まう人間達、そしてその間を飛び交う鳥たちがみな「アーメン」とそれぞれの言葉で声高らかに神をたたえる、そんな曲です。
ピアノ2台はロマン派以降のフルオーケストラに相当するスケールのアンサンブル。
ピアノ一台でおさまりきれなかったメシアンの色彩の世界があふれんばかりに輝きます。

メシアンとロリオ女史は音楽や心の絆だけでなく、信仰に対しても道を同じくしていました。
なのであの二人の演奏はさぞ一体となっていて、先ほどのようにそれぞれの長所が発揮され・・・
ああ、聴きたいなあ(リンクしたのがその二人一緒の貴重な録音です)。

先ほども言いましたように私は無神論者です。でも天国があるとしたらそれはメシアンの音楽のなかにあるんじゃないかな、とたまに思います。
そしてそれが一番「絵」として表れているのがこの曲だと思います。
天の楽園と地の楽園が一つになった・・・みたいな?

恋人がピアニストなら私も絶対この曲弾きますよ。できれば一応女子なのでロリオ女史のパートを担当したいところですが・・・どうだろう。難しすぎやしないかしら。

金色の光、喜び、暖かさ・・・
本当に良いものがいっぱい詰まっている曲。
メシアンが、そしてロリオ女史が心に抱いて共有したヴィジョン・・・音楽で私も表現していければいいな、と思います。

大事に大事に聴いて欲しい一曲です。




Madame Loriod-Messiaen, rest in peace...

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