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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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電子辞書、その他もろもろ
日本で注文した電子辞書が届きました~♪

電子辞書closedセイコーインスツルのSR-A10002
英語と日本語、日本語関係の辞書はもちろん、医学・薬学・バイオ系の辞書+ブリタニカ百科事典も収録。
お仕事&趣味の強ーい味方です。
あまりにも色んなものが入って過ぎて弄って遊ぶにもどこから何を調べればいいか分からないほど(笑)
結構見て速攻で買っちゃったんですが良い買い物をしました!
それに見てください、このスマートでかっこいいデザイン♪ビジネス用途だからかこんなデザインなのかしら。

電子辞書open開くとこんな感じ。写真はかなりぶれてますが液晶はめちゃめちゃクリア。
医学や百科事典などで挿絵が入ってるのですがクリアです。
挿絵と言えばこの辞書、PC(32ビットOSなのでうちは前使ってたPCのみですが)にUSB接続して挿絵などが拡大カラーで表示できるPanorama機能搭載なんです。
キーも大きく押しやすいですし、わりと直感的に使える仕様になってます。
あとはmp3プレーヤーも入ってますし(使うのか?)あとカードで辞書を追加できるようになってます。(ゆくゆくはフランス語を・・・?)
今はちょっと機能とコンテンツの多さに圧倒されてる感じなのですが、うまくつかいこなしていきたいニューフェイスです♪

ネットで何でも調べられる時代ではありますが、やっぱり手元にこういうものがあると安心しますし楽しいですし便利ですね。

最近仕事に忙しく、その次に家事に忙しく、そのまた次にピアノに忙しく。
充実してることは嬉しいですが、今やってることがみんなもっとやりたくて。
仕事だってもっとしたいですし(次の仕事入らないかな-)、ピアノももっと弾きたい。医学全般やメンタルヘルスの仕事、創作、読書、運動に至っては最近ほとんどできてませんからね。
特にピアノはセミプロだろうが趣味だろうがプロだろうが自分の命だと思ってますし、創作は趣味でありながらライフワークとして扱ってます。(自分にプレッシャーをかけるのはやめたほうがいいとは思いながらも)
このブログだってもっと突き詰めて書きたいトピックがたくさん。
プラスこないだの教訓からちゃんと休まなきゃ、と自分に言い聞かせたり。

病気で調子がかなり悪くて何かをしたくてもできない、したいという気にもなれない経験を山ほどしているせいか、動けるときは多少無理しても動きたい、燃え尽きてもできるだけやっちゃいたいという心理が奥底でうごめいているのは確かなことで・・・
そもそもやりたいことがある、というのが一時期と比べるとものすごくポジティブな傾向・サインなので。
あとやっぱりある程度無理していないとやった感がない、というのもあり。

ピアノでも割と先生が手の大きさ的に無理だからやめときなさい、といってもものすごく好きな曲だったら無理を押してでも弾いちゃう自分。その曲でないといけない、と思ったらもう妥協とかあきらめるとかは選択肢から消えちゃいますもの。(妥協できない、というのは実は私がチェリスト気質と仮説しているうちの最も大きい部類に入る性質だったり)
あと無理してからこそ得られる感覚、というのがあることも強く信じていて。人生においてもそうですが、特に音楽に関しては。
でも先生はわりと安全な選択肢を採る方で実際心配ない、なんてこともあるんですがね・・・
とりあえずそこのところが「先生が私のことを心配してる」の主な理由だと思うんです。ピアノを通じてそういう私の性格と傾向を知ってるから。

実際そういう「腹八分目」的な調整がちょっと下手なのと、無理をして頭が回らない状態でもどうしてかわからないけどどんどん続けちゃったり(オケマネージャーの一年がまさにそう)することがあると自分で自覚しているのがまず第1ステップ。認識の部分ですね。ついでに言えば無理をして全部できないようになっても元も子もないですし、なによりも先生に心配して欲しくない、という気持ちがあることについての認識も。
ただそれを「行動」にうつして改善できるか、というとこないだ精神医と話したようにわりとまだまだなところが多く。

やりたいことそれぞれに精進するのはもちろんですが、それらをうまくバランスすること、効率よくパズルのピースを合わせていくこと(なんせ長期のスケジュールが見えない仕事ではありますから・・・)、自分にとって「正しいこと」をできるようになること・・・それが当面の課題であり目標であるのかな、と認識はしています。(行動はまだ・・・)

昔某CMで「二兎を追う者は一兎をも得ず」ではなく「二兎を追う者だけが二兎を得る」とありましたが、とりあえずやりたいこと、夢も全部追いかけてみなければわからないですし、全部追いかけてみて初めて見える物もありますし。私の場合理想が複数の夢の連携で成り立つものなのでとりあえず全部追いかけないといけない、というのもあるので・・・
とりあえず一歩一歩気負わず近づけて行けたらなあ、と思います。


今日の一曲: コダーイ・ゾルターン ガランタ舞曲



今日はなんだか自省的になってしまったのでぱーっとすかっとするものを一曲。

コダーイ。ハンガリーの民族音楽を取り入れた音楽を書いた作曲家で、教育メソッドでもその名を残した教育者。
私自身はそんなに彼の作品を知らないのですが、知ってるのはみんな「かっこいい!」と毎回聴いて思う曲ばかり。

ガランタとは・・・東ヨーロッパの激動でさまざまな国の領土になった地方ですが、いまはスロベニアの一角にある地方。コダーイが幼少を過ごした地なのです(当時はハンガリー領)。

コダーイの民族音楽の取り入れ方は割と「生食系」なような気がします。例えば同じハンガリーの作曲家で「ハンガリー狂詩曲」などの音楽を残したリストだと、コンサートで技巧を自分で披露する目的があるがために技巧をちりばめて「調理された」感が音楽にあるんですよね。
コダーイ、そしてバルトークなんかはもうミディアムレアのステーキにしてサイドディッシュを添えて「はいどうぞ」的なワイルドさがあります。

ワイルドさ、というのはブラームスのハンガリー舞曲でも語りましたがハンガリーの音楽の芯になっている性質だと思います。首を多くとった方が勝ち、みたいなことを言いましたが。
実際お隣のルーマニアの音楽と比べるとルーマニアはメロディ中心、ハンガリーは強いシンコペーション(拍のずらし)が特徴的なリズムが前にでてて、どっちかというと「征服者の音楽」という感じがします。

世界ふしぎ発見で前見たのですがハンガリーの東にはアジアチックな騎馬民族が今でもいて。
ハンガリーを創った(といってもいい)フン族は中国の北部の匈奴と呼ばれる異民族と同じではないかといわれているんですね。
純粋的に音楽の直感で言えばありえることだと思います。確証はないのですが。でもモンゴルの馬頭琴とハンガリー音楽で多用されるバイオリン、繋がりがあるような気もします。

バイオリンはこのガランタ舞曲でも大活躍。特にエンディングに近くなってくるともはや凶暴。
がしがし言ってます。
ちなみに私の持ってる録音の一つはロンドン交響楽団なのですが、イギリス紳士&淑女とは思えないほど、「え?これイギリスのオケ!?」と思うほどワイルドで野蛮な演奏を聴かせてくれます。
あとはものすごく遠くを見る目つきのような音をした自由いっぱいのびのびにちょくちょく表れるクラリネットのカデンツァ。透明な音と長い息、全てが騎馬民族が駆け巡る広野を思わせます。
はっきり情景が表れる曲も珍しいです、私の場合。でもこの曲は広野と山と・・・騎馬民族の先祖が超えてきた山の向こうの土地に思いを馳せたりしちゃいます。

所詮は直感的で理論的な裏付けがなにもないもの、といえばそこまでなんですが、ハンガリーの音楽、ことにこのガランタ舞曲はハンガリーにすんでいた民族と今も続くその文化、騎馬民族の様子と彼らが住んだ土地、さらにその土地の記憶、というか歴史をものすごく感じさせてくれると思います。
中国史をかじった身としてはそのハンガリーと匈奴の大陸を横断するコネクションに対する夢とかロマンみたいなものも抱いてしまって。

実際音楽文化的には春の祭典やこの曲やあそこらへんのアジアとヨーロッパの間のno man's land的なエリアはほとんど白紙に近いと言っても・・・大げさでしょうか。
でもだからこそその白紙を夢とかロマンという想像力で埋めたくなる、そんな曲です。

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