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昨日の宣告通り今日は仕事を午前の部で終わらせて、午後は掃除をした後勉強。
勉強+仕事関係のブラウザブックマークをざくざく整頓したり・・・
そしてメンタルヘルス(not心理学。まだです。)について何が知りたいか、何を勉強してまとめたいかを「とりあえず」でリストしてみたり。
やっぱ一旦集中して何でも行動に移してみると少なくとも少しはなんとかなるものですね。ちょっぴり自信が付きました。
そしてそうやってラフにまとめただけでもすぐ触発されてしまう安上がりな私の脳。
ということでまだ固形化していないトピックながらも少し思考を巡らせ言葉にしてみたいな、と思います。
昨今ニュースで入ったりその他話に聞く様々な医療関係の問題の根本にあるのかなー・・・とついつい思ってしまう問題が治療する側と治療を受ける側の信頼関係なのかな、と思います。
身体の病気ももちろん信頼関係が大切ですが、心のケアではおそらくよりものをいうのではないか、と思います。
確かにお医者さん(便宜上治療、ケアを施す側を総称してこう呼ばせていただきます)ははっきり言えば「他人」です。病気によっては診断などの際に結構プライベートなことだったり恥ずかしいことを話さないといけない場合もありますが、その情報なしでは正確な診断ができない、つまりお医者さんを信頼してそういったことを話すことによって正確な診断ができて、適切な治療が受けれて、円滑な回復プロセスに繋がるわけですよね。
心のケア・・・というのはまたちょっと難しく。
精神の不調は遺伝だったり環境だったり性格だったりいろいろな要因があるので、患者さん(便宜上治療、ケアを受ける側を総称してこう呼ばせていただきます)のいろんな面を理解して把握し、患者さんに合った治療や支援策を様々なアプローチから練らなければなりません。
(なので私が経験などから思うところ特に心のケアに関しては最初のセッションで薬を処方、というのは例えば明らかに精神病症状が現れていたり、状態を詳しくみるために対応しなければならない症状がある場合など本来そうあることじゃないはずなのですが・・・)
どんなに伝えても例えば長年患者さんを個人的に知っている家族などのように患者さんを短期間で知ることができるわけではありません。でもいわば中立的立場であり、個人的に知っていると言う先入観フィルターがないぶん、冷静で「その人の健康のため」の観点で医学的な知識をベースに意見を述べてくれる、という利点があります。
患者さんも周りの人も(そしてお医者さんも)、正直に正確に状態などをお医者さんに話し続けるのは勿論ですが、結果がすぐでない長期戦(薬を用いたとしても安定した効果はそんなに早く表れませんしね)を覚悟する、という心構えは必要なのかも知れませんね。
あと全ての患者さん、そしてケアを受けようか迷っている方々に言いたいのはお医者さんは患者さんがお医者さんに話した気持ちや思考、行動に対して患者さんのことを悪い人間だとか人間性についてjudgeすることはありませんし、偏見を持って見るようなことはありません。言うまでもなく守秘義務もありますし、お医者さんは(少なくとも理想的には)いつも患者さんの味方であり、患者さんの状態が良くなることに労力を費やしてくれる存在なのです。
心のケアについてのコミュニケーションで大変なのは、患者さんの状態によって、そして病気の影響によって自分の状態が正確に伝えられなかったり、疑心暗鬼になっていたり、入院などを逃れようと嘘をついたり・・・などなどの可能性が本当に普通にあって、それはある程度しょうがないところ、ということだと思います。
でもそれでもなんとか伝えようとすることでお医者さん側も患者さんの状態を分かってくれますし、なるべく的確な判断を下せるはずですので。
お医者さんと患者さんの信頼関係がうまく築かれていると例えば別の病院にいくことになったとき、入院することになったときはもちろん、セカンドオピニオンが必要な時にもうまくいくと思います。
治療の経過上、例えば別の治療法を専攻しているお医者さんからのアプローチを聞くことが有益になると判断されたとき、双方に落ち度がなくともセカンドオピニオンが必要なときはあります。そういったときにお医者さんとのコミュニケーションがうまくいっていると患者さんのセカンドオピニオンのお医者さんへの信頼度も増しますし、フィードバックの有益さも上がりますし、セカンドオピニオンという策がより有用になるんじゃないかしら。
信頼関係についてもう一つ大事なことは、良い信頼関係が築かれていると、健康を保つための支援にもなる、ということです。普段からコミュニケーションがうまくいっていればちょっとしたサインでもお医者さんは気づいてくれますし、患者さんにあったメンテナンスの仕方もアドバイスしてくれます。病状が急転した場合も対応が早い、というか対応を理解してくれてたり。
私の個人的な経験の話になりますが・・・
最初に「精神医」にかかることになったのは14くらいのとき。思春期まっただ中で自分の状態もほとんど把握できてない状態で。
病気のことをなにもしらなかったこと、まだまだ子供であり自分を見る力が乏しかったこと、その時点でわりと状態が悪かったことなどが重なってお医者さんとの信頼関係を築けたのは何年もたってから。
でもその時の信頼関係さえも今の精神医との信頼関係と比べたらまだまだだったなあ、という印象です。
心のケアだと特にお医者さんと患者さんの相性はものを言うと思います。
治療のアプローチに関してお医者さんは得意不得意がありますし、やっぱり心と心が触れあうのでもっと人間的というか直感的な合う、合わないは決して無視・軽視してはいけないことだと思います。
(もちろんある程度慣れというか、時間が経つと変わる可能性はありますが)
患者さんは「治療を受ける」のが役割ではない・・・と思います。
お医者さんに自分の健康のコントロールをサポートしてもらうという面もありますし、お医者さんと協力して治療を進め、道を切り開いていくという面もあると思います。
私が本当に病状の改善を意識し始めたのは自分でお医者さんと協力して治療をすすめている、という意識が芽生えたころじゃないかなあ・・・とぼんやりと。お医者さんから学んだり、自分でリサーチしたりお医者さんと話し合ったりして、自分の心の健康管理を意識的にし始めたり・・・コミュニケーションが増えて、お医者さんのアドバイスや判断を信頼しはじめたころじゃなかったかと。
お医者さんと患者さんの「対話」の大切さはもっと強く訴えられていい重要なトピックだと思いますが(今日本では一人一人の患者さんの診療時間が極端に少ないと聞いています・・・心のケアに10分ではなにもできません)、同時に患者さんの役割と「身と心を預ける覚悟」、そしてお医者さんが患者さんがそうできる「信頼できる職種」の人間であることも大切です。
もっと対話を、もっと信頼を、もっと協力を・・・相互に築けるようになれればもっとお医者さんにも患者さんにも良い医療が行われるのかなあ、とDown Underの片隅で考えています。
もちろん、それが達成されるには他の諸々の問題の解決も必要ですが・・・(医師不足、など・・・)
心のケアの難しさを考えると、病気やどうしても避けられない問題など以外で治療をややこしくするのはどうしてもいやなんですよね、気持ち的に(苦笑)。
なんとかしたい気持ちが先走ってしまいますが・・・ゆっくり勉強しながら歩んでいきたいと思います。
今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「リュートのための古風な舞曲とアリア」組曲第2番より「ガリアルダ」
リュートのための、とは書かれていますがオーケストラのための組曲です。
ピアノバージョンもあって弾いたこともあります♪楽しかったですよ~
レスピーギは彼の一番有名な作品であるローマ三部作に印象派てきなスタイルとローマへの愛を表していますが、彼のもう一つの顔は「新古典派」の作曲家。
バロック以前の音楽を彼オリジナルの色彩でプロデュース、といったところでしょうか。
この「古風な舞曲とアリア」の別の曲をラジオで初めて聴いた時「バロックだけどバロックじゃない!」と大変困惑した覚えがあるんですよ(笑)メロディーとかスタイルはしっかりバロックなのに、バロック時代には使われなかった楽器や、楽器の使われ方があって。
ガリアルダ、というのは3拍子の中くらいの速さの舞曲。バロック時代から現代まで使われているメヌエットやサラバンドと違ってバロック時代以外ではあーんまり名前を聞かない、もしかしたら廃れてしまったのかもしれない舞曲です・・・
こないだのブラスフェスティバルのジーグでもそうなんですが、3拍子で1,2,3,1,2,3とリズムが続いているところを同じ拍の速さで1,2,1,2,1,2と時々変わるヘミオーラというリズムのテクニック(フレーズの終わりによく使われますね)があると好きになっちゃうんですよ。なんだかおしゃれ、というか。もともと変拍子で育った子なのでそこに心惹かれるのは仕方ないのかも・・・
アーティキュレーションが割とこの曲はかっかっとはきはきしているのですが、ヘミオーラのところに心地良いスイングがついて。
弦の響きが・・・なんといいますか、バロック時代のサウンドの良さをキープしたまま進化させた様な感じで不思議な満足感があります(笑)
偉大な曲だ!とか大いに心を打たれる!とかそういう曲ではないのですが、心がちょっぴり持ち上げられて、踊りのスピリットを感じられて、アクティブな心地よさを感じられる素敵な曲だと思います。
どの舞曲もアリアも個性にあふれているので他の楽章も紹介していきたいですね♪
勉強+仕事関係のブラウザブックマークをざくざく整頓したり・・・
そしてメンタルヘルス(not心理学。まだです。)について何が知りたいか、何を勉強してまとめたいかを「とりあえず」でリストしてみたり。
やっぱ一旦集中して何でも行動に移してみると少なくとも少しはなんとかなるものですね。ちょっぴり自信が付きました。
そしてそうやってラフにまとめただけでもすぐ触発されてしまう安上がりな私の脳。
ということでまだ固形化していないトピックながらも少し思考を巡らせ言葉にしてみたいな、と思います。
昨今ニュースで入ったりその他話に聞く様々な医療関係の問題の根本にあるのかなー・・・とついつい思ってしまう問題が治療する側と治療を受ける側の信頼関係なのかな、と思います。
身体の病気ももちろん信頼関係が大切ですが、心のケアではおそらくよりものをいうのではないか、と思います。
確かにお医者さん(便宜上治療、ケアを施す側を総称してこう呼ばせていただきます)ははっきり言えば「他人」です。病気によっては診断などの際に結構プライベートなことだったり恥ずかしいことを話さないといけない場合もありますが、その情報なしでは正確な診断ができない、つまりお医者さんを信頼してそういったことを話すことによって正確な診断ができて、適切な治療が受けれて、円滑な回復プロセスに繋がるわけですよね。
心のケア・・・というのはまたちょっと難しく。
精神の不調は遺伝だったり環境だったり性格だったりいろいろな要因があるので、患者さん(便宜上治療、ケアを受ける側を総称してこう呼ばせていただきます)のいろんな面を理解して把握し、患者さんに合った治療や支援策を様々なアプローチから練らなければなりません。
(なので私が経験などから思うところ特に心のケアに関しては最初のセッションで薬を処方、というのは例えば明らかに精神病症状が現れていたり、状態を詳しくみるために対応しなければならない症状がある場合など本来そうあることじゃないはずなのですが・・・)
どんなに伝えても例えば長年患者さんを個人的に知っている家族などのように患者さんを短期間で知ることができるわけではありません。でもいわば中立的立場であり、個人的に知っていると言う先入観フィルターがないぶん、冷静で「その人の健康のため」の観点で医学的な知識をベースに意見を述べてくれる、という利点があります。
患者さんも周りの人も(そしてお医者さんも)、正直に正確に状態などをお医者さんに話し続けるのは勿論ですが、結果がすぐでない長期戦(薬を用いたとしても安定した効果はそんなに早く表れませんしね)を覚悟する、という心構えは必要なのかも知れませんね。
あと全ての患者さん、そしてケアを受けようか迷っている方々に言いたいのはお医者さんは患者さんがお医者さんに話した気持ちや思考、行動に対して患者さんのことを悪い人間だとか人間性についてjudgeすることはありませんし、偏見を持って見るようなことはありません。言うまでもなく守秘義務もありますし、お医者さんは(少なくとも理想的には)いつも患者さんの味方であり、患者さんの状態が良くなることに労力を費やしてくれる存在なのです。
心のケアについてのコミュニケーションで大変なのは、患者さんの状態によって、そして病気の影響によって自分の状態が正確に伝えられなかったり、疑心暗鬼になっていたり、入院などを逃れようと嘘をついたり・・・などなどの可能性が本当に普通にあって、それはある程度しょうがないところ、ということだと思います。
でもそれでもなんとか伝えようとすることでお医者さん側も患者さんの状態を分かってくれますし、なるべく的確な判断を下せるはずですので。
お医者さんと患者さんの信頼関係がうまく築かれていると例えば別の病院にいくことになったとき、入院することになったときはもちろん、セカンドオピニオンが必要な時にもうまくいくと思います。
治療の経過上、例えば別の治療法を専攻しているお医者さんからのアプローチを聞くことが有益になると判断されたとき、双方に落ち度がなくともセカンドオピニオンが必要なときはあります。そういったときにお医者さんとのコミュニケーションがうまくいっていると患者さんのセカンドオピニオンのお医者さんへの信頼度も増しますし、フィードバックの有益さも上がりますし、セカンドオピニオンという策がより有用になるんじゃないかしら。
信頼関係についてもう一つ大事なことは、良い信頼関係が築かれていると、健康を保つための支援にもなる、ということです。普段からコミュニケーションがうまくいっていればちょっとしたサインでもお医者さんは気づいてくれますし、患者さんにあったメンテナンスの仕方もアドバイスしてくれます。病状が急転した場合も対応が早い、というか対応を理解してくれてたり。
私の個人的な経験の話になりますが・・・
最初に「精神医」にかかることになったのは14くらいのとき。思春期まっただ中で自分の状態もほとんど把握できてない状態で。
病気のことをなにもしらなかったこと、まだまだ子供であり自分を見る力が乏しかったこと、その時点でわりと状態が悪かったことなどが重なってお医者さんとの信頼関係を築けたのは何年もたってから。
でもその時の信頼関係さえも今の精神医との信頼関係と比べたらまだまだだったなあ、という印象です。
心のケアだと特にお医者さんと患者さんの相性はものを言うと思います。
治療のアプローチに関してお医者さんは得意不得意がありますし、やっぱり心と心が触れあうのでもっと人間的というか直感的な合う、合わないは決して無視・軽視してはいけないことだと思います。
(もちろんある程度慣れというか、時間が経つと変わる可能性はありますが)
患者さんは「治療を受ける」のが役割ではない・・・と思います。
お医者さんに自分の健康のコントロールをサポートしてもらうという面もありますし、お医者さんと協力して治療を進め、道を切り開いていくという面もあると思います。
私が本当に病状の改善を意識し始めたのは自分でお医者さんと協力して治療をすすめている、という意識が芽生えたころじゃないかなあ・・・とぼんやりと。お医者さんから学んだり、自分でリサーチしたりお医者さんと話し合ったりして、自分の心の健康管理を意識的にし始めたり・・・コミュニケーションが増えて、お医者さんのアドバイスや判断を信頼しはじめたころじゃなかったかと。
お医者さんと患者さんの「対話」の大切さはもっと強く訴えられていい重要なトピックだと思いますが(今日本では一人一人の患者さんの診療時間が極端に少ないと聞いています・・・心のケアに10分ではなにもできません)、同時に患者さんの役割と「身と心を預ける覚悟」、そしてお医者さんが患者さんがそうできる「信頼できる職種」の人間であることも大切です。
もっと対話を、もっと信頼を、もっと協力を・・・相互に築けるようになれればもっとお医者さんにも患者さんにも良い医療が行われるのかなあ、とDown Underの片隅で考えています。
もちろん、それが達成されるには他の諸々の問題の解決も必要ですが・・・(医師不足、など・・・)
心のケアの難しさを考えると、病気やどうしても避けられない問題など以外で治療をややこしくするのはどうしてもいやなんですよね、気持ち的に(苦笑)。
なんとかしたい気持ちが先走ってしまいますが・・・ゆっくり勉強しながら歩んでいきたいと思います。
今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「リュートのための古風な舞曲とアリア」組曲第2番より「ガリアルダ」
リュートのための、とは書かれていますがオーケストラのための組曲です。
ピアノバージョンもあって弾いたこともあります♪楽しかったですよ~
レスピーギは彼の一番有名な作品であるローマ三部作に印象派てきなスタイルとローマへの愛を表していますが、彼のもう一つの顔は「新古典派」の作曲家。
バロック以前の音楽を彼オリジナルの色彩でプロデュース、といったところでしょうか。
この「古風な舞曲とアリア」の別の曲をラジオで初めて聴いた時「バロックだけどバロックじゃない!」と大変困惑した覚えがあるんですよ(笑)メロディーとかスタイルはしっかりバロックなのに、バロック時代には使われなかった楽器や、楽器の使われ方があって。
ガリアルダ、というのは3拍子の中くらいの速さの舞曲。バロック時代から現代まで使われているメヌエットやサラバンドと違ってバロック時代以外ではあーんまり名前を聞かない、もしかしたら廃れてしまったのかもしれない舞曲です・・・
こないだのブラスフェスティバルのジーグでもそうなんですが、3拍子で1,2,3,1,2,3とリズムが続いているところを同じ拍の速さで1,2,1,2,1,2と時々変わるヘミオーラというリズムのテクニック(フレーズの終わりによく使われますね)があると好きになっちゃうんですよ。なんだかおしゃれ、というか。もともと変拍子で育った子なのでそこに心惹かれるのは仕方ないのかも・・・
アーティキュレーションが割とこの曲はかっかっとはきはきしているのですが、ヘミオーラのところに心地良いスイングがついて。
弦の響きが・・・なんといいますか、バロック時代のサウンドの良さをキープしたまま進化させた様な感じで不思議な満足感があります(笑)
偉大な曲だ!とか大いに心を打たれる!とかそういう曲ではないのですが、心がちょっぴり持ち上げられて、踊りのスピリットを感じられて、アクティブな心地よさを感じられる素敵な曲だと思います。
どの舞曲もアリアも個性にあふれているので他の楽章も紹介していきたいですね♪
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