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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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ONだったりOFFだったり
忙しいんだか忙しくないんだかわからない!?

ここ2日ほどほとんど仕事がなくて、ピアノと勉強に励んだり・・・
あとその他趣味の方でかなり頭が忙しかったりだったのですが、今日になったら急ぎの仕事が入ったりでなんだかんだで5時間働いて、しかもその仕事が来るとおもってなかったんで昼にピアノまで練習しちゃいました(1時間半だけですが)。

そして友達から日曜の夜にバドミントンのお誘いがあったり、月曜日は8月末から続く咳のことでお医者さんに、火曜日の夜は国立アカデミーで私の大好きなイギリスの作曲家トマス・アデスが来豪して自身の作品とバロック以前の音楽を演奏したりするコンサートがあって、金曜日の夕方は神経科学のミニ・シンポジウム(行っていいんだよね?)。そして土曜日は待ちに待ったMulwala-Yarrawongaの小旅行。(今のところ天気がちょっと期待できないかも?がんばれ、メルボルンの春!)
仕事ももちろんしたいし、ピアノで詰め場の曲もいくつかあるし、勉強もちょっとのってきたりで・・・
結構めまぐるしくなりそうです。

小旅行・・・は。ネット接続環境があるところに宿泊なので向こうで夜仕事しても大丈夫ですし。
そして持ってくのは本ではなくて論文のReadings。音楽演奏中の精神状態だったり、共感覚の診断だったり、リチウムの薬としての特殊さだったり、クラムのマクロコスモスの分析だったり・・・もちろん全部読むわけじゃないですがわくわくしますねえ♪

最近完全に趣味で、というか表現の欲求に任せていろいろやってたりします。
知ってる音楽の曲集を「お題」の様に使って例えば人物を曲に割り当てて絵を想像したり、創作のショートストーリーをプランしてみたり、キャラクターデザインしてみたり。
そのなかで今力を入れているのがメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」の8つの楽章でステンドグラスをデザインしてみようとしてます。
メシアン自身の色彩はサン・トリニテ教会のステンドグラスに影響されていた、ということもありますし、この曲はなんとなくステンドグラスがいいな、という強い思いが数年前からあったりしたのですが・・・

「人はステンドグラスのようなものだ。太陽が輝いている間はみんな光り輝くけれど、闇が訪れるときに本当の美を表すのは内なる光によってのみなのだ。」
エリザベス・キューブラー・ロスというメンタルヘルスに関してかかわりの深い方のこんな言葉をふと思い出したのです。
「世の終わりのための四重奏曲」はメシアンが戦時中に捕らわれた強制収容所で書いた曲。どんな状況や環境だったかは私にはなかなかぴんと来ませんが、そんな厳しい環境の中でこの曲を書いた、こんな光を放つことが出来たのはメシアンの心の中に「信仰」というゆるぎない内なる光があったからなのかなー・・・と思ったので。
あんまり自分にプレッシャーかけるとあれなんですが、できあがったらどこかにアップしたいな、と思ってます。

お題のテンプレート自体もアップしたいんですよね。
それを使ったステンドグラス以外の創作物、は・・・うーん。いろいろなジャンルでいろいろやってるんで。オリジナルだったり二次創作だったりその間だったりで。まだまだ未定です。

そんなこんなで実はメインの書き物の方が進んでなかったり(笑)
でも何にしても今はアウトプットもインプットも結構ONになって足をタコのように広げてるので(季節が幸いしてるんでしょうね)・・・
あーなんだか夜11時なのにクラムが弾きたくなってきた!とかいう状態なのですが。
とりあえず休むこともわすれず存分楽しんでいきたいと思います。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第2楽章「マラゲーニャ」



昨日Twitterの方でちょっと死臭系の音楽の話をしていたので、話に出たのとは別の楽章ですが(あれは私にとって伝家の宝刀なので)、多分2番目に好きなこの第2楽章を。

ショスタコの14番、というのは交響曲という名をもつ連作歌曲みたいな音楽です。
ちょっと小編成の弦楽器、チェレスタ、打楽器、そしてソプラノとバスのソリストという慎ましい編成で演奏するは「死」を題材とした11つの楽章。ショスタコーヴィチの最晩年に書かれた曲で、自身の死を意識していることはまず間違いないんじゃないでしょうか。

歌詞として使われているのはロルカ、アポリネール、キュヘリベケル、そしてリルケの詩。
多感かつ病状がおそらく最悪だったころにこの曲を知って、詩にはまって、音楽にもじわじわはまったのですが、この曲がなかったらおそらくヨーロッパの詩文学に興味を持ってなかったんじゃないか、と自分で思うほど文学的に私にインパクトが大きかった曲でもあります。

第2楽章はスペインの詩人ロルカの「マラゲーニャ」を用い、スペインの舞曲マラゲーニャをモチーフとした、どこかスペイン風味があるながらもショスタコ節&ロシア(ソヴィエト)の冷たさも併せ持つ不思議な曲。
ロルカの詩って、こう・・・ものすごく乾いてるんですよね。メルボルンの夏の乾燥を思わせるような、きっと風土の特徴。ロシア語に翻訳されて、ソヴィエトの作曲家の音楽に乗せられても不思議と伝わってきます。

スペインを表すカスタネットが特徴的なのですが、それよりもこの楽章の主役はバイオリン。
ロルカの詩で酒場に出たり、入ったりする擬人化された「死」=死神。昔から死神の弾く楽器と言えばバイオリンが相場ですが、まあなんて死神らしい音!
ひからびた死神が笑いながらバイオリンを弾く様子が目に浮かびます。

ショスタコの晩年の音楽はあんまり聴きやすい方ではないのですが、この曲ならあまり不快感(?)を感じることなく、その精神を味わうことが出来ると思います。
ショスタコの晩年の音楽は・・・彼の他の音楽と比べても、他の作曲家の音楽と比べてもなにか独特なフィーリングがあります。
ぞっとするなにかがあり、同時にどこか悟っているようでもあり・・・むしろ悟っているからぞっとするのかしら?
初めて聴いて心を鷲づかみにするパワーはないかもしれないけれど、じわじわ長い時間かけて身にしみてくる何かにはあふれている交響曲です。

ぞっとするもの、死臭のする音楽は避けてしまうのが人間の本能。(そして論理に基づいた本能なんですよね)
その本能が10年前の私はぶっこわれてたのか分からないのですが、そういったものに惹かれてしまったことでこの曲に出会えてこの音楽が身にしみて・・・なんだか結果かけがえないものを得たような気がします。

まあそんな大げさなものではないのですが、怖いもの見たさでこの楽章から聴いて見てください。
もしかしたら意識したことのない引き出しやら扉やらびっくり箱やら知らないうちに開いてしまうかも・・・?
(あれ、大げさなものではないんですがっていったのに!?)

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