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先日ちょっとメンタルヘルスについて思うことがあった時が数日前にあって、そのときの熱はちょっとキープし損ねたのですがいくつかメモを残しておいたのでなんとかまとめたいと思います。
小旅行を挟んだりなんだりしながらいくつか書いていく予定なのでどうかよろしくお願いします。
私がメンタルヘルスのことを書くときにいつも強調したいと思っているのが「患者さんと周りの人、そして一般の人のなるべく多くがメンタルヘルスに対して正しい知識を持つこと」の大切さ。
もちろん経験からそうであって欲しいと強く思うのもありますが、やっと論理的になぜそれが大切なのか説明できるようになってきました。(まだまだ「なってきた」程度ですが)
こないだ他にメモしたことを書くのにも、そして他に「精神関係」カテゴリで色々書くにもきっと大事な前提になると思いますのでなんとか今日文にしてみたいと思います。
未知のことに対して恐怖を感じるのはごく自然なことで。
精神疾患を患う人に対してスティグマがあったり、そういった人を避けたりする傾向があるのはやはりそういう要素があるようです。何をするかわからない、どうやって接すればいいのかわからない、自分が行った一言でどんな影響があるか分からない、何かがあったときにどう対応すればいいのかわからない、考え方・感じ方が自分と違って分からない・・・
分からないのオンパレードです。
そしてその「分からない」が恐怖に繋がり、事実に基づかない偏見につながるという悪い方向に向かってしまいます・・・
そんな中、世の中にはいろんな精神疾患だったり他の心の不調だったりがあって、多くの人が精神疾患にかかったり、もっと多くの人がそれとは知らず苦しんでいたり、そしてそれよりまた多くの人が精神疾患ではないけれど精神の苦しみを一時的に抱えてたり(そのうち一部が精神疾患を患うようになったり)・・・
さらにそんな人達の周りでそういう人達に日常的に接したり、気遣ったり、心配する人がいて。
もはや精神疾患や心の不調は人ごとではすませられない問題で、なのに分からないことが多すぎる、というのはなんだかいけないような気がするのです。
メンタルヘルスについて知識を持つことの大事さに関して「早期発見」という大切な理由があります。
精神疾患はある日突然患うものではなく、じわじわと症状が行動、感情、思考に現れるもの・・・なのですが、発見されるのはいつも遅すぎる。
いつ誰に起こってもおかしくないその病気の早期の徴候に気づいていれば、投薬をしなくとも病気を軽度で食い止めることができたのに・・・と後悔する専門家、患者さんとその周りの人の多さ!
そして私も周りの人も私が最初に鬱になったときにかなり試行錯誤でおたがいぼろぼろになった経験があり・・・
「これはもしかしたら」と思ったときにとる対応を知っていれば(カウンセラー等にいくなりするとお互いの対応の仕方もアドバイスしてくれたりしますしね)患者さんも周りの人も迷わず傷つかずにすむ、そして迷い傷つくことにより患者さんの病状にネガティブな影響もあるということを身を以て思い知りました。
それに患者さんと周りの人両方が正しい知識を持ってスティグマのない環境を作っていれば患者さんによる医療不信、治療拒否を減らし、専門家を合わせた三者によるしっかりとした協力的な治療体制が築けるのではないか、と思います。
周りの人の理解が必要なのにも大事な理由があります。
特に精神疾患など心が不調な状態にある患者さんなどは自分の状態だったり自分の感情、思考や周りの状況、周りの人が言うことを病気の影響で冷静に、普段だったら理解できるのと同じように理解できないことがあります。
(これは同時に一般の人が病気になる前に正しい知識を身につけておくことが大事だということの理由でもあります。もしも心に不調をきたした場合病気に対しての知識があると「これは病気でねじまがった思考だな」とか自分でもわかり、病気の自分や周りへの影響を少しでも食い止めることができるので・・・)
そういった場合に周りの人が患者さんの病気に惑わされず、本当に患者さんのためになる対応が出来るためにも周りの人の理解がものすごく大事になってきます。
どんな症状があって、どんな対応をするか(自分で何かするまではいかなくとも、どんな専門家や関連団体・機関でサポートが得られるか、どこに連絡するべきか)を知っているだけでも自分が強く冷静にいられると思うんです。
例えばもしも近しい人(または知らない人)が目の前で不安関係の発作や症状を起こしたとき、関連した症状やその対応を知っていないと「どうしよう!」と恐怖を感じますが、知っていれば「大丈夫?」と少なくとも気遣う心を持てますし、その人の症状の改善を支えたり、お医者さんに連絡したり、もしもお医者さんにかかっていない場合どこで助けを求められるかなど冷静に対応することが出来ますよね。
そして自分で理解できないことが起こったことは恐怖、そして間接的に偏見に繋がりますが、自分でなにかが出来た、ということは自信につながります。
もちろん知識を「知る」だけでは不十分です。どんな知識でもそうですが、メンタルヘルスに関しては他人の心に直接関わる問題なので、共感することがものすごく大切です。
英語ではSympathy(同情とよく訳されます)とEmpathy(共感とよく訳されます)という2つの言葉があります。Sympathyはメンタルヘルスの分野で言うとどっちかというと感情を自分とは切り離して感じるものなのですが、Empathyは相手の身になって相手の苦しみなどを心に感じることを指す言葉です。
辛さを相手の身になって感じて初めて分かることもたくさんありますし、共感しないと患者さんのために本当に正しいことはできません。相手の辛さを感じなければ相手の気持ちに真摯に向き合えませんしね。
ただ、逆に症状だったりに関して知識がないと(患者さんの思考などが普通と「違う」状態なので)そうやって共感することは難しいので知識も共感も両方必要です。
知識の乱用はメンタルヘルスに限らずどんな分野でも問題です。
医療の現場でも患者さんがインターネットやメディアなどで得た知識をふりかざすことが問題になっているようで、例えばメンタルヘルスだとうつのチェックリストに当てはまったから自分はうつだと主張する患者さんがいるという話や、日本で「なんちゃって」うつと呼ばれる人達がいるという話を新聞などでよく読みます。
ここらに関連した話は後日のエントリーで取り扱いたいと思いますが(別にメモがあるので)、そういった人たちも問題的な患者や人だから対応は必要ないとか邪険に扱って良いとかいう話ではなく、そういう知識を求めた動機や乱用に至ってしまった思考のゆがみなどを考えて対応していかないといけない、という側面もあります。
知識は使いよう、そして共感と合わせて初めて生きるもの。
メンタルヘルスの知識は決して難しいものではなく、ちゃんとしたところに行けば正しく分かりやすい情報があります。それが日本ではどこか、というのは私は詳しくないのですが・・・
とりあえず厚生労働省の「みんなのメンタルヘルス」、「こころの耳」(働く人のための)、「こころもメンテしよう」(若い人のための)などのサイトの存在を確認しています。評価するほど詳細は存じません。すみません。
オーストラリアで筆頭に上がるのはオーストラリアでのメンタルヘルスについての正しい情報の広報、さらにはメンタルヘルスをオープンに語れるようにすることについて多大な貢献をした「Beyond Blue」を初めとした諸団体が一般向けにいろいろ情報を提供しています。
知ること、共感すること、そしてそれを元に何かをすること・・・
それらをする事で見えること、そしてそれらによりどれだけのことが変わるか。
そして自分に何かができることを認識すること。
ある日突然できるようになることではありませんがまずは少しでもわかっていただけたらと思って語らせていただきました。
このエントリーはあくまでも「知ること」が中心で、まだ「すること」についてはあまり触れていませんが、「知ること」と「共感すること」がその「すること」にいずれ繋がる(大きなステップに感じるところですが)基盤になることをまず伝えたかったので・・・(あと「すること」に関して私が語れる自信はまだイマイチないので・・・すみません)
でもそれで何かが(特に偏見などのエリアで)大きく変わる、と信じているので。
みんなに知って欲しいな、そして少しでも伝わってくれればいいな、とDown underの隅から願っています。
今日の一曲: ガブリエル・フォーレ ピアノ四重奏曲第1番 第1楽章
ピアニストが室内楽をやる場合一番人気はピアノ三重奏ですが、私はピアノ四重奏が贔屓です~という話をちらと以前何回かしたような・・・
ピアノ三重奏は一人一人が独立したソリストで、ピアノ五重奏はピアノ+弦楽四重奏に別れてて。そんななかピアノ四重奏はピアノとバイオリンとビオラとチェロ一人ずつが対等に支え合って親密にアンサンブルを奏でる、という個人的な持論なのです。
フォーレのこのピアノ四重奏曲第1番、調がハ短調なのですがブラームスのピアノ四重奏曲第3番、リヒャルト・シュトラウスのピアノ四重奏曲第1番もハ短調。偉大な・・・というか私の好きな(笑)ピアノ四重奏曲にはハ短調が多いという役に立たないトリビア以上です。
一度「室内楽でブラームスとか弾いてきたんだけど何かちょっと違うのないかなあ」というビオラ友達にお勧めしたのがこの曲で。確かに室内楽でドイツやロシアのがっつり系作品が多く弾かれる中フォーレのこの四重奏曲はひと味違った新鮮な風。
実際この第1楽章は風っぽい気がしますね。縦のハーモニーよりも横のそれぞれの楽器のメロディーが絡み合ったり、共に流れたり、ふっと途切れたり別の方向から入って来たり。
フォーレらしい暖かい柔らかでロマンチックな・・・春のような、秋のような、なんともいえない心地良く切ない音楽の流れが本当に今の季節(日本もオーストラリアも!)親身に感じられます♪
ロマン派、というのは(世界史百科で読みましたが)ドイツの国民性というかアイデンティティと強く結びついているものなのでフランスではあんまりメジャーではなかったのですが、フォーレやフランクなど、フランス独特の感性をロマン派の(ドイツ的なところ以外の)スピリットと上手く融合させた作曲家もいて。
実際それがすっごくナイスコンビネーションで、ロマンチックかつフランス的なことはこの曲でもものすごく分かると思います。
いつも今日の一曲ではここのこの楽器のこのパッセージがかっこいいんだ!とかこのハーモニーにやられた!とかいう傾向があるのですが、この曲に関してはピアノの音も、バイオリンの音も、ビオラの音も、チェロの音も、そしてその全ての融合も、ハーモニーも、メロディーも、雰囲気も・・・全部がほどよく心地良く、美しく。
ここで個々を、そして総合的にその素晴らしさを語ることは私のつたない言葉とまとめスキルでは無理です(笑)
秋だったり春だったり、季節の温度と色彩をふと感じたときにそっとかけて欲しいな、と思う曲です。
小旅行を挟んだりなんだりしながらいくつか書いていく予定なのでどうかよろしくお願いします。
私がメンタルヘルスのことを書くときにいつも強調したいと思っているのが「患者さんと周りの人、そして一般の人のなるべく多くがメンタルヘルスに対して正しい知識を持つこと」の大切さ。
もちろん経験からそうであって欲しいと強く思うのもありますが、やっと論理的になぜそれが大切なのか説明できるようになってきました。(まだまだ「なってきた」程度ですが)
こないだ他にメモしたことを書くのにも、そして他に「精神関係」カテゴリで色々書くにもきっと大事な前提になると思いますのでなんとか今日文にしてみたいと思います。
未知のことに対して恐怖を感じるのはごく自然なことで。
精神疾患を患う人に対してスティグマがあったり、そういった人を避けたりする傾向があるのはやはりそういう要素があるようです。何をするかわからない、どうやって接すればいいのかわからない、自分が行った一言でどんな影響があるか分からない、何かがあったときにどう対応すればいいのかわからない、考え方・感じ方が自分と違って分からない・・・
分からないのオンパレードです。
そしてその「分からない」が恐怖に繋がり、事実に基づかない偏見につながるという悪い方向に向かってしまいます・・・
そんな中、世の中にはいろんな精神疾患だったり他の心の不調だったりがあって、多くの人が精神疾患にかかったり、もっと多くの人がそれとは知らず苦しんでいたり、そしてそれよりまた多くの人が精神疾患ではないけれど精神の苦しみを一時的に抱えてたり(そのうち一部が精神疾患を患うようになったり)・・・
さらにそんな人達の周りでそういう人達に日常的に接したり、気遣ったり、心配する人がいて。
もはや精神疾患や心の不調は人ごとではすませられない問題で、なのに分からないことが多すぎる、というのはなんだかいけないような気がするのです。
メンタルヘルスについて知識を持つことの大事さに関して「早期発見」という大切な理由があります。
精神疾患はある日突然患うものではなく、じわじわと症状が行動、感情、思考に現れるもの・・・なのですが、発見されるのはいつも遅すぎる。
いつ誰に起こってもおかしくないその病気の早期の徴候に気づいていれば、投薬をしなくとも病気を軽度で食い止めることができたのに・・・と後悔する専門家、患者さんとその周りの人の多さ!
そして私も周りの人も私が最初に鬱になったときにかなり試行錯誤でおたがいぼろぼろになった経験があり・・・
「これはもしかしたら」と思ったときにとる対応を知っていれば(カウンセラー等にいくなりするとお互いの対応の仕方もアドバイスしてくれたりしますしね)患者さんも周りの人も迷わず傷つかずにすむ、そして迷い傷つくことにより患者さんの病状にネガティブな影響もあるということを身を以て思い知りました。
それに患者さんと周りの人両方が正しい知識を持ってスティグマのない環境を作っていれば患者さんによる医療不信、治療拒否を減らし、専門家を合わせた三者によるしっかりとした協力的な治療体制が築けるのではないか、と思います。
周りの人の理解が必要なのにも大事な理由があります。
特に精神疾患など心が不調な状態にある患者さんなどは自分の状態だったり自分の感情、思考や周りの状況、周りの人が言うことを病気の影響で冷静に、普段だったら理解できるのと同じように理解できないことがあります。
(これは同時に一般の人が病気になる前に正しい知識を身につけておくことが大事だということの理由でもあります。もしも心に不調をきたした場合病気に対しての知識があると「これは病気でねじまがった思考だな」とか自分でもわかり、病気の自分や周りへの影響を少しでも食い止めることができるので・・・)
そういった場合に周りの人が患者さんの病気に惑わされず、本当に患者さんのためになる対応が出来るためにも周りの人の理解がものすごく大事になってきます。
どんな症状があって、どんな対応をするか(自分で何かするまではいかなくとも、どんな専門家や関連団体・機関でサポートが得られるか、どこに連絡するべきか)を知っているだけでも自分が強く冷静にいられると思うんです。
例えばもしも近しい人(または知らない人)が目の前で不安関係の発作や症状を起こしたとき、関連した症状やその対応を知っていないと「どうしよう!」と恐怖を感じますが、知っていれば「大丈夫?」と少なくとも気遣う心を持てますし、その人の症状の改善を支えたり、お医者さんに連絡したり、もしもお医者さんにかかっていない場合どこで助けを求められるかなど冷静に対応することが出来ますよね。
そして自分で理解できないことが起こったことは恐怖、そして間接的に偏見に繋がりますが、自分でなにかが出来た、ということは自信につながります。
もちろん知識を「知る」だけでは不十分です。どんな知識でもそうですが、メンタルヘルスに関しては他人の心に直接関わる問題なので、共感することがものすごく大切です。
英語ではSympathy(同情とよく訳されます)とEmpathy(共感とよく訳されます)という2つの言葉があります。Sympathyはメンタルヘルスの分野で言うとどっちかというと感情を自分とは切り離して感じるものなのですが、Empathyは相手の身になって相手の苦しみなどを心に感じることを指す言葉です。
辛さを相手の身になって感じて初めて分かることもたくさんありますし、共感しないと患者さんのために本当に正しいことはできません。相手の辛さを感じなければ相手の気持ちに真摯に向き合えませんしね。
ただ、逆に症状だったりに関して知識がないと(患者さんの思考などが普通と「違う」状態なので)そうやって共感することは難しいので知識も共感も両方必要です。
知識の乱用はメンタルヘルスに限らずどんな分野でも問題です。
医療の現場でも患者さんがインターネットやメディアなどで得た知識をふりかざすことが問題になっているようで、例えばメンタルヘルスだとうつのチェックリストに当てはまったから自分はうつだと主張する患者さんがいるという話や、日本で「なんちゃって」うつと呼ばれる人達がいるという話を新聞などでよく読みます。
ここらに関連した話は後日のエントリーで取り扱いたいと思いますが(別にメモがあるので)、そういった人たちも問題的な患者や人だから対応は必要ないとか邪険に扱って良いとかいう話ではなく、そういう知識を求めた動機や乱用に至ってしまった思考のゆがみなどを考えて対応していかないといけない、という側面もあります。
知識は使いよう、そして共感と合わせて初めて生きるもの。
メンタルヘルスの知識は決して難しいものではなく、ちゃんとしたところに行けば正しく分かりやすい情報があります。それが日本ではどこか、というのは私は詳しくないのですが・・・
とりあえず厚生労働省の「みんなのメンタルヘルス」、「こころの耳」(働く人のための)、「こころもメンテしよう」(若い人のための)などのサイトの存在を確認しています。評価するほど詳細は存じません。すみません。
オーストラリアで筆頭に上がるのはオーストラリアでのメンタルヘルスについての正しい情報の広報、さらにはメンタルヘルスをオープンに語れるようにすることについて多大な貢献をした「Beyond Blue」を初めとした諸団体が一般向けにいろいろ情報を提供しています。
知ること、共感すること、そしてそれを元に何かをすること・・・
それらをする事で見えること、そしてそれらによりどれだけのことが変わるか。
そして自分に何かができることを認識すること。
ある日突然できるようになることではありませんがまずは少しでもわかっていただけたらと思って語らせていただきました。
このエントリーはあくまでも「知ること」が中心で、まだ「すること」についてはあまり触れていませんが、「知ること」と「共感すること」がその「すること」にいずれ繋がる(大きなステップに感じるところですが)基盤になることをまず伝えたかったので・・・(あと「すること」に関して私が語れる自信はまだイマイチないので・・・すみません)
でもそれで何かが(特に偏見などのエリアで)大きく変わる、と信じているので。
みんなに知って欲しいな、そして少しでも伝わってくれればいいな、とDown underの隅から願っています。
今日の一曲: ガブリエル・フォーレ ピアノ四重奏曲第1番 第1楽章
ピアニストが室内楽をやる場合一番人気はピアノ三重奏ですが、私はピアノ四重奏が贔屓です~という話をちらと以前何回かしたような・・・
ピアノ三重奏は一人一人が独立したソリストで、ピアノ五重奏はピアノ+弦楽四重奏に別れてて。そんななかピアノ四重奏はピアノとバイオリンとビオラとチェロ一人ずつが対等に支え合って親密にアンサンブルを奏でる、という個人的な持論なのです。
フォーレのこのピアノ四重奏曲第1番、調がハ短調なのですがブラームスのピアノ四重奏曲第3番、リヒャルト・シュトラウスのピアノ四重奏曲第1番もハ短調。偉大な・・・というか私の好きな(笑)ピアノ四重奏曲にはハ短調が多いという役に立たないトリビア以上です。
一度「室内楽でブラームスとか弾いてきたんだけど何かちょっと違うのないかなあ」というビオラ友達にお勧めしたのがこの曲で。確かに室内楽でドイツやロシアのがっつり系作品が多く弾かれる中フォーレのこの四重奏曲はひと味違った新鮮な風。
実際この第1楽章は風っぽい気がしますね。縦のハーモニーよりも横のそれぞれの楽器のメロディーが絡み合ったり、共に流れたり、ふっと途切れたり別の方向から入って来たり。
フォーレらしい暖かい柔らかでロマンチックな・・・春のような、秋のような、なんともいえない心地良く切ない音楽の流れが本当に今の季節(日本もオーストラリアも!)親身に感じられます♪
ロマン派、というのは(世界史百科で読みましたが)ドイツの国民性というかアイデンティティと強く結びついているものなのでフランスではあんまりメジャーではなかったのですが、フォーレやフランクなど、フランス独特の感性をロマン派の(ドイツ的なところ以外の)スピリットと上手く融合させた作曲家もいて。
実際それがすっごくナイスコンビネーションで、ロマンチックかつフランス的なことはこの曲でもものすごく分かると思います。
いつも今日の一曲ではここのこの楽器のこのパッセージがかっこいいんだ!とかこのハーモニーにやられた!とかいう傾向があるのですが、この曲に関してはピアノの音も、バイオリンの音も、ビオラの音も、チェロの音も、そしてその全ての融合も、ハーモニーも、メロディーも、雰囲気も・・・全部がほどよく心地良く、美しく。
ここで個々を、そして総合的にその素晴らしさを語ることは私のつたない言葉とまとめスキルでは無理です(笑)
秋だったり春だったり、季節の温度と色彩をふと感じたときにそっとかけて欲しいな、と思う曲です。
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