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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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曖昧なグレー、冷たいグレー
朝仕事して、そのあとずーっと休みました。
これからステンドグラスや執筆なんかの作業にも戻れるかな~。
明日もきっと仕事があり、そして家事復帰。
ピアノもレッスンを近いうちに先生にお願いしたいので練習にも早く戻りたい・・・とやりたいことばかり。

とりあえずブログのほうはメンタルヘルスのトピックに。
(音楽の話はもちょっと先になります。しばしお付き合いください。)

精神疾患を患っている人に対してのスティグマや偏見も大きな問題ですが、その「診断」という境界のあたりのグレーゾーン、ということにも大きな社会的な問題が存在するような気がします。
例えば日本ではよく「なんちゃってうつ」などの、病気と診断されていない(または診断されているか他の人には分からない)人たちが周りに迷惑をかけることが問題されていますが・・・

そういったメンタルヘルスのグレーゾーンにいる人々は、「病気ではないのに」迷惑な行動をする「迷惑な存在」として扱われていますが・・・
そういう人はうつでなくても、病気と診断されていなくても自分の心に問題を抱えていることには間違いなく、そして自分でその問題・気持ちに対してどういった対処をしたらいいものかわからない状態にあり、おそらくは自分の心や状態を冷静に見る能力ができないほどその問題が進んでいる、という状態にあると思います。
例えその状態がその人の性格などに起因するものだとしても、その人が苦しんで迷っていることにはかわりなく、健常者にできるその対処や心のコントロールができないからといって冷たくするのは違うんじゃないかな、と随分と前から思っていました。

で、このグレーゾーンがやっぱりそういった人達のこれからに関して重要なところではないかと思うのです。
その人が立ち直れるか、それとも病気への道を転がっていってしまうのか、その分かれ道。
7月以来ずっと強調している「早期発見」そのままなんですよね。
このグレーゾーンの時にそういった方々が正しい対応をとられるか(自分でも、そしてこういう自分が見えない状態のときは周りの人も)で進む道が分かれるといっても過言ではないと思います。

もう一つ問題だと思うのはそういった「なんちゃって」だったりグレーゾーンの人に対するそういった風当たりの強さの弊害といいますか、「診断を求めて」お医者さんに行ったり、ネットでの診断を鵜呑みにする人達がいたり・・・そういったことを初めとしていろいろと精神のお医者さんにとって負担になることもある、という側面。
同時に病気だと診断されたらそれでいい、許してもらえるといった患者さんの甘えの態度も同じ原因から生じていると思います。グレーゾーンへの風当たりの強さが故に、そうやって診断され病名を与えられることによってくくりに入れられ、そこである程度の辛さが減少するので安心してしまう、という。

精神疾患の診断基準自体ものすごく曖昧なところがあります。
白黒がつけられないエリアに、そうやって診断という白黒をつけようとする風流がスティグマに関する色々を初めとして早期発見・早期対処を妨げているのでは、という印象を受けます。
病気でなくとも苦しんでいる人には助けが必要ですし、いつでもどんな場合でも自分の心にコントロールがきく、自分の心を強く保てて冷静に問題に対処にできるなんていう人はいないわけですから、グレーゾーンの人を邪険に扱わず、そういった人が病気になってしまわないようにすることが必要で・・・
むしろ白黒をつけることなく対処することが必要なのかもしれません。

日本での人々のグレーゾーンの人に対する冷たさ、というのはネット上ですが、過去に身を以て私自身経験しています。
確かに心になんらかの問題を抱えている人だったり、精神疾患を抱えている人は、それが症状の影響もあってしょうがないことだとしても、人を傷つけたり、不快にさせたり、迷惑をかけたりと言うことがあることには違いありません。
ただそういう人を冷たくあしらったり、遠ざけたりするよりもお互いにとってもっと良い対処法があるのです。
前回のエントリの話に戻るのですが、やはりそこで一般の人が「知らない」というのが一番問題なのであって。
必ずしもそういう人に出会った、またはアプローチされた人がなんとかしなければいけない、というわけではないこと。その人が適切に助けを得られるところに誘導する、というそれだけでも済む場合もあるのです。
患者さんも迷ってて、アプローチされた人も迷ってその結果拒絶だったり傷つけたりだったりすることが起きることと比べたらその「正しい対応」がシンプルでお互いにとってどれだけ良いものか、それをもっと広く知って欲しいな、といつも思っています。

健常者も患者さんも含めてみんなが自分や他人の心の苦しみに対する対処法を知ることもそうですし、みんながお互いの苦しさに共感して(その人の苦しみを理解して共感すれば冷たくなんてあしらえないはず、と思う私は甘いのでしょうか・・・)、心の苦しみを病気になるずっと手前に察知し、病気を防ぐことができたら・・・と。
どこへ困っている人を誘導するか、そして困ったときどこへ行ったらいいか(自分で分かっていたらあるいは迷惑だと感じるような人にアプローチせずに済みますものね)、そしてどう自分や周りの人が心のケアをしたらいいか。
知る、分かることがこのトピックでも大切です。

まだまだ未熟な私ですが、あんまりこの病気になる手前の「グレーゾーン」についてはあまり話を見ないような気がしたので今日こうやってまとめてみました。
そういう「なんちゃってうつ」だったりする人は、性格的にもこれからうつになる要素がかなりそろっている場合も多くあると思うので、白黒つけずにグレーゾーンのケアがもっと施されるようになればいいな、と自身の経験からも思います。


今日の一曲: ジョージ・クラム 「幽霊」より 「The Night in Silence under Many a Star」(第1楽章、第6楽章)



前々から私は「クラムを弾く演奏家は魔術師である」との持論をこっそり(あ、twitterで一回つぶやきましたか)持っています。

楽器の持っているポテンシャルを引き出し、クラムの表現したかった無限の世界と自身の無限の想像力を表現し、残響や空間、時間を操る魔術師。私もそんな魔術師になりたいなあ、とアップライトピアノの有限さをひしひし感じている魔術師の卵ですが(弟子ではないです。クラムに関しちゃ師はいません)・・・

今いる「魔術師」の中でも最高の魔術師だと思うのがメゾソプラノ歌手ジャン・デガエターニ
クラムの音楽の初演を数多く手がけていて、メシアンにとってマダム・ロリオがそうだったようにクラムの声楽曲の多くが彼女の為に、彼女の声と技巧を前提に書かれています。
(余談ですがマクロコスモス第2巻第1楽章は彼女のイニシャル入りです。)

彼女の声使いはまさに魔術師。
声の質、表現の域、そしてクラムが例えば楽器だと特殊奏法を持って表現するその特殊な表現を見事に声で再現する力!声ってこんなに表現出来たんだ!という驚きもありますし、本当に心揺さぶられる世界です。
現代音楽全般声楽家にとってはかなり難しいらしいですけど、本当に彼女は頭一つ抜き出でています。

クラムが音楽で得意な時間帯といえば夜。
この「幽霊(Apparition)」はそんな夜のちょっと不気味で神秘的で、例えば夏の夜のあの独特ななめらかで生暖かい風を描写しているような曲。
息の長い、クラム的技巧をちりばめた声のパートを伴奏するピアノのパート(ピアノと声だけだなんてぱっと聴きには信じられないSoundscapeですね)。
ピアノの中の弦を直接ぽろろんとはじくあの音が、ギターとは違った・・・やはりどこか「幽霊」的な不思議な響きで。やみつきになりますね(弾くほうも聞く方も)。

メシアンもクラムもシェーンベルクも、私もちょっと現代音楽は声楽は聴きにくいかな、とどうしても感じてしまうのですが、この「The Night in Silence under Many a Star」で入るのは断然アリだと思います。
やはりデガエターニの声と表現力の素晴らしさもありますが、クラムの声楽曲としても、作品としても、さらに現代音楽の声楽曲としてもかなりききやすい、イメージが分かりやすい方だと思います。

で、これでだめだと感じた場合・・・とりあえずクラム(にしても他の作曲にしても)の器楽曲の聴きやすい方から入って、耳が慣れた頃にきいてみるのがお奨めです。
(私も器楽ルートから大抵入っています)

それにしてもこの曲、夏の夜に静かにワイン(赤でも白でも可)をテラス・ベランダ・縁側で飲みながらきくのによさそうですね。クラム全般是非夏の夜に!

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