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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Synaesthetic shenanigan
Twitterでご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、今メシアンの「世の終わりのための四重奏」の8つの楽章をモチーフにステンドグラスをデザインしてみてます。
今の状態はこちら。方眼紙にサインペンでペン入れして、クーピー(60色セット)で着色したところ。もう一回清書した後白紙に写して(トレース台的なものが無いので着色したままだと写せない)、PCにスキャン、着色の予定です。色彩は若干変わるかもです。

着色プランニング工程はあんまり悩みませんでしたね。メシアン自身色の名前を各楽章の前書きで言及しているのもありますし、ある程度自分の中でも自分が感じてる色彩が意識的に分かってますし。ただこのデザインで自分の感じている色彩をどれくらい表現出来たか、といったらやっぱり1割にも満たないかなーという感じはするのですが・・・
共感覚では同じものを聴いても人によって感じる色彩が違うので、このメシアンの感じる色彩と自分の感じる色彩の融合、という形で作業をしたのが本当に楽しくて、言葉にはできない感覚を味わえました。

このステンドグラスデザインの完成品(あくまでデザインですが、本当は実際にガラスでやって光を通したい!)を始めもろもろの完成品、半固形的なものを近いうちにゆる~いギャラリー的なところを作ってアップしたいと思っています・・・が詳細は後日。

次に読む予定の論文が視覚と聴覚の共感覚を診断する方法、ということについて言及している論文で、なかなか楽しみにしています。
共感覚については以前もこのエントリーでいろいろ書いているのですが、一応おそらく私も視覚と聴覚の共感覚保持者なので、実際にそういう診断がでたら面白いなあ~とか。それで例えば平成教育学院☆放課後でやってたみたいに脳と共感覚の研究に参加できたらおもしろいな~と思うんです。

自分が共感覚保持者か、というのは少なくとも私にとってはわかりにくいなーという気がします。
確かに音(ことに和音)を聴いて色彩をある程度感じることはできるんですけど、もしかしたら想像力の働きだったり連想する脳のネットワークが速かったりするだけかもしれませんし。

あとなんとか自分でその感覚を捕まえて意識的に感じるようにここ数年(現代音楽を弾くのに特に)頑張ってきたんですか共感覚に鍛錬できる分が果たしてあるのか、というところも気になりますし。

やっぱり共感覚があるとしたらやっぱり強いのは視覚と聴覚の繋がり(つまり音楽と色彩の繋がり)だとおもうんです。ただ他にもちょろちょろ繋がってる感覚があるっぽいんだけどそれは果たして共感覚なのかなんなのか(はたまた想像力の働き(後略)だったりするのか)自分でもよくわからないなーという事が多いです。

例えば。
自分が文字と色の共感覚を持ってるなーとはあんまり思わないんですが気になるところが。
仕事柄医学用語を扱うことが多いんですが、「血」を表す接頭辞はアメリカ綴りで「Hema~」、イギリス綴りで「Haema~」と書かれます。
これはやっぱりイギリス綴りで育ったこともきっとあるのでしょうが、でも英語で書かれてる文をざーっと読んでいるときアメリカ綴りの「Hema~」という接頭辞に直感的に「血」だったり赤という色を感じないんですよ。
だから本当にアメリカ綴りだとざーっと読んでると目がピックアップしないのでじっくり読まなくちゃいけなかったり。自分で書いててもちょっと(ぱっと見)分からなくなるのでなるべくHaema~で書いてます。

あとは世界の国を漢字略称で書いた場合(独、仏、韓など)、覚えにくいのと覚えやすいものになんとなく差があることが最近判明してます。
で、よくよく見てみると自分が国を表す漢字を見て連想する色と、その国に対してイメージのある色(国旗、イメージ、スポーツチームなど)とが一致するとやっぱり覚えやすいような傾向があるような無いような・・・
例えばフィンランド(芬)、スウェーデン(典)、エジプト(埃)は覚えやすいですが、メキシコ(墨)、ブラジル(伯)、
ポーランド(波)は覚えにくい。
これは連想の問題か、共感覚なのか、自分だと区別がつきません。

他にも音楽の特定の箇所で味を感じたり、色彩を意識的に感じた場合触感も一緒についてきたり。
それからワインに関する言語に見られる共感覚的比喩(共感覚を感じるのではなく、ある感覚を別の種類の感覚によって描写表現することのこと)についての論文を読んだときに視覚という感覚を色彩と「光」(明暗など)に分けて考えてたのも気になってて。
もう本当に感覚を感じて、それを伝えることがこんなに難しいことだとは!

で、そのワインに関する言語の論文の参考文献にワイン以外での共感覚比喩についての論文ものってて、まだそちらには手が回ってないのですが・・・
でも確かに日常生活でも「冷たい視線」だったり「暖かい音色」だったり「茶色い味」(これビタミンBが入ってるビタミン剤で思いません?妹も言うんですが)だったり、後者はあまり一般的でなくともそういうある感覚を他のタイプの感覚に例えて表現することって結構ありますよね。
それと共感覚がなにか関係しているのか、共感覚を持つ人と持たない人で比喩の表現や感じ方は違うのか、共感覚を持たない人がどうやってそういう比喩を生み出すのか、というのとか。

いろいろ分からないことは多いですが、共感覚を持っていてもそれが普通で感じるだけで特に役立つことがないという人が多い中、音楽を弾く際の解釈への影響だったり、音楽の理解のためだったり、メシアンなどの音楽をより深く感じる(?)ことだったり、はたまた今回のステンドグラスデザインだったり、この共感覚だかどうだかわからない感覚を何かに有効に使えているのがなんだかとってもうれしいです。

だから共感覚かどうか分からなくても全然楽しいんですが、やはり心理学などをかじった身としては脳内ネットワークがどうなると共感覚が起こるのか、どういうメカニズムになっててどういう影響があるのか、脳の発達に影響があるのかとかものすごーく気になります。
平成教育学院☆放課後では共感覚保持者の中野君を手が出るほど欲しいと研究者の人がおっしゃってましたが、私にできることがあれば研究に参加してもいいかなーとか思いますし、そっち関係の研究も面白いなーと思いますし。

今Musicophiliaは親友に貸してるのですが、Musicophiliaだったり他の本だったり論文だったりでもっともっと知りたいなーと思いながら今日もまた様々なタイプの色彩にあふれた世界で生きていくのでした。
(ちなみにブログのタイトルに「虹の錯乱」を選んだのは好きだから、そしてメシアンの音楽にあらわれる共感覚の簡潔で的を射た表現というのもありますが、自分にとって自分の生きているこの世界は色彩めまぐるしい不思議な世界なんだ、という意味合いもあるのです。完全に余談ですが。)


今日の一曲: トマス・アデズ 「Living Toys」より「H.A.Lの死」



この曲を知ってしばらく経ちますが、このHALが何のことだか実はつい最近まで知りませんでした。
スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」(とその続編)に登場するAI(人工知能)のHAL9000、その最期の事を指してるんだ!
・・・と思ったあととりあえず手っ取り早く動画でそのシーンを探して見たらあらまあ心にがんと一撃くらわされました。さらにもう一回この曲にもどってもう一撃。

実際にHALが死ぬ(=電源を切られる)ときに「デイジー・ベル」を歌うのがこの曲でも再現されていて。
あの低い低いスローになった声を地の底から出でるようなコントラバスーンの声で再現ってかなりリアルで映画並みにダメージきますね!

「2001年宇宙の旅」といったらリゲティが音楽を手がけてる部分もあるとか(あとシャイニングも)なんですが、このアデズの小さな曲もまた断片的にちょこちょことしかしらないキューブリックの映画のあの緊張だったり独特の恐怖のテイストだったりに近いものがありますね。

数時間前音楽→映画のシーン→音楽のシーケンスを調べ物がてらに経験したのですがいまでもちょっぴり余波がちょっと心に残ってますね。
もともとアデズの音楽も好きですし、Living Toysもものすごく好きなのですが、この一連のショックを伴う経験でもっと好きになっちゃいました。

で、動画の方からの影響でキューブリックの映画がもっと見たいな-なんて・・・
サイコホラーは割りと苦手で、先ほども言いましたがわりとその5分強でもものすごくダメージ受けたんですが、でもそれでも素直に「凄いこのシーン!」と思いましたし、その短いシーンで味わったものがショッキングで怖くて同時にものすごく魅力があって、思い返すともう一回体験したいなあ、なんておもってるので・・・
とりあえずリゲティも携わってることですし「2001年宇宙の旅」と「シャイニング」はそのうちみたいです。

なんだかでも曲自体の話にあんまり言及してないなあ。この曲を音楽として総括的にみても、いろいろ分析しても好きなところだらけなのですが・・・
Living Toys全体に関してはまた次回・・・

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