忍者ブログ
~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

English? 日本語?
シュミットホフとプロコフィエフのエントリーに拍手ありがとうございます~

今日は仕事してました~
やっぱり和英より英和翻訳の方が難しいです!
なんでしょう、自分が日本語でofficialな文を書くことになれていないのも勿論ありますが、日本語は文学的な文にではその美しさを存分に発揮しますが技術的な文書だとわりとくどくなるというか歯切れが悪いというか・・・あくまでも仕事で日本語と英語と濃く触れあってきての個人的な印象ですが。

バイリンガルというと何語で考えるの?何語で夢見るの?などいろいろ聞かれますが仕事休憩中に先ほどのことを思ったり自分のとっちらかった本棚(汗)を見たりしていたらふと私にとっての英語・日本語の棲み分けについてまとめたくなってみたので今日はそれでいきたいと思います。

<読む>
読むのは日本語の方が英語よりも断然早いです。(これもまた翻訳が和英の方が得意な要因かも?)
やっぱり漢字でぱっと見て意味がすぐわかる、というのもありますし、おそらく日本語の本の方がよく読んでるので・・・(ここ近年でそれも変わりつつありますが)。
あとは日本の文庫本のサイズの小ささも読むのの早さに関係しているかも?一ページまるまる視界に入ってしかも漢字が目に入ってoverviewみたいなものが読む際にまず見えるので。

<書く>
仕事での文書は英語の方が書くのが得意ですが、創作では反対に日本語の方がスムーズに書けます。
創作で細切れに書くため先ほど書きましたようにざっと振り返れることもあるでしょうね。
今現在同時進行の4つのストーリーは3つ日本語で1つ英語です。二次創作要素が入ってるストーリーは日本語ですし、メルボルンのオケ関連のストーリーは英語。その他は執筆はじめのフィーリングで決めてます。
ちなみに高校では日本語は母国語なので1カ国語目扱いでしたし、英語も滞在年数から1カ国語目扱いでした(結局日本語はとりませんでしたが)。

<話す・聞く>
これは日・英互角でしょう。基本家では(家族とは)日本語ですが、外では日本人の知り合いは一人もいないので、常に英語。もちろんどちらにも支障はないです。在豪14年半ですが多少日本語訛り(もしくは別のなんらかの訛り)が残っています。よく顔で中国・韓国人に間違われますが「あなたの言語しゃべれません」と言う以前に私のしゃべりを聞くとそっち系の人じゃないんだな、ってことがわかるらしいですね。
ちなみに妹も私も日本語のボキャブラリーが穴あきなのでたまに英語の単語混じりで話すのですが(とりあえず家族にはそれで通じるので慣れっこになっちゃって・・・日本の日本人としゃべるときは気をつけなきゃ)、二人とも混じって話す英語はかならずカタカナ発音です。(私の場合発音システムがそんなにうまくスイッチしないというか、舌が日本語と英語と切り替えが聞かないというか・・・脳の問題?)

とっさに出る言葉、というのも日本語・英語どっちもあります。
日本語の「あーもう」だったり英語の「Oh God, no!」だったり、日本語の「おっと」だったり英語の「Oopsie」だったり、どっちも(環境に左右されながらも)ある程度ランダムに同じくらいでてるような気がします。
こういうのは一度ピアノ練習しているときの独り言を録音してみると分かるんじゃないかなーと思うのですが。もちろん恥ずかしいのでそんなことはしません。

<考える>
これもまた日本語、英語どっちもありますし、どっちの言語でもない、また言語で考えていない場合もあります。
はっきりと日本語、英語とわかるのはそれぞれの言語で話しているとき、書いている場合。こういったときはまず間違いなく話している・書いているのと同じ言語で考えてる・・・はずです。
例えば音楽を聴いているときとか弾いているときとかは思考も言語とは別の形で動いているような気がします。
客観的な分析は難しいですし今日の趣旨から少し離れるので(という言い訳で)いつかまた機会があれば。

<夢を見る>
実はこれ、母が一番知りたがってたところ。
私は(特に最近、でも常に)よく夢を見るのでこれははっきり答えが出せます。
90%以上は何の言語でもない言語で夢を見て、残り数%たまに意識的に日本語や英語が聞こえたり、話したり。
私が知りたいところがこの「何の言語でもない言語」が覚醒時の思考でも用いられているか、というところですね。
ちなみに関係ありませんが夢はほとんどの場合フルカラーで見ます。

あとはまだ自分の身近な問題ではないのですが子供をバイリンガルで育てる、とか皆さん悩むようですね。
私はとりあえず今は考えないようにしてます。難しいので(汗)
とりあえず例えば妹と別々に住むようになったときは特にそうなのですが、ちゃんと日本語も英語も高いレベルで維持して仕事だけでなく日常、趣味でもなるべく完璧に正しく美しく、そして楽しく使えるようにしていくための努力できっと精一杯です。
よくQさまでアナウンサーの方々を「言葉のスペシャリスト」と称していますが、私も職種はきっとそのくくりに入るっぽいですからね。しかも英語も日本語も(汗)

明日も仕事の続き。友達の家でハロウィーンパーティーに呼ばれたり、メル教のコンサート(シャルル・デュトワ指揮!)に行ったり、マッサージに行きたかったり、そしてなんといってもピアノのレッスンの日時が決まったので適度にはりきっていきたいです♪


今日の一曲: 武満徹 「雨の木素描II」



私がメシアンの音楽にどっぷりはまるきっかけとなった武満の音楽。
でも当時私が弾いてたのはこの曲じゃなくて「遮られない休息」の方でした。
1992年にメシアンの追悼の意味を込めて書かれた曲ですし、こっちのほうが理解しやすい・弾きやすいですしこっちで初めてもよかったかなーという気持ちはありますが・・・
(その「遮られない休息」を私が弾いているちょうどその時同門の同級生がこの曲を弾いててちょっぴり羨ましくおもったのですが)
ただ結局は同じ道にたどりついたかな、と(笑)

武満はメシアンの音楽にかなり影響を受けている、と話には聞いているのですがこの曲はそんなテイストがものすごく強い曲です。
メシアンのモザイクみたいな色彩だったり、独特の光だったり・・・ああいうものはどうやって得るんでしょうね。
楽譜をちょっと見てみると主にリズムに関してメシアンぽい楽譜面かも?

武満の音楽は不思議なもので。
ものすごく抽象的なイメージなんだけれど、ものすごく心と体になじむ音楽です。
それがブラスアンサンブル(Day Signal, Night Signal)であろうと、オーケストラ(Twill by Twilightなど)であろうと、小編成のアンサンブル(妖精の距離、オリオンなど)であろうと、ピアノであろうと。
暗闇の中に表れる優しい色や光、時の流れがまるですぐ傍にあるようで、緩やかに流れているようで、まるでそれらに触れられなくとも指を通すことができそうで。
大好きです、武満の音楽。
本当に目を閉じたり電気を消して、他になにもせずただただゆっくり聞いているには最高の音楽ですよ。

この「雨の木素描II」はちょっと例外的な感じがします。
やっぱりメシアンを意識している、ということもありますが・・・色と光の動きが違う。
暗闇でなく・・・ただただ「Celestially Light(天国のように明るい)」な光が天から降ってきて。それを見上げてるイメージ。
まるで木漏れ日のようにその光がゆれて動いて・・・

・・・ああ、書いててなんだかメシアンもマダム・ロリオももういないんだ、ということがまた心に湧いてきて実感してしまいます。
天国なんてものは信じないのですが、なんだかこの曲の光の向こうに二人がいるんだなあ、と思うと・・・なんで泣けて来ちゃうんでしょ。

でもなんだかこの曲の光はメシアンの暖色系のゴールドとは違う、寒色系(というか木の葉を通して光を見たときの色がかった)のゴールドで、そこがまた不思議な雰囲気を出してるなあ。

これもまた心に収まる、手のひらに抱けるサイズの小品。
日本の音楽のなかでも特別な存在で、特別な光を放つ一曲なので是非聴いてみてください。



拍手[0回]

PR
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Comment:
Pass:
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック