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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Before history as it is...
少しずつ回復しつつ・・・あるかな?今日は買い物にシティ周りに出た割には疲労が少ない気が。

どれくらい前だったか、こっちの新聞にドルイドが正式な宗教として認められた、という記事が載ってて。
中学校の歴史の授業で昔ドルイドはかなり誤解されたイメージがあったと習ったのでこうやって「宗教」と認められたのはなんだか嬉しい気持ちがあります。
同じく中学校のReligious Educationの授業から覚えてることによると「宗教=Religion」と「Cult」の違いは信者数の規模(1000人だったかな?)などの基準があったりするそうです。

どこにも怪しい信仰団体というものはありますが、今こうやってキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教と4大宗教が世界的に主流みたいな事になっている、その前の信仰とか神々の話が好きです。
例えばキリスト教は歴史の中で色んな国に政治的な意図を持って広められたわけですが、そういった国もキリスト教以前に独特の文化、価値観、信仰があって・・・そういうことに妙にロマンを感じます。

ギリシャ・ローマ神話、ヒンドゥー神話、ゾロアスター教、ケルト神話、北欧神話、アステカ神話、マヤ神話、アイヌ神話、日本神話、中国神話・・・
他にもありますし、全部について知識を持ってるわけではないですけど、やっぱりこういう話には心惹かれずにはいられません。

特に北欧神話は大好きです。
北欧の厳しい自然の中で生まれたであろう価値観と独特の雰囲気、多様多彩だけど「不完全」な神々、そして神話を通してのストーリーの読み応え。
神々が住まうアスガルドを建てたそのときからもう不穏な空気と共にラグナロック、つまり破滅への第一歩を踏み出していて、一つ一つの間違いが伏線となり積もり積もって避けることのない破滅を招いていく・・・
どうして神々は滅ぶんだ、と思うのではなくああ、しょうがないんだ・・・と思う、破滅の理由がはっきり目に見えるからのやりきれなさが本当に・・・良いというのもなんですがいいです。

神話って日本やエジプトでは特にそうなんですが、歴史を歴史として編纂する以前の歴史の形だったりすることもあるんですよね。
全くのフィクションというわけではなく、実在の人物の偉業を讃え、英雄や神に封じたりちょっと誇張した話を作ったり、そういったものが神話になったわけで・・・だから神話を吟味すると国の始まりだったりとか社会の始まりだったりというものが垣間見えるところも面白いです。

そして神話の神々というのはその土地の人が「神」という漠然とした存在に何を望んでいるか、何を大切にして何を恐れているか、というのが表れるもので。
キリスト教が広まって同時にキリスト教の価値観が色んな国のスタンダードとして根付いた前はどうだったのか、興味津々で。
ちなみにキリスト教は色んな土地にその信仰を広め、「唯一神」だけを人々が信じるようにするため、もともとの土地の神々を悪魔として貶めた、という話もあるそうです。歴史でも改革をした後改革前の政権や統治者について悪く書いたりすることがあるのと似てますね。
そんなこともありながらそのキリスト教も土地になじんで土地の価値観に合うように形を変えていったり、元の信仰と融合していったりしていて、それもまた興味深いですね。

キリスト教以前の信仰や社会、といってやはり思い出すのはストラヴィンスキーの「春の祭典」。
スタンダードな世界史の記録にロシアがヨーロッパの一部としてメジャーに登場するのはピョートル1世の時代。ピョートル1世は先進のヨーロッパ各国に追いつきたくロシアを大々的にヨーロッパ化し、前の文化を絶滅・・・とまではいきませんがそういうことをしたんだとか。
「春の祭典」は音楽や振り付けの斬新さもそうですが、行われている儀式、用いられている衣装などもロシア人にさえももう馴染みのないものだったのかな、と思うとそういった意味でも特別な存在なのかな、と思います。
バルトークなどはハンガリーで民族音楽の復興運動を行いましたがロシアではこんな違う形で昔の文化を復興して保存しているんですね。(その文化がどれくらい元に忠実かは難しいのですが)

古き神々、the Olden Gods。
彼らは多くの神話で人間達にこの世界を譲りますが、なによりもトールキンの「指輪物語」で(神々とはちょっと違いますけれど)エルフ達が指輪の荷を担った者たちと船に乗って海の向こうの地に旅立つ、というのを思うのです。
信仰が移り変わり神々もいつか人間たちに必要とされないようになって物語の中の存在になって。
史実ではなくとも昔の人々の思いを秘めた古き神々の物語がなくならずこれからも残っててほしいな、と私は思います。


今日の一曲: ヴィトルト・ルトスワフスキ 管弦楽のための協奏曲 第1楽章



「管弦楽のための協奏曲」といえばバルトークのものが有名ですが、こちらもまた名曲ですよ!

ルトスワフスキはポーランドの作曲家で確かにその雰囲気がありますが、同時にバルトークに似たところもいっぱいあるな、と特に思うのがこの第1楽章。

まずオープニングにやられます。
最初は繰り返し奏でられるベースのF#から始まりますが、次に入ってくるチェロセクションがそれを全く無視した形で半音下のF、そしてF#とは縁のないメロディーを力強く奏でるところがなんだか格好いい!
で、ここでフーガ風に弦楽器が弾くモチーフが幾何学的に展開されてくところもバルトーク的ですし、整然としていながらワイルドなところもまたバルトークに通じるところが。

幾何学的、といいましたがこの曲全体が大まかに言えば大きなシンメトリーになってて。
そこになんだか幾何学的だったり建築的だったりした満足も覚えますし、それに最初気づくと暗号が解けたみたいなうれしさもあります。

最初のセクションが弦の強さによって特徴付けられてるのと対照的に、同じ音楽を今度は木管と鉄琴、チェレスタなどが繊細に奏でる最後のセクション。コントラストの素晴らしさもそうですが、チェレスタがこういう音と雰囲気のなかで弾いてるのって好き~♪

管弦楽のための協奏曲、とはなんだか交響曲とわりと似たようなスケールの曲ではありますが、交響曲が音楽的な、そしてオーケストラの統制というかユニオンを重視してる感があるのに対して「管弦楽のための協奏曲」はそういった統制を保ちながら個々の楽器の言い分も重視しているイメージが。
音楽自体の深さを失わず楽器の魅力を存分に引き出すジャンルなのかな~と思います。

ここまで書いといてなんですが実は第2楽章が一番のお気に入り♪
また紹介します♪


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