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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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ケアする側のケア(まだちょびっとだけ・・・)
だんだん夏に近づいてきましたね。
洗濯物がよく乾きます。鳥もよく鳴きます。空模様も随分変わりました。
そんな中、仕事がくる予定で、また数日忙しくなりそうです。サイト作りも進めなきゃなのでもしかしたらまたここの更新もまばらになるかもです。(そして新しい曲を始めるのもまたちょっと先になりそう)

その前にちょっとだけ形にしておきたいことが。
まだまだ少し考え始めたばかりのことなんですけど・・・前回のエントリー長かったんでなるべくコンパクトにすませようと心がけます。

もう10年自分の病気に患者として携わってきて、他の患者さんにも病院で出会ってきて。
でもまだ「ケアする側」に立った事はありません。
ただ自分の家族だったり、自分の精神医だったり、病院の看護師さん達をみてるとその大変さは自分の事ばっかり気が向いてしまうなりに少しは分かります。
病気を発症したてのころ、両親も病気について知識も経験もあまりなく、私のケアにものすごくとまどって苦労したことはずいぶん後になってのことでした。
精神医だったり看護師さん達だったりに大変なことがあったことも聞いたりみたりしましたし、それから一緒に入院してた患者さんから看護師さんをやっている人が多く入院していたり、お医者さんが何人か入院している時期もあった、という話を聞きました。

精神疾患に限らず、さまざまな立場から患者さんのケアをする、ということは大変なことで、負担の大きさからケアする側が参ってしまい心を病んだりしてしまう、ということはよくあることで・・・
私の精神医から聞いた話では私の通ってる病院ではドクター側のケアもちゃんと行っているという話も聞いていますし、最近ではメンタルヘルス団体の中に「ケアする側のケア」に焦点を当てた団体もあるようです(いろんな病院でポスターを見かけます)。

まず周りの人の負担について。
やはり患者さん個人と親しく・近く、そして長時間一緒に居ることの大変さはあります。
生活の手助けをしたり、さまざまな病気の現れに対処したり、もちろん経済的な負担も。
とくに精神疾患の場合、病気になる前の患者さんを知っているだけに病気によって人が変わることがとても辛いということありますし・・・
患者さんの感情的な症状だったりのいろいろの矛先となることも多く・・・
ケアの仕方だけでなく、ケアしている間の心のサポート、ストレス対処の方法についての情報を得るためにも周りの人が治療に携わること、専門家とコミュニケーションをとること、基本的な対処を知ることは大切だと思います。

お医者さんも看護師さんも、患者さんと個人的な関係ではないけれど、体と心のケアをするために患者さんの心の深いところまで触れあわなくてはいけなくて・・・
勿論ものすごく辛いことも聴かなければなりませんし、病状が芳しくなかったり治療がうまく進まないと悩みますし、治療で答えがでないことだってたくさんあります。
入院している患者さんだと看護師さんは患者さんと一日中一緒にいるようなものですし、結構患者さんもアプローチしやすく、ものすごく頼りにする存在なので・・・その分負担もあります。
その他にも医療の場なのでたまに大変な緊急も起きますし。
やはり患者さんのためをいつも思って、知識をいつも駆使して、患者さんの健康と命を預かっているお仕事なので・・・尋常じゃないプレッシャーと負担がいつもかかってるみたいです。
(ちなみに私の精神医は非常勤で働いているみたいです。やっぱり常勤はすごいだろうなあ・・・)

いつも私が思っているのは「患者さんは病気で辛いので周りの様々な要因がさらに辛くすることが本当にいやなんだ」ということなんですが、これはケアしている側にも言えることだと思います。
例えば社会制度が患者さんだったりケアしている人達の働きを支えなかったりすると大変ですからね。
あらゆる方向から治療だったりケアを支援することは患者さんのためだけでなくみんなのためになる。

で、結局まとまらなかった気がするのですが・・・
いつかケアする立場になりたいなーと考えたりしてはいるのですが、まだ「ケアする側」の立場については理解が足りないかな・・・と同時にも思ったりして。
これからどうやって知り、感じながら理解できるようになるのかさえもまだ分からないのですが、今の患者視点のみでなくもっと様々な方向からメンタルヘルスを理解していけたら、と願っています。
もっと勉強してまとめたいです、ここも!


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「モリフクロウ」

Michael Kieran Harveyによる録音(Move Records)

今日決着をつけた・・・というかまたの日まで寝かせることにした曲の一つです。
鳥のカタログはこれでモリヒバリ、ダイシャクシギ、モリフクロウと3つ。これからちょっと「20のまなざし」の方に戻るのでちょっぴりお休みです。

モリフクロウ・・・は3種のフクロウが登場します。
タイトルにあるモリフクロウ、トラフズク、そしてコキンメフクロウ。
そして鳥の鳴き声とは他に冒頭、そして中間部に「夜」と表記してあるセクションがあります。
これはトータルセリーに似た書法で、要するに音の高さ、長さや強さの順番を決めて組み合わせて厳格に統制された音楽・・・みたいなものなのですが、逆に元の順番をしらない聴衆からはわりとカオスに聞こえます。
メシアンはこの予測不可能に聞こえる音楽を夜の闇、恐怖、「見えない」感覚を表現するために用いました。

今でこそ夜でも電球が灯って私たちは周りが見え、活動することができますが、その前は夜は本当に何が襲ってくるか分からない(夜行性で狩りをする動物、いっぱいいますもんね!)、警戒を解くことができない暗い、怖い空間。
そんな中この曲に登場するフクロウたちの叫ぶような、すすり泣くような鳴き声はものすごく不気味なものに聞こえたんでしょうね。(実際そうやって夜の闇を恐れるものなく自由に音もなく飛び回り狩りをするのでフクロウが神聖視された、という経緯もあるらしく。あと個人的な見解だとすすり泣く幽霊とか、泣き叫ぶバンシーとかはもしかしたらフクロウの鳴き声なのでは、と思います)

ちなみに「鳥のカタログ」で次に配置されている「モリヒバリ」もまた夜の曲なのですが、そちらは夜の神秘、こちらは夜の恐怖と不気味さと対照的になっています。

可愛い外見とは裏腹に、猛禽類であるモリフクロウ。
この曲の最後に「殺された子供の叫び声」と表記されていますが、そんな残酷さも紛れなくフクロウの姿であり、夜の姿なんだと思います。
(「殺された子供の叫び声」は実はマーラー6番の第2楽章と共通したイメージだったり・・・)

フクロウたちの声の和音のバランスの仕方、そしてなによりも休符の長さ、余韻の残し方で本当にこの曲の輝きは変わります。
そこが次この曲に戻ってくるとき突き詰めたいところなんですが・・・
メシアンは静寂や雰囲気を表現するために「音」を使ってしまうところがなかなかユニークで。
この曲の音、そして静寂どっちもから現代人が忘れつつある「本当の夜の闇」を味わってみてはいかがですか?

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