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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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クラムの世界 その2
今日は仕事にお笑い生配信視聴ですっかりくたびれ&ご機嫌です。
では昨日の続きを。

クラムの音楽が自分にとって親しくなった理由の一つに題材のチョイスがあります。
宇宙、天体、神話、ファンタジー、古代、生物、自然、儀式、虫・・・
みんな私のストライクゾーンです(笑)
曲のタイトルが一つの神話だったり宗教、流派だったり文化に捕らわれなく、自由なイメージをはぐくむことができて。それでも例えば科学だったり自然だったり既にある神話だったりに骨組みがあるのでまったく未知の世界でもなく。

実際クラムは彼が題材としたもの全てに知識を持っていたわけではないようです。
例えば話を聞きかじったり、言葉を見つけたり、コンセプトのおおまかなところを知ったり・・・
あとは彼なりのイメージでその周りに肉付けしたというようなことで、要するに妄想力の勝利。
私も割とそういう創作過程をたどることもあるからか、クラムの音楽のところも好きです。
実際非の打ち所なく元の題材により裏打ちされた作品、というのは取っつきづらいというか深く感じるにはその題材を深く知って理解することが必要、という面もあるので・・・
こういう風な構成で聴き手・弾き手の想像力に訴えかける方が親しみやすい、ということもあるのかもしれません。

そうやって想像力・妄想力を「刺激される過程」だったり、クラムの音楽によって自分の世界が形になっていくがものすごく気持ちいいのですが、その過程で子供の頃の空想だったり、どこかで読んだ神話だったり、色んな「もしも」や知識のかけらも蘇って世界の一部になって・・・そういうのがたまらない。自分の心で忘れていたもの、見えなかったものを刺激してくれたり。それもまた良い。
世界を構成するものだけでなく、自分を構成するもの、自分のアイデンティティについてもヒントをくれるような音楽だと思います。

クラムの音楽におそらく一番大きい影響があったのはバルトークの音楽ではないか、と思います。
論文でも対称性だったり構成だったりでの類似点(プラスバルトークの「ミクロコスモス」=小さい宇宙という題を意識しているかのような「マクロコスモス」=大きな宇宙というクラムの音楽のタイトル)が指摘されていましたが、なんといっても「夜の音楽」だったり「虫の音楽」の共通点は大きいと思います。
分析法をあんまり知らないので詳しいことは私からは何ともいえないのですが、感覚的・直感的にもものすごく似たものがあります。
メシアンは鳥、クラムは虫(昆虫に限らず実在/非実在の広い意味でのそういった生き物)。また不思議な形で自然と繋がっているのですね。

他にもクラムの音楽にある「時間を超えた時間」(武満やメシアンの音楽にもありますね)だったり、宇宙の無限に近い距離、天体の見えない動き、闇と無を抱く空間、遠く過ぎ去った過去や自然のうごめきとか、ロマンが一杯です。そこに人間の入る余地はないのかもしれないのですが(実際「鯨の声」などでクラムは人間的なエレメントを消すために奏者に仮面をつけるよう指示したりもしています)、よくよく考えるとものすごく身近なもの。

自分を取り巻く世界の全てを動かすメカニズムだったり、手塚治虫「火の鳥」の「未来編」のコスモゾーンのコンセプトに通じるような私たちの中、細胞のなかにある小宇宙(ミクロコスモス)、そして私たちの外に広がる大宇宙(マクロコスモス)、そういったものの源だったり、エネルギーだったり、動きだったり、メカニズムだったりを感じ、触れ、自分で動かすことができるような気がして。

だからクラムの音楽を演奏する人は私は「魔術師」だと思います。
内なる世界と外の世界を自由に動かし、表現し・・・想像したものを不可思議な形にして。
音楽家として音と心を操るだけでなく、弾く事に「空間を創り出す」というエレメントもありますし、そういった自分の世界をひっくるめて演出することもあり・・・
でもクラムの音楽の性質を考えるとどうしても「魔術師」といってしまいたいですね(笑)
クラムの音楽を多数世に送り出したメゾ・ソプラノ歌手ジャン・デガエタニだったり、クラムを始めプリペアド・ピアノやトイ・ピアノを用いたりもする現代音楽のピアニスト、マーガレット・レン・タンだったり・・・演奏を聴いていると音楽と弾くと言うよりは魔法を使っているという感じです。

私も魔法使いになりたいです。
想像力と妄想力、そしてピアノのでき得ること(特殊奏法をもちろん含め)全て駆使して音楽を弾くだけでなく、自然のメカニズム、空間、時間、色彩などをこの手で動かして自由に操り、表現したいという気持ちでいっぱいで。
なのでまずグランドピアノが欲しいです。中古でもいいので(笑)今のアップライトピアノだと特殊奏法が使えないのと、真ん中のペダルの機能が違うのと・・・あと音質がちょっと(汗)割りと音の粒一つ一つが聞こえて音が薄いため音をブレンドしたり余韻をコントロールするのが難しいのです。

私のピアノについての愚痴は置いておいて。
ジョージ・クラムの音楽は今敬遠されているほどに敬遠されるような音楽ではないと思います。
論理的だけれど想像力を刺激して、遠いようで本当はものすごく身近な世界。
偏見とキワモノ的な見方さえとっぱらえばきっとアプローチしやすい音楽。
もっと評価されてもいいんじゃないかなーと思います。

いつか私が魔術師になって、自分の内なる世界、外の世界の美しさ、そしてクラムの音楽を世に伝えることができるようになることを願って・・・


今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第1巻 第11楽章「夢の音楽(愛と死の音楽)」



宣言通り聴きやすい、入門編クラムをチョイス。
時を超えた時、無限の空間・・・そういったクラムの音楽の主要なアイディアがシンプルに、心にしみて感じられる曲です。

使うハーモニーはほとんどロマン派以前の聴きやすいものばかり。
そして特殊奏法をほとんど?全然?使わない曲。
ただ和音の余韻により広がる世界はクラムの音楽以外の何物でもありません。

ドビュッシーが「音楽とは音と音の間の空間である」と言うように、この曲もまた音と音の間に広がる空間、余韻、そして音が消えていく瞬間、様々な音の余韻が絡み合い一つになるafterthoughtこそが音楽。
音が少なくともも色んなものにあふれています。

そして途中で現れる聞き覚えのあるようなメロディーはショパンの「幻想即興曲」からのメロディーの欠片。
夢のようにふっと現れて、ほどけるように無に帰していく・・・
そして原曲とは違ってペダルを踏んだままにしてあるのでそのふわふわした、夢の世界のような音の混ざり合いがまた美しく。

そういった引用の欠片も、きらきらと輝く音の粒も、深く響く和音も。
全て心の琴線に触れるのに、まるで触れ得ないような、不思議な存在感を放っていて。
透明で、触れればほどけそうなその音楽を心全体で受け止めたくなります。

こんな愛しい音楽を埋もれさせとくのは勿体ない!(といってもあんまりメジャーになって騒がれるのもなんですね、ひっそり大事に愛してあげて欲しいです)
クラムの音楽がキワモノだと、特殊奏法で奇抜なことをやっているだけだと決めつける前に素直な心でこの曲を聴いて欲しいです。
奇抜なサウンドも耳と脳の慣れでずいぶん見方が変わってくるんので、クラムを聴く際にはこういった割と聴きやすいものに心を開いて偏見をとっぱらうことをオススメします。
ただ、クラムの音楽がどうとかいうことを差し引いてもささやかに美しい曲なので皆さん是非♪

(今回はDVD版をリンク。いつか手に入れたい一枚です♪)

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