×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
最近「表現の自由」について各所で議論が起こっているようですが、そのフレーズを聞くと自分の事や自分の周りのことよりもどうしてもショスタコーヴィチのことを思い出してしまいます。
なので今日はショスタコーヴィチについて。
ショスタコーヴィチ自身のことに移る前にショスタコーヴィチの音楽と私のことを。
ショスタコーヴィチの音楽は生まれる前からおそらく知り親しんできた音楽の一つ。主に祝典序曲、交響曲第5番と第9番は物心つく前から覚えていましたし、オケで弾く事を愛するようになったのも(交響曲第11番)、大学で積極的に友達と交流したり演奏したりするきっかけだったのも(チェロ協奏曲、ビオラソナタ)、オケピアニストとしての頂点だったのも(交響曲第1番)ショスタコーヴィチの音楽。
「ショスタコーヴィチの証言」で彼のことを読むとどうもひねくれて「うーん」なところもあるのですが、彼の音楽は自分のどんなところも信じてさらけだせる、幼なじみの大親友だと思っています。
ドミトリ・ドミトリエーヴィチ・ショスタコーヴィチ。
生まれたのは1906年でまだロシア革命は起こっていませんでしたが、一生のほとんどをソヴィエト連邦という奇妙な国で過ごしました。
わりと若いときから優れたピアニスト、そして作曲家として認められ(交響曲第1番の発表の際には「モーツァルトの再来」とまで言われたそうです)、虚弱な体質のため戦争にかり出されるのを免れ、サイレントムービーに即興でピアノ伴奏をつけるバイトなどをやったりして過ごしていました。
ロシア革命が起こった後、ストラヴィンスキーやラフマニノフなど多くの作曲家、音楽家がロシア、もといソヴィエトを離れたのですが、ショスタコーヴィチはその地を離れませんでした。
もともと、というか詩人プーシキンの時代からロシアには割と表現に制限をかける性質だったり、秘密警察により政府が表現の監視を行うことが根強く残っていて。
特にスターリンがソヴィエトの独裁者となってからは情報操作、それから広い意味での芸術家は本当に表現の自由を奪われた状態だったそうです。
ソヴィエトの芸術家達は例えば政府の機関紙に批判が載ったり、KGBによる告発があったりすると死活問題どころか厳しい監視の対象となったり、粛清・追放(to シベリア)の危険、さらには自身・家族・関係している人々の命を危険にさらすこととなったらしいです。
そんななかショスタコーヴィチもオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の前衛的で難解(そしておそらく題材も原因か?)な曲風でソヴィエト政府(=スターリン)の批判を受け、作曲家として大きなダメージを受けました。
後に彼はその政府への「返答」として交響曲第5番を書き、それが大々的に賛辞を受け彼は立ち直るのですが、ソヴィエト政府のために革命や国家を賞賛するような題材の、しかもスターリン好みの「分かりやすい」音楽を書くのと、彼が本当に表現したいことを書く板挟みに陥ります。
ざっくり分けると、交響曲のような壮大なスケールの曲は政府向けの曲で、弦楽四重奏曲のような小編成の曲は彼と同じような苦しみを抱えている仲間と内輪で正直な思い(政府批判とか)を表現し合うための曲に分けられます。
少し前まではやはりその大きな曲ばかりが見られていてショスタコーヴィチは「共産党の犬」とまで言われていたらしいのですが、実は彼の思いは別のところにありました。
自分の表現ができないことの理不尽さ、そして政府がこの国や人々にしていることへの憤り、KGBの監視の恐怖・・・そういったことはやはり弦楽四重奏曲に現れています。
もちろん、そういうことを分かりやすく表現してしまうのは危ないので(ショスタコは妻子持ちでしたから家族の危険もまたあります)、音楽の中にモチーフ、楽器使い、オーバーな表現などで皮肉を交えたり、音楽家同士で分かるような他の曲からの引用でそういった表現をしたり。
あーだこーだ言ってもスターリンなどは音楽には疎いのでわりとそういう皮肉だったり引用だったりが分からない、というところをついているわけです。
その一番良い例が以前今日の一曲で紹介しました弦楽四重奏曲第8番です。
この曲は彼のイニシャルを元にした「DSCH」(レミ♭ドシ)のモチーフを執拗に繰り返しながら強制収容所でユダヤ人達が自分の墓を掘らされ、その前で踊らされて射殺された際の音楽とも言われるメロディー(第2楽章)、サン=サーンスの「死の舞踏」(第3楽章:リズム+コード進行)、そしてショスタコーヴィチ自身の作品から多くの引用をしています(ことに目立つのは先ほど批判を浴びたといった「マクベス夫人」の引用ですね)。
さらに、第4楽章で繰り返し使われるのがショスタコーヴィチ達が仲間内でKGB人員が来たことを知らせ合うノックの合図が使われています。
真偽のほどはあんまり明らかになっていない逸話なのですが、この四重奏曲をショスタコーヴィチが仲間内で披露したとき、彼の様子とこの曲の内容から彼らはショスタコーヴィチが自殺を企図していることに気づき、慌てて彼を止めたそうです。
全般的な曲調に加え、彼が引用に選んだ曲などを思うと確かにそういう逸話が起こるのは妥当だと私も思います。
ショスタコーヴィチはその後のソヴィエトの変化により多少のアップダウンはあるものも表現の拘束は弱まり、1975年に亡くなるまでに色々な曲を多数残しました。実際の出来事とかはあまり詳しくないのですが(学校でやってない部分だ、というのは言い訳にはなりませんが)、この晩期のショスタコーヴィチの音楽の悟ったような透明さと以前とは違う暗さが本当に好きです。
ショスタコーヴィチの音楽というのは基本反体制で、抑圧された物凄いパワーを持っていて。
あの時代、あの国に生まれてあの表現の制限を受けなければこんな作風になってたかどうか、というのは永遠の疑問ですが・・・
彼の音楽は本当にチェロ奏者に人気があって(ジャンル問わずショスタコはいいチェロパートを書きます)、でももっと大事だと思うのが若い音楽家にとって本当に共感しやすい音楽ということです。
年代的に見ると、例えば団塊の世代あたりの人達はショスタコーヴィチは変な現代音楽、という認識があるのですが(マーラーでさえあんまり・・・な傾向が)、私と同じくらいの年代の人には多大な人気があり、思春期にはまった、と言う人が特に多いです。(すぐ上の世代と比べてもやっぱり差があるような。)
先ほど書きましたショスタコーヴィチの再評価もありますし、やはり若さゆえの反抗的・反体制的な思い、それからショスタコーヴィチの音楽にある深い闇だったり、巨大なパワーだったりに共感したり惹かれるお年頃だったり。
思春期の自分でも理解できなかったり手に負えなかったりする行き場のない感情エネルギーを適切に表現・発散させることもできる音楽なので、若い人はどんどんショスタコーヴィチの音楽を弾いたり聴いたりするべきだと私は信じています。
なので若い人たちにもっとショスタコを!と薦めたいです!
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第4楽章
ショスタコーヴィチの音楽で最もよく知られている作品かと思います。テレビでもかなりの頻度で聞きます。
そして先ほど言及がありましたショスタコーヴィチ復活のきっかけとなった曲でもあります。
確かに分かりやすくパワフルで、派手でエンディングは栄光的・・・一見。
金管が本当に格好良かったり(特にホルンが集まって不協和音を輝かしく奏でたり、後半での息の長ーいホルンソロだったり、最高です)、バイオリンの頑張りを思わず応援しちゃったり、いろいろありますが、今日は長く語ってしまったので一番「面白い」部分だけ。
一見誇らしげで壮大、栄光や勝利を表すような、いかにもスターリン好みのエンディングですが、実はちょっと違った意味合いがあって。
このエンディングは不自然なほどゆったりのテンポで演奏されるように作曲家により指定されていて(バーンスタインは無視してますが)、そのスローなテンポで弾く事によって重々しく、大げさに、冗長に聞こえる、という意図があるらしいです。弦楽器奏者としてはずーっと同じ音をこのテンポでくりかえしてると馬鹿馬鹿しくなってきますもんね(笑)
長いこと誤解されてきたショスタコーヴィチですがこうやって時代背景や音楽的に彼のことを理解して、彼の本音が伝わるようになったのは本当に良いことだと思います。当時のソヴィエトのことって結構最近のことなのに当時の情報操作などにより本当に知れる事が少なくて。ショスタコーヴィチの音楽を通じてその厳しさだったりひしひし感じられていろいろ分かることもありますから・・・
ショスタコーヴィチは音楽史だけでなく世界史全体にとって貢献してるのかもしれませんね。
なので今日はショスタコーヴィチについて。
ショスタコーヴィチ自身のことに移る前にショスタコーヴィチの音楽と私のことを。
ショスタコーヴィチの音楽は生まれる前からおそらく知り親しんできた音楽の一つ。主に祝典序曲、交響曲第5番と第9番は物心つく前から覚えていましたし、オケで弾く事を愛するようになったのも(交響曲第11番)、大学で積極的に友達と交流したり演奏したりするきっかけだったのも(チェロ協奏曲、ビオラソナタ)、オケピアニストとしての頂点だったのも(交響曲第1番)ショスタコーヴィチの音楽。
「ショスタコーヴィチの証言」で彼のことを読むとどうもひねくれて「うーん」なところもあるのですが、彼の音楽は自分のどんなところも信じてさらけだせる、幼なじみの大親友だと思っています。
ドミトリ・ドミトリエーヴィチ・ショスタコーヴィチ。
生まれたのは1906年でまだロシア革命は起こっていませんでしたが、一生のほとんどをソヴィエト連邦という奇妙な国で過ごしました。
わりと若いときから優れたピアニスト、そして作曲家として認められ(交響曲第1番の発表の際には「モーツァルトの再来」とまで言われたそうです)、虚弱な体質のため戦争にかり出されるのを免れ、サイレントムービーに即興でピアノ伴奏をつけるバイトなどをやったりして過ごしていました。
ロシア革命が起こった後、ストラヴィンスキーやラフマニノフなど多くの作曲家、音楽家がロシア、もといソヴィエトを離れたのですが、ショスタコーヴィチはその地を離れませんでした。
もともと、というか詩人プーシキンの時代からロシアには割と表現に制限をかける性質だったり、秘密警察により政府が表現の監視を行うことが根強く残っていて。
特にスターリンがソヴィエトの独裁者となってからは情報操作、それから広い意味での芸術家は本当に表現の自由を奪われた状態だったそうです。
ソヴィエトの芸術家達は例えば政府の機関紙に批判が載ったり、KGBによる告発があったりすると死活問題どころか厳しい監視の対象となったり、粛清・追放(to シベリア)の危険、さらには自身・家族・関係している人々の命を危険にさらすこととなったらしいです。
そんななかショスタコーヴィチもオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の前衛的で難解(そしておそらく題材も原因か?)な曲風でソヴィエト政府(=スターリン)の批判を受け、作曲家として大きなダメージを受けました。
後に彼はその政府への「返答」として交響曲第5番を書き、それが大々的に賛辞を受け彼は立ち直るのですが、ソヴィエト政府のために革命や国家を賞賛するような題材の、しかもスターリン好みの「分かりやすい」音楽を書くのと、彼が本当に表現したいことを書く板挟みに陥ります。
ざっくり分けると、交響曲のような壮大なスケールの曲は政府向けの曲で、弦楽四重奏曲のような小編成の曲は彼と同じような苦しみを抱えている仲間と内輪で正直な思い(政府批判とか)を表現し合うための曲に分けられます。
少し前まではやはりその大きな曲ばかりが見られていてショスタコーヴィチは「共産党の犬」とまで言われていたらしいのですが、実は彼の思いは別のところにありました。
自分の表現ができないことの理不尽さ、そして政府がこの国や人々にしていることへの憤り、KGBの監視の恐怖・・・そういったことはやはり弦楽四重奏曲に現れています。
もちろん、そういうことを分かりやすく表現してしまうのは危ないので(ショスタコは妻子持ちでしたから家族の危険もまたあります)、音楽の中にモチーフ、楽器使い、オーバーな表現などで皮肉を交えたり、音楽家同士で分かるような他の曲からの引用でそういった表現をしたり。
あーだこーだ言ってもスターリンなどは音楽には疎いのでわりとそういう皮肉だったり引用だったりが分からない、というところをついているわけです。
その一番良い例が以前今日の一曲で紹介しました弦楽四重奏曲第8番です。
この曲は彼のイニシャルを元にした「DSCH」(レミ♭ドシ)のモチーフを執拗に繰り返しながら強制収容所でユダヤ人達が自分の墓を掘らされ、その前で踊らされて射殺された際の音楽とも言われるメロディー(第2楽章)、サン=サーンスの「死の舞踏」(第3楽章:リズム+コード進行)、そしてショスタコーヴィチ自身の作品から多くの引用をしています(ことに目立つのは先ほど批判を浴びたといった「マクベス夫人」の引用ですね)。
さらに、第4楽章で繰り返し使われるのがショスタコーヴィチ達が仲間内でKGB人員が来たことを知らせ合うノックの合図が使われています。
真偽のほどはあんまり明らかになっていない逸話なのですが、この四重奏曲をショスタコーヴィチが仲間内で披露したとき、彼の様子とこの曲の内容から彼らはショスタコーヴィチが自殺を企図していることに気づき、慌てて彼を止めたそうです。
全般的な曲調に加え、彼が引用に選んだ曲などを思うと確かにそういう逸話が起こるのは妥当だと私も思います。
ショスタコーヴィチはその後のソヴィエトの変化により多少のアップダウンはあるものも表現の拘束は弱まり、1975年に亡くなるまでに色々な曲を多数残しました。実際の出来事とかはあまり詳しくないのですが(学校でやってない部分だ、というのは言い訳にはなりませんが)、この晩期のショスタコーヴィチの音楽の悟ったような透明さと以前とは違う暗さが本当に好きです。
ショスタコーヴィチの音楽というのは基本反体制で、抑圧された物凄いパワーを持っていて。
あの時代、あの国に生まれてあの表現の制限を受けなければこんな作風になってたかどうか、というのは永遠の疑問ですが・・・
彼の音楽は本当にチェロ奏者に人気があって(ジャンル問わずショスタコはいいチェロパートを書きます)、でももっと大事だと思うのが若い音楽家にとって本当に共感しやすい音楽ということです。
年代的に見ると、例えば団塊の世代あたりの人達はショスタコーヴィチは変な現代音楽、という認識があるのですが(マーラーでさえあんまり・・・な傾向が)、私と同じくらいの年代の人には多大な人気があり、思春期にはまった、と言う人が特に多いです。(すぐ上の世代と比べてもやっぱり差があるような。)
先ほど書きましたショスタコーヴィチの再評価もありますし、やはり若さゆえの反抗的・反体制的な思い、それからショスタコーヴィチの音楽にある深い闇だったり、巨大なパワーだったりに共感したり惹かれるお年頃だったり。
思春期の自分でも理解できなかったり手に負えなかったりする行き場のない感情エネルギーを適切に表現・発散させることもできる音楽なので、若い人はどんどんショスタコーヴィチの音楽を弾いたり聴いたりするべきだと私は信じています。
なので若い人たちにもっとショスタコを!と薦めたいです!
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第4楽章
ショスタコーヴィチの音楽で最もよく知られている作品かと思います。テレビでもかなりの頻度で聞きます。
そして先ほど言及がありましたショスタコーヴィチ復活のきっかけとなった曲でもあります。
確かに分かりやすくパワフルで、派手でエンディングは栄光的・・・一見。
金管が本当に格好良かったり(特にホルンが集まって不協和音を輝かしく奏でたり、後半での息の長ーいホルンソロだったり、最高です)、バイオリンの頑張りを思わず応援しちゃったり、いろいろありますが、今日は長く語ってしまったので一番「面白い」部分だけ。
一見誇らしげで壮大、栄光や勝利を表すような、いかにもスターリン好みのエンディングですが、実はちょっと違った意味合いがあって。
このエンディングは不自然なほどゆったりのテンポで演奏されるように作曲家により指定されていて(バーンスタインは無視してますが)、そのスローなテンポで弾く事によって重々しく、大げさに、冗長に聞こえる、という意図があるらしいです。弦楽器奏者としてはずーっと同じ音をこのテンポでくりかえしてると馬鹿馬鹿しくなってきますもんね(笑)
長いこと誤解されてきたショスタコーヴィチですがこうやって時代背景や音楽的に彼のことを理解して、彼の本音が伝わるようになったのは本当に良いことだと思います。当時のソヴィエトのことって結構最近のことなのに当時の情報操作などにより本当に知れる事が少なくて。ショスタコーヴィチの音楽を通じてその厳しさだったりひしひし感じられていろいろ分かることもありますから・・・
ショスタコーヴィチは音楽史だけでなく世界史全体にとって貢献してるのかもしれませんね。
PR