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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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NYE 2010
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今年も残すところ1時間半。(日本より2時間早く新年を迎えさせていただきます)
皆様、2010年本当にありがとうございました。ブログも、ツイッターも含めて。
(写真はメルボルン今年最後の日没です)

一年色々ありました。ツイッタークライアントを見てみると登録したのが今年の1月で、ブログもそのちょっと後から始めてるみたいなのでもうすぐ丸1年ですね。
音楽もメンタルヘルス関係もいろいろと書いてきました。創作についてはまあ公開してることが少ないのであれですが。一応カテゴリしてあります。決断ができたときのために。
サイトも立ち上げましたし(いかん、サンキャッチャーのアップ!)、裏庭もこっそり。
色んな方から影響を受けたり、色んな自分の中のsparkに動かされ、本当にいろいろなことをやってきました。
精神状態も不調(どっちの方向にも!)・好調、色々ありました。

仕事も今年から始めて、1年目でフリーランスにしてはずいぶん順調にいってます。
ピアノもいろいろ思い立ったり、悩んだり、レッスンをやったりコンサートに行ったり、なんだか嬉しいことを言われちゃったりして・・・来年はメル響のカジュアルプレイヤーのオーディションに挑戦して、プロとして活動できるようになりたいです。とりあえずお問い合わせを1月のうちにして。

今日はメルボルンは40℃。(これから嵐が来るそうなのですが、帰ってくるときは少し涼しくなってきたのでそろそろかしら?)
美術館でモロー展を見ました。
ちょっとツイッターの方からコピペ失礼します:

ダリの時と比べてずいぶん小規模でしたが楽しかったです。サロメで1コーナーがっつり割けるくらいの作品数はそろってましたし。題材も割と自分にとって身近な神話が多かったのですが、でも絵の中の東洋の影響については知らなかったので驚きもありました。

そして油絵・水彩画をよく見るモローですが、構図決めとか「エチュード」などの鉛筆(&チャコールなど)のスケッチにより心を動かされました。やっぱり思考過程がしっかり残って公開されてるというのは大きいですし、鉛筆の線だけでも世界が広がる・・・というかディテールは鉛筆画の方が断然すごい。

モローは絵の中の人物の身体言語だったりポーズがどれだけ大切か教えてくれますね。リアルな身体の描写に加えて、生き生きとして、静止していてもダイナミックで人物の心理や動き、思いをはっきりと感じ取れるモローのポージングに憧れます。

で、そのシマノフスキの今弾いてる曲集「メトープ」とモローの作品全体に共通する「女性という性」のテーマ。セイレーン、サロメ、スフィンクス、サッポー、エウロパ、マグダラのマリア、トロイのヘレナ・・・他にもいっぱい見ましたが、このテーマはこれから振り返って熟考・消化していきたいです。

実は新約聖書で母の命を受けるサロメよりもオスカー・ワイルド&シュトラウスの作品の、自分の意志で動くサロメの印象が強いのですがモローの絵でのサロメの「役割」ってなかなか難しいですね。作品によってずいぶん変わるのはモローの解釈が時と共に変わったからなんでしょうかね。

特にぐっと来た絵が2枚。1枚目はマクベス夫人の油絵。「悪夢」的な感じが赤の使い方に出ていてどろどろな感じが凄く好きでした。そしてもう1枚目はサッポーの鉛筆画。衣装と楽器が物凄くオリエンタルな感じで、一見インドを思い起こすんですが、ポーズがタイで見た舞踊の天使のポーズと重なって。鉛筆ならではのディテールにも惚れ惚れ。

モローの描く女性の不思議な色っぽさがあって普通に見てるだけでもいいですよね。たまに人間離れしてたり、どの絵にも女性の美以外のいろんな側面だったり深みが見えたりして。もう一回行けるかな、どうだろう。キャンベラのあれも行きたいしな。

・・・ということです。
その後シティにちょっと寄って、それからDocklandsを暑い中散歩して(Docklandsの公園が好きなんですよ)、それからCrown Casinoのカジノじゃない部分をたむろしたのちフードコートで鴨ラーメン、そしてサウスバンクまで歩いてTutto Beneのジェラート(バニラ+ピスタチオ)。
クリスマスはみんな家で過ごすんですが大晦日はみんな花火見に来たりと出かける人が多く、結構賑やかでした。
私はこれから家呑みです。モスコミュールに挑戦するんですよ♪生のショウガのすり下ろし(冷凍ストックから(笑))を入れて。初めて家でウォッカ開けるんでストレートで少なめのショットも。

最後に。
このブログを訪れてくださる方へ、一年どうもありがとうございました。
皆様良いお年をお迎えください。そして来年またよろしくお願いいたします。
(来年になったらサイトも更新します~(汗))


流 星姫


今日の一曲: ジョージ・クラム 「夏の夜の音楽(マクロコスモス第3巻)」より「星屑の音楽」



普段は好きすぎて&大事すぎて紹介したくないという曲ですが、今日は奮発します!

マクロコスモスと名のつく4つの曲集の中で比較的言及する頻度が低い曲です。
その一つは上記の理由もありますが、なんといっても「夏の夜の音楽」というタイトルからも分かるように夏の曲なんですよね。しかもこの曲の場合夕方~夜にかけて暑いときにやっとその真価を発揮する曲なので・・・わりとタイミングが限られてくるのです。私のこだわりからすると。

この曲集の編成はピアノ2台、そして様々ないくつもの打楽器を2人の奏者が受け持ちます。
その中にはアジアのお寺の鐘みたいなのの小さいのだったり、スライドホイッスル、小学校の音楽室にもあるような金属のきらきらっていうやつなどなど・・・そして一番大切なのは「クロタール」というシンバルを小さくしたような形状のものです。
このクロタール、優れもので、叩き合わせたり、ばちで叩く以外にもいっぱい連ねてぶつけあわせたり、弦楽器の弓でその縁を弾くことでいろんな音色が出せるのです。
そしてクロタールの私が一番惚れているところは、その音の鋭さ。叩いた際にでる音は鉄琴のような音ですが、もっともっと透明で、鋭い音がします。(だからこそ音量も大きく、近くでやられると耳が純粋に痛いのですが・・・)この鋭さがこの「星屑の音楽」の中で星が光る音を表現する際に本当にキーとなってくるのです。

あとピアノの音が素晴らしく。
ピアノの弦のところ(グランドピアノですよ)に紙を敷くとその音域で弾くときだけノイズが入るんです。そのノイズがなんともノスタルジック、といいいますか、まるで古い古いレコードや電波の悪いラジオを聴いているような。
そしてピアノの音はこの曲で打楽器の音にものすごく引き立てられるんですよね(逆にピアノは打楽器にメロディーや和音を提供している、お互い高め合う関係)。透明なという意味でも、繊細なという意味でも本当にピアノがガラスでできているようになるんです。

この曲を聴いてもらえばクラムの「サウンド」の表現の深さと広さが(あまり不快で難解な音楽と向き合わなくとも)わかってもらえるかと思います。
何かを告げるような鐘の音、ガラスが規則正しく割れ崩れていくような音、宇宙の彼方で響くような鐘の音、透明に光り伸び、超新星の爆発のようにはじける音・・・
サウンドスケープとしては本当にこんなに愛しいものはないです、私にとって。

光と闇、記憶と未来、心の中の世界と果てしない宇宙の世界・・・色彩、光、空間、時間が全て鮮やかに存在していて。
エンディングの書かれ方も「終わって欲しくない!」と思わせる、ずっとずっとこの曲の全てを感じていたいと思わせる、そんな風で。
あとなんとなーく、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に通じないこともないかなーと思います。

この曲を聴いて欲しいのは勿論夏の夜。
夜になっても気温が下がらないけれど、晴れた夜空に星を見上げ・・・
できたら自然の中で。自分の周りにある程度パーソナルスペース以上の空間を感じられるところで。
実際そういうところに物理的に居られなくても、そういった場所を感じることでこの曲が一層生きてくると私は思います。

私は今日帰宅する時に聴きました。駅から家まででほとんどぴったりの長さ。
見える空は限られてますが・・・本当に夏の暑さが風流で愛しいな、と思いますし、クラムがこうやって書いた音楽の端々に見られるようになんとなく神秘的なものがあるんだなーと感じます。

願わくは今夏もこの曲が似合うような夏らしい気候の夏になりますように。


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