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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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バレエ・リュスと華のパリ
今日はチェロが帰ってきました。
フルサイズが大きいからといって数年前ちょっと小さいチェロに買い替えたのですが、やっぱり自分のチェロはこっちだ、ということで必要なリストアをして取り戻してきて。もう放しません(笑)私のチェロです、世界に一つの。148歳、まだまだこれからも私よりもずっと長生きして響くことができる楽器なので。
ただリストアに相当お金がかかったのでキャンベラ行きは諦めかな・・・と。バレエ・リュスの衣装展、行きたいんだけどなあ・・・

(以下のバレエ・リュスについてのエントリーの後半には同性愛的な話が出てきます。お嫌いな方、不快に感じる方はご注意を。)

20世紀音楽が好き、20世紀歴史が好き・・・というなかで20世紀初頭のフランスはいろんな方面からわくわくするような時代です。
バロック時代以降、ドイツやオーストリア、イタリアなどの国が音楽の都として栄え。例えばロマン派はドイツの文学から起こったムーブメントで・・・フランスが主流となったり、フランスがお国柄だとかフランスの良さを引き出すような芸術の流れではない、という印象が強いですが・・・
20世紀の初頭になって、熟れすぎたロマン派から時代が変わってやっとフランスが芸術の中心となったのです。印象派などの絵画、様々な音楽、パリ万博から広がったオリエンタリズム、ファッション・・・
それらが花開いたきっかけの一つとして、「バレエ・リュス」の活動があると思います。
(実は大学在学中に自分の弾く音楽にものすごく関係が深いこの時代を「Paris! Berlioz to Ballet Russes」という音楽史の授業で勉強したことがあります。あと「Impressionism to Postmodernism」という音楽スタイルの授業でもちょっとカバーしたかな?)

バレエ・リュスはロシア発祥のバレエ団。パリを中心にして当時活躍し、モダンバレエの基礎を築き、ヨーロッパに向けて発信していました。
ただこのバレエ・リュスは普通イメージするようなバレエ団の役割を大きく超えた、もっと色んな事を成し遂げていた集団です。
バレエ・リュスをまとめていたのはセルゲイ・ディアギレフ。彼は芸術プロデューサーとしてバレエ団をまとめ、さらに多くの若く才気溢れた芸術家達をこのバレエ団を通して世に出し・・・音楽の分野でもストラヴィンスキーを世に出したり、彼の「三大バレエ」(火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典)をはじめとする様々な作曲家の作品の初演を行っていました。
で、こういう場からコネというものもいろいろ生まれるわけですよね。バレエ・リュス関係かどうかは分かりませんが、ストラヴィンスキーの交友関係として同業者のドビュッシー、画家のピカソ、作家のコクトー、そして映画の題材にもなりましたココ・シャネルが知られています。色んな芸術分野の先端のアーティスト達が集まり交流したり、お互いを刺激し合ったり、共同で作業をしたり。
そうそう、ディアギレフに「春の祭典」の曲を始めて発表する際にストラヴィンスキーとピアノ連弾して聞かせたのはドビュッシーだったそうで。

実際バレエ・リュスで、またはその外で他の芸術家達とコラボレーションしたり、作品に触れる機会が多い中でやっぱり芸術家個人の思惑だったり軋轢だったりもあったらしいですが、やっぱりその機会があるということが素晴らしいんだろうな~
芸術家達が集まり花開く場、というこの時代のパリに憧れますし、萌えますね(笑)

ディアギレフは凄い人物だと思います。
多くの芸術家達をまとめ、会社としてバレエ・リュスを運営して、様々な人材を発掘して、世に出して。
色んな人が色んな思惑がある中でそういう場を作って、芸術を花開かせるという共通目的のためにさまざまなスタイル、分野、毛色の芸術家を助けたことについて彼の右に出る人は歴史の中で居ないのではないか、と思います。そしてそれは過大評価ではないと思います。
さらに、彼は大衆にうけるスタイルという安全地帯にとどまるのではなく、当時フランスに育ちつつあった新しい音楽や他の芸術形態の芽を見つけて育て、それをフランスの民衆にぶつける、ということをして成功させた人で・・・
もちろんそういう方針だからこそかなりでこぼこ道もありました。「春の祭典」の初演で、その振り付けと音楽の奇怪さに大騒ぎが起きたこともあります。それでも時代と共に人々がそれらに追いついて、春の祭典は20世紀の名曲の一つ、クラシックの名曲・大曲の一つに数えられています。
経営などを考えるとかなりハイリスクなやりかたではありますが、彼のこういった方針が20世紀フランスを芸術の都としフランスの国民性を芸術の発展に反映し、最先端のアートだけでなく他の芸術をも大きく発展させた・・・それが私がディアギレフを深く尊敬する一番の理由です。今の時代、ポピュラーなものばかりがはこびるクラシック音楽界を思うと余計にあの時代に憧れます。

ディアギレフが世に出した才能溢れる芸術家の中に群を抜いた人物が居ました。
それがヴァーツラフ・ニジンスキー。ウクライナ生まれのダンサーで、若きトップダンサーおよび振付師としてバレエ・リュスで活躍していました。
彼は踊りにより表現することに天才的なうえに、踊り・振り付けにおいて類い希なる感性の持ち主で・・・「天才」という言葉は彼のためにあるのではないか、と私は思ってますね~(そして私が唯一「イケメン」という言葉で形容する人物でもあります。余談ですが)
ただその感性は繊細、独創的でありながら突飛なものでもあり、それに一般の人々がついて行けないものであったようです。ドビュッシー作曲の「牧神の午後の前奏曲」ではその振り付けに自慰行為をはっきり思わせるような動きがあったことにより批判を受けたり、前述「春の祭典」ではヨーロッパ化する前の文化を受け継ぐロシアの奥地の生け贄の儀式を表した振り付けが粗暴で野蛮なものだと批判され・・・

ただディアギレフはそんな彼の才能を愛し、重用していました。
ついでながらディアギレフはニジンスキーと一時期愛人関係にあったのこと。まだニジンスキーがずいぶん若い頃のことで、後にニジンスキーは女性と恋に落ち、結婚をディアギレフに反対され解雇されたことによりその関係は終わったのですが・・・
そこがなんというか、ディアギレフの唯一の弱点だったのかな、と思います。彼の才能を愛してはいたけれど、彼が新しい恋と女性との結婚などにより芸術家としてさらなる成長を遂げることを願ってやれなかった、プロデューサーとして芸術家の彼をサポートしてやることができなかった・・・というのは仕方がないことなのかもしれないけれど、本当に惜しいことだな、と思います。
その後ディアギレフは再びダンサー・振付師としてニジンスキーを呼び戻し、ニジンスキーもそれに応じるのですが、それも短い間で・・・ニジンスキーが統合失調症を発症し仕事ができない状態になり、29歳でそのキャリアを終えることになったので。(ただ彼自身は63歳まで生きています)

私にとってニジンスキーは一番好きな芸術家の一人です。(ディアギレフを尊敬してるのと同じくらい)
彼の演じた「牧神」の画像はGoogleで検索しても出てきますし、彼自身の踊りの映像も、彼の振り付けの映像もそのものはほとんどといっていいほど残っていませんが、振り付けの再現ならYoutubeで動画があります。私がよく観る彼の振り付けの「春の祭典」(初演の騒動を含む再現)はこちら(プレイリスト)。

感性が人並み外れてますもの。静止画でみる存在感も本当に信じられないほどの特別さがあって。溢れる才能、神秘的な存在、自由な感性もそうですが、その波乱の人生と多くの苦しみ、病気による長く続いた悲劇もひっくるめて本当に(別分野ながらも)憧れ、ある意味ものすごく愛しい存在です。

長くなってしまいましたが、まだまだ語り足りないです。(笑)またゆっくり育ててここら辺の芸術の話はしたいですね~
ニジンスキーの生涯を題材にした映画はあるようですが、パリと芸術をディアギレフとその周りを中心として、(ディアギレフとニジンスキーの関係もあり)、ディアギレフ視点で?描いた映画があったらなーと思います。小説でもいいんですけど音楽と踊りがないと、ね。

今回も今日の一曲はおやすみです。長くなってしまったので・・・次回この時代から一曲選びたいと思います。

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