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家で働いているせいか外に出る頻度が少なく、外に出るとまとめて(自分基準ですが)お金を使う傾向にある気がします。
だいたい必需!という感じのものではなくてあるといいなあ、欲しいなあというものばかりで。
チェロの修理代の返済があるので押さえてはいるんですが・・・(汗)
それはおいといて本題に。
鎮魂曲、レクイエムというジャンルはクラシック音楽のなかでわりと存在感が大きい音楽ではないかと思います。
しかも交響曲、協奏曲ほど形式がはっきり決まってるわけでもなく(ただこの2つのジャンルもそんなにがっちり形式にはまってるわけでもないですが)、色んな作曲家が色んな形で「レクイエム」を表現しているのが面白いです。
レクイエムには大きくわけて2つの目的があると思います。
一つは死者の魂が安らかであることを祈るもの。(キリスト教の一部の宗派では一時的に煉獄にいなくちゃいけない魂は、生きているものが死者のために祈りを捧げることでその期間を縮めることができる、という話もあります)
そしてこの目的よりもおそらく大きな目的として、遺された者が目の前の死と向き合って折り合いをつけていくための儀式、というものがあると思います。
あ、それから生と死を前にして、それを通じて宗教的な信仰を植え付ける、強める、という意味合いもあると思います。
もともとがカトリックのミサにおける儀式&音楽なため、伝統的なレクイエムの歌詞はラテン語で書かれていて、カトリックの雰囲気がものすごく強いですね(Dies Irae=怒りの日での最後の審判の描写など)。
20世紀より前のレクイエムが「合唱付き」という編成なのもやはり賛美歌などが信仰の儀式の一部として組み込まれているキリスト教(特にカトリック)らしい、といいますか。
以前「呼吸を同じくすることで共感する度合いを上げる」という話をちょろっとしたかと思いますが(私のチェロの先生の受け売りです)、ある人の死に際して集まり、共に嘆く人々が共に歌うということでその悲しみを共有する、という働きがあるのではないかと思います。
さらに、レクイエムの音楽はたいてい多くの楽章から成り立っていますがその全部が必ずしも慰め、癒すものではないということも大切だと思います。
レクイエムという音楽の一連の体験において、遺された人が近しい人の死を現実のものとして受け止め、それに関する悲しみだったり絶望だったり怒りだったり、行き場がない感情を抑えてないものとするのではなくがっつり感じて・・・
これから先、その事実を受け止めて生きていけるようにその何かとタブー感があって押さえてしまう感情を引き出して、「ちゃんと」嘆くことができるようにこのレクイエムの暗く激しい楽章は存在しているんではないかと思います。
レクイエムはまさにその生と死を同時に見つめることのできる、特別なopportunityのための特別な音楽ということもあり、さらに作曲家それぞれに強い思いがあることが多く、独特な存在感を放つ名曲であることが多いと思います。
ここからは私が特に思い入れの強い個々のレクイエムの話になりますが・・・
モーツァルトのレクイエムは自身が当時若くして死の淵にあったこともあって死の恐ろしさがリアルですね。
実際「自分で自分の鎮魂曲を書いている」と自覚していたとまで言われますし、Kyrie Eleison、Rex TremendaeやDies Iraeを聞くとその説がものすごく真実味を帯びてくるのですよね~
私が好きなのはKyrie Eleison、Agnus Dei、それからTuba Mirumです。あれだけ恐恐としている、本当に切羽詰まって死がそこにある息苦しさのなかでよくこのトロンボーンソロが出たな!と素直に思うのです。でもトロンボーンの一番いいところ、透明でおおらかでピュアなサウンドなんですよね。
なんだかこう・・・30代なのにあまりにも突っ走ったからか、病のせいか「晩年」的な雰囲気がある曲なんですよね。もしもこの人長生きしてたらどうなってたんだろう、と余談。
ロマン派あたりの時代においてもレクイエムはカトリック系統、ということが定番だったのですが、それを覆したのがブラームス。宗教改革はもうバッハ以前の時代に起こったのに、ドイツ人の価値観に合うレクイエムが作られていない、という事態を懸念したらしくブラームスは自らドイツ語の聖書から歌詞を選んで、ドイツ語でドイツ人のためのドイツ・レクイエムを書いたのです。よく主張している事なのですが、やっぱり音楽を書いた作曲家の国籍と、歌詞の言語が一致するとより音楽が一体化するのです。
好きなのは第2楽章、第5楽章、第6楽章、第7楽章。第2楽章のティンパニのかっこよさだったり、前半のしたたかな悲しみ・苦しみから青空のように解き放たれた後半(エンディングがまた美しい!)が最初聞いた(=弾いた)ときから好きで。
第5楽章のソプラノソロの楽章はブラームスの母に捧げられていて、その強い思いとブラームスの得意な女性的な、母性的な音楽の美しさがたまらないです。
第6楽章は「不思議なトランペット」を含む、このレクイエムにおけるDies Irae。その嵐のような激しさと「打ち勝つ」ような力強さがカトリックのDies Iraeとひと味違うものがあって。
そして第7楽章、最終楽章の様々な調を経て足が地に着くあの落ち着いた感じ、天国的ながら本当に身近な天国の美しさ・・・
私がこのブラームスのドイツ・レクイエムと絶対的な双璧だと思ってるレクイエムはベルリオーズでも、ヴェルディでもなくもちろん!ブリテンの「戦争レクイエム」です。
この曲については語っても語り尽くせない(先ほどのブラームスも実はそうなんですが)、思い入れが深すぎて自分でも困っています(笑)
この曲は上記レクイエムの目的とはいささか違う面があって・・・以前もいろいろ語っているのですが、戦争の恐ろしさ、その中で失われている命などについて真剣に、ときどき皮肉も交えながら表現している作品です。
過去のこのブログでの「戦争レクイエム」についての話はメル響のコンサートの感想、音楽と歌詞として使われている詩の話などにあります。いつかなんとかまとめてみたい。
他にも同じくブリテンによる「Sinfonia da Requiem」(なんとなくずっと聞いてきて、この曲と向き合って解釈をしたことがないことにこないだ気づいたので書くことがない・・・)だったり、あと一回聴いたきりですがオーストラリアのPeter Sculthorpeのレクイエムの存在も心にどっしり残っています。他にもヒンデミットの「葬送音楽」などレクイエムと名のついていないレクイエム的音楽も。
でもWikipediaで探して見るとめちゃくちゃたくさんの作曲家がレクイエム(または類似曲)を書いてるんですよね!(日本語版よりも英語版のリストの方が断然長い!びっくり!)私の好きな作曲家でレクイエムを書いてたことを知らない、レクイエムを知らない作曲家も(主に20世紀以降)いるので、もっとレパートリーを広げないと、と思います。
最後に、先ほど書きそびれたんですが(という風にブログで書くのも変ですが)、20世紀以降合唱を伴わないレクイエム、ラテン語の歌詞を使わないレクイエムが多くなってきたのはやはりキリスト教が価値観の中心でなくなってきている、個人の信条が違うことが当たり前になってきた風潮もあるかと思います。(もちろん例えばバッハの時代と比べて作曲・音楽が宗教から離れてきていることもあり)
レクイエムについては以前ちょっと言及しました「悲嘆の5段階」などにみる死との向き合いかた、そして宗教離れしていく世の中で個人がどう死と向き合っていくのか、死と向き合う上で音楽ができることって何なのか、もっと考えていきたいこといっぱいです。
今日の一曲: ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト 「レクイエム」より「Tuba Mirum」
えーっと、長くなったのでてっとり早く、との魂胆で(汗)
でもものすごく好きなんですよ、この曲。
トロンボーンが底抜けに明るくてうるさいものだと思っている人にはうってつけ!
Tuba mirum = 不思議なトランペット、と訳されます。新約聖書のヨハネの黙示録にある、この世の終わりを告げるトランペットです。
Tubaですがトランペット。でもトロンボーンが弾いてます(ちなみにブラームスのレクイエムではPosaunen=ドイツ語でトロンボーンという言葉が使われ、実際に弾いています。ブリテンの戦争レクイエムでは金管楽器総動員ですが)。
この曲をたった一人で始めるトロンボーンの音色の美しさ!
トロンボーンってぶわーっと吹くだけじゃなくて本当は物凄く甘くて黄金で繊細な音も出るんですよ。バルブ・ピストンでなくてスライド式、つまりは大きい筋肉で動かすのですがそれでもどんなになめらかで自由な音が奏でられることか!
で、その音色がまたバリトン歌手といいデュエットを奏でるんですよね。
トロンボーンはこの頃まだオペラあたりでしかオケの一員じゃなかった、と聞いたことがあるんですよね(交響曲に登場したのは確かベートーヴェンの5番?が最初だったとか?)。トロンボーンは昔も今も集団合奏が基本の中、こういう使い方はもしかしたら斬新ではないのか?と思ってますがどうなんでしょう。
最初の本当に悲しく苦しい、切羽詰まった音楽からは信じられないような、スペースが広い音楽。トロンボーンの音って他の金管楽器と比べてもその「広い」「解き放たれた」感じが強い気がします。
宗教観とかいろいろ語りたいことはありますが、なんせ勉強不足なのとすでに長いもので・・・
モツレク(モーツァルトのレクイエム)ではDies iraeあたりがメジャー所ですがこちらにも耳を傾けていただきたいです。そしてトロンボーンの音(とそのギャップ)に恋に落ちていただきたいです!ぜひ!
だいたい必需!という感じのものではなくてあるといいなあ、欲しいなあというものばかりで。
チェロの修理代の返済があるので押さえてはいるんですが・・・(汗)
それはおいといて本題に。
鎮魂曲、レクイエムというジャンルはクラシック音楽のなかでわりと存在感が大きい音楽ではないかと思います。
しかも交響曲、協奏曲ほど形式がはっきり決まってるわけでもなく(ただこの2つのジャンルもそんなにがっちり形式にはまってるわけでもないですが)、色んな作曲家が色んな形で「レクイエム」を表現しているのが面白いです。
レクイエムには大きくわけて2つの目的があると思います。
一つは死者の魂が安らかであることを祈るもの。(キリスト教の一部の宗派では一時的に煉獄にいなくちゃいけない魂は、生きているものが死者のために祈りを捧げることでその期間を縮めることができる、という話もあります)
そしてこの目的よりもおそらく大きな目的として、遺された者が目の前の死と向き合って折り合いをつけていくための儀式、というものがあると思います。
あ、それから生と死を前にして、それを通じて宗教的な信仰を植え付ける、強める、という意味合いもあると思います。
もともとがカトリックのミサにおける儀式&音楽なため、伝統的なレクイエムの歌詞はラテン語で書かれていて、カトリックの雰囲気がものすごく強いですね(Dies Irae=怒りの日での最後の審判の描写など)。
20世紀より前のレクイエムが「合唱付き」という編成なのもやはり賛美歌などが信仰の儀式の一部として組み込まれているキリスト教(特にカトリック)らしい、といいますか。
以前「呼吸を同じくすることで共感する度合いを上げる」という話をちょろっとしたかと思いますが(私のチェロの先生の受け売りです)、ある人の死に際して集まり、共に嘆く人々が共に歌うということでその悲しみを共有する、という働きがあるのではないかと思います。
さらに、レクイエムの音楽はたいてい多くの楽章から成り立っていますがその全部が必ずしも慰め、癒すものではないということも大切だと思います。
レクイエムという音楽の一連の体験において、遺された人が近しい人の死を現実のものとして受け止め、それに関する悲しみだったり絶望だったり怒りだったり、行き場がない感情を抑えてないものとするのではなくがっつり感じて・・・
これから先、その事実を受け止めて生きていけるようにその何かとタブー感があって押さえてしまう感情を引き出して、「ちゃんと」嘆くことができるようにこのレクイエムの暗く激しい楽章は存在しているんではないかと思います。
レクイエムはまさにその生と死を同時に見つめることのできる、特別なopportunityのための特別な音楽ということもあり、さらに作曲家それぞれに強い思いがあることが多く、独特な存在感を放つ名曲であることが多いと思います。
ここからは私が特に思い入れの強い個々のレクイエムの話になりますが・・・
モーツァルトのレクイエムは自身が当時若くして死の淵にあったこともあって死の恐ろしさがリアルですね。
実際「自分で自分の鎮魂曲を書いている」と自覚していたとまで言われますし、Kyrie Eleison、Rex TremendaeやDies Iraeを聞くとその説がものすごく真実味を帯びてくるのですよね~
私が好きなのはKyrie Eleison、Agnus Dei、それからTuba Mirumです。あれだけ恐恐としている、本当に切羽詰まって死がそこにある息苦しさのなかでよくこのトロンボーンソロが出たな!と素直に思うのです。でもトロンボーンの一番いいところ、透明でおおらかでピュアなサウンドなんですよね。
なんだかこう・・・30代なのにあまりにも突っ走ったからか、病のせいか「晩年」的な雰囲気がある曲なんですよね。もしもこの人長生きしてたらどうなってたんだろう、と余談。
ロマン派あたりの時代においてもレクイエムはカトリック系統、ということが定番だったのですが、それを覆したのがブラームス。宗教改革はもうバッハ以前の時代に起こったのに、ドイツ人の価値観に合うレクイエムが作られていない、という事態を懸念したらしくブラームスは自らドイツ語の聖書から歌詞を選んで、ドイツ語でドイツ人のためのドイツ・レクイエムを書いたのです。よく主張している事なのですが、やっぱり音楽を書いた作曲家の国籍と、歌詞の言語が一致するとより音楽が一体化するのです。
好きなのは第2楽章、第5楽章、第6楽章、第7楽章。第2楽章のティンパニのかっこよさだったり、前半のしたたかな悲しみ・苦しみから青空のように解き放たれた後半(エンディングがまた美しい!)が最初聞いた(=弾いた)ときから好きで。
第5楽章のソプラノソロの楽章はブラームスの母に捧げられていて、その強い思いとブラームスの得意な女性的な、母性的な音楽の美しさがたまらないです。
第6楽章は「不思議なトランペット」を含む、このレクイエムにおけるDies Irae。その嵐のような激しさと「打ち勝つ」ような力強さがカトリックのDies Iraeとひと味違うものがあって。
そして第7楽章、最終楽章の様々な調を経て足が地に着くあの落ち着いた感じ、天国的ながら本当に身近な天国の美しさ・・・
私がこのブラームスのドイツ・レクイエムと絶対的な双璧だと思ってるレクイエムはベルリオーズでも、ヴェルディでもなくもちろん!ブリテンの「戦争レクイエム」です。
この曲については語っても語り尽くせない(先ほどのブラームスも実はそうなんですが)、思い入れが深すぎて自分でも困っています(笑)
この曲は上記レクイエムの目的とはいささか違う面があって・・・以前もいろいろ語っているのですが、戦争の恐ろしさ、その中で失われている命などについて真剣に、ときどき皮肉も交えながら表現している作品です。
過去のこのブログでの「戦争レクイエム」についての話はメル響のコンサートの感想、音楽と歌詞として使われている詩の話などにあります。いつかなんとかまとめてみたい。
他にも同じくブリテンによる「Sinfonia da Requiem」(なんとなくずっと聞いてきて、この曲と向き合って解釈をしたことがないことにこないだ気づいたので書くことがない・・・)だったり、あと一回聴いたきりですがオーストラリアのPeter Sculthorpeのレクイエムの存在も心にどっしり残っています。他にもヒンデミットの「葬送音楽」などレクイエムと名のついていないレクイエム的音楽も。
でもWikipediaで探して見るとめちゃくちゃたくさんの作曲家がレクイエム(または類似曲)を書いてるんですよね!(日本語版よりも英語版のリストの方が断然長い!びっくり!)私の好きな作曲家でレクイエムを書いてたことを知らない、レクイエムを知らない作曲家も(主に20世紀以降)いるので、もっとレパートリーを広げないと、と思います。
最後に、先ほど書きそびれたんですが(という風にブログで書くのも変ですが)、20世紀以降合唱を伴わないレクイエム、ラテン語の歌詞を使わないレクイエムが多くなってきたのはやはりキリスト教が価値観の中心でなくなってきている、個人の信条が違うことが当たり前になってきた風潮もあるかと思います。(もちろん例えばバッハの時代と比べて作曲・音楽が宗教から離れてきていることもあり)
レクイエムについては以前ちょっと言及しました「悲嘆の5段階」などにみる死との向き合いかた、そして宗教離れしていく世の中で個人がどう死と向き合っていくのか、死と向き合う上で音楽ができることって何なのか、もっと考えていきたいこといっぱいです。
今日の一曲: ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト 「レクイエム」より「Tuba Mirum」
えーっと、長くなったのでてっとり早く、との魂胆で(汗)
でもものすごく好きなんですよ、この曲。
トロンボーンが底抜けに明るくてうるさいものだと思っている人にはうってつけ!
Tuba mirum = 不思議なトランペット、と訳されます。新約聖書のヨハネの黙示録にある、この世の終わりを告げるトランペットです。
Tubaですがトランペット。でもトロンボーンが弾いてます(ちなみにブラームスのレクイエムではPosaunen=ドイツ語でトロンボーンという言葉が使われ、実際に弾いています。ブリテンの戦争レクイエムでは金管楽器総動員ですが)。
この曲をたった一人で始めるトロンボーンの音色の美しさ!
トロンボーンってぶわーっと吹くだけじゃなくて本当は物凄く甘くて黄金で繊細な音も出るんですよ。バルブ・ピストンでなくてスライド式、つまりは大きい筋肉で動かすのですがそれでもどんなになめらかで自由な音が奏でられることか!
で、その音色がまたバリトン歌手といいデュエットを奏でるんですよね。
トロンボーンはこの頃まだオペラあたりでしかオケの一員じゃなかった、と聞いたことがあるんですよね(交響曲に登場したのは確かベートーヴェンの5番?が最初だったとか?)。トロンボーンは昔も今も集団合奏が基本の中、こういう使い方はもしかしたら斬新ではないのか?と思ってますがどうなんでしょう。
最初の本当に悲しく苦しい、切羽詰まった音楽からは信じられないような、スペースが広い音楽。トロンボーンの音って他の金管楽器と比べてもその「広い」「解き放たれた」感じが強い気がします。
宗教観とかいろいろ語りたいことはありますが、なんせ勉強不足なのとすでに長いもので・・・
モツレク(モーツァルトのレクイエム)ではDies iraeあたりがメジャー所ですがこちらにも耳を傾けていただきたいです。そしてトロンボーンの音(とそのギャップ)に恋に落ちていただきたいです!ぜひ!
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