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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Mahler the Great (パート2)
今日も引き続きマーラーの話です。
いろいろ崇拝してるとも言える程度まで彼の音楽の素晴らしさを昨日語りました(笑)
実際に一つ一つの曲を見ても一人の人間が創り上げるには凄すぎる、そんな音楽をたくさんたくさん(クオリティのむらもあんまりなく?)書いてきた人ですが・・・

だからといってマーラーを天才、というのはなんだか違う気がします。
なんだかその・・・言葉に違和感があるというか。
確かに類い希なる感性と思考、表現力をもってはいます。
ただ彼を天才とするにはマーラーは人間臭すぎて、闇の世界にどっぷりつかっていて、音楽が壮大すぎて・・・なんでしょう、天才という言葉が軽々しくうつってしますのです。

マーラーは迷信深い人でした。
不吉な予兆・感じを信じる人で、俗に言う「交響曲第9番の呪い」という、ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナーなどが9つの交響曲を書いて死んでいるということから生まれたジンクスを信じている節があったと言われています。
なんというか性格的にもわりとmorbidなテイストの人だったらしく、闇や死を身近に感じながら生きていたような感があります。
一つ有名なエピソードですが、彼がアルマ・シントラー(後にマーラーについて伝記を書いたり死た人です。まあ多少の脚色はあるようですが)と結婚して子供をもうけたあとも、幼い子供と遊ぶ傍らで「亡き子をしのぶ歌」の作曲作業を進めたりしてアルマをぞっとさせたらしいです。
ただ私の解釈ですが、マーラーにとって生と死は紙の裏表のように一体のようなものだったと思います。こういうマーラーだったからこそ、全てを包括した一つの世界のような音楽が書けた、と。
実際弟を自殺で亡くしたり、子供を亡くしたり(プラス自身心臓病を患ったり)と彼は「死」を身近に見てきた経験が多いようです。

マーラーが実際鬱を患っていたという記述やエピソードは実は直接的なものは見つかってないんですが・・・
なんらかの精神疾患に関連したパーソナリティ特性を持ってたのかな、と解釈しています。
(あと彼は偏頭痛持ちだったのですが、いつだか偏頭痛と鬱は遺伝的な要因によって併発しやすい傾向がある、ということを論文で読んだので。)
その根拠は彼について書かれた文章以上に彼の音楽に強く表れている、とも思います。
マーラーの交響曲や歌曲に現れる深く暗い闇は心に何かそういう疾患や傾向、状態がなければ感じることも表現することも無理なんじゃないか!?と思われるスケールの、そして性質の闇があります。
なかなか説明するのが難しいんですが、音楽から感じる闇とか、その表現の仕方とか。

で、闇が深いからこそ彼の音楽にある光は強く、眩し過ぎるほどに眩しく、それから恋しい、というか・・・強いあこがれと切望、それ以上のものがあります。
なんというか、鬱を何年も患っているせいか「光」を眩しすぎるという感じがあるんですが、まさにそれ。ただやっぱり上記光への切望をマーラーの音楽には感じてしまう。

大学時代色んな友達と離した経験からの話なのですが、マーラーの音楽に思い入れが深い人ほど彼の音楽の闇の部分に思い入れが深い傾向があるような気がします。
そしてこれもなんとなくなのですが、鬱だったりそういう傾向・状態を経験した人の方がマーラーの音楽に共感しやすいようなことがあります。
私がマーラー5番を弾いたのも実は鬱のかなりひどい時期で、マーラーの音楽にはまった、ロックオンしたのは偉大さももちろんありますがその闇と共感したのも大きいのではないかと。
さらに演奏が終わった後何年かはこの曲を聴くと当時の辛い気持ちが蘇るからといって聴かなかった(心の中で再生は一部セーフ)経験もあります。

マーラーの交響曲は若い人のオケにどんどん弾いて欲しい音楽でもあります。
まず長いですし、楽器ごとのパートも難しいですし、指揮者の力量や音楽性もかなり問われる、さらにまとめるのも難しいですが、本当に弾きごたえがあって、モチベーションも上がるような難しさですし、なんといっても本当にクオリティが高い音楽を、オケの一体感とそれぞれのパートの大切さをかみしめながら弾ける曲なので。
(といってもユースオケでは5番と1番しか弾いてないんですよね~私も。あとのは一段と難しいのですがもっと弾きたかった!)

聴く面においてもマーラーはもっと若い人にどんどん聴いて欲しい音楽でもあります。
思春期に感じる、自分のキャパシティを超えるほどの感情の殺到をがっつり共感してその壮大なスケールと包容力で受け止めてくれる、巨大に感じる感情を形作ってくれる、というので・・・
そしてマーラーの音楽にあるエネルギー、生命力、そして闇や光、内なるパワー、自然の壮大さを音楽のエネルギーとして感じるあのパワフルさに聴き手も(ある程度精神力を消費しながらも)でっかいエネルギーをもらえるような気がします。

若い・年をとったにかかわらずマーラーの音楽が素晴らしいもので、彼の音楽を聴くということが本当にユニークで素晴らしい経験だと言うことは本当に念を押しても押しきれない気持ちです。
一番良いのは交響曲。そしてオケ伴奏の歌曲。長いのは承知ですが、できるだけ完全な形で(=全楽章)聴いてもらいたいなーと思います。
特定のオススメについてはおいおい今日の一曲でご紹介したいです!


今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第6番 第2楽章



出してしまいました、マーラー6番。
マーラーを初めて聞く、と言う方にはオススメとは言えないのですが、共感してはまりつつあるのに拍車をかける目的、それからなんというか、がっつり向き合ってチャレンジが欲しい方には物凄くオススメです。

この曲を最初に聴いたとき第1楽章と第2楽章の冒頭がものすごく似ててびっくりしました。
確かに似てるのですが、第1楽章は4拍子、第2楽章は3拍子で曲の性格もだんだん違ってくるのでとりあえずびっくりだけ(笑)

以前スケルツォについてこのブログで話した覚えがありますが、マーラーのスケルツォは全体的にlight-heartedなユーモアとは離れたところにあります。結構重めで、皮肉がかってて。ブラックユーモア的な。ショスタコーヴィチのスケルツォにも似たところが。
この第6番第2楽章もそんなマーラーらしいスケルツォの一つ・・・というかかなり!ヘビーなキャラクターです。

なんというか、マーラーのスケルツォって生と死だったり正気と狂気の間の綱渡りを楽しんでる、その間を自由に行き来しながら、死に神と戯れたり、光や闇を翻し、気まぐれに身を投じたり。
ハーモニーに光と闇が同時に現れたりして、その強さ、それよりも危うさが独特のテイストで、病みつきになります。
(そういえば4番のスケルツォには実際に死神が登場しますね。)

この楽章で耳を傾け・・・いえ、いやでも耳に入ってくるのはホルン軍団。全部で9人、その威力は恐ろしいです。
ホルンと言えば普段は高貴で丸い、明るい音が特徴ですがこの曲では暗く、激しく、奏でるパッセージはわりと下品(?)な方向に行ってます。なかなかこういうテイストをここまでもってくるのは珍しいです。
わけがわからなくなってしまいましたが、この曲のホルン軍団のパートがめちゃくちゃ好きなんですよ!

この曲のmacabreな、死の匂いを帯びたテイストがたどり着く先は最後のクライマックス。
大学の友達で私よりもずっとずっと博識な人の話なのですが、このクライマックスの甲高い音は、子供(しかもマーラーの娘)の叫び声だ、という説があるらしいです。
聞いたらきっとすぐ分かります。背筋をぞっと凍らせるような、恐ろしい音なので・・・
(余談ですが人間は黒板をひっかく音を先祖の猿のころから遺伝的に・本能的に嫌うようにプログラミングされてるらしい、という話を聞いたことがあります。奇しくもこれも「子供の叫び声」に由来するそうで、きっとこの曲のこの和音、音色も本能的に神経を逆撫でされるような音なのではないか、と思います。)

いくら死と友達になり、光や闇、生や死と戯れているつもりでも最後に笑うのは死。
その刃は予期せず私たちを襲い、その手から逃れられる者はいない。
そんな死だったり闇の圧倒的な力を本当に身近に感じ、共感できる曲です。

(テンシュテットの録音をリンクしましたが、この曲の録音の中では鬼気迫るキャラクター、パワーなどにおいt桁外れにすごいとの評判です。ぜひ彼の指揮で聴いてみてくださいね♪)

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