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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Verbal and Bipolar Matters
流さん昨日から若干お怒り・・・というかぐるぐるモードでして。
とりあえず最初にそれをツイッターで呟いた分をアップしたいと思います。
精神関係のカテゴリですが前半は全般的な話です。

(ここからツイートのコピペ)
ネガティブな状態・感情を口に出すことで「自己暗示の成就」のようになるから止めた方が良い、というのはどうも納得がいかなく。そういったものをも口にする人はその状態に違和感を感じて、出口を求め
ようとしている、必ずしも成果は現れなくともその状態から出ようとしている、と解釈しています。

逆にそういったことを口にしない人は問題を認知していないか(だからといって問題が存在しないわけではない)、すでにあきらめている、すでに気力がない、またはその気持ちから目をそらそうとして、押さえようとしてさらなる苦しみを作り出している状態にあると思います。

結果的に、そういった周りのプレッシャーや目を気にして一人で苦しんだり、人に見えないところで苦しんだり、本題の解決よりも周りの目を恐れて隠そう、耐えようとすることに気力を使っちゃう、そういう事に繋がると思います。
一応全般的な話なんですが、例を挙げると精神疾患において、スティグマにより人の目を気にして診断されないまま苦しみを抱え、解決できないまま耐えることに気力を費やする人が多くなると。

もがきや迷いもざっくり言えば努力の一種なので、自分にしろ他人にしろもがいていること、それが表面に出てしまうことを責めたり無理矢理押さえつけたりしちゃいけないと思うのです。見苦しいかも知れませんが。
やっぱりその人を思ってそういった状態を口にすることを控えるように薦めるでなく迷惑だから、見苦しいからという理由でこういう風潮はあるのかな、と思います。そしてこのことについて思い出すのが「泣き寝入り」という言葉だったり、「臭いものに蓋をする」という言葉だったり。

(ツイートコピペ終わり)

やっぱりこういうことでぐるぐるする根本には「苦しんでいる人をその苦しみと別のところでさらに苦しめるようなことをする」という行為(自身であれ、他人であれ)が許せないようなところがあるんですよね。
正義感に関しては薄いんだけれど、許せないことがやっぱりピンポイントであるようです。


今日のトピックはVerban and Bipolar Matters、「口にすること」を話したところで私が移りたいのは「双極性」の話。

診断的には私は「双極性障害」の「第II型」ということになっています。
鬱と躁が現れる第I型とは違って、躁が弱い形で現れるといいますか。
自分でも、他人から見ても異常だとは思われないような、気分の高揚だったり、思考がぐるぐる速くなったり、落ち着きがなくなったり、焦燥感があったり・・・という軽躁状態があらわれるのです。

でも最初は普通の・・・というか単極性の鬱との診断を受けました。
それは誤診ではなく、実際自分の病状が何年もかけて変わっていったので間違いではないと思います。

性格的にもEasily entertained、と言いますか、気分が上がるときは周りにつり上げられて上がることが多いです。テレビを見たり、音楽を聴いたりしてかなりエキサイトしてしまう、ちょっとはた迷惑な感じで。
関西で言う「ゲラ」に近いところが結構あると思います。
(でも逆に鬱方向にいくときは一人、と言いますかとても内的なプロセスですね。あくまでも私個人の傾向ですが)

その性格と、病気によって気分が変わりやすくなってることが双極性障害に変わったきっかけの一つなのかな、と素人なりに思ったりします。
以前も言ったのですがやっぱりどこまでが正常でどこまでが病気なのか、ということは双極性障害(そしてきっと特に第II型。躁でなく軽躁なので)と診断されるとよく考えるようになりますね。

病気のマネージメントとしては感情の起伏には気をつけなければならないけれど(実際「つり上げられる」ときに軽躁になりやすいですしね)、楽しむ時はとことん楽しんで、苦しむときもとことん苦しむ自分の性格が嫌いではないですし、感情の極地をなんだか利用してみたい気持ちもあって。

病気、性格における感情のふたつの極をひっくるめて認めて進んでいきたいです。


今日の一曲はお休みです。なんだか頭が痛い・・・


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