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今日もメルボルンは暑かった!
楽しむつもりでしたがちょっと体調的にしんどいときもあり、あらためていろいろ気をつけなきゃ、と思う事になりました。
大学の図書館ではクラムのCDとスコア、それからマーラー1番、ショスタコーヴィチ14番、プロコフィエフのピアノソナタ2番を借りてきました。
でもプロコフィエフは今弾くかなあ・・・どっちかというと今レパートリーにメシアンが欠けてるので(!)ヒメコウテンシあたりをもう一回借りてもよかったかも。
でもどのみちCDが1週間しか借りれないのできっと近いうちにまた図書館は行くので気にしない、と。
前々から思ってたんですけど、「楽しいこと」」だったり「リラックスできること」を羅列するとき「音楽を聴くこと」または「楽器を弾くこと」って割と高い割合で入っている印象があります。あくまでも印象ですが。
たとえば病院でもらったりする不安だったりリラクゼーションなどについてのinfo sheetだと心を落ち着かせるために本を読むとかスポーツをする、趣味に時間を費やしてみるかのアクティビティのなかに上記音楽関係のことが出てくる・・・ような気がします。
やっぱりこう、音楽を聴くことがいろんな人にとって快い経験であって、そしてさらに音楽というものが今の時代とっても広くaccessibleなものなんだなあ、とぼんやりですが実感。
当たり前のことのようですが、いろいろ自分のしたいことに関しては念頭に置かなくちゃいけないものだと思います。
そして最近またぼんやりと思い出したこと。
結構ピアノ贔屓、というかピアノ極上主義でかなりsnobで偏見もあるのですが面白いことも言う、大学のピアノの一番偉い先生がピアノクラスで言ってたことの一つとして「ピアニストは長生きする」という持論があって。
まずそれが寿命の長生きなのか、それとも長いこと現役でいるということなのか、というのかまず分かりませんし、他の楽器と比べて、一般人口と比べてどうなのか、という疑問もあるのですが(これはどっちかというと医薬翻訳の職業柄やっぱり気になりますね)。
確かにこう、ホロヴィッツのことを思ったり、ロリオ女史や他に何人かのピアニストの事を思ったりするとそうかもな~という感じもしますし、あんまりピアニストが引退・隠居という話も聞かないですし(病気・怪我を除くと結構少ない印象があるなあ)。
あとやっぱりピアノは脳にとって最も複雑なタスクだという説もありますし、新しい曲を覚え続ければ脳の刺激もredundantにならないってのも分かりますし。
この仮説、一応仮賛成というスタンスをとってみてます。データ求む!
あと音楽に関する言葉って面白いなあ、と。
Performanceというのは性能だったり功績だったり主に何かをした「結果」を表す言葉で・・・音楽やその他「演じる」芸術でももちろんPerformanceは演奏だったり本番だったり、ここまで積み上げてきた結果のことを指すのですが、同時にその演奏だったりを行う「行為・過程」についてのことを指したりもするのが面白いなあ、と。
ついでながらめちゃくちゃ基本的な話になりますが音楽家にとってWork=Playですからね。
このWork=Playの要素もあるせいか、音楽家はいつまでも若くいれる、みたいな印象があります。
そりゃあ老いと死は全ての人に訪れますが、Youngというか、Immatureの方で・・・精神年齢が低くて許される職種、みたいな感じです。
あくまでも私の理想であり、印象であり、願望でもあるのですが、それが脳内オケで目指している・心がけていることでもあります。
ラフマニノフが言った言葉なのですが「音楽は一生を満たすには十分だが、一生の長さは音楽を満たすには足りない」、という言葉が好きで。
いくら探検しても終わりはなく、飽き足りなく。私も引退することなくずっと一生を音楽で満たせたらいいなあ、と。
ぼんやりといろいろ書きましたが、明日は音楽と心についての公開レクチャーの日。しっかり学んで来たいです。
今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス ピアノ四重奏曲 第3楽章
こんなに暑いのにドイツ音楽・・・と自分でも思うのですが、そろそろ出しときたいと思ってました。
この曲については今度ブラームスの話をするときにちょっと触れたいな、と思うのですが・・・
そもそもリヒャルト・シュトラウスとは。
彼はドイツの後期ロマン派を代表する急進派とも言える作曲家の一人で、オーケストラ伴奏の歌だとか、オペラとか、そして何よりも交響詩の分野で輝いた人です。
その言葉通り、輝くという言葉がふさわしい音楽で。ロマン派の先進派で前に前に進む、派手できらびやかな、見事な楽器使いと曲調。
でも決して浅くはなく、本当に力が奮い立つような音楽です。
彼の曲は若い人(特に彼が好んで素晴らしい弾きごたえのパートを書いたホルン奏者!)に人気があります。
ただ私はちょっと彼のその輝きだったり、ちょっとエゴが見え隠れする自信だったりがわりと苦手な傾向があり・・・
サロメとかアルペン交響曲とかティルとかはその感じが少ないので好きですが、英雄の生涯だったり、ホルン協奏曲(2つ)だったり、苦手としている曲は多くあります。
でも!そんなシュトラウスにも若く自分の道がまだ見つかってない時期があったわけで。
このピアノ四重奏もそんな曲の一つで、彼がまだ20歳(1884年)のときに書かれています。
その作風は意外や意外、ドイツロマン派ではかなり保守派のブラームスに近いものです。
(この話についてはブラームスの話で後日・・・)
実際ブラームスのピアノ四重奏曲第3番(1875年完成)やフォーレのピアノ四重奏曲(1880年あたり)と同じ調(ハ短調)で、色々類似点は見られます。
その中で第3楽章は至る所で「若いなあ!」と思いっぱなし。
ちょっとありきたりなようなエレメントもある、ストレートでちょっと初心なロマンス。
でもその初々しさだったり、不完全さが逆にものすごく愛しくて、あんまり批判的な目でみなければとってもsweetな曲だと思います。
この曲はリヒャルト・シュトラウスの有名所、彼の真骨頂の作品を知っている人に特にオススメです。
勿論知らない人にとっても物凄く素敵な曲ですが、やっぱり彼の真骨頂を知って、この曲も知るとより面白いと思います。
ちなみにリンクしたCDにはマーラーのピアノ四重奏曲も入ってますが、奇しくも同時代の作曲家による、共に若年の作品。
別の日にこの曲も扱いたいですが、こちらも今回の曲とは違った意味でなかなかの曲者ですよ。
楽しむつもりでしたがちょっと体調的にしんどいときもあり、あらためていろいろ気をつけなきゃ、と思う事になりました。
大学の図書館ではクラムのCDとスコア、それからマーラー1番、ショスタコーヴィチ14番、プロコフィエフのピアノソナタ2番を借りてきました。
でもプロコフィエフは今弾くかなあ・・・どっちかというと今レパートリーにメシアンが欠けてるので(!)ヒメコウテンシあたりをもう一回借りてもよかったかも。
でもどのみちCDが1週間しか借りれないのできっと近いうちにまた図書館は行くので気にしない、と。
前々から思ってたんですけど、「楽しいこと」」だったり「リラックスできること」を羅列するとき「音楽を聴くこと」または「楽器を弾くこと」って割と高い割合で入っている印象があります。あくまでも印象ですが。
たとえば病院でもらったりする不安だったりリラクゼーションなどについてのinfo sheetだと心を落ち着かせるために本を読むとかスポーツをする、趣味に時間を費やしてみるかのアクティビティのなかに上記音楽関係のことが出てくる・・・ような気がします。
やっぱりこう、音楽を聴くことがいろんな人にとって快い経験であって、そしてさらに音楽というものが今の時代とっても広くaccessibleなものなんだなあ、とぼんやりですが実感。
当たり前のことのようですが、いろいろ自分のしたいことに関しては念頭に置かなくちゃいけないものだと思います。
そして最近またぼんやりと思い出したこと。
結構ピアノ贔屓、というかピアノ極上主義でかなりsnobで偏見もあるのですが面白いことも言う、大学のピアノの一番偉い先生がピアノクラスで言ってたことの一つとして「ピアニストは長生きする」という持論があって。
まずそれが寿命の長生きなのか、それとも長いこと現役でいるということなのか、というのかまず分かりませんし、他の楽器と比べて、一般人口と比べてどうなのか、という疑問もあるのですが(これはどっちかというと医薬翻訳の職業柄やっぱり気になりますね)。
確かにこう、ホロヴィッツのことを思ったり、ロリオ女史や他に何人かのピアニストの事を思ったりするとそうかもな~という感じもしますし、あんまりピアニストが引退・隠居という話も聞かないですし(病気・怪我を除くと結構少ない印象があるなあ)。
あとやっぱりピアノは脳にとって最も複雑なタスクだという説もありますし、新しい曲を覚え続ければ脳の刺激もredundantにならないってのも分かりますし。
この仮説、一応仮賛成というスタンスをとってみてます。データ求む!
あと音楽に関する言葉って面白いなあ、と。
Performanceというのは性能だったり功績だったり主に何かをした「結果」を表す言葉で・・・音楽やその他「演じる」芸術でももちろんPerformanceは演奏だったり本番だったり、ここまで積み上げてきた結果のことを指すのですが、同時にその演奏だったりを行う「行為・過程」についてのことを指したりもするのが面白いなあ、と。
ついでながらめちゃくちゃ基本的な話になりますが音楽家にとってWork=Playですからね。
このWork=Playの要素もあるせいか、音楽家はいつまでも若くいれる、みたいな印象があります。
そりゃあ老いと死は全ての人に訪れますが、Youngというか、Immatureの方で・・・精神年齢が低くて許される職種、みたいな感じです。
あくまでも私の理想であり、印象であり、願望でもあるのですが、それが脳内オケで目指している・心がけていることでもあります。
ラフマニノフが言った言葉なのですが「音楽は一生を満たすには十分だが、一生の長さは音楽を満たすには足りない」、という言葉が好きで。
いくら探検しても終わりはなく、飽き足りなく。私も引退することなくずっと一生を音楽で満たせたらいいなあ、と。
ぼんやりといろいろ書きましたが、明日は音楽と心についての公開レクチャーの日。しっかり学んで来たいです。
今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス ピアノ四重奏曲 第3楽章
こんなに暑いのにドイツ音楽・・・と自分でも思うのですが、そろそろ出しときたいと思ってました。
この曲については今度ブラームスの話をするときにちょっと触れたいな、と思うのですが・・・
そもそもリヒャルト・シュトラウスとは。
彼はドイツの後期ロマン派を代表する急進派とも言える作曲家の一人で、オーケストラ伴奏の歌だとか、オペラとか、そして何よりも交響詩の分野で輝いた人です。
その言葉通り、輝くという言葉がふさわしい音楽で。ロマン派の先進派で前に前に進む、派手できらびやかな、見事な楽器使いと曲調。
でも決して浅くはなく、本当に力が奮い立つような音楽です。
彼の曲は若い人(特に彼が好んで素晴らしい弾きごたえのパートを書いたホルン奏者!)に人気があります。
ただ私はちょっと彼のその輝きだったり、ちょっとエゴが見え隠れする自信だったりがわりと苦手な傾向があり・・・
サロメとかアルペン交響曲とかティルとかはその感じが少ないので好きですが、英雄の生涯だったり、ホルン協奏曲(2つ)だったり、苦手としている曲は多くあります。
でも!そんなシュトラウスにも若く自分の道がまだ見つかってない時期があったわけで。
このピアノ四重奏もそんな曲の一つで、彼がまだ20歳(1884年)のときに書かれています。
その作風は意外や意外、ドイツロマン派ではかなり保守派のブラームスに近いものです。
(この話についてはブラームスの話で後日・・・)
実際ブラームスのピアノ四重奏曲第3番(1875年完成)やフォーレのピアノ四重奏曲(1880年あたり)と同じ調(ハ短調)で、色々類似点は見られます。
その中で第3楽章は至る所で「若いなあ!」と思いっぱなし。
ちょっとありきたりなようなエレメントもある、ストレートでちょっと初心なロマンス。
でもその初々しさだったり、不完全さが逆にものすごく愛しくて、あんまり批判的な目でみなければとってもsweetな曲だと思います。
この曲はリヒャルト・シュトラウスの有名所、彼の真骨頂の作品を知っている人に特にオススメです。
勿論知らない人にとっても物凄く素敵な曲ですが、やっぱり彼の真骨頂を知って、この曲も知るとより面白いと思います。
ちなみにリンクしたCDにはマーラーのピアノ四重奏曲も入ってますが、奇しくも同時代の作曲家による、共に若年の作品。
別の日にこの曲も扱いたいですが、こちらも今回の曲とは違った意味でなかなかの曲者ですよ。
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