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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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「音楽の起源」レクチャー感想
 本題に入る前にちょっとopen-ended questionを。
音楽を演奏しているとき、音楽を聴いているとき・・・あなたが感じている感情は誰のものでしょうかねえ?
(作曲家or演奏家or聞いている場合聴き手、もちろん混合しているのが前提ですが・・・)
 
2月2日の夕方にメルボルン大学で開かれた公開レクチャーに行ってきました。
Australian Music Psychology Society、そして去年メルボルン大学の音楽科と心理学科の提携研究施設として設立されたCentre of Music, Mind and Wellbeingによるレクチャーで、音楽と心についてのレクチャーシリーズの第1弾だったそうです。
Centre of Music, Mind~に関してはいろいろあるのですがまた別の機会に。
 
ゲストスピーカーはオーストリアのグラーツ大学で音楽以外の分野にまたがる音楽の研究をしているRichard Parncuttさん。音楽だけでなく、物理学の人でもあって、そこからまた心理学に足を伸ばして研究をしているそうで。
(ちなみにグラーツ大学はメルボルン大学の音楽科と交換留学プログラムを組んでいるので学費は余計に払わず留学できる・・・ということで私の友達も何人か向こうに行ったことがあります)
今回のレクチャーのトピックは「音楽の起源についての説」で、生物学だったり進化、発達学など広い範囲にわたる話でした。
 
まずは音楽と言語に共通するエレメント、相違するエレメントを検討することで「音楽」といったものはどういったものか定義して、音楽の起源についてちょっと一般的な基本情報を出して・・・
それからどんな説が「良い説」なのか、という前置きをちょっとした上で今唱えられている「音楽の起源」についての諸説を評価、比較していくという構成でした。
 
まず前半の「音楽と言語」についての感想。
音楽と言語の共通点としてどちらも「意識的に意図して行う行動」ということが挙げられていたのですが、その中で音楽は人の感情を操作することができるけれどわざわざお金を払ってまで自分の感情を操作されに行くってのも考えてみるとコミカルな行動だね、という話があったのがなんとなくツボでした。たしかに冷静に考えてみるとおかしい(笑)

そして言葉は主に日常的な題材や感情を表現する方法で、音楽は非日常を表現する方法、という話が面白いです。
いつもこのブログで曲の良さを表現するのが難しいのが自分の力不足じゃなくてちょっと安心したのももちろんありますが(!)、以前のチェロの先生が言ってました(そして私が座右の銘に近い感じで大事にしている)「音楽家としての一番の仕事は聴き手が今日行ったことがないところに連れて行くところだ」という言葉と繋がることがあってあらためて音楽による表現に対する思いが強まりました。

後半の音楽の源の話は主に今はダーウィンによる「異性を惹きつける目的の行動」が有力な説となっているけれど、スピーカーとしては「Motherese(赤ちゃん言葉)」に一つの源があるのではないか、という説をプッシュしていました。
他のたくさんの説と同じく(トピックの性質からして仕方がないことなのですが)結構曖昧なところはあるのですが・・・
まず人間の脳の発達と共に早く生まれる必要があり、子供の保護のためより繊細な母子コミュニケーションが必要になった結果生まれたのが赤ちゃん言葉、という話から始まって赤ちゃん言葉と音楽の共通点(メロディー的なエレメント、感情の凝縮、言葉でなく声のトーンや込められた感情などでのコミュニケーション)だったり、ちょっと詳しくは聴けなかったのですが音楽の儀式的な性質とも繋がりがあるそうで。

そしてその一連の流れの中で「乳児はどれくらい音楽のエレメントを脳で処理できるのか」という話がありまして。メロディーの形、相対的なリズム・音程、調性やリズムの変化なども生まれつき分かるそうで。
(乳児はちなみに親の話す言語と同じレベルで他の言語も脳内処理できるそうなので、本当にすごいんですよ)
だったら本当に民族音楽なりバロックなりロマン派なり現代音楽なり色々な種類の音楽を聴かせて育てた方がいいんじゃないか、と自分の持論をぼんやり。

あ、そしてモーツァルト効果の話がちょろっと出ました。「効果は実証されていない」とのニュースを初めて読んだときオーストリアの大学での研究により・・・と読んだのですが、同じくオーストリアの大学からの今回のスピーカーも「効果はどの試験でも実証されていない」と言ってました。やっぱりこう、赤ちゃんと音楽の話が出ると話にのぼるトピックですね。

先ほど言いましたようにトピックの曖昧さもあってちょっとすっきりしない部分もありましたが、赤ちゃん言葉と音楽の繋がりについてはまだ認められていない説だからこそこれからの研究によって何が分かるか楽しみです。
 

今日の一曲: アレクサンドル・スクリャービン ピアノソナタ第9番「黒ミサ」



今日もちょっとご無沙汰の曲。そのうち弾くかも、と思うからそれまでにしよう、という流れでご無沙汰に・・・?

「黒ミサ」。名前ほどおどろおどろしくないですし、実は噂されているほど難しくなかった覚えがあります(初見でしたが)。
スクリャービンが神秘主義に傾倒していたことは有名ですが、何にしても厳密に調べて原理などに従う人ではなくて、なんとなーく雰囲気と自分の曲解で、主に自分の言いたいことを表現する人なのであんまり中世の黒ミサをイメージしない方が良いと思われます。

スクリャービンは変な人で。
最初はショパンっぽい曲を書いて、だんだんどっか道を外れて自分の不可解な世界に入っていっちゃった人。
共感覚があったとも言われていますが、そうではないと言われたり。でも弾くとスクリーンに色が映るピアノを発明したり、嗅覚もいれてみよう、とか言い出したり。
格言関係で彼の言葉をしらべてみると「自分は神だ!」とか延々と言ってるのが引っかかったり、いろんなところがぶっとんだ人です。
音楽史的にも影響され・影響しの系図で位置が難しい人。

だから割とスクリャービンの中~後期の作品はなじみにくい感じがします。独特すぎて。スクリャービン専門、というピアニストも極めて少ないです(ホロヴィッツしかぱっと浮かびません)。
でも好きな曲もたくさんあります。この黒ミサもその一つで。
わりとおとなしめ・・・というかロマン派の流れも引いている、ピアノ曲だなあ、という感じも強いですし。

多少ミステリアスで神秘的で、ちょっと背徳的な雰囲気はあります。不思議な暗さと、不思議な熱情と。
必ずしも最初から一目惚れ、とは行かないですがある意味魅力的な曲ですよ。

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