×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
メルボルンは昨日から今日にかけて大雨。
地域によっては浸水したり、電車が止まったりなどもあったようです。
私もちょっと弱り気味。
もちろん気候だけが原因でなく・・・
そもそもまず「ECTは記憶を消す恐ろしい治療法」とかいう恐怖をあおる情報が流されてるのを見て怒って。
(このエントリーでも書いてますが、私の受けた最新のUltrabrief式の治療(どこでも受けられるわけではないそう)は、治療期間、治療のちょっと前の記憶がなくなる場合もありますが基本的に副作用は大分抑えられています。さらに、記憶障害はうつの症状の一つでもあるのでもしかしたらそっちのセンかも?という事も考慮しなければなりません。余談ですがリチウム服用は記憶関係の副作用が増えるといわれているのでECTの間は中止しましょう、と言われました。)
で、そこにまた心に辛いことがあっても自分や自分の心を変えればいい、というようなことを聞いてまた怒って。
うつ(またはその他心の問題)を「気の持ちよう」で済ませることがどうも許せない性質で。
「気の持ちよう」とか英語でいうと「Get over it」(おそらく心の問題に対しての英語での禁句ナンバー1ですね)とかいうのは苦しんでる人の苦しみを過小評価して、かつ自分が見えない状態に「自分が悪いのかな?」と思わせさらなる負担をかけるような考え方だと思うので・・・
もちろん生物学的な要因(脳内の化学物質のアンバランス)でうつになったり、そういう状態になりやすい人だっていますし、必ずしもその人の落ち度や怠慢ではないし、心の問題のみを解決するだけでどうにかなるものではない、と・・・(もちろんその人の努力も必要ですが、限度があるので外からは目に見えない場合が多いので外から言うことはない。)
特に長期の鬱状態などでネガティブスパイラルに入ってると原因にかかわらず心の状態と化学物質のアンバランスが相互影響を起こす場合があるので心理的な要素・生物学的な要素どっちも治療することが大切です。
そうやって精神疾患の徴候の発見が遅れたり、適切な・必要な治療が行われない例がたくさん存在することもいろんな場所で問題になってますしね。
自分が言われていやなことですし、私が病院や周りで見てきた苦しんでる人には絶対そういうこと思えない、思わないようにしてるのでどうしても気持ちが、その、ね。
怒りっぽいタイプではないんですが、怒りのツボがかなりピンポイントなわりに結構ネットでなど遭遇するツボなのでしょっちゅう怒ってるような気がします。一応怒りを抑えようとするんですが今回既にちょっと心がぐらついてたのとそれからも夢見が悪かったりちょっとずつ滅入ること続きでついつい1日その気持ちを引きずってしまいました。
実際こういう状態になるとあんまりできることってないんですよね。
あんまり自分の心持ちを変えて、無理に頑張ろうとするとかえって疲れて逆効果になりますし、まあ気候が関連してるならちょっとおとなしく休んでやりすごすしかない、という感があります。
なんかあったら精神医に連絡すれば早めにアポとれますし・・・といってもこういう場合はそれで解決するのも少ないような気がしますが、そのオプションがあることにまず安心。
私にとって精神医はピアノの先生と同じような立ち位置にあると思います。
いつだったかレッスンを不定期に先生に受け始めた頃先生が「誰だっていつでも自分の「耳」になってくれる人が必要だから」と言ってたのですが・・・
つまり、ピアノを自分で弾いてるとなかなか自分の演奏を(弾くのに忙しくて、主観の影響で)客観的に、外から聞くのは難しい。だからこそ先生が演奏を聴いて客観的な観点と専門的な知識(そして優れた感性、それから自分より多い人生経験も?)を持ってアドバイスをしてくれ、演奏をよりよくするために助けてくれる。
精神医もまた鬱やその症状などの影響で自分が見えなくなっているところに客観的な観点と専門的な知識をもってアドバイスをしてくれ、心をとりまく問題を話し合って解決していくなり、認知と行動を変えていくなり、薬を変えていくなり自分の状態をよりよくするために助けてくれる。
必ずしも誰もができることじゃないですもんね、精神医の仕事は。
もちろん他人の苦しみに共感しながら客観的で冷静で、その人の状態を良くするため考えをめぐらせられなければなりませんし、精神疾患の影響下にある人は思考やものの捉え方が歪んでいたり、「健常者」とは違った思考・感情・行動の範囲をとることが多いのでそういった症状の原因や表れ方、対処の仕方といった専門知識をもっている必要があります。
私の周りの人達も私自身も最初の時期は本当に私と私の病気の接し方に戸惑いました。でも「どこから専門家に任せるか」というのは患者さんと周りの人の戸惑いを軽減して関係のストレスを減らすうえで大切だと思います。
で、今思ったんですが「気の持ちようだ」と考えることのもう一つのリスクはその心の問題を「病気・または病気に繋がるポテンシャルがある問題」ととらえない事によって、もしもそういうことが周りの大切な人に起こったら自分が専門家になってしまおうとする、または自分の役割を超えてしまうリスクがあるんじゃないか、と思います。
ちょっとだけ話は変わりますが、いまこうやって↑のような思考を巡らせることができる程度の、あまり「ひどく」ない不調を感じていると逆にちょっとだけほっとします。
あんまり調子良い状態が続くと逆に現実味がない、ちょっと不安、そんな感じがするので。
精神疾患を長く患った人だけでなく、他のケースでもよくある現象だそうですが。
完全にコントロールを諦めているわけではないですが、こういう不調はある程度これからも起こるんだ、そう思ってます。悲観でもなんでもなくて、誰の心にだってたまにの不調はありますし、どうあがいても左右されてしまうことがある、そういう性質だと自覚しているだけです。
でもなんだかんだでピアノはやりました。
プロコフィエフのピアノソナタ第2番、借りてきておきながら「夏だし弾くのかな~」と思ってましたが今日はぴったり。自分の感情とシンクするところが少なからずあるので、冬になったらぜひ弾きたいと思います。きっと私の心の支えになるでしょう。
そしてクラムのマクロコスモス第2巻、今まで弾いた8つの楽章をアップライトピアノで弾ける分おさらい。
そっちも割とよかったです。タッチとかの勘もなかなか衰えていないですし、これからの分析・解釈が楽しみになりましたし。
第7楽章「Tora! Tora! Tora!」での最後のシャウトを初めて入れてみて(感情が不安定なのでむしろ抵抗が少なかったか?)一つの壁を越えたような気もしました。
そして最初の入院、ティーンセクションでみんなでつくったマガジンや退院の時に患者さん仲間にもらった手紙を引っ張り出してみたり、次の2回の入院の間プログラムでもらった資料やワークシートに目を通してみたり。
怒りに関してはこれが一番落ち着きます。私がメンタルヘルスの道を歩みたいと思ったのは最初の入院の思い出。本当に「心持ち」だけですまない苦しみがあることを思い出しますし、自分が本当に願っていることを思い出しますし、本当に私にとってのいろいろな原点で。
そして同時にうつや精神疾患についての正しい知識をみて自分がぐらつかないようにするのもありますし、自分の治療の過程を思い出して様々な治療と周りの人、専門家、同じ患者さんの支えがあったからこそ自分はここにいるんだ、ということを心に刻みます。
明日はもちょっとゆっくり休みます。(今日はちょっとだけ仕事もしたので)
でもピアノはやります(笑)
母が昨日MSNの映像通話で「あんまり無理しすぎないようにね」と言ってましたが、これもしも普通に国際電話だったら「あ、心配かけてるかも」と不要に気に病んだかもしれないです。どうしてかわからないですが映像があることで気に病まなかったような・・・
とにかく文明の利器にあらためて感謝。
きっと明日は大丈夫。あしたは前々から書こうとおもってた精神関係エントリーを書く予定です。
今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第7楽章「Tora! Tora! Tora! (Cadenza Apocalittica)」
声出し万歳!・・・でなくて。
タイトルから分かるように「真珠湾攻撃」が題材の一つ(唯一ではなく!)となっている曲です。
クラムはアメリカ人ですし日本人としては「あ、あの戦争の話を持ち出して」と思う方もいると思いますがクラムってなかなかそういう人ではないと思います。
副題の「Cadenza Apocalittica」のApocalittica = Apocalypse、つまり新約聖書「ヨハネの黙示録」に現れるこの世の終わりのことです。
政治とかそういうの抜きに、単にこの黙示録にある世界の終わりの火と恐れと力に満ちたイメージを真珠湾攻撃の空襲になぞらえている、と私は解釈しています。
実際次の楽章と合わせてみると作曲者のいいたいことは「Tora! Tora! Tora!」の方ではなく「Cadenza Apocalittica」の方がメインだということは明確。
で、弁明したところで。
本当に、色んな意味で爆発的な曲で。
カデンツァ・・・といったら確かにカデンツァ的ではあります。いろんなテクニックを駆使して、小節線に捕らわれず、怒濤のvirtuosoな世界を繰り広げます。
以前紹介した「Songs of the Riders」(Songs, Drones and Refrains of Death)と共通しているパッセージはきっと黙示録に出てくる騎士達、飛行機の旋回するような音、爆撃のような音・・・
ペダルは踏みっぱなしなので音量はさらに増幅!(笑)
で、最後に「トラ・トラ・トラ!」をピアニストが(弾きながら)叫ぶところがあって。
ちょっと恥ずかしいんですよね、集合住宅ですし(笑)あとこんだけピアノの音がんがんならしてて声聞こえる?という疑問もあり。
でもなんというか・・・クラムが使うと呪文的ですよね。むしろ彼が使う「何語でもない音節の繋がり」の性質に近いです。
この「呪文的」な言葉がまた彼が真珠湾攻撃を題材に使った理由の一つじゃないかな、と思います。だって好きそうですもん。
弾く方としてはいよいよ曲集のクライマックス直前、技巧も音量もセーブなしでがんがん突っ込める(奇襲!)のでエネルギーを大量に消費しながらもものすごく気持ちいい!
ただ弾く方としてはびっくりしてください(笑)!
できればこの楽章だけではなく、曲集全部・・・とはいかなくてもパート2、つまり5~8楽章をセットで聞いていただけるとこの曲の立ち位置が分かる、というか納得すると思います。
地域によっては浸水したり、電車が止まったりなどもあったようです。
私もちょっと弱り気味。
もちろん気候だけが原因でなく・・・
そもそもまず「ECTは記憶を消す恐ろしい治療法」とかいう恐怖をあおる情報が流されてるのを見て怒って。
(このエントリーでも書いてますが、私の受けた最新のUltrabrief式の治療(どこでも受けられるわけではないそう)は、治療期間、治療のちょっと前の記憶がなくなる場合もありますが基本的に副作用は大分抑えられています。さらに、記憶障害はうつの症状の一つでもあるのでもしかしたらそっちのセンかも?という事も考慮しなければなりません。余談ですがリチウム服用は記憶関係の副作用が増えるといわれているのでECTの間は中止しましょう、と言われました。)
で、そこにまた心に辛いことがあっても自分や自分の心を変えればいい、というようなことを聞いてまた怒って。
うつ(またはその他心の問題)を「気の持ちよう」で済ませることがどうも許せない性質で。
「気の持ちよう」とか英語でいうと「Get over it」(おそらく心の問題に対しての英語での禁句ナンバー1ですね)とかいうのは苦しんでる人の苦しみを過小評価して、かつ自分が見えない状態に「自分が悪いのかな?」と思わせさらなる負担をかけるような考え方だと思うので・・・
もちろん生物学的な要因(脳内の化学物質のアンバランス)でうつになったり、そういう状態になりやすい人だっていますし、必ずしもその人の落ち度や怠慢ではないし、心の問題のみを解決するだけでどうにかなるものではない、と・・・(もちろんその人の努力も必要ですが、限度があるので外からは目に見えない場合が多いので外から言うことはない。)
特に長期の鬱状態などでネガティブスパイラルに入ってると原因にかかわらず心の状態と化学物質のアンバランスが相互影響を起こす場合があるので心理的な要素・生物学的な要素どっちも治療することが大切です。
そうやって精神疾患の徴候の発見が遅れたり、適切な・必要な治療が行われない例がたくさん存在することもいろんな場所で問題になってますしね。
自分が言われていやなことですし、私が病院や周りで見てきた苦しんでる人には絶対そういうこと思えない、思わないようにしてるのでどうしても気持ちが、その、ね。
怒りっぽいタイプではないんですが、怒りのツボがかなりピンポイントなわりに結構ネットでなど遭遇するツボなのでしょっちゅう怒ってるような気がします。一応怒りを抑えようとするんですが今回既にちょっと心がぐらついてたのとそれからも夢見が悪かったりちょっとずつ滅入ること続きでついつい1日その気持ちを引きずってしまいました。
実際こういう状態になるとあんまりできることってないんですよね。
あんまり自分の心持ちを変えて、無理に頑張ろうとするとかえって疲れて逆効果になりますし、まあ気候が関連してるならちょっとおとなしく休んでやりすごすしかない、という感があります。
なんかあったら精神医に連絡すれば早めにアポとれますし・・・といってもこういう場合はそれで解決するのも少ないような気がしますが、そのオプションがあることにまず安心。
私にとって精神医はピアノの先生と同じような立ち位置にあると思います。
いつだったかレッスンを不定期に先生に受け始めた頃先生が「誰だっていつでも自分の「耳」になってくれる人が必要だから」と言ってたのですが・・・
つまり、ピアノを自分で弾いてるとなかなか自分の演奏を(弾くのに忙しくて、主観の影響で)客観的に、外から聞くのは難しい。だからこそ先生が演奏を聴いて客観的な観点と専門的な知識(そして優れた感性、それから自分より多い人生経験も?)を持ってアドバイスをしてくれ、演奏をよりよくするために助けてくれる。
精神医もまた鬱やその症状などの影響で自分が見えなくなっているところに客観的な観点と専門的な知識をもってアドバイスをしてくれ、心をとりまく問題を話し合って解決していくなり、認知と行動を変えていくなり、薬を変えていくなり自分の状態をよりよくするために助けてくれる。
必ずしも誰もができることじゃないですもんね、精神医の仕事は。
もちろん他人の苦しみに共感しながら客観的で冷静で、その人の状態を良くするため考えをめぐらせられなければなりませんし、精神疾患の影響下にある人は思考やものの捉え方が歪んでいたり、「健常者」とは違った思考・感情・行動の範囲をとることが多いのでそういった症状の原因や表れ方、対処の仕方といった専門知識をもっている必要があります。
私の周りの人達も私自身も最初の時期は本当に私と私の病気の接し方に戸惑いました。でも「どこから専門家に任せるか」というのは患者さんと周りの人の戸惑いを軽減して関係のストレスを減らすうえで大切だと思います。
で、今思ったんですが「気の持ちようだ」と考えることのもう一つのリスクはその心の問題を「病気・または病気に繋がるポテンシャルがある問題」ととらえない事によって、もしもそういうことが周りの大切な人に起こったら自分が専門家になってしまおうとする、または自分の役割を超えてしまうリスクがあるんじゃないか、と思います。
ちょっとだけ話は変わりますが、いまこうやって↑のような思考を巡らせることができる程度の、あまり「ひどく」ない不調を感じていると逆にちょっとだけほっとします。
あんまり調子良い状態が続くと逆に現実味がない、ちょっと不安、そんな感じがするので。
精神疾患を長く患った人だけでなく、他のケースでもよくある現象だそうですが。
完全にコントロールを諦めているわけではないですが、こういう不調はある程度これからも起こるんだ、そう思ってます。悲観でもなんでもなくて、誰の心にだってたまにの不調はありますし、どうあがいても左右されてしまうことがある、そういう性質だと自覚しているだけです。
でもなんだかんだでピアノはやりました。
プロコフィエフのピアノソナタ第2番、借りてきておきながら「夏だし弾くのかな~」と思ってましたが今日はぴったり。自分の感情とシンクするところが少なからずあるので、冬になったらぜひ弾きたいと思います。きっと私の心の支えになるでしょう。
そしてクラムのマクロコスモス第2巻、今まで弾いた8つの楽章をアップライトピアノで弾ける分おさらい。
そっちも割とよかったです。タッチとかの勘もなかなか衰えていないですし、これからの分析・解釈が楽しみになりましたし。
第7楽章「Tora! Tora! Tora!」での最後のシャウトを初めて入れてみて(感情が不安定なのでむしろ抵抗が少なかったか?)一つの壁を越えたような気もしました。
そして最初の入院、ティーンセクションでみんなでつくったマガジンや退院の時に患者さん仲間にもらった手紙を引っ張り出してみたり、次の2回の入院の間プログラムでもらった資料やワークシートに目を通してみたり。
怒りに関してはこれが一番落ち着きます。私がメンタルヘルスの道を歩みたいと思ったのは最初の入院の思い出。本当に「心持ち」だけですまない苦しみがあることを思い出しますし、自分が本当に願っていることを思い出しますし、本当に私にとってのいろいろな原点で。
そして同時にうつや精神疾患についての正しい知識をみて自分がぐらつかないようにするのもありますし、自分の治療の過程を思い出して様々な治療と周りの人、専門家、同じ患者さんの支えがあったからこそ自分はここにいるんだ、ということを心に刻みます。
明日はもちょっとゆっくり休みます。(今日はちょっとだけ仕事もしたので)
でもピアノはやります(笑)
母が昨日MSNの映像通話で「あんまり無理しすぎないようにね」と言ってましたが、これもしも普通に国際電話だったら「あ、心配かけてるかも」と不要に気に病んだかもしれないです。どうしてかわからないですが映像があることで気に病まなかったような・・・
とにかく文明の利器にあらためて感謝。
きっと明日は大丈夫。あしたは前々から書こうとおもってた精神関係エントリーを書く予定です。
今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第7楽章「Tora! Tora! Tora! (Cadenza Apocalittica)」
声出し万歳!・・・でなくて。
タイトルから分かるように「真珠湾攻撃」が題材の一つ(唯一ではなく!)となっている曲です。
クラムはアメリカ人ですし日本人としては「あ、あの戦争の話を持ち出して」と思う方もいると思いますがクラムってなかなかそういう人ではないと思います。
副題の「Cadenza Apocalittica」のApocalittica = Apocalypse、つまり新約聖書「ヨハネの黙示録」に現れるこの世の終わりのことです。
政治とかそういうの抜きに、単にこの黙示録にある世界の終わりの火と恐れと力に満ちたイメージを真珠湾攻撃の空襲になぞらえている、と私は解釈しています。
実際次の楽章と合わせてみると作曲者のいいたいことは「Tora! Tora! Tora!」の方ではなく「Cadenza Apocalittica」の方がメインだということは明確。
で、弁明したところで。
本当に、色んな意味で爆発的な曲で。
カデンツァ・・・といったら確かにカデンツァ的ではあります。いろんなテクニックを駆使して、小節線に捕らわれず、怒濤のvirtuosoな世界を繰り広げます。
以前紹介した「Songs of the Riders」(Songs, Drones and Refrains of Death)と共通しているパッセージはきっと黙示録に出てくる騎士達、飛行機の旋回するような音、爆撃のような音・・・
ペダルは踏みっぱなしなので音量はさらに増幅!(笑)
で、最後に「トラ・トラ・トラ!」をピアニストが(弾きながら)叫ぶところがあって。
ちょっと恥ずかしいんですよね、集合住宅ですし(笑)あとこんだけピアノの音がんがんならしてて声聞こえる?という疑問もあり。
でもなんというか・・・クラムが使うと呪文的ですよね。むしろ彼が使う「何語でもない音節の繋がり」の性質に近いです。
この「呪文的」な言葉がまた彼が真珠湾攻撃を題材に使った理由の一つじゃないかな、と思います。だって好きそうですもん。
弾く方としてはいよいよ曲集のクライマックス直前、技巧も音量もセーブなしでがんがん突っ込める(奇襲!)のでエネルギーを大量に消費しながらもものすごく気持ちいい!
ただ弾く方としてはびっくりしてください(笑)!
できればこの楽章だけではなく、曲集全部・・・とはいかなくてもパート2、つまり5~8楽章をセットで聞いていただけるとこの曲の立ち位置が分かる、というか納得すると思います。
PR