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方々にご迷惑をおかけしていますが、少しずつ調子は上向きになっているようです。
それにしても今日は寒い・・・本当に2月!?という感じで。
2月と言ったら学校も始まって、たまに気温が30度台後半になって体育の授業がなくなったり学校が休みになったりするのもたまにあるんですが。おかしいなあ。
以前から書きたかった精神関係の話・・・を今日はしようと思って。
といっても自分自身が体験した病気ではないので、なかなか難しいのですが・・・
書きたかったのは摂食障害のことです。摂食障害にもいろいろあって、拒食症(正式には神経性無食欲症)や神経性過食症などあるのですが、また一つ一つの疾患について深く勉強したわけではないので摂食障害全般、特に拒食症中心にたまに疾患特有の話も交えていければと思います。
私が摂食障害のことを初めて聞いたのは8年生のLife Skillsの授業(保健だったり道徳だったり、例えば麻薬のこと、友達関係のこと、いろいろならう授業で、面白いときと面白くない時の差が激しい授業でした)である舞台を見たときでした。
その舞台は女性一人の舞台で、題材が摂食障害で。一人の女性が摂食障害に陥るまでを主人公の主観的な観点で描いた作品でした。
摂食障害を抱えるとどう感じるのか、周りがどうみえるのか、どういう行動をとってしまうのか・・・ということがビビッドに、そして(今振り返ってみると)正直に表現されていました。
題材が、というよりもその主観的な観点だからこそのいろいろが衝撃的で、でも今思うとなかなか患者さんの外に出ないような思いをストレートにはき出してくれるお芝居で。心に残っています。
そしてそれから1年しないくらいで私は最初の入院。
ティーンエイジャーセクションには鬱の子が多かったですが、おそらく次に多かったのが摂食障害を持っている子達だと思います。主に女の子ですが、男の子でもいます。
ティーンエイジャーセクションは一日のほとんどを患者さんみんなで過ごすので、そんな摂食障害を抱えた患者さん達と友達、そして患者同士として接する機会が多く・・・いろいろ見ました。
あの入院の頃のことを話すとき毎回言っているようですが、本当にみんな良い子で。
その体験がいつのまにか自分の心に根付いてこの病気に不確かながら特別な思いを抱くようになったのです。
(臨床なら若い人相手がいい、と思うのも摂食障害のことが心にひっかかっているから、というのが大きいようです)
摂食障害というと拒食症の場合は「食べない」「やせたい」、過食症の場合は「食欲がコントロールできない」「食べたものを戻す」などの症状が目立って知られていますが、実際はかなり!複雑な病気なのです。
発症期は主に思春期(でもそうでない人もいます)、先ほども書きましたが女性に起こる事が多い疾患です。
拒食症・過食症共に太ることを強く恐れ、やせたいという願望を抱き食事制限や過度の運動で体重を減らそうとします。カロリーを細かに計算したり、人に過度に食事を勧めたり、体形を気にして(太っていると思って)体の形がわからないような服を着ます(舞台でもこの3点は覚えています)。
過食症の場合はそのプロセスの中で衝動的に大食いし、そのことに自己嫌悪を抱き後に吐いたり、下剤で下そうとしたりするプロセスが繰り返されます。
摂食障害は(おそらく他の精神疾患と比べて直接的に)身体にも影響を及ぼします。
例えば消化器や腎臓に障害が出たり、脱水状態になったり、生理がとまったり。
吐き戻しを伴う過食症の場合胃酸で歯がぼろぼろになる、という話も聞いています。
精神病院に入院する際こういった身体への影響が大きいとICUでまず治療を行うことが必要になる場合もあるそうで。
摂食障害の身体の影響の話で一番有名なのがカーペンターズでヴォーカル担当だったカレン・カーペンター。彼女の死因は急性心不全ですが、長い間の摂食障害(拒食症+過食症)との闘病が大きく関わっていたと言われています。
症状自体は分かりやすい・・・というか周りの人にはっきりみえる摂食障害。ですがそのメカニズムには様々な要因が関わっています。
一番のキーは発症期が思春期であることでしょうか。
思春期になって、自立心が目覚めてくると自分のアイデンティティの認識があやふやになり、他の人の目や言うことを気にするようになります。例えば何気なく「太ってる」というようなことを言われて後に拒食症につながったり・・・
「歪んだ自己イメージ」は様々な精神疾患において重要な原因・症状となっていますが、摂食障害においては「自分の体が太って見える」という歪んだ認識につながります(しかも病院で拾ってきた手持ちのパンフレットには「やせればやせるほど自分が太って見える」と書いてあります)。
「太ってないよ、やせすぎだよ」と周りに言われてもお世辞か気をつかっていると感じてしまうのもこの歪んだ認知のなせる技で。ネガティブスパイラルにはまっていってしまうわけです。
そしてこの「歪んだ認知」に関わっていると最近声高に叫ばれているのがメディアの影響。
すらっとしたモデルさんやシンガー、女優さんがもてはやされテレビ、雑誌などにた頻繁に多く現れその肉体美を披露する中、さきほどのアイデンティティ・自己イメージがあやふやになって何か「理想」を見つけようとしている若い人がそんな半ば「非現実的な女性像」を理想とし、すがってしまうことが大きく関わっているそうで。
摂食障害と思春期という時代の特徴はまだあります。
思春期は第二次性徴に伴う急激な体の成長、心の成長、そして性や激情という本能の溢れ出により「感情にふりまわされる」「自分の感情をどうコントロールしたらいいか分からない」と感じる人が多くいます。(私にとってうつの始まりに関係するエレメントでもあります)
そんなときに「体重をコントロールする」「食欲をコントロールする」という目的を若干すり替えた代替行動で自分自信をコントロールしている気持ちになりたい、という思いと行動の結果摂食障害になってしまうこともあるそうです(カロリーの計算や体重の数値の増減などにこだわるのはこの現れと言われます。完璧主義で真面目、とか結果重視する性格だとこの傾向が顕著になったり)。
そしてさらに、思春期になり、急速に大人になってしまうような感覚に戸惑うのも珍しくありません。
まだ子供でいたい、小さくなりたいと思う無意識な願望が体重の減少(にともない「守ってもらえる」ようになること)、そして体重を減らすことで生理を止めること(聞こえほどトンデモではないそうです)で「子供でいよう」とする・・・という意味もあるそうです。
この場合親子の関係が(誤解を招きたくないのであまり間違ったことは言えないのでぼんやりと言わせてもらいますが)子の自立を助けるような性質の関係でない場合、そのねじれが摂食障害として現れることがたびたびあるようです。
摂食障害の闘病は常に自分との戦いです。食べなくちゃいけないことは自分の一部では分かってるけど、歪んだ認知がそれを妨げ、さらに食べた場合でも後で罪悪感を作り出したり。
ティーンエイジャーセクションではご飯を食べるときはみんな一緒なのですが、一般的な集団行動というよりも摂食障害の患者さんになんとか食べてもらえるための工夫もあると思います。
だいたい摂食障害の患者さんは普通のセミバイキングと違うものを食べてました。ちょっとつらそうだったりすることもあるけれど、「豆腐はヘルシーでいいよね」(ちなみに今ほどは豆腐がポピュラーじゃなかった時代)とか話したりもしました。あと栄養補給ドリンクで栄養を補ったりもしてました(その時に患者さんたちつらそうorまずそうに飲んでいた記憶があるので件のドリンクは未だに飲む気になれません)
もちろんうつの人と同じように、カウンセリングも治療の大切なエレメント。
どうやら摂食障害専門の精神医がいたみたいで、プラス栄養士さんとのセッションもあったようです。
そしてうつの患者さんもあるのですが家族療法で親御さん達と一緒にカウンセリングを受けたり。
そして同じく他の患者さんにもあるのですが学校に病院から通ってリハビリみたいのをしたり。
鬱や不安症が合併症としてあることも多いのでその治療もして。
思春期という時期がキーであっても、思春期が終わったら治るようなものではないらしいですし、命に関わる身体の合併症が起こったりするので本当に辛いのですが根気よく治療を続けるみたいです。
自分の思い出とか諸々とっぱらってみると、冷たく聞こえるかも知れませんが摂食障害は本当に興味深い疾患だと思います。精神疾患に関する本当にいろいろなエリア(対人関係、自己イメージ、身体、行動、発達、コントロール、などなど)が複雑に関連していて、人の心がどんなに複雑で、どんな要素が絡み合って機能し、問題が起きるんだろうというのが凝縮されていると思います。
ただやっぱりそう割り切れるわけもなく、自分の入院中の楽しい思い出、辛い思い出が原点となって今も自分を動かしながらかすかに甘酸っぱい感じを心の中に感じています。
でもやっぱり難しいことがたくさんあるので、摂食障害に関してはかなり勉強不足。最初に見た舞台みたいに素晴らしく表現された摂食障害についての作品もなかなかないかも、と思って探してませんし・・・
思い出が関わると浸っていたくなるのか行動が鈍り気味。今年はそれを改善しようと、なにか勉強して得たいと思います。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第2楽章
こないだ初見で弾いた曲です。このソナタは4楽章あって、そのうちで一番短いはずなのですが、初見だと一番難しく感じた曲です。
なにがそんなに難しいかというとプロコフィエフお得意の「あんまり意味があるように思えない手の交差」。
リストもやってたりするんですけど(彼はステージで魅せるのがお仕事なので視覚ファクターも取り入れてました)、プロコフィエフもなんか出くわします。
このソナタは以前書きましたプロコフィエフの自殺した親友シュミットホフのために捧げられています(ただその前に書かれています)が、同じくシュミットホフに捧げられたピアノ協奏曲第2番の第3楽章でも同じようなややこしいこと極まりない手の交差があります。
(プロコフィエフ自身難しいっていってる時点で地味に腹が立つ・・・?(笑))
いろいろ小難しいことはあるのですが、初見の時も「でもこれがプロコフィエフなんだよな~」というかむしろその難しさが快感、みたいに感じてしまって。ドMですよ(爆)
でもMっ気をそそられる何かがやっぱりこの曲にはあって。
聞くにも譜面を見るにもものすごくシンプルな曲ではあるのですが、弾いてみるとその最小限の、そして最適な量の資源の中にパーフェクトな構成があって「あ、この曲はこうでなきゃいけないな」と不思議と納得してしまい・・・
で、そのささやかな「完璧さ」がものすごく快感で、弾きながら(弾けてないのに)その納得と快感を同時に感じて、そこからよくわからないけれど「難しくても許しちゃう、むしろ難しくて良い」という気持ちに繋がるのです。
同時にこのどこをとってもプロコフィエフのステレオタイプみたいな感じ。
斬新じゃないけれど、陳腐でもない、「ああ、プロコフィエフだ」と落ち着く・・・みたいな。
そしてさっきのM的な気持ちになってるところにプロコフィエフの毒がたまらない(笑)
・・・となんだか若干ぶっとんだ紹介になってしまいましたが・・・
(そもそもこれは弾き手としての感覚であって、しかもこの曲を習得するごとに持続する感覚かもわかりませんし)
とるにたらないような楽章ですが、ちょっとだけひねっています。
この楽章がとるにたらなかったらぜひ第4楽章をどうぞ。そちらはもちょっとだけ仕掛けが混んでます。いつか紹介したいです。
それにしても今日は寒い・・・本当に2月!?という感じで。
2月と言ったら学校も始まって、たまに気温が30度台後半になって体育の授業がなくなったり学校が休みになったりするのもたまにあるんですが。おかしいなあ。
以前から書きたかった精神関係の話・・・を今日はしようと思って。
といっても自分自身が体験した病気ではないので、なかなか難しいのですが・・・
書きたかったのは摂食障害のことです。摂食障害にもいろいろあって、拒食症(正式には神経性無食欲症)や神経性過食症などあるのですが、また一つ一つの疾患について深く勉強したわけではないので摂食障害全般、特に拒食症中心にたまに疾患特有の話も交えていければと思います。
私が摂食障害のことを初めて聞いたのは8年生のLife Skillsの授業(保健だったり道徳だったり、例えば麻薬のこと、友達関係のこと、いろいろならう授業で、面白いときと面白くない時の差が激しい授業でした)である舞台を見たときでした。
その舞台は女性一人の舞台で、題材が摂食障害で。一人の女性が摂食障害に陥るまでを主人公の主観的な観点で描いた作品でした。
摂食障害を抱えるとどう感じるのか、周りがどうみえるのか、どういう行動をとってしまうのか・・・ということがビビッドに、そして(今振り返ってみると)正直に表現されていました。
題材が、というよりもその主観的な観点だからこそのいろいろが衝撃的で、でも今思うとなかなか患者さんの外に出ないような思いをストレートにはき出してくれるお芝居で。心に残っています。
そしてそれから1年しないくらいで私は最初の入院。
ティーンエイジャーセクションには鬱の子が多かったですが、おそらく次に多かったのが摂食障害を持っている子達だと思います。主に女の子ですが、男の子でもいます。
ティーンエイジャーセクションは一日のほとんどを患者さんみんなで過ごすので、そんな摂食障害を抱えた患者さん達と友達、そして患者同士として接する機会が多く・・・いろいろ見ました。
あの入院の頃のことを話すとき毎回言っているようですが、本当にみんな良い子で。
その体験がいつのまにか自分の心に根付いてこの病気に不確かながら特別な思いを抱くようになったのです。
(臨床なら若い人相手がいい、と思うのも摂食障害のことが心にひっかかっているから、というのが大きいようです)
摂食障害というと拒食症の場合は「食べない」「やせたい」、過食症の場合は「食欲がコントロールできない」「食べたものを戻す」などの症状が目立って知られていますが、実際はかなり!複雑な病気なのです。
発症期は主に思春期(でもそうでない人もいます)、先ほども書きましたが女性に起こる事が多い疾患です。
拒食症・過食症共に太ることを強く恐れ、やせたいという願望を抱き食事制限や過度の運動で体重を減らそうとします。カロリーを細かに計算したり、人に過度に食事を勧めたり、体形を気にして(太っていると思って)体の形がわからないような服を着ます(舞台でもこの3点は覚えています)。
過食症の場合はそのプロセスの中で衝動的に大食いし、そのことに自己嫌悪を抱き後に吐いたり、下剤で下そうとしたりするプロセスが繰り返されます。
摂食障害は(おそらく他の精神疾患と比べて直接的に)身体にも影響を及ぼします。
例えば消化器や腎臓に障害が出たり、脱水状態になったり、生理がとまったり。
吐き戻しを伴う過食症の場合胃酸で歯がぼろぼろになる、という話も聞いています。
精神病院に入院する際こういった身体への影響が大きいとICUでまず治療を行うことが必要になる場合もあるそうで。
摂食障害の身体の影響の話で一番有名なのがカーペンターズでヴォーカル担当だったカレン・カーペンター。彼女の死因は急性心不全ですが、長い間の摂食障害(拒食症+過食症)との闘病が大きく関わっていたと言われています。
症状自体は分かりやすい・・・というか周りの人にはっきりみえる摂食障害。ですがそのメカニズムには様々な要因が関わっています。
一番のキーは発症期が思春期であることでしょうか。
思春期になって、自立心が目覚めてくると自分のアイデンティティの認識があやふやになり、他の人の目や言うことを気にするようになります。例えば何気なく「太ってる」というようなことを言われて後に拒食症につながったり・・・
「歪んだ自己イメージ」は様々な精神疾患において重要な原因・症状となっていますが、摂食障害においては「自分の体が太って見える」という歪んだ認識につながります(しかも病院で拾ってきた手持ちのパンフレットには「やせればやせるほど自分が太って見える」と書いてあります)。
「太ってないよ、やせすぎだよ」と周りに言われてもお世辞か気をつかっていると感じてしまうのもこの歪んだ認知のなせる技で。ネガティブスパイラルにはまっていってしまうわけです。
そしてこの「歪んだ認知」に関わっていると最近声高に叫ばれているのがメディアの影響。
すらっとしたモデルさんやシンガー、女優さんがもてはやされテレビ、雑誌などにた頻繁に多く現れその肉体美を披露する中、さきほどのアイデンティティ・自己イメージがあやふやになって何か「理想」を見つけようとしている若い人がそんな半ば「非現実的な女性像」を理想とし、すがってしまうことが大きく関わっているそうで。
摂食障害と思春期という時代の特徴はまだあります。
思春期は第二次性徴に伴う急激な体の成長、心の成長、そして性や激情という本能の溢れ出により「感情にふりまわされる」「自分の感情をどうコントロールしたらいいか分からない」と感じる人が多くいます。(私にとってうつの始まりに関係するエレメントでもあります)
そんなときに「体重をコントロールする」「食欲をコントロールする」という目的を若干すり替えた代替行動で自分自信をコントロールしている気持ちになりたい、という思いと行動の結果摂食障害になってしまうこともあるそうです(カロリーの計算や体重の数値の増減などにこだわるのはこの現れと言われます。完璧主義で真面目、とか結果重視する性格だとこの傾向が顕著になったり)。
そしてさらに、思春期になり、急速に大人になってしまうような感覚に戸惑うのも珍しくありません。
まだ子供でいたい、小さくなりたいと思う無意識な願望が体重の減少(にともない「守ってもらえる」ようになること)、そして体重を減らすことで生理を止めること(聞こえほどトンデモではないそうです)で「子供でいよう」とする・・・という意味もあるそうです。
この場合親子の関係が(誤解を招きたくないのであまり間違ったことは言えないのでぼんやりと言わせてもらいますが)子の自立を助けるような性質の関係でない場合、そのねじれが摂食障害として現れることがたびたびあるようです。
摂食障害の闘病は常に自分との戦いです。食べなくちゃいけないことは自分の一部では分かってるけど、歪んだ認知がそれを妨げ、さらに食べた場合でも後で罪悪感を作り出したり。
ティーンエイジャーセクションではご飯を食べるときはみんな一緒なのですが、一般的な集団行動というよりも摂食障害の患者さんになんとか食べてもらえるための工夫もあると思います。
だいたい摂食障害の患者さんは普通のセミバイキングと違うものを食べてました。ちょっとつらそうだったりすることもあるけれど、「豆腐はヘルシーでいいよね」(ちなみに今ほどは豆腐がポピュラーじゃなかった時代)とか話したりもしました。あと栄養補給ドリンクで栄養を補ったりもしてました(その時に患者さんたちつらそうorまずそうに飲んでいた記憶があるので件のドリンクは未だに飲む気になれません)
もちろんうつの人と同じように、カウンセリングも治療の大切なエレメント。
どうやら摂食障害専門の精神医がいたみたいで、プラス栄養士さんとのセッションもあったようです。
そしてうつの患者さんもあるのですが家族療法で親御さん達と一緒にカウンセリングを受けたり。
そして同じく他の患者さんにもあるのですが学校に病院から通ってリハビリみたいのをしたり。
鬱や不安症が合併症としてあることも多いのでその治療もして。
思春期という時期がキーであっても、思春期が終わったら治るようなものではないらしいですし、命に関わる身体の合併症が起こったりするので本当に辛いのですが根気よく治療を続けるみたいです。
自分の思い出とか諸々とっぱらってみると、冷たく聞こえるかも知れませんが摂食障害は本当に興味深い疾患だと思います。精神疾患に関する本当にいろいろなエリア(対人関係、自己イメージ、身体、行動、発達、コントロール、などなど)が複雑に関連していて、人の心がどんなに複雑で、どんな要素が絡み合って機能し、問題が起きるんだろうというのが凝縮されていると思います。
ただやっぱりそう割り切れるわけもなく、自分の入院中の楽しい思い出、辛い思い出が原点となって今も自分を動かしながらかすかに甘酸っぱい感じを心の中に感じています。
でもやっぱり難しいことがたくさんあるので、摂食障害に関してはかなり勉強不足。最初に見た舞台みたいに素晴らしく表現された摂食障害についての作品もなかなかないかも、と思って探してませんし・・・
思い出が関わると浸っていたくなるのか行動が鈍り気味。今年はそれを改善しようと、なにか勉強して得たいと思います。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第2楽章
こないだ初見で弾いた曲です。このソナタは4楽章あって、そのうちで一番短いはずなのですが、初見だと一番難しく感じた曲です。
なにがそんなに難しいかというとプロコフィエフお得意の「あんまり意味があるように思えない手の交差」。
リストもやってたりするんですけど(彼はステージで魅せるのがお仕事なので視覚ファクターも取り入れてました)、プロコフィエフもなんか出くわします。
このソナタは以前書きましたプロコフィエフの自殺した親友シュミットホフのために捧げられています(ただその前に書かれています)が、同じくシュミットホフに捧げられたピアノ協奏曲第2番の第3楽章でも同じようなややこしいこと極まりない手の交差があります。
(プロコフィエフ自身難しいっていってる時点で地味に腹が立つ・・・?(笑))
いろいろ小難しいことはあるのですが、初見の時も「でもこれがプロコフィエフなんだよな~」というかむしろその難しさが快感、みたいに感じてしまって。ドMですよ(爆)
でもMっ気をそそられる何かがやっぱりこの曲にはあって。
聞くにも譜面を見るにもものすごくシンプルな曲ではあるのですが、弾いてみるとその最小限の、そして最適な量の資源の中にパーフェクトな構成があって「あ、この曲はこうでなきゃいけないな」と不思議と納得してしまい・・・
で、そのささやかな「完璧さ」がものすごく快感で、弾きながら(弾けてないのに)その納得と快感を同時に感じて、そこからよくわからないけれど「難しくても許しちゃう、むしろ難しくて良い」という気持ちに繋がるのです。
同時にこのどこをとってもプロコフィエフのステレオタイプみたいな感じ。
斬新じゃないけれど、陳腐でもない、「ああ、プロコフィエフだ」と落ち着く・・・みたいな。
そしてさっきのM的な気持ちになってるところにプロコフィエフの毒がたまらない(笑)
・・・となんだか若干ぶっとんだ紹介になってしまいましたが・・・
(そもそもこれは弾き手としての感覚であって、しかもこの曲を習得するごとに持続する感覚かもわかりませんし)
とるにたらないような楽章ですが、ちょっとだけひねっています。
この楽章がとるにたらなかったらぜひ第4楽章をどうぞ。そちらはもちょっとだけ仕掛けが混んでます。いつか紹介したいです。
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