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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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メル響シーズン初コンサート感想!
今仕事が一時的にてんてこ舞い!仕事自体というかadministrativeなてんやわんやなのでゆっくりTodoを組めば大丈夫だとは思うのですが・・・(iphoneのアプリに感謝です)
ちょっと文がせわしなくなったらすみません(汗)

昨日はコンサートに友達と行ってきました!私にとって今年初コンサートで、確かメル響も今年初コンサートのはず。
2月上旬のコンサートは毎年Sidney Myer Bowlという屋外ロケーションでの無料コンサート(4つのコンサートからなるミニシリーズです)。1万人収容ということになってるんですが、前のほうはコンサートの観覧席になっていて、その後ろは丘をそのまま使ったピクニックエリアになっています。そしてコンサートホールよりも遠くに聴衆が広がるのでアンプ・スピーカー完備。
そちらではみんなシートや折りたたみ椅子を持ち寄って、ワインや食べ物を楽しみながらコンサートが聞けます。
ちなみにこのミニコンサートシリーズはSidney Myer Bowlが名づけられた元のSidney Myerという人によって実現された年一の無料コンサートが元になっていて、52年の歴史があるそうで。
さらにこのSidney Myer Bowlがある土地はもともと先住民のKoori族の土地だったそうで、コンサート前のナレーションでそれを認識するのがしきたり(?)となっているようです。

一応7時開演、ということで5時ぐらいに待ち合わせ、ということにしたのですが5時ちょっと前に着いたら結構すでに人が入ってて(まだピアノのチューニングしてる段階なのに)。場所取りをしているうちに仲間が集まって、チーズやワインやTurkish breadで長いこと楽しんでいました。
周りは家族連れだったり(小さい子供は丘にころころ遊ばせとけるので)、老夫婦、友達でわらわら集まってる人たちもいれば若いカップルもいて。コンサートが始まるころには席も丘も人でいっぱい!

このミニコンサートシリーズ4つのうち今日を含めた最初の3つはメル響の首席客演指揮者である尾高忠明さん(コンサート前のナレーションでMr OtakaでなくOtaka-sanと呼ばれていました)が指揮しています。
プログラムは:
モーツァルト ピアノ協奏曲第21番 (ソリスト:Clemens Leskeというオーストラリアのピアニストです)
マーラー 交響曲第5番
でした。

モーツァルトの第1楽章、第2楽章はものすごく有名な曲ですね。
上品で、でもメリハリがものすごくあって、エネルギーがぎゅっと丸く詰まっている、遊び心もちゃんとある演奏でした。第1楽章のカデンツァは奏者が作ったものだったかな?モーツァルトのコンチェルトだったらベートーヴェンが作ったカデンツァが有名ですがベートーヴェンっぽくなかったので。
第3楽章のロンドは横のほうで丘を転がりまわってる子供たちの遊ぶ姿がものすごくフィット(笑)
いろんな曲のロンドにそういう性格がありますよね、モーツァルトって。

マーラー5番をこういったカジュアルなコンサート(それもアンプつき)でやる、というのはなかなか新鮮な試みながら、同時になかなか難しいと思います。(ただこういう場で普段よりもいろいろな人にこの交響曲の中の名曲を聞いてもらえる、というのはうれしいですね)
なんていっても1時間強もある交響曲、しかもそれぞれの楽章(そして特に第3楽章!)が長いですし、かなりシリアスな雰囲気なので聴衆をひきつけておくのがものすごく難しい。
それを考慮してか尾高さんはこの交響曲を軽め、速めにセットしてました。ただちょっとやっぱりオケのアンサンブル的には裏目にでてたところもありました(結構みんな弾いてる曲なのでこっちモードに調整するのは難しいと思います)。

それにしても金管の元気なこと!トランペットとホルン、それぞれのリーダーがさまざまな場面で活躍しますがたまらなくしびれましたね!よく知ってる曲ですが「こここんなにトランペットが前にでてるとこだった?」と新鮮な驚きもありました。
そして第4楽章のハープ!アンプで増幅されているのがこんなところで思わぬ魅力を生み出すんですよ。
メル響のハープ奏者の方とは何回か隣で弾かせていただいてるのですが、その距離でも聞こえなかったたくさんの余韻がスピーカーを通じてものすごい伝わって来て。ものすごく贅沢な気持ちでした。またご一緒させていただきたいです。

そして尾高さんのこの曲の解釈で一番光った!と思ったのは第3楽章の迷路の中のスローなウィンナーワルツのセクション。すごいセンス!と思って心わしづかみにされました。ものすごくウィーン風で、どこか心地よくてでもどこか非現実的で・・・マーラー5番じっくりバージョンのときに改めて味わいたいです。

そしてかなり遠いながらもオケ観察も楽しませていただきました。ホルンのベルアップが結構な頻度ででていたり、他にも楽器を弾いたり指揮者に注目を集めたり、ページをめくったりとオケに入ってる間は何気ないことでも本当に愛しいのと好奇心と自分の創作の糧にしたいので見てしまいます。
演奏ももちろんですがそういう意味でもまたオケに戻りたいな、と思います。

それにしても楽しかったですね。たまにはピクニックしながらいい演奏を聴くのも良いです♪

マーラーの5番は前も書きましたがディープな音楽オタク友達の調査では「偉大な交響曲」として票を集めていましたし、そして私にとっては初めて全楽章弾いた交響曲です。
そしてふと思ったんですが自分は音楽環境的には(小さいときに聴いたり、ユースオケで弾いたり)贅沢なものを与えられて育ったな、と。
ストラヴィンスキー、レスピーギ、マーラーやベルリオーズの楽器による色彩、バルトークのリズム、ショスタコーヴィチのパワー、本当に一級品ばかり。
父と母、そしてメルボルンの音楽環境には本当に感謝しています。

残念ながら残りの無料コンサートにはいけそうにないのですが、本シリーズのチケットを早く予約したいです。


今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第5番 第3楽章



マーラー5番をユースオケで弾いてからもうはや11年になろうとしています。
ユースオケはリハーサルが多いのでみっちりやりましたし、その後何回も聴いている曲で・・・
でもこの第3楽章だけはまだ心にぴったり来ていないような気がします。

マーラーのスケルツォについてはこのブログで交響曲第2番、第6番、第7番と扱っているようなのですが、このスケルツォはなんだか違う。
それ以前にまず交響曲っていうのは通常一番最初、または一番最後の楽章が長いのですが、この交響曲の場合シリアスな楽章の間の軽い息抜き的な役割のはずのスケルツォが一番長かったりするんですよね(もちろん録音にもよるかもしれませんが・・)。
それだけですでに奇怪。

そしてもっと奇怪なのはこの曲の構成。ころころとどんどん景色が変わっていって、すぐ元いたところから似てもつかない土地にいたり。まるで走馬灯を普通スピードにした?うーん、たとえが悪いかな。
本当に先の見えない、長い長いミステリーツアー。しかもこの世の旅ではなく、どこかsurrealで非合理な(もちろん意図してのこと)長い夢のよう。

なので最初聞いたときはむしろ不安になるくらい。
でもそんな中で輝くのが地に足がついたホルンの音。ホルンはこの楽章では本当に主人公。
私がこの楽章で好きなのが4人のホルンがまるで呼び合うように音を重ねる部分。ホルンの威力、というものがびっくりするほど伝わって。

本当に不思議な曲なのはその迷路のような、snakes and laddersな旅だけではなく、この曲により沸き起こる感情。
それは先の見えない不安だったり、戸惑いだったり、反面ホルンの音からの明るさだったり、誇らしさだったり希望だったり・・・同時に夢で見たような、どこか遠い過去においてきたような不思議な懐かしさや恋しさもあったり・・・
音楽も割と複雑ですが、感じられるものもいろんな感情が混ざり合っていて、本当に複雑。

自分がこの曲を自分の一部と思えるくらい近く感じられることがこれからあるのかは分かりませんが、なんにしてもいつだって唯一無二の旅に連れてってくれる、不思議で愛しい曲です。
長いからといって敬遠せずに、まずはホルンの音色を楽しみに聞いて欲しい一曲です♪


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