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さきほどTwitter経由でオーストラリアの若い指揮者Benjamin Northeyがメル響の副指揮者に任命されたとのニュースが入ってきました!
Benは大学のオケ時代にマネージャーとして1コンサート分ものすごくお世話になって。マネージャーの仕事の一つとして(わりと楽な仕事として)コンサートでソリストだったり指揮者に花束を渡す役割があるのですが、彼に花束を渡すときにまあ挨拶代わりみたいに頬に軽くキスされて・・・私はとくに何とも思ってなかったのですがあとで打ち上げで友達に「どうだった?」とつっこまれまくったのがものすごく思い出に残っていて(リハーサルとかでもよくしてもらって、指揮も本当に見事なものなのですがあらためて意識してしまうと、ねえ)・・・
とにかくこういうポジションにつくにはかなり若い例なんじゃないかと思います。
きっと今度の土曜日のSidney Myerでのコンサートを指揮することになってるのでそこでも発表されるんじゃないかな。今年はメインシリーズのコンサートを受け持っていないようですがきっと来年は露出が多くなるはず!と思っています。
おめでたいし、嬉しいですねえ♪
本題へ・・・
大学時代、ホルンを吹いてる友達と「ショスタコーヴィチはチェロとホルンどっちが好きか」という実にとるにたらない議論を繰り広げた経験がありまして。
とるにたりないとはいいましたがやっぱり作曲家も人間ですし、色んな楽器に書いてても好みや贔屓はあるもので・・・
何か(例えばオケで)曲を弾いていて「作曲家に自分の楽器が愛されてる」感覚を感じるとやっぱりなにか嬉しい、くすぐったいものがあって・・・
「好きでしょ-」と気づくとなんだかへへへ、当たっただろと笑いたくなったり。
なので今日はそこらへんをまとめてみることにしました。
(ちなみにヒンデミットとビオラ、ショパンとピアノのように作曲家がメイン楽器として演奏していたものは除きます)
1)ショスタコーヴィチ
私はチェリストですのでもちろん「ショスタコーヴィチはチェロをめちゃくちゃ愛していた」と力説するのです。
それはチェロソナタ、チェロ協奏曲というチェロが主役の曲においてどれだけ楽器を輝かせ、奏者に弾き甲斐を感じさせるパートを書くか、ということだけでなくオケ曲や室内楽の作品でも本当に愛されてる感が強いのです。
例えば全ての室内楽のなかでおそらくチェロにとって最難関と思われるショスタコのピアノトリオ第2番第1楽章だったり、以前紹介しました交響曲第14番第4楽章(「自殺」)、そしてピアノ五重奏曲のオープニングなど。
実はショスタコーヴィチは稀代のチェロの巨匠ロストロポーヴィチと親交が深く、彼の演奏に触発されたり、チェロのための書き方についておそらくアドバイスを受けていたのではないかと思われます。最高のチェリストのバックアップがあったからこそ、弾き手にとってもしっくりきて弾きごたえのあるパートが書けたのではないかと。
2)プロコフィエフ
これは今のところ誰にも聞いてないのですが私は個人的にプロコフィエフはクラリネットがものすごく好きだった!と思っています。
なんとなくこう、交響曲第5番の各楽章だったり、ヘブライの主題による序曲(室内楽版はピアノ五重奏+クラリネットという編成)だったり、ピアノ協奏曲第3番、ロミオとジュリエットの「少女ジュリエット」などを聞いてると目立たないながらもかなり贔屓しているように思われます。
少なくともソロの頻度は意外なほど多い。楽器の主張がそんなに強くないのもあって飛び出るような印象はないですが。
同じ時代に同じくソヴィエトの作曲家として活躍したショスタコーヴィチと比べるとプロコフィエフはどっちかというとドライな音楽を書きます。ショスタコは断然ねちっこい。さらにプロコフィエフの書くメロディーは平気で1オクターブ飛んだりとかなり音の高低が激しく、音域が広いクラリネットは「向いている」のではないかと思われます。
そしてプロコフィエフは金管で中音域、というときはホルンよりもトロンボーンを好んで使う傾向があるようです(ショスタコーヴィチは逆でホルン派です)。
3) マーラー
マーラーはバイオリンからハープ、打楽器まで誰にとっても弾き甲斐のある音楽、そしてオケ全体にとって素晴らしい音楽を書きます。が、彼のホルンの使い方は本当に特別なものがあります。
交響曲で8本とか10本とかホルンを使っちゃうあたりこの「集団の力」に力を注いでるところもあり。そして交響曲第3楽章の冒頭の独擅場、第5番の第3楽章のソロ&掛け合い、第6番のスケルツォでダークに押して押していくところ・・・彼がこの楽器をどれだけ愛していたかは(プロコフィエフのときと違って)いろんな曲に明確に現れています。
でもやっぱり極めつきは交響曲第1番の一番最後でしょう。以前からおそらく何回か書いてるのですがホルンセクションが全員起立する!というのは「見てくれ!彼らを!」といった思いがあるような気がして。
ちなみに同世代のリヒャルト・シュトラウスもホルン好き。2つの協奏曲を書いたり、「英雄の生涯」では英雄の役に任命したり、その他オペラなどでも大活躍。(シュトラウスはお父さんがホルン奏者だった・・・んだったかしら。)
4)チャイコフスキー
チャイコフスキーは例えば交響曲第4番の第2楽章や「白鳥の湖」を聞いてるとオーボエ好きなんだなあ、と思うのですが、晩年になってたとえば「くるみ割り人形」などを聞いてると「この時代はクラリネット贔屓?」と思うときがあります。
基本的に作曲家の音楽って晩年になってくるとどんどん透明度を増していく傾向があると思うのですが、その変化が求める楽器の音に現れている例だと思います。
5)ストラヴィンスキー
ストラヴィンスキーが好きだったと思う楽器はファゴットだと思います。
3大バレエを始め様々な曲で(かならずしもいつも前には出ないのですが)活躍している楽器です。
ストラヴィンスキーの「好き」はどちらかというと「お前は本当はできる子だ」と信じて活躍の場をあたえポテンシャルを実際の力に育てていったような印象があります。なのでストラヴィンスキーのファゴットパートは弾き甲斐もありながら他の作曲家のものにくらべて若干ハードなパートであると思います。
・・・ここまで「好き」について書きましたがもちろん「嫌い」もありまして。
モーツァルトはフルートが嫌いだったそう。ちゃんと事情があって、彼の時代のフルートは今あるような能力も、安定さも、音の良さも全然備えていなかったそうで・・・
もし彼が今のフルートを聞いたらその評価を考え直すか?というのは分かりませんがね。やっぱりなんにせよ音も好き嫌いがありますし。
ちなみに好みとはもしかしたらちょっとだけ違うのかも知れませんが、複数の作曲家にみられる傾向で「晩年(特に最晩年)にビオラを重用し始める」というものがあります。
バルトークの未完成の最後の作品はビオラ協奏曲、ショスタコが最後に書いた曲はビオラソナタ、ブラームスも晩年に書いたクラリネットソナタをビオラソナタに編曲していますし、あと武満もちょっとそのような傾向があったり。
不思議なものですね。ビオラが死を招く楽器なのか、人生の終わりにビオラの音に惹かれ求めてしまうのか、それとも熟すこと、老いることでビオラのよさがわかってくるのか、はたまたやっとこの段階でビオラの作曲に手が回ったか。
ちなみに私は結構ビオラを贔屓にしてますが年をとったらどうなるのかしら(笑)
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ チェロソナタ 第1楽章
おそらく唯一私がチェロパートもピアノパートも弾いた事があるチェロ曲です。
本当は私のチェロのレベルじゃなかなか弾けないような曲なんですが無理を通して弾いてました。
私はソヴィエト連邦にいたこともないし、ロシアにさえ行ったこともなく・・・
しかもこの曲を始めたときはショスタコという作曲家の背景についてそんなには詳しくなかったのでソヴィエトがどういう国か、というのはあんまり知りませんでした。
ただこの曲を初めて聴いた時からソヴィエトという国の風景だったり、温度や雰囲気などが不思議と頭に浮かんで、感じられて・・・(だいたいどの楽章でも)
曲に惹かれたのと同じくらい、その独特な雰囲気がもう10年ほども心を鷲づかみにしています。
ショスタコーヴィチと言えばテレビやなんかで使われるのは交響曲第5番の最終楽章だったり、祝典序曲だったり、かなりスケールが大きくてなによりも勢いがある曲が多いですが、それを知ってこの曲を聴くとなんだか不思議な気持ちになります。
ためらいだったり、立ち止まりだったり、等身大の音楽であり、同時に割と後ろ向きの音楽でもあり。
そして心がひんやりとする。
雪の降る日にあたりがしんと静まったように、風も吹かず、たった一人で、あんまり生きた心地がしないような、恐怖を感じる二歩手前の不自然な静寂。
それがこの曲の例えて言うなら「バックグラウンド」で。主にピアノパートはそういう感じがします。
でもチェロというのは厳しくもどこか熱いところがある楽器で、この曲においての熱情っていうのは本当にチェリストの心の内側から燃えるもので。・・・そういうところも好きです。
途中で現れる翼の生えたようなメロディーの力強さ、そしてはかなさはピカイチ。
でもやっぱり凄いと思うのは再現部~最後まで。
ピアノの遠くからbleakに、恐ろしく忍び寄る闇の足音にチェロの完全に無表情なメロディー(冒頭と同じもの)。
なるべく遅く弾いた方がいいのだけれど、気をつけないとテンポが上がってしまうのはきっと「怖い」から。
そしてピアノの最低音域の暗いメタリックな音が腹にぞっとくる。
普段はあまり意識しないのですがどうやら私はこの曲を思っているより愛しているようです。この今の心の中の気持ちを表現できたらなあ!
Benは大学のオケ時代にマネージャーとして1コンサート分ものすごくお世話になって。マネージャーの仕事の一つとして(わりと楽な仕事として)コンサートでソリストだったり指揮者に花束を渡す役割があるのですが、彼に花束を渡すときにまあ挨拶代わりみたいに頬に軽くキスされて・・・私はとくに何とも思ってなかったのですがあとで打ち上げで友達に「どうだった?」とつっこまれまくったのがものすごく思い出に残っていて(リハーサルとかでもよくしてもらって、指揮も本当に見事なものなのですがあらためて意識してしまうと、ねえ)・・・
とにかくこういうポジションにつくにはかなり若い例なんじゃないかと思います。
きっと今度の土曜日のSidney Myerでのコンサートを指揮することになってるのでそこでも発表されるんじゃないかな。今年はメインシリーズのコンサートを受け持っていないようですがきっと来年は露出が多くなるはず!と思っています。
おめでたいし、嬉しいですねえ♪
本題へ・・・
大学時代、ホルンを吹いてる友達と「ショスタコーヴィチはチェロとホルンどっちが好きか」という実にとるにたらない議論を繰り広げた経験がありまして。
とるにたりないとはいいましたがやっぱり作曲家も人間ですし、色んな楽器に書いてても好みや贔屓はあるもので・・・
何か(例えばオケで)曲を弾いていて「作曲家に自分の楽器が愛されてる」感覚を感じるとやっぱりなにか嬉しい、くすぐったいものがあって・・・
「好きでしょ-」と気づくとなんだかへへへ、当たっただろと笑いたくなったり。
なので今日はそこらへんをまとめてみることにしました。
(ちなみにヒンデミットとビオラ、ショパンとピアノのように作曲家がメイン楽器として演奏していたものは除きます)
1)ショスタコーヴィチ
私はチェリストですのでもちろん「ショスタコーヴィチはチェロをめちゃくちゃ愛していた」と力説するのです。
それはチェロソナタ、チェロ協奏曲というチェロが主役の曲においてどれだけ楽器を輝かせ、奏者に弾き甲斐を感じさせるパートを書くか、ということだけでなくオケ曲や室内楽の作品でも本当に愛されてる感が強いのです。
例えば全ての室内楽のなかでおそらくチェロにとって最難関と思われるショスタコのピアノトリオ第2番第1楽章だったり、以前紹介しました交響曲第14番第4楽章(「自殺」)、そしてピアノ五重奏曲のオープニングなど。
実はショスタコーヴィチは稀代のチェロの巨匠ロストロポーヴィチと親交が深く、彼の演奏に触発されたり、チェロのための書き方についておそらくアドバイスを受けていたのではないかと思われます。最高のチェリストのバックアップがあったからこそ、弾き手にとってもしっくりきて弾きごたえのあるパートが書けたのではないかと。
2)プロコフィエフ
これは今のところ誰にも聞いてないのですが私は個人的にプロコフィエフはクラリネットがものすごく好きだった!と思っています。
なんとなくこう、交響曲第5番の各楽章だったり、ヘブライの主題による序曲(室内楽版はピアノ五重奏+クラリネットという編成)だったり、ピアノ協奏曲第3番、ロミオとジュリエットの「少女ジュリエット」などを聞いてると目立たないながらもかなり贔屓しているように思われます。
少なくともソロの頻度は意外なほど多い。楽器の主張がそんなに強くないのもあって飛び出るような印象はないですが。
同じ時代に同じくソヴィエトの作曲家として活躍したショスタコーヴィチと比べるとプロコフィエフはどっちかというとドライな音楽を書きます。ショスタコは断然ねちっこい。さらにプロコフィエフの書くメロディーは平気で1オクターブ飛んだりとかなり音の高低が激しく、音域が広いクラリネットは「向いている」のではないかと思われます。
そしてプロコフィエフは金管で中音域、というときはホルンよりもトロンボーンを好んで使う傾向があるようです(ショスタコーヴィチは逆でホルン派です)。
3) マーラー
マーラーはバイオリンからハープ、打楽器まで誰にとっても弾き甲斐のある音楽、そしてオケ全体にとって素晴らしい音楽を書きます。が、彼のホルンの使い方は本当に特別なものがあります。
交響曲で8本とか10本とかホルンを使っちゃうあたりこの「集団の力」に力を注いでるところもあり。そして交響曲第3楽章の冒頭の独擅場、第5番の第3楽章のソロ&掛け合い、第6番のスケルツォでダークに押して押していくところ・・・彼がこの楽器をどれだけ愛していたかは(プロコフィエフのときと違って)いろんな曲に明確に現れています。
でもやっぱり極めつきは交響曲第1番の一番最後でしょう。以前からおそらく何回か書いてるのですがホルンセクションが全員起立する!というのは「見てくれ!彼らを!」といった思いがあるような気がして。
ちなみに同世代のリヒャルト・シュトラウスもホルン好き。2つの協奏曲を書いたり、「英雄の生涯」では英雄の役に任命したり、その他オペラなどでも大活躍。(シュトラウスはお父さんがホルン奏者だった・・・んだったかしら。)
4)チャイコフスキー
チャイコフスキーは例えば交響曲第4番の第2楽章や「白鳥の湖」を聞いてるとオーボエ好きなんだなあ、と思うのですが、晩年になってたとえば「くるみ割り人形」などを聞いてると「この時代はクラリネット贔屓?」と思うときがあります。
基本的に作曲家の音楽って晩年になってくるとどんどん透明度を増していく傾向があると思うのですが、その変化が求める楽器の音に現れている例だと思います。
5)ストラヴィンスキー
ストラヴィンスキーが好きだったと思う楽器はファゴットだと思います。
3大バレエを始め様々な曲で(かならずしもいつも前には出ないのですが)活躍している楽器です。
ストラヴィンスキーの「好き」はどちらかというと「お前は本当はできる子だ」と信じて活躍の場をあたえポテンシャルを実際の力に育てていったような印象があります。なのでストラヴィンスキーのファゴットパートは弾き甲斐もありながら他の作曲家のものにくらべて若干ハードなパートであると思います。
・・・ここまで「好き」について書きましたがもちろん「嫌い」もありまして。
モーツァルトはフルートが嫌いだったそう。ちゃんと事情があって、彼の時代のフルートは今あるような能力も、安定さも、音の良さも全然備えていなかったそうで・・・
もし彼が今のフルートを聞いたらその評価を考え直すか?というのは分かりませんがね。やっぱりなんにせよ音も好き嫌いがありますし。
ちなみに好みとはもしかしたらちょっとだけ違うのかも知れませんが、複数の作曲家にみられる傾向で「晩年(特に最晩年)にビオラを重用し始める」というものがあります。
バルトークの未完成の最後の作品はビオラ協奏曲、ショスタコが最後に書いた曲はビオラソナタ、ブラームスも晩年に書いたクラリネットソナタをビオラソナタに編曲していますし、あと武満もちょっとそのような傾向があったり。
不思議なものですね。ビオラが死を招く楽器なのか、人生の終わりにビオラの音に惹かれ求めてしまうのか、それとも熟すこと、老いることでビオラのよさがわかってくるのか、はたまたやっとこの段階でビオラの作曲に手が回ったか。
ちなみに私は結構ビオラを贔屓にしてますが年をとったらどうなるのかしら(笑)
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ チェロソナタ 第1楽章
おそらく唯一私がチェロパートもピアノパートも弾いた事があるチェロ曲です。
本当は私のチェロのレベルじゃなかなか弾けないような曲なんですが無理を通して弾いてました。
私はソヴィエト連邦にいたこともないし、ロシアにさえ行ったこともなく・・・
しかもこの曲を始めたときはショスタコという作曲家の背景についてそんなには詳しくなかったのでソヴィエトがどういう国か、というのはあんまり知りませんでした。
ただこの曲を初めて聴いた時からソヴィエトという国の風景だったり、温度や雰囲気などが不思議と頭に浮かんで、感じられて・・・(だいたいどの楽章でも)
曲に惹かれたのと同じくらい、その独特な雰囲気がもう10年ほども心を鷲づかみにしています。
ショスタコーヴィチと言えばテレビやなんかで使われるのは交響曲第5番の最終楽章だったり、祝典序曲だったり、かなりスケールが大きくてなによりも勢いがある曲が多いですが、それを知ってこの曲を聴くとなんだか不思議な気持ちになります。
ためらいだったり、立ち止まりだったり、等身大の音楽であり、同時に割と後ろ向きの音楽でもあり。
そして心がひんやりとする。
雪の降る日にあたりがしんと静まったように、風も吹かず、たった一人で、あんまり生きた心地がしないような、恐怖を感じる二歩手前の不自然な静寂。
それがこの曲の例えて言うなら「バックグラウンド」で。主にピアノパートはそういう感じがします。
でもチェロというのは厳しくもどこか熱いところがある楽器で、この曲においての熱情っていうのは本当にチェリストの心の内側から燃えるもので。・・・そういうところも好きです。
途中で現れる翼の生えたようなメロディーの力強さ、そしてはかなさはピカイチ。
でもやっぱり凄いと思うのは再現部~最後まで。
ピアノの遠くからbleakに、恐ろしく忍び寄る闇の足音にチェロの完全に無表情なメロディー(冒頭と同じもの)。
なるべく遅く弾いた方がいいのだけれど、気をつけないとテンポが上がってしまうのはきっと「怖い」から。
そしてピアノの最低音域の暗いメタリックな音が腹にぞっとくる。
普段はあまり意識しないのですがどうやら私はこの曲を思っているより愛しているようです。この今の心の中の気持ちを表現できたらなあ!
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