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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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記憶の宮殿の話なようなそうでないような・・・
昨日親友から電話がかかってきました。
彼女は今とある精神科の病院で研修をやってて、主にホームレスで統合失調症を患っている患者さんと触れあうことが多いらしいです。
で、彼女は昨日ECT治療の見学をした、ということで電話でそのことについて話しました。
私はここでも何度か書いているようにECT経験者ですが、全身麻酔なのでもちろん麻酔がかかっているとき、例えば筋肉弛緩剤の効き方とか(皮膚の下でむにむにするらしいです)治療後に脳が安静になるまでのことを全く知らないので興味深かったです。昨日は仕事がものすごく忙しかったので(今日はなんとか落ち着きましたが)長くしゃべれなかったのが残念!
親友とならメンタルヘルス当たりのこと1時間以上もしゃべれますし(経験あり!楽しかったです)、最近このブログに書くような精神関係カテゴリのネタもないので、という残念さもあり。
ピアノも毎日体制になりますがなんとかそっちの方にも(勉強までとはいかなくとも)頭をめぐらせたいです。

最近本も論文も読んでなくて。
次はThomas Harrisのハンニバルシリーズで唯一読んでない最初の「Red Dragon」を読む予定でして・・・
で、前々から気になってるレクター先生の記憶術「記憶の宮殿」もフォローアップしたいなあ、と思ってます。

「記憶の宮殿」は他にもいろいろ呼び名がありますが(Wikipedia英語版ではMethod of Lociとあります)、実際にある記憶術で。
宮殿でなくても町でも、とにかく頭のなかに場所をつくって、さまざまな部屋などに記憶を保管して、記憶を呼び出すときにはその記憶の場所へ道とたどるイメージによりその場所を訪れる・・・というなんてまあ下手な説明(汗)
もちょっと勉強してからにすればよかったかな・・・(ぼそっ)
とにかく頭の中で記憶を保管している場所とそれにたどり着くプロセスを視覚的なイメージにすることによって大量の情報を記憶し、それらを取り出すことができるようにする、ということらしいです。
スーパーマーケットに行って、この商品はここにあって、この商品を買いに行って・・・というのをイメージするのに近い・・・とか。

レクター博士に関しては、彼の記憶の宮殿には1000もの部屋があって、思いのままに散歩して求める記憶のある部屋に行ってその記憶を引き出したり楽しんだり(思い出など)することができるという話があります。
もちろん彼はフィクションのキャラクターですが、部屋を思いのままに足して記憶のstorageを増やして行くことができる(たどり着く道さえ覚えていれば!)、ということの例ですね。

使う使わないにかかわらずなんだか面白そうなのでもっと知ってみたいと思います。
結構音楽でも音自体を覚えるよりはそのプロセス(道のり)を覚えるタイプの記憶なので(だから色んな意味でロジカルな理系音楽が身につきやすい?)そういう意味では向いてるかなーと思います。
ただ、私はちょっと視覚的な空間認識が苦手なところがあって・・・地図は好きで得意なんですけど、自分が景色のなかにいるとちょっと弱い。方向感覚はまあまあですが、視覚的な空間認識による記憶は本当に地震が無くて。
そこはどうなんだろうなあ、とちょっと思ったり。

でも似たような事を自分は創作でもしてるんじゃないか、と思います。
なんとなーく。

私の創作の特徴として:
1)時間が経てば経つほど膨れあがる
2)好きな物をなんとか組み込みたくなる
3)コンセプト、シリーズとしての(ストーリーをつなぐ)流れははっきりしているけれど個々のストーリーの話の流れを構築するのは苦手
4)設定が細かい
5)やたらと色んなところを繋げたがる
・・・などがありますが、よくよく考えてみると自分の創作って自分が出会ったり感じたり思いついたりしたことを忘れたくない、なくしたくないと思った事によって成り立ってるような気がして。

一つアイディアがあるだけじゃ忘れてしまう。
だからキャラクターの設定にするなり、環境の設定にするなり、(曲だったらサントラとして設定するなり)他の物と組み合わせて関連性を作ることによってそのアイディアにたどりつく道をつくる。
特にキャラクターとかある程度時間が経つと自分たちで動き出す、「命ある」ものにアイディアを関連づけるとキャラクターが「生きている」間はアイディアも生きる。(そのアイディアを取り入れて動くのでね)
精神医学だったり、第二次世界大戦におけるユダヤ人の状況だったり、もちろん音楽や神話なども、創作の色んなエレメントから繋がる資料や設定として私の頭の中に(性能はそれほどまだ良くないですが)保管してあるんですよね。
(あとキャラクターなどの設定としてあるアイディアを関連づけすると足りない側面を補おうと新しいエリアを調べたり興味を広げたりするのも創作に保管することの醍醐味でもあります)

オケ関係のストーリーは特に自分の記憶に強く結びついていると思います。
自分の弾かない様々な楽器についての独特の事情や特性を友達から聞いてはキャラの行動や創作のオケ生活のネタに組み込んだりして記憶し生かし、自分のこととして共感できるようにするプロセスだったり・・・
あとはスコアをみたり音楽を聴きながら「ここはこの人が弾いてる」「ここはこの人苦戦するだろうな」というイメージをすることで曲自体をより深く知る、というか・・・
スコアを丸暗記はできないけれど自分にとって創作オケを使うのは曲(およびその構成)を記憶するにはものすごく有効な方法であると思います(もっと深く活用してあげたいよ!)。

「記憶の宮殿」を勉強することはそれを似た形で応用することにも繋がって、自分の今なんとなく使ってる記憶術をもっとはっきりさせて強力にすることができるかなあ~と思います。
なんか英語でも日本語でも良い本が見つかるといいな、と思います。


今日の一曲: リゲティ・ジェルジュ ピアノのための練習曲第9番 「Vertigo(目眩)」



リゲティはなんだか久しぶりっぽい気持ちです。

「Vertigo」というのは目眩と訳していますが、特に高いところから下を見下ろしたときに感じる目眩だったり、内耳の病気などでおこる回転性の目眩のことを指すそうです。

昔名古屋の科学館で「無限音階」というのを聞いたことがありまして。
どんどん音が無限に上に登っていくように聞こえるのですが、下からどんどん音が迫っていくことでそう聞こえる、という仕組みです。

この曲はその「無限音階」の下降バージョンに近く、音が本当に途切れなくどんどん下に落ちていくように聞こえる曲です。本当にタイトルにある「高いところから見下ろした」際の逆らいがたい重力と無限の奈落への距離感、そしてそれらに関した恐怖感、ふわっとした感覚をリアルに感じる曲です。

その効果を体感するとリゲティの音楽の書き方が凄いを通り越して恐ろしい!
そのテクニックの機械っぽい(良い意味で!)性質といい、その綿密すぎる仕組みといい人間を超えた何かがあります。

そしてリゲティの書いた事を再現する奏者もまた凄い。
ただのだらだらだらっとした、ぼんやりした音の連なりでなく一つ一つの音の粒が落ちていく様を聞かせるためにも物凄くクリアでevenなレガート(でも繋げすぎないで)のタッチ、そして絶妙なペダルのコントロール(深さ、変えるタイミング、変える程度)が必要です。
簡単な曲が無いリゲティの練習曲のなかでも素晴らしく仕上げることに関してはトップクラスの難易度なのではないかと思います。

リゲティといえばキューブリックの映画の音楽を書いた事でも有名。(2001年宇宙の旅、シャイニング)
彼の音楽だからこういう映画の雰囲気を作り出し強化するにも効果覿面なんだろうな。
観ないと!

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