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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Happy birthday to Ravel!
只今キッチンの引き出しが美味しいお茶で溢れてます。
Madame FlavourのWhite tea with RoseとGreen, Jasmine and Pearだったり、LupiciaのMelon OolongやUluruだったり、Liptonの Large LeafシリーズからAlps(私は飲まないのですが)、MediterraneanとMoroccoだったり。
他にもいつものTwinings Lady Greyとか緑茶とか定番ハーブティーもあったり。全くカオスです。

今日3月7日はモーリス・ラヴェル(1875~1937)の誕生日。
(メル響のTwitterから流れてきました)
私にとって(特にピアニストとして)大切な作曲家で、母だったり先生や先生の先生にも大事な作曲家。
同じフランス印象派とくくられてはいるもののドビュッシーとは大分毛色が違うスタイルで透明で理系な感じが特徴的。

時代を考えると決して「短命」とはいえないですが晩年の病気の影響があったり、彼自身の完璧主義的な作風というか性格の影響もあったりで比較的作品数としては少ないようです。
昔先生がラヴェルのピアノ作品(1人で弾けるもの)全てを演奏するリサイタルをやったらしいのですが(注:この時点ではまだ「グロテスクなセレナード」は発見されてませんでした)、話によると2時間半強ぐらいのリサイタルだったようです。こういうのはかなり珍しいと言えるでしょう。
(もちろん他にもオケ曲、歌曲、室内楽、協奏曲、連弾、ピアノ2台のための曲もありますが、それでも全部合わせても少ない方です)
ただほとんどといって「ハズレ」がない、ある意味完璧とも言えるような素晴らしい曲ばかりです。

クラムやメシアンへの愛を叫んでもなかなかラヴェルへの愛を叫ぶのが少ない傾向にある私ですが、決してその愛が程度に劣ってるわけではありません。
ラヴェルの音楽の存在だったり、ラヴェルの音楽と自分との結びつきがあまりにも自然で透明なもので、叫ぶまでもない、というか叫ぶようなことがない、と・・・

そもそも母が「死せる王女のためのパヴァーヌ」(オケ版)が好きで、昔からよく聞いていて。
そしてVCEの音楽のリサイタルプログラムで20世紀音楽が2ついる、ということで初めてラヴェルを弾く事になり。「クープランの墓」から「フォルラーヌ」を弾きました。(ちなみにもう一つはショスタコの前奏曲でした)
最初はタッチだったり、音のバランスだったりでなかなかうまくいかなかったのですがいつのまにか弾くにも馴染んできて。

以来弾いてきたラヴェルの曲はこんな感じ:
死せる王女のためのパヴァーヌ (ピアノ、オケ)
古風なメヌエット(ピアノ)
前奏曲
クープランの墓から前奏曲、フォルラーヌ、リゴードン、メヌエット
鏡 全曲(ただし「洋上の小舟」は途中でギブしてます)
ソナチネ
ボレロ
マ・メール・ロワ(ピアノ連弾、オケ)

うーん、まだまだだなあ(苦笑)
大学入学してからピアノを弾いている間はほとんどノンストップでラヴェル弾いてるんですよね。(もちろん何回か戻ってきてる曲もあるので・・・)
いつか「新しいラヴェルの曲」がなくなっちゃうのが怖いんですがどうしても弾いてなくちゃ気が済まない、というか。

ラヴェルの音楽の魅力・・・といえばいろいろあります。
きらきらして透明な色彩、まるで精密機械のような隅々にわたる完璧さ、スペインのエキゾチックな雰囲気と情熱、そしてフランス独特のスタイル。
ちなみにラヴェルの母はスペイン文化の強いバスク地方の人で、父はスイス人で仕事は機械関係・・・最強のコンビネーションですよ(笑)どちらの影響もはっきりラヴェルの音楽に出てますからね。

音楽の透明な感じも心に優しく、ものすごく冷静に客観的に心をセットしてくれるような感じがあって、そこも本当に大切に感じています。

そして自分にとってラヴェルが馴染みやすいのは音楽的なスタイルだったり、題材になるイメージのチョイス(特に「鏡」。このブログなどでも使う蛾=Noctuelleという言葉はこの「鏡」の中の一曲から来ています)だったりだけではなく、「ピアノを弾く」ということの中でも親しみを覚えることが多かったりします。
ラヴェルは比較的小柄な人だったらしく、手も小さめだったようで・・・小さい手ならではの細かい動きや、二つの手が重なるような弾き方だったりがたくさんあり、それが私の手にもフィットしていて弾いてて心地良いです。
さらにラヴェルのテクニックはショパンやリストなどとは違う、他のどんな作曲家の練習曲などで磨くような技巧とも違うもので。いわゆる「ガラパゴス」に近いのかしら。譜面で見るとそんなに特異なような風には見えないんですけど弾いてみるとトリッキー。
なんだかほどよいチャレンジなんですよ。

あとラヴェルはその指の動きの細かさから私に撮って疲れると真っ先に弾き方に影響がでる作曲家でもあります。「お、もう疲れてきてるか、あんまり自分を責めたり無理したりしない方がいいかも」と教えてくれるので・・・私のコンディションをお見通し、というかそれとなく伝えてくれる、というかさりげなくいたわってくれる、というか。

ラヴェルの名手になりたい、といえばなりたいですが自信がなくて(笑)
(でもラヴェルはうまく弾けないとものすごく悔しく感じます)
一緒に居るのが自然、だからこそこのまま末永くラヴェルの音楽と付き合って行きたいです。


今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「鏡」より「鐘の谷」



今日練習の最後にちょっとラヴェルを(一日の仕事や練習でぼろぼろになってましたが)弾いたうち、最後に弾いた曲です。
「鏡」はどの楽章も心から大好きですが、ある意味特別な場所を占めているのがこの最終楽章。

この曲は本当に様々な鐘の音が音楽の大部分を占めていて。
ピアノでその様々な音色や距離を表現し、「空間を創る」曲です。
この「距離」が曲者で、ピアノで表現することが本当に難しく。
でも「創る」プロセスが本当に楽しく、自分がその空間にいることが本当に心地良く。

霧のかかった静かな朝か、それとも空が紫に、赤に染まる夕方か・・・
いずれにしろ独特の静けさと時の止まったような感覚がいとおしいです。

鐘の音はピュアトーンでなく様々な倍音が同時に鳴り、和音のように聞こえるのが特徴です。
その倍音のバランスは鐘の大きさ、材質、形、古さなどで変わり、個々の鐘によって音色は大きく変わります。
それが不思議で、そしてたまらなく魅力的で。
この曲でもそうやって様々な鐘の音をピアノで再現しています。

今日は暮れつつあるメルボルンの晩夏の夕方の雰囲気をイメージして、というか閉じ込めて弾いてました。
昨日、今日は本当に(やっと季節らしく)暖かくて。これからそれもまた失われるのですが。
そして私にとっての「ラヴェルのベストシーズン」も終わり。淋しいものです。


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