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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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音楽に関わる「演出」~クラムから学びつつあること~
メシアンと共感覚のエントリーに拍手ありがとうございます!
またメシアンも、共感覚も将来またいろいろ書きたいですね。

今日はまだちょっとぼんやりしているところが多いトピックですがお試しとして。

ここ最近大学に行ってはクラムのスコアを借りてます。
そろそろ録音とスコアどっちもそろってる曲が無くなってきたのが悩みですが・・・

クラムのスコアは見ていて、呼んでいて本当に面白いです。
ぐるっと丸い楽譜とか、様々なファンタジックなタイトルとか、特殊奏法、ハーモニー、音楽的エレメント・・・
色んなレベルでどんどんはまっていく。
聴きたくなるし、弾きたくなるし、どんどん分析して、いろんなエレメント追っかけたくなって。

そんなクラムの音楽、特にスコアからいろいろ考えさせられるものの中で「音楽に関わる演出」についていろいろ追求していきたい気持ちがあります。
まだまだ考えも全然まとまってないのですが・・・

クラムの音楽の中でも特に「Vox Balaenae」「Lux Aeterna」についてなのですが・・・
作曲家による前書きに音楽の演奏以外について指示が書いてあります。
Lux Aeternaにおいては踊りを演奏に取り入れることについての記述があります。(振り付けとかではなく、東洋風の音楽の部分でだけ踊って、西洋風の音楽の部分では止まる、という指示です)
そして両方とも奏者は仮面をつけること、そして照明についての指示があります(Lux Aeternaは赤、Vox Balaenaeは青)。

仮面をつけること・・・というの意味。
演奏の場には音楽を奏でる「奏者」がいるものなのですが、その「奏者」、人間の存在を消すということ。
もちろん音楽の中に奏者は存在していますが、つまりなるべく演奏空間に音楽だけがあるようにする、ということで・・・
同時に奏者の存在も「音楽を通じてのみ」感じてくれ、ということでもあり。

例えば特に女性、そして歌う人はコンサートで着るものに気を遣います。
弾く曲のイメージだったり、他の理由だったり。
同じクラムの演奏でも、ピアノクラスで私の知り合いのピアニストがマクロコスモス第1巻を弾いた時はクラム自身の象徴である「Phantom Gondelier」(幽霊船頭、第5楽章)に扮して演奏したり。
自分の存在を消すための装い、というとまた話がちょっと違いますが・・・
でもどちらにしても「奏者としての自分をどう演出するか」ということを深く考えるきっかけになっています。

照明については視覚的な面での演出、視覚的な刺激による聴覚的刺激を高めること・・・
私は何よりも「空間の創出」として考えたいですね。
音楽を聴かせる、だけでなく音楽が響き、聴衆を包む空間を創ること。
ピアノを弾くだけだったらピアノと奏者だけに目がいってしまう。でも照明を使ったらもっと広い範囲に色が広がるため、もっと感覚が広くとれると思うんですよね。
コンサート場の雰囲気ってなにかと緊張しがちなので(弾く方・聴く方どっちも)そこも変えられるかも、という思惑もあったり。

Lux Aeternaでの踊りの取り入れに関してですが、これまでにもコンサートにナレーションやスクリーンの映像を取り入れたパフォーマンスはいくつか見ています。
ぱっと思い出せるだけだとバルトークの「中国の不思議な役人」(映像)、バッハの無伴奏チェロ組曲(踊り)、マイケルの「48 fugues for Frank」(静止映像:visual poetry)、そしてマイケル演奏のメシアン「鳥のカタログ」(Peter Cundallによるナレーションあり)。
どれも効果的なプレゼンテーションであり、もちろん音楽の内容をより深く理解するための助けになり。
人間あんまり聴覚が視覚などに先立つことは少ない(うさぎさんとは違って)のと、あと聴覚的な情報は本当に時間と共に素早く去ってしまうため他の感覚でそれを補うという意味もあると思います。
だから元々の音楽を高めるために他の形態の表現を取り入れることも面白いし有用だし、考慮してみるべきなんだな、と思います。

あとはクラムの音楽に関してもうひとつ・・・
私はとりあえずピアノ、と弾ける楽器が限られているため、クラムの音楽でピアノを使っていないものはもちろん演奏できません。
でもクラムの音楽でもっと表現したい!と思いますし、もっと自分の楽器より広くクラムの音楽に携われないものか、という思いが強くて。
弾けないからってクラムが「できない」とは思いたくない、あきらめの悪い性格がありまして・・・
だから演奏外のところでなんとかクラムの音楽の演奏に携われないものか、と考えたときに「音楽に関わる演出」がやっぱり入って来ますね。

ということでちょっとこれから考えてみる点をラフにリスト。
1)奏者としての自分の演出。音楽の一部になる(登場人物に扮する)、存在を消す、などなど・・・
2)空間の創出。照明、音響(クラムの場合は特に)など。聴衆にどんな気持ちで、どんな空間につつまれて音楽を聴いてもらいたいか、どんな感覚に訴えかけるか。
3)音楽以外の表現形態の取り入れ、コラボ。どんな形態と、どうやって。
4)音楽において奏者じゃない身でどう演出的に関わるか。

文からも大分分かると思いますがずいぶんとまだあやふやなのですが・・・
他にも追っかけたいことたくさんあるなかなんとかして突き止めて行きたいです。


今日の一曲: ヨハン・セバスチャン・バッハ 無伴奏チェロ組曲第5番 ガヴォット



ちょっと珍しい方向から。
この曲を初めて聴いたのがテレビで見たヨーヨー・マの演奏で、そのとき踊りを取り入れてたのが印象深くて。

バッハはチェロのために6つ無伴奏の組曲を書いています。(ただ第6組曲は贋作という説も)
どれもがチェロの技巧、そして豊かな音楽性を引き出す素晴らしい音楽として世界中のチェロ奏者にとって愛され、よく弾かれています。
チェロのさまざまなステージにおいて避けては通れない道。
(ちなみにビオラ、ホルン、テノールサキソフォン、コントラバスなど多くの中低音楽器のために編曲されています・・・がやっぱりチェロが一番!)
バッハはチェリストでないのによくこんな音楽がかけるなあ、やっぱ「神」に近い存在だなあ、と思います。

私もチェロを弾いてる間はよく弾いてました。とくに最初の入院でチェロを持ち込んでもらったときはいろんな組曲からちょろちょろ弾いてました。
その中でも第5組曲はお気に入り。なによりもハ短調という調が昔から好きで。
この組曲はハ短調とチェロの音色の暗い深い闇を存分に味わえて本当に心が満たされる感じがいいですね。
渋い赤ワインといっしょにいただきたい。

今回ガヴォットをなぜ選んだかというと、今日ちょっと聴いて「お」と思うところがありまして。
黒い闇の中で華麗に、軽々と舞う華奢なダンサーをイメージした、ような・・・
まるで天女の羽衣を纏っているような、西洋風でもありながら東洋風でもある、聖なるものでも俗なものでもあるような不思議な踊り。
そして男性とも女性ともつかない若い踊り手。
なんでしょう、擬人化するまでもなくきっとそれがこの曲の私なりのイメージなんだと思います。

とっても感覚的なあれで、気分とかにもよるのですが、なんだか本当に心にすっと来た一曲でした。
また弾きたいな。

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