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昨日Victoria Adamenko著「Neo-mythologism in Music(音楽における新神話主義)」をやっと読み終わりました。
あまりにも読むのが遅すぎたのもありちゃんと身についてないのですが感想は是非まとめたいと思います。できたら明日。
今日はレッスンの日でした。
ここ何回かは大学だったのですが今日は先生の家で。
といっても先生の家は大学付属の寮にあるおうち。
Ormond Collegeといって音楽科の建物から徒歩5分の、緑に溢れ古い建物がヨーロピアンな寮です。
レッスンだったり他のいろいろだったり今まで何度も来たことありますが随分と久しぶり。
先生のうちは3つグランドピアノがあったり本と楽譜がたくさんあるのですがこじんまりしています。
心配してるかなーと思ったのですがやっぱりこちらのニュースで日本の状況を聞いて「家族は向こうにいるのか」と聞いてきました。
そして日本で起こっている災害に関して本当に心を痛めていました。
先生ってリアクションというか感情がなかなか読めない人なんですけど、今日はなんだか話していていろいろ感じ取った手ごたえがありました。根拠は皆無ですが(汗)
でももう知り合って7年ですから。
先生と話してたりレッスンしてると本当にあっという間に時が過ぎてって。もっと先生とお話したいんですが。
レッスン自体はわりとみっちり・・・?
ベートーヴェンで本当にテクニカルな部分にかなり時間かけました!
なんというか基礎がどこかちょっと崩れ気味・・・
シマノフスキのもやもやは結局解決せずでしたがもうちょっと粘ってみようかな・・・と。
先生もシマノフスキ好きみたいですし、なんかお褒めの言葉みたいなものももらったみたいな感じなんで・・・
大学在学中からだれも弾かないような曲をひっぱりだして弾いてますが、先生は興味持ってくれることが多いです。
結構その「発掘力」を先生は好いてくれてるみたいです。
今日先生が「なにかと難しい曲を見つけてくるけど結構弾きこなしてるね」と言ってくれて。
先生が割と難易度に関しては安全パイにいく傾向が多いのでそう思うのかなーとも思いますが・・・
私自身が結構曲に「恋に落ちたら多少の困難も顧みない」タイプなので。
技巧が追いつかなくても熱意でなんとかしちゃおうとするんでうしょね、音楽に関しては。
なぜなら曲を好きになって弾くと選んだ時からその時その曲で表現したい何か、他の曲じゃだめな何かがあって、アウトプットしたい、しないと!というのもありまして。
若いからせっかちでいろいろやりたいことがあるんです。
・・・でも忘れず基礎のテクニックも少しは磨きたいと思います。
今日はなんだか変でしたね、なんとなく自分の中が。
楽譜とCDを一部返しに音楽図書館にいったのですが全く食指が動かないんですよ。
録音無しでスコアだけ見ててももどかしいなあ、と思いながらクラムのStar-ChildとMadrigals第1・2巻のスコアを借りて。
で、のちほどCD屋に行ったとき先生のCDを注文するついでになんとなーくクラムのCDを買ってしまいました。
なんとなーくの出費ってもやもやするんですよね。ちょうどスコアを借りたMadrigals収録で、Eine Kleine Mitternachtmusikも初めて聴けて嬉しいんですが。
でもCD屋とHaunted Bookshopでは食指動きっぱなしでした(笑)
明日からまた仕事、そして今弾いてる曲をさらに磨かなければ。
あんまり外に出ないんでたまに出ると一日出かけたままでくたくただけど、今日は良い日でした。
オーストラリアの救助隊も宮城で被曝しながら頑張っています。
募金はしたけど節電はこちらはもちろん関係なく、今は遠くからただ託すことしかできない。
そんなときにこの国から日本を助けようと救助隊が行っているのは本当に心強いです。
母国で震災があったニュージーランドの救助隊と手を組んで頑張っているということなので(向こうはこういった状況についてオーストラリアより良く知っているので)南の大地から応援しています。
そんな中、音楽のお勧めを探すのを続けながら、自分の演奏を投入できればなあ・・・と願っています。
果たして適切かどうか、現実的かどうか分からないので自信が持てないのですが・・・
素人なりに検討中です。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Ancient Voice of Children」より「Todas las tardes en Granada, todas las tardes se muere un niño」
もうこの曲で3楽章目、でも今だからこそお勧めしたい曲なので投入。
ちなみに今日買ったCDよりもAncient Voicesは以前から紹介しているCD(ソプラノがJan DeGaetaniのもの。ジャケットの蝶が目印)の方が強い、クラムらしい演奏です。是非。
クラムがあるハーモニー、あるメロディーの形を使うのにはみんな理由があります。
この曲は珍しくシンプルな三和音をdroneのように伸ばす伴奏、そしてソプラノの暖かくfuzzyな声で奏でられるメロディーもまたフラットなもので。
本当にシンプルな曲。
そしてなんといっても!トイピアノの存在が本当にheartbreaking。
バッハの曲の引用を奏でるその音の古いオルゴールのようなはかなさ・・・
ここでこういう使い方したら落ちること間違いなし。
いつもそうですがクラムの引用音楽の使い方、そしてその効果って逐一だと思います。
(このことに関しては今度このブログにエントリーを書きたいですね)
この曲を聴くとクラムが「時間」をどう捉えているか、そしてどう操っているかが体感できると思います。
そしてこの曲で時間が止まっている間に何かが落ちていく、その何とも言えない感覚。
タイトルの訳が歌詞にもなっている「毎日午後にグラナダで、毎日午後に子供が死ぬ」というロルカの詩なんですけど(ロルカの詩もお勧め!できればスペイン語併記版で。完全版が見つからないので2冊買いたい・・・)、この日が傾いていく、終わっていく「午後」と「死」のイメージが重なって。
この曲を聴きながら延々と日が沈んでいく西の空を見ていたい。
言葉では表現できない、その感覚を感じていたいと心から思います。
あまりにも読むのが遅すぎたのもありちゃんと身についてないのですが感想は是非まとめたいと思います。できたら明日。
今日はレッスンの日でした。
ここ何回かは大学だったのですが今日は先生の家で。
といっても先生の家は大学付属の寮にあるおうち。
Ormond Collegeといって音楽科の建物から徒歩5分の、緑に溢れ古い建物がヨーロピアンな寮です。
レッスンだったり他のいろいろだったり今まで何度も来たことありますが随分と久しぶり。
先生のうちは3つグランドピアノがあったり本と楽譜がたくさんあるのですがこじんまりしています。
心配してるかなーと思ったのですがやっぱりこちらのニュースで日本の状況を聞いて「家族は向こうにいるのか」と聞いてきました。
そして日本で起こっている災害に関して本当に心を痛めていました。
先生ってリアクションというか感情がなかなか読めない人なんですけど、今日はなんだか話していていろいろ感じ取った手ごたえがありました。根拠は皆無ですが(汗)
でももう知り合って7年ですから。
先生と話してたりレッスンしてると本当にあっという間に時が過ぎてって。もっと先生とお話したいんですが。
レッスン自体はわりとみっちり・・・?
ベートーヴェンで本当にテクニカルな部分にかなり時間かけました!
なんというか基礎がどこかちょっと崩れ気味・・・
シマノフスキのもやもやは結局解決せずでしたがもうちょっと粘ってみようかな・・・と。
先生もシマノフスキ好きみたいですし、なんかお褒めの言葉みたいなものももらったみたいな感じなんで・・・
大学在学中からだれも弾かないような曲をひっぱりだして弾いてますが、先生は興味持ってくれることが多いです。
結構その「発掘力」を先生は好いてくれてるみたいです。
今日先生が「なにかと難しい曲を見つけてくるけど結構弾きこなしてるね」と言ってくれて。
先生が割と難易度に関しては安全パイにいく傾向が多いのでそう思うのかなーとも思いますが・・・
私自身が結構曲に「恋に落ちたら多少の困難も顧みない」タイプなので。
技巧が追いつかなくても熱意でなんとかしちゃおうとするんでうしょね、音楽に関しては。
なぜなら曲を好きになって弾くと選んだ時からその時その曲で表現したい何か、他の曲じゃだめな何かがあって、アウトプットしたい、しないと!というのもありまして。
若いからせっかちでいろいろやりたいことがあるんです。
・・・でも忘れず基礎のテクニックも少しは磨きたいと思います。
今日はなんだか変でしたね、なんとなく自分の中が。
楽譜とCDを一部返しに音楽図書館にいったのですが全く食指が動かないんですよ。
録音無しでスコアだけ見ててももどかしいなあ、と思いながらクラムのStar-ChildとMadrigals第1・2巻のスコアを借りて。
で、のちほどCD屋に行ったとき先生のCDを注文するついでになんとなーくクラムのCDを買ってしまいました。
なんとなーくの出費ってもやもやするんですよね。ちょうどスコアを借りたMadrigals収録で、Eine Kleine Mitternachtmusikも初めて聴けて嬉しいんですが。
でもCD屋とHaunted Bookshopでは食指動きっぱなしでした(笑)
明日からまた仕事、そして今弾いてる曲をさらに磨かなければ。
あんまり外に出ないんでたまに出ると一日出かけたままでくたくただけど、今日は良い日でした。
オーストラリアの救助隊も宮城で被曝しながら頑張っています。
募金はしたけど節電はこちらはもちろん関係なく、今は遠くからただ託すことしかできない。
そんなときにこの国から日本を助けようと救助隊が行っているのは本当に心強いです。
母国で震災があったニュージーランドの救助隊と手を組んで頑張っているということなので(向こうはこういった状況についてオーストラリアより良く知っているので)南の大地から応援しています。
そんな中、音楽のお勧めを探すのを続けながら、自分の演奏を投入できればなあ・・・と願っています。
果たして適切かどうか、現実的かどうか分からないので自信が持てないのですが・・・
素人なりに検討中です。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Ancient Voice of Children」より「Todas las tardes en Granada, todas las tardes se muere un niño」
もうこの曲で3楽章目、でも今だからこそお勧めしたい曲なので投入。
ちなみに今日買ったCDよりもAncient Voicesは以前から紹介しているCD(ソプラノがJan DeGaetaniのもの。ジャケットの蝶が目印)の方が強い、クラムらしい演奏です。是非。
クラムがあるハーモニー、あるメロディーの形を使うのにはみんな理由があります。
この曲は珍しくシンプルな三和音をdroneのように伸ばす伴奏、そしてソプラノの暖かくfuzzyな声で奏でられるメロディーもまたフラットなもので。
本当にシンプルな曲。
そしてなんといっても!トイピアノの存在が本当にheartbreaking。
バッハの曲の引用を奏でるその音の古いオルゴールのようなはかなさ・・・
ここでこういう使い方したら落ちること間違いなし。
いつもそうですがクラムの引用音楽の使い方、そしてその効果って逐一だと思います。
(このことに関しては今度このブログにエントリーを書きたいですね)
この曲を聴くとクラムが「時間」をどう捉えているか、そしてどう操っているかが体感できると思います。
そしてこの曲で時間が止まっている間に何かが落ちていく、その何とも言えない感覚。
タイトルの訳が歌詞にもなっている「毎日午後にグラナダで、毎日午後に子供が死ぬ」というロルカの詩なんですけど(ロルカの詩もお勧め!できればスペイン語併記版で。完全版が見つからないので2冊買いたい・・・)、この日が傾いていく、終わっていく「午後」と「死」のイメージが重なって。
この曲を聴きながら延々と日が沈んでいく西の空を見ていたい。
言葉では表現できない、その感覚を感じていたいと心から思います。
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