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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Half a day with musos
今日は一日仕事休み。
朝はだらだら、昼過ぎからコンサートへ。
South Melbourneの国立音楽アカデミーででした。でもアカデミーではなくMelbourne Youth Orchestraのコンサート。私も数年お世話になったオーケストラですが今日は2重の意味で来なきゃ!というコンサートで。

まずはプログラム:
Melbourne Youth Orchestra (指揮:Fabian Russell)
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 (ソリスト:Stefan Cassamenos)
マーラー 交響曲5番

1つめの理由。ソリストが同門の友達であり先輩。
Stefanが在学中にプロコフィエフピアノソナタ第6番を弾くのを聴いてて、本当に彼の演奏が好きで(その曲に限ったことではないですが)。このコンサートのことを聞いて「ぴったりだ!」と思って。
彼は本当に「若きマエストロ」だと思います。
ちなみに私たちの先生は今日ダブルブッキングして来れなかったそうです(爆)

そして2つめの理由。
10年前、このユースオケで私はマーラー5番を弾いてるのです。
ちょうどこれくらい(もちょっと後?)の季節に。
なんとなく縁よりも因縁みたいなものを感じて(注:曲はものすごく好きです)。
10年前は本当に鬱の状態がひどく、こうやって10年後にマーラー5番を聴けるとは思ってなかったです。
あのときはこんな先のことは到底考えられなかったので・・・不思議な気分です。
言葉では表現できないことをいっぱい感じました。

演奏はなかなかでした。
弦が強い&元気あるとやっぱり引き締まります。
ホールの音響がちょっとプロコフィエフには向いてなかったですね。なによりもドライさと歯切れのよさ、メリハリが必要なのにかなりほわっとした音で。ちょっと勿体なかったなあ。
そしてマーラーも見事でした。ティンパニのテンションの高さ(とがめるわけでなく、もちょっとオケの他のメンバーが上げてくのが理想だったかも)とか、あと第2楽章の冒頭の低音の爆発!びっくりしましたね!

マーラー5番は(他の彼の交響曲もそうですが)それ1つだけでコンサートが成り立つスケールの曲で、プロコフィエフのあのコンチェルトと組み合わせるとそうとうリハーサルも演奏もオケ側はしんどいんじゃないかとおもいますが、若さですね(笑)
一緒に聴いた友達はマーラーで第5楽章がコンパクトにまとまりすぎ、と言ってましたがこの最終楽章を勝利ではなくContentな感じとして解釈したということは私はいいんじゃないかと思います。この交響曲を自分の思いと重ね合わせてるので私はそのContentな性質の方がいいかな~と思いました。
第3楽章、ホルンももちろんですがみんなあの難しい曲を頑張って弾きこなしたな、という感想です。なんかやっぱりすごいな、と。

マーラー5番は心理学で言う「悲嘆の5段階」にちょっと構成が似てるかなあーと。
(あと思ったんですがクラムのBlack Angelsにも似てるかも、と。)
「失う」「死別」=葬送行進曲から始まって、第1楽章と第2楽章で悲しみ、怒りを覚えて、第3楽章で大々的に迷走したのち第4楽章で愛と許し、ぬくもりを見つけ、第5楽章で希望を見つけ、前を見ていろいろ受け入れていく、という。
10年前この曲に出会い、弾いてた頃は第1楽章と第2楽章に本当に共感して(今でも一番好きな楽章です)いたのですが・・・
今の自分の状態をこの交響曲の楽章で表すと、10年経った今でも第4,5楽章とはまだほど遠いな、と。まだまだ第3楽章の迷路にいると思います。そしてずっとこんな感じなんだと思います、これからも。

コンサート後に知ってる人がほとんどいないのにソリスト友達にくっついて打ち上げに行きました。
人見知りの自分に珍しく知らない人と絡みました!たんと!
ユースオケメンバーが座ってるところに混じって若いチェリストたちと話したり。楽しかったですね~
私がマーラー5番をユースオケでやったのは10年前と言いましたが当時かなり若いほうだったのとユースオケの年齢上限は25才(?)なのでメンバーには大学生も多く。
でもなんかこう、「自分年取ったな~」という感じがしますよ(笑)

で、「昔はチェリストだったのよ」と話したらそのチェリストが「一旦チェリストになったら一生チェリストだよ」と言ってくれて。なんだか物凄く嬉しかったです!
ユースオケや大学で仲良かったチェリストもみんなずっと私をチェリスト集団の一員として扱ってくれるのですが、こうやって言葉にしてもらったのは初めてで。
打楽器のチームワークはビジネスライク、ホルンの仲良しは友達のような家族のような・・・とこのブログでもちょっと語りましたがチェリストの集団は「個々の集まり」でお互いライバル同士なのを忘れないちょっと厳しくもある世界なのですが、なれ合いではなく「義」によって結ばれてるんだなあ、と・・・
チェリストで良かった!大事にしたい!と本当に思いました。

そしてStefanは案の定忙しく。
ずっと可愛がってもらってるのでちょっと寂しいですがこんどコーヒーでも、ということに。
前回そういっといてメールの返事しなかったんで釘を刺しときました。明日メールします。
もっと彼と話したいですね~

そして7月になんとユースオケはメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」をやると言うことで(ピアノパートはソリスト扱いでもう決まってるので)これまでたびたびオケピアニストとしての力を買っていただいて、いろんなオケ弾き仕事をいただいてる、ユースオケのマネージャーである友達にチェレスタパートを弾かせてもらえるようお願いしてきました。
コンサート終わったばかりであれですし、大分ずるしてるとも見えますが・・・でも本当に弾きたい!ということで。メシアンを弾きたい、そしてFabianのあの的確で論理的でドライな指揮でまた弾きたい!という思いが強く。
(Fabianはピアノ・チェレスタ・マネージャーとして大学時代にとてもお世話になってるのです)
本気で指クロスしてます。ことごとく。

音楽家の集まりに加わえてもらって本当に楽しかったです。
やっぱりいいなあと思います。音楽家でよかった。チェリストで良かった。ピアニストで良かった。
そしてこれからもこのコミュニティの一部でいたいです。


今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 第3楽章



紹介したことないのにいきなり最終楽章から、と無謀なチャレンジ。
なぜかというとやはりこの楽章が今日印象強かったから、というのと大学のコンサートクラスで別の友達がこの楽章を弾いた時、Stefanが伴奏パートを弾いて私が譜めくりした、という経験もあって実はこの協奏曲でこの楽章が一番なじみ深かったりするのです。
(以前このブログで書いてますが、譜めくりすると曲のいろんなところが見えて、演奏も見えて間近で客観的かつ共感して曲を聴くことができる、ということで譜めくりは曲を知る・好きになるのに効果有りと私は思っています)

今日のコンサートで一緒に聴いてた友達が「この楽章はManic」だね、といってたのですが、私自身はプロコフィエフの音楽全般に「強迫性障害」=Obsessive-compulsiveな性質があると思ってます。
とてもきっちりしていて、がっつりのめり込んで他の事に目が行かない感じで、なにかに取り付かれているような、気持ちの高揚ではなく不安とか止められないとか・・・強迫観念に少し通じるものがあると思います。

プロコフィエフの音楽の(あくまで印象ですが)あの一点を見つめている、ロックオンしている感じは独特です。
似たようなスタイルのショスタコーヴィチの音楽はこちらを見つめてくる感じが怖いのですが、プロコフィエフは別の怖さがあって。
例えばこの曲の暗いところも暗いのが怖いんでなく、本当に現実を離れてその世界にどっぷり入っている怖さが・・・

そして明るいところは明るいところでどっぷりと病んでいて。
散々膨れあがって盛り上がって、その最後のハ長調のコードがモーツァルトやベートーヴェンなどに代表される「普通のハ長調」のようなに明るく聞こえないこの不思議さ!
ものすごい圧迫感があります、空間的にも心的にも。

でもこの狂ったような、取り付かれたような中でものすごく「秩序」があって、音自体は本当に論理的で。
ピアノのパートの音のクールさ(冷たさ、でもありますね)もまた内に情熱のような、違うものを秘めていて。
プロコフィエフの音楽はそこが魅力ですね。

最初は舞曲にも似ているところがあるのですが、だんだん速く狂おしくなっていくうちにどこからかそれも消え去って。
不思議な曲ですがまるで苦いお酒のような、不快と酔いと深みのある味のコンビで虜にされてしまいます。

(実は2番、3番以外はプロコフィエフの協奏曲はあんまり知らなくて、それも今持ってる録音以外にもいっぱい聞き比べたいまま何もできずいます。なのでいつか手に入れる!という願いも込めてキーシンの録音を。リヒテルとかプロコフィエフ自身とか、名前は忘れましたが今日お勧めいただいたピアニストとか・・・あとアシュケナージの全5曲セットもほしいなあ!)

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