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今日はちょっと日本の今、震災の影響についての話を・・・
ツイッターでちょこちょこ「すきま産業」じゃないですけどこんな支援もあるんだ~というような形の支援が流れてきますね!
ペットに関する支援、眼鏡の寄付、文化財保存・復元だったり切手の換金(今流れてきました)、そして濡れたりした写真などの復元などもあるそう。
そういったことを実現させる技術の発達もそうですが、そういったサービスにアクセスできるための、情報を伝達するためのネットワークの発達も凄い。
もちろんいろいろ手が届かないこと、困ることたくさんありますが、それでも包括して便利な世の中になったなあ、と思います。
以前も書きましては被災地関連の情報は昔住んでいた福島県いわき市に主に絞っています。
最近増えているのはやはり風評被害、さらに言えば避難先での差別に関する懸念。
風評被害は受ける側のパニック・過度な被害意識も問題になりますが、なによりも正しい知識・意識が浸透し、理解が深まることが必要で・・・
自分が今一番強く思っていることなのですが、摂食障害のレクチャーでも去年のPiano Landmarksのあとの飲み会の話でもあったのですが「差別は家の環境から、親の影響から生まれる」ということを本当に全ての「親」である人、そしてそれ以外の全ての人(自分が親からそういった影響を受けていないか、というチェックの意味で)もまた心に深く刻む必要があると思います。
3月11日から1ヶ月を過ぎ、色々なことが変わって来ました。間違いなくポジティブな変化として季節が春になったことがありますが、裏を返せばこれからの夏、被災地・非被災地ともに大きな課題がいくつもあることにはかわりなく・・・
1ヶ月も過ぎれば震災により様々な形で変わった生活に慣れてくる人もいれば、毎日を生きるのに疲れてくる人もいます。少なくとも我慢すること、無意識に感情を抑えてしまうことに慣れてしまうことには十分な時間だと私は思います。
日本人は感情を抑えるのが上手い、東北人は我慢強い、などの言葉を良く聞きますが例えばPTSDなどにおいて(それに限りませんが)そういった傾向はネガティブの方向にも働きかねないことは念頭に置く必要があると思います。
今日読んだ日経メディカルの記事にはいわき市で医療支援を行った方がいわゆる東北人の我慢強さの影響なのか「外の医療機関から入った医師に体の不具合を必ずしも伝えておらず、十分に診察しきれていない印象も受けた」と書いています。
感情などを抑えて我慢したまま長期間それに目を向ける余裕がなかったり、そういうことが続くと押さえた気持ちに気づくことが難しくなり、表現はどんどん難しくなります。
この震災において「心のケア」の重要さはよく説かれています。
ただ被災地でこの震災によりメンタルヘルスに関する影響をうけている人、震災の前から身体的・精神的な疾患・問題を抱えていて薬に関する問題、病状悪化の恐れがある人、被災地以外で心配したり、メディアの影響やその他の不安が精神に影響をきたしている人達、さらには避難して新しい町に移った人達・・・それぞれ違ったケアが必要な中で実際のケアはどうなってるのか、ケアへのアクセスはどうなってるのか、ということが本当に今自分の中で一番気になる、そして心配なところです。
非被災地でももちろんそうなのですが、被災地では本当に震災が起こる前の日常、普通の生活を取り戻したいという気持ちが強いと思います。
復興を願う気持ちは誰にも強くあるものであり、気持ちがはやるのは驚くことではないと思います。
そういうときにあまり先の事だったり、輝かしい未来・希望のビジョンについて考えることは時にその思いを強め、より気持ちがはやり焦りに変わるケースもあるかと思います。
もう精一杯進んでるんだ、という意味では「頑張れ」という言葉をかける行為に少し似たものがあると思います。
そしてまだまだ毎日、一日一日進んでいくだけで精一杯の人もたくさんいるかと思われます。
本当に辛い道を歩んでいるときは目の前しか見えない場合もあって・・・
未来の復興が遠く見えない、見る余裕がない、と感じる人にも毎日振り返って今日も一日精一杯やったと自分をねぎらい、いたわって次の日の希望に繋げていけるこを願っています。
実際の復興作業ももちろん時間がかかります。同時に人の心も時間を必要としています。
変わってしまった現実や日常を受け止める時間、それぞれの新しい生活に慣れる時間、復興についやす時間、休む時間、早急な焦った判断をしないよういつもよりもさらに慎重に、ロジカルに考えるための時間、自分をいたわって上げる時間。
みんな一刻も早く復興を、と思っていますがその思い以上に焦ることなく、焦らせることなく・・・
必要なところにちゃんと時間と労力が行きわたれば、と思います。
生計を立てるのに必死で、とか新しい町で馴染み生活を送るのに忙しく、とか苦しさを感じながら一日一日生きて行くのに精一杯で、など日常を取り戻しそれを維持することでいっぱいいっぱいに感じている人は多いと思います。
でもそういう人こそケア(専門家なり自分なり)に割く時間が大切だ、ということを本当に強く主張したいです。
ケアに割く時間も日常のいろんな大切なことと同じくらい本当に、本当に大切なんだ、と。
音楽においてもメンタルヘルスにおいてももっと力が、知識があったらなあと思うこの頃です。
もっとできることがあったら。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第1番「父のまなざし」
昨日今日とちょっと自分の演奏を録音してました。前みたいにアップする用のを。(この曲ではないです)
人前で演奏するときももちろんそうなんですけど、録音するときも・・・いや、普段からなのかもしれません、結構テンポ速めで弾いてるみたいなんですよね・・・録音して初めて分かるんですが。全部の曲が、というわけじゃないですが「遅すぎるな」と思った事はないです。
基本せっかちなのとあとある程度ごまかし的な都合があって・・・もにょもにょ。
そんな自分を戒めるという意味で、そして今日のエントリーの「焦らず、時間を」的なテーマにも沿ってこの曲をチョイス。
以前「心が弱った時に聴きたい曲」にもチョイスしてますが、本当に究極の焦らない、焦らせない曲。
「父のまなざし」というのはキリスト教で言う三位一体、父・子・聖霊の「父」=神様その人のことです。
自分の分身、生命を持つ人間に宿った神の魂。神はイエスの人生も、死も、彼が受け継ぐ自身の教えも、人間も、そして信仰全体も・・・ひっくるめてどっしりと見据えていて、見渡していて。
前々から書いているように私は無神論者で全知全能の神だったり、その教えや神の人格、「賢」に疑いの眼を向けているのですが、この曲にはその父性のまなざし、というか、おおらかで賢い雰囲気を感じます。
母性における感情的な面とは別の所にある何か。
先ほどリンクしましたエントリーでも書いているのですがこの曲のテンポは1音=1秒。
みんながみんなそのテンポで弾いているわけではないですが(これよりも遅い人もいるんですよ!)、どっちにしてもゆっくりな事に変わりはないです。
和音が連なるメロディー(神の主題)はあるのですが、メロディーが動くとテンポも動く、ということもなく、ゆっくり穏やかに、不変に流れる時。
弾いていても聴いていても自分の中の時間がスローダウンして、焦ることなく「時間そのまま」に流れ。
この曲はいつでも心を落ち着けて、めまぐるしく流れる生活の時間から「元の時間」に心をリセットしてくれます。
ツイッターでちょこちょこ「すきま産業」じゃないですけどこんな支援もあるんだ~というような形の支援が流れてきますね!
ペットに関する支援、眼鏡の寄付、文化財保存・復元だったり切手の換金(今流れてきました)、そして濡れたりした写真などの復元などもあるそう。
そういったことを実現させる技術の発達もそうですが、そういったサービスにアクセスできるための、情報を伝達するためのネットワークの発達も凄い。
もちろんいろいろ手が届かないこと、困ることたくさんありますが、それでも包括して便利な世の中になったなあ、と思います。
以前も書きましては被災地関連の情報は昔住んでいた福島県いわき市に主に絞っています。
最近増えているのはやはり風評被害、さらに言えば避難先での差別に関する懸念。
風評被害は受ける側のパニック・過度な被害意識も問題になりますが、なによりも正しい知識・意識が浸透し、理解が深まることが必要で・・・
自分が今一番強く思っていることなのですが、摂食障害のレクチャーでも去年のPiano Landmarksのあとの飲み会の話でもあったのですが「差別は家の環境から、親の影響から生まれる」ということを本当に全ての「親」である人、そしてそれ以外の全ての人(自分が親からそういった影響を受けていないか、というチェックの意味で)もまた心に深く刻む必要があると思います。
3月11日から1ヶ月を過ぎ、色々なことが変わって来ました。間違いなくポジティブな変化として季節が春になったことがありますが、裏を返せばこれからの夏、被災地・非被災地ともに大きな課題がいくつもあることにはかわりなく・・・
1ヶ月も過ぎれば震災により様々な形で変わった生活に慣れてくる人もいれば、毎日を生きるのに疲れてくる人もいます。少なくとも我慢すること、無意識に感情を抑えてしまうことに慣れてしまうことには十分な時間だと私は思います。
日本人は感情を抑えるのが上手い、東北人は我慢強い、などの言葉を良く聞きますが例えばPTSDなどにおいて(それに限りませんが)そういった傾向はネガティブの方向にも働きかねないことは念頭に置く必要があると思います。
今日読んだ日経メディカルの記事にはいわき市で医療支援を行った方がいわゆる東北人の我慢強さの影響なのか「外の医療機関から入った医師に体の不具合を必ずしも伝えておらず、十分に診察しきれていない印象も受けた」と書いています。
感情などを抑えて我慢したまま長期間それに目を向ける余裕がなかったり、そういうことが続くと押さえた気持ちに気づくことが難しくなり、表現はどんどん難しくなります。
この震災において「心のケア」の重要さはよく説かれています。
ただ被災地でこの震災によりメンタルヘルスに関する影響をうけている人、震災の前から身体的・精神的な疾患・問題を抱えていて薬に関する問題、病状悪化の恐れがある人、被災地以外で心配したり、メディアの影響やその他の不安が精神に影響をきたしている人達、さらには避難して新しい町に移った人達・・・それぞれ違ったケアが必要な中で実際のケアはどうなってるのか、ケアへのアクセスはどうなってるのか、ということが本当に今自分の中で一番気になる、そして心配なところです。
非被災地でももちろんそうなのですが、被災地では本当に震災が起こる前の日常、普通の生活を取り戻したいという気持ちが強いと思います。
復興を願う気持ちは誰にも強くあるものであり、気持ちがはやるのは驚くことではないと思います。
そういうときにあまり先の事だったり、輝かしい未来・希望のビジョンについて考えることは時にその思いを強め、より気持ちがはやり焦りに変わるケースもあるかと思います。
もう精一杯進んでるんだ、という意味では「頑張れ」という言葉をかける行為に少し似たものがあると思います。
そしてまだまだ毎日、一日一日進んでいくだけで精一杯の人もたくさんいるかと思われます。
本当に辛い道を歩んでいるときは目の前しか見えない場合もあって・・・
未来の復興が遠く見えない、見る余裕がない、と感じる人にも毎日振り返って今日も一日精一杯やったと自分をねぎらい、いたわって次の日の希望に繋げていけるこを願っています。
実際の復興作業ももちろん時間がかかります。同時に人の心も時間を必要としています。
変わってしまった現実や日常を受け止める時間、それぞれの新しい生活に慣れる時間、復興についやす時間、休む時間、早急な焦った判断をしないよういつもよりもさらに慎重に、ロジカルに考えるための時間、自分をいたわって上げる時間。
みんな一刻も早く復興を、と思っていますがその思い以上に焦ることなく、焦らせることなく・・・
必要なところにちゃんと時間と労力が行きわたれば、と思います。
生計を立てるのに必死で、とか新しい町で馴染み生活を送るのに忙しく、とか苦しさを感じながら一日一日生きて行くのに精一杯で、など日常を取り戻しそれを維持することでいっぱいいっぱいに感じている人は多いと思います。
でもそういう人こそケア(専門家なり自分なり)に割く時間が大切だ、ということを本当に強く主張したいです。
ケアに割く時間も日常のいろんな大切なことと同じくらい本当に、本当に大切なんだ、と。
音楽においてもメンタルヘルスにおいてももっと力が、知識があったらなあと思うこの頃です。
もっとできることがあったら。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第1番「父のまなざし」
昨日今日とちょっと自分の演奏を録音してました。前みたいにアップする用のを。(この曲ではないです)
人前で演奏するときももちろんそうなんですけど、録音するときも・・・いや、普段からなのかもしれません、結構テンポ速めで弾いてるみたいなんですよね・・・録音して初めて分かるんですが。全部の曲が、というわけじゃないですが「遅すぎるな」と思った事はないです。
基本せっかちなのとあとある程度ごまかし的な都合があって・・・もにょもにょ。
そんな自分を戒めるという意味で、そして今日のエントリーの「焦らず、時間を」的なテーマにも沿ってこの曲をチョイス。
以前「心が弱った時に聴きたい曲」にもチョイスしてますが、本当に究極の焦らない、焦らせない曲。
「父のまなざし」というのはキリスト教で言う三位一体、父・子・聖霊の「父」=神様その人のことです。
自分の分身、生命を持つ人間に宿った神の魂。神はイエスの人生も、死も、彼が受け継ぐ自身の教えも、人間も、そして信仰全体も・・・ひっくるめてどっしりと見据えていて、見渡していて。
前々から書いているように私は無神論者で全知全能の神だったり、その教えや神の人格、「賢」に疑いの眼を向けているのですが、この曲にはその父性のまなざし、というか、おおらかで賢い雰囲気を感じます。
母性における感情的な面とは別の所にある何か。
先ほどリンクしましたエントリーでも書いているのですがこの曲のテンポは1音=1秒。
みんながみんなそのテンポで弾いているわけではないですが(これよりも遅い人もいるんですよ!)、どっちにしてもゆっくりな事に変わりはないです。
和音が連なるメロディー(神の主題)はあるのですが、メロディーが動くとテンポも動く、ということもなく、ゆっくり穏やかに、不変に流れる時。
弾いていても聴いていても自分の中の時間がスローダウンして、焦ることなく「時間そのまま」に流れ。
この曲はいつでも心を落ち着けて、めまぐるしく流れる生活の時間から「元の時間」に心をリセットしてくれます。
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