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昨日はレクチャーに行ってきました~感想は後日。いつまとめられるか目処がついてないので・・・
どうも全体的にもたついてる感じです・・・
そうそう、昨日連絡があって、ユースオケが今度メシアンのトゥーランガリラ交響曲を弾くのですがそこでチェレスタパートを弾かせてもらえることになりました。やった!根回しした甲斐があった(爆)
あしたパート取りに行くのですが、大学在学中にスコアを見た限りソリスト扱いのピアノとあんまり変わらない感じだった記憶が。メシアン和音いっぱいあったような気がするんですよね~
実際に目立つところってのは少ないと思いますが。
久しぶりのチェレスタ、久しぶりのオケ、久しぶりの人前演奏。さらにメシアンのトゥーランガリラ!
気合いがいやでも入ります!たーんと楽しんで精一杯頑張りたいですね♪
ちなみにコンサートは7月2日と3日の2回。また追っていろいろ報告します。
音楽で面白いな~と思うことの一つに「引用」があります。
編曲(既にある曲全曲を別の楽器編成のためにアレンジする)ではなく、既存の曲の一部を自分の曲の中にそれとわかるように(わかりやすさの程度はまちまちですが)挿入すること。
ちょうど今日もイベールのDivertissementの「Cortege」という楽章でメンデルスゾーンの「結婚行進曲」(「真夏の夜の夢」)がちょろっと聞こえましたね。
引用っていうのはどんなにあからさまに挿入されてても引用の元を知らないとおもしろみが分からない、いわば内輪のジョークみたいなものなんですが・・・
面白いのが引用は必ずはっきりとした意図があって行われる行為で、どうしてその曲をそこで使ったか、どうやって使っているか(分かりやすさも含め)、そういうことを通じてなんとなく作曲家の心というか、ユーモアのセンスとかひねった表現力とかが分かるんですよね。
私の贔屓作曲家、クラムはやたらと・・・ではないですがかなり多く引用を使ってます。
引用の使い方についてはショスタコーヴィチとクラムはずば抜けて凄いセンスがあるような気がします。
引用は何を=What、どこで=Where, どうして=Why、そしてどうやって=How、使うというのが効果の大きさを左右するんですけど、クラムは特にHowの部分がすごいなあと。
なので今日はちょっとクラムの「引用」についてちょっと紹介します。
<What & Why>
クラムはほとんどの場合ご丁寧にも引用の部分、さらに引用元を書いてくれてます。
「鯨の声」では進化の中に現れる「人間」を表すのにリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」のパロディ化した一節を挿入したり(ちなみに言われるまで分からなかったです、私は)。
マクロコスモス第1巻第5楽章「Phantom Gondelier」では幽霊船頭の不思議な詠唱、その悪魔的な性質を表すためにベルリオーズの「ファウストの功罰」の一シーンで魔物達が創作言語で呼びかけている場面を引用したり。
あと「Eine Kleine Mitternachtmusik」の「Golliwog Revisited」では曲自体がドビュッシーの「子供の領分」の「Golliwog's Cakewalk」のパロディなのにそこにリヒャルト・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲル」が姿を現したり。推測なんですが、この奇っ怪な、歪んだGolliwogの世界の中でさらにそれをかき回してくれる、というか・・・ユーモアと奇怪さをプラスする、という意図ではないかと思います。
<How>
クラムが凄い、と思うのは引用部分の、いわばプロデュースのしかた。
例えば絵でも文でも音楽でも、引用が使われてると「あ、これは○○だな」と思ったり、「ここでこれを持ち出すのは○○な意味があるのか」とか「ここでこれを持ち出すのは粋だな」とか思ったり、そういう効果があります。
でもクラムは引用を行うことで、本当に不思議で魔法のような、引用元の音楽自体とは違った、そしてそれ以上の意味と魅力を持つようになるんです。
まずは「Ancient Voices of Children」から「Todas los Tardes~」。バッハの「アンナ・マクダレーナ・バッハのための音楽帳」からの一節がトイピアノで奏でられます。時が静止したようなこの雰囲気の中でいかに儚く、まるでふるいおもちゃのような音でこのシンプルな(子供を表すような)音楽が奏でられて朽ちていく。長い「世界」の時間の中で、あのバッハの音楽もまた朽ちていくのか・・・という感じです。
そして「Black Angels」の「Pavane Lachrymae」。ここではシューベルトの歌曲+弦楽四重奏「死と乙女」が引用されています。特殊奏法(今日の一曲参照)で、しかもだんだん奏者がピッチを低くしていきながら弾く、という。これもまた「朽ち」を感じますね。前者と同じ「死にゆく」感覚。
さらにマクロコスモス第1巻第11楽章「Dream Images (Love-Death Music)」にはショパンの「幻想即興曲」の一節が。現れては消える響きのなかにふっと現れて、ほどけて行く。まるで夢の中のような、そしてまるで切ない初恋の思い出のような(loveとdeathの内Loveを表していることは確かですね)。この時周りの音楽のスタイルやタッチをちゃんとクラム風に、そして引用部分をしっかりショパン風に弾く事でコントラスト的な効果が得られる、ということもありますが、引用の最後の部分をスローダウンした上にペダルでぼかすことによって本当にほどけていく、夢の中に溶けていくような感覚が。
そういう風にクラムの音楽において引用は「過去」だったり「時間の流れ」を示す(またはそれに関連している)よう使われていることが結構あるような気がします。振り返る、心持ち。
クラムに限りませんが、引用は「シンボル」なんですよね。十字架や、非常口サインといっしょで。形に意味を持たせ、注意を引き、すぐさまその形が何を表しているかぴんとくるようにする。
でもどっちかというと暗号ですよね。もともとそのシンボルが何を意味しているかわからないといけない。でもその周りの状況からどうしてその曲がそこに使われているか、どうして使われているかというのを推察することもできます。
クラムの音楽の「引用が醸し出す効果」というのは物凄いと思います。もともと空間と時間を操るというか、そういう感じがあるのですがそれをさらに引用という「シンボル」を使うことで自分の音楽、元の音楽の意味と効果を増幅させて。
もともと暗号とか、シンボルとかサインとか好きなのでやっぱそういうところに惹かれるのかな~
勿論弾くにしてもクラムの意図とその音楽の魅力を最大限に引き出さなくちゃいけません。弾き方によってその効果は半減もしますし、倍増もします。楽しみながらその魅力を自在に操れるようになりたいですねえ・・・
いつのことになるやら・・・(汗)
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Black Angels」より「Pavane Lachrymae」
先ほど言及があった、Black Angelsという四重奏曲の一部です。
Black Angelsはいろいろ構造的に、数字に関してもいろいろ面白いことがあるのですがそれは別の楽章の話にとっておきます。
Black Angelsは3つのセクション、13の楽章(4+5+4)から成っていますが、このPavane Lachrymaeはその第2セクション「Absence」の最初に位置しています。
カルテットのうち3人がシューベルトの「死と乙女」の引用を弾いて、もう1人は全く別の、不思議な虫の鳴き声みたいな音楽を奏でる2層構造になっています。
さきほど触れましたが「死と乙女」のパッセージは特殊奏法で弾かれます。
普通はバイオリンなどはボディの部分、ブリッジに近いところを弓で弾いて首の部分、つまりボディでなく頭に近い方を弦を左手で押さえて音程を操りますが、この曲ではその逆になります。
つまり首のほうを弓で弾いて、ブリッジの方を左手で押さえる。伝わるかな~(汗)
この奏法には「音を不安定にさせる」という効果があります。こういう風に弾くのになれていないということだけでなく、弦楽器において音程、というのは弦の長さの中央から対称になってるので左手の動き(というのかな)も逆になりますし、それから張力の高い部分を指で押さえ張力の低い部分を弓で弾くことで音程を操りにくくし同時に音色のintensityを弱くする・・・
全てクラムは計算済ですよ♪
このPavane Lachrymaeは実は楽譜には2バージョン書かれています。
一つは「死と乙女」がそのまま引用されてるバージョン。
もう一つは「別版」として「死と乙女」を演奏する際だんだんと音程を下げていくバージョン。(先ほど書きましたが)
どちらも録音があります。このカルテットをSignatureとしているクロノス・カルテットは1つめのバージョン、そしてBrodsky Quartetは2つめのバージョン。
全体的な演奏、解釈や雰囲気はクロノスが上ですがBrodskyの比較的トラディショナルながらクロノスとは別の意味でクラムらしい演奏、そしてこの音程の見事な下がりっぷりもまた捨てがたいです。
Black Angelsを聴くときはどちらの演奏でもいいですが、同時にどっちの演奏も比べて聴くのがベストです。
終わりみたいになっちゃいましたが(汗)この「音程の下がるエフェクト」が恐ろしく効果的で。
最初は気づかないのにだんだん確実に音程が下がってる!ちょっと気持ち悪いけどそれがきっと狙った効果なんだな、と。正に音楽が朽ちていく感じ。
(弾く方は3人同時なので下がる度合いを合わせるのが大変そうです!)
Black Angelsは例えば冒頭はわりと騒音的な部分もあって、初めてクラムを聴く人、20世紀音楽に耳が慣れている人(慣れている人でも)にはちょっときついところもあるかと思います。
でもそれでこの曲を敬遠しないで欲しいな、と本当に強く思います。この曲でしか味わえないような美もありますし、慣れとクラムの音楽について知ることで騒音的な部分の意味や感覚が分かるようになり、楽しめるようになる、と確信しているので。
全力でおすすめ。
一応Brodsky Quartetの演奏をリンクしますね。私はこちらから聴きました。サウンドは先ほど書きましたがこちらが従来の弦楽四重奏に近い感じです。あとトラック分けが各楽章になってるのも良いです(クロノスの録音は各セクションでトラック分け)。
そしてなんとカップリング曲がここで引用されたシューベルトの「死と乙女」四重奏曲(こちらも弦楽四重奏曲最高峰の一つ!)、ということで2つの名曲、そしてその繋がりまで楽しむことができますよ♪
どうも全体的にもたついてる感じです・・・
そうそう、昨日連絡があって、ユースオケが今度メシアンのトゥーランガリラ交響曲を弾くのですがそこでチェレスタパートを弾かせてもらえることになりました。やった!根回しした甲斐があった(爆)
あしたパート取りに行くのですが、大学在学中にスコアを見た限りソリスト扱いのピアノとあんまり変わらない感じだった記憶が。メシアン和音いっぱいあったような気がするんですよね~
実際に目立つところってのは少ないと思いますが。
久しぶりのチェレスタ、久しぶりのオケ、久しぶりの人前演奏。さらにメシアンのトゥーランガリラ!
気合いがいやでも入ります!たーんと楽しんで精一杯頑張りたいですね♪
ちなみにコンサートは7月2日と3日の2回。また追っていろいろ報告します。
音楽で面白いな~と思うことの一つに「引用」があります。
編曲(既にある曲全曲を別の楽器編成のためにアレンジする)ではなく、既存の曲の一部を自分の曲の中にそれとわかるように(わかりやすさの程度はまちまちですが)挿入すること。
ちょうど今日もイベールのDivertissementの「Cortege」という楽章でメンデルスゾーンの「結婚行進曲」(「真夏の夜の夢」)がちょろっと聞こえましたね。
引用っていうのはどんなにあからさまに挿入されてても引用の元を知らないとおもしろみが分からない、いわば内輪のジョークみたいなものなんですが・・・
面白いのが引用は必ずはっきりとした意図があって行われる行為で、どうしてその曲をそこで使ったか、どうやって使っているか(分かりやすさも含め)、そういうことを通じてなんとなく作曲家の心というか、ユーモアのセンスとかひねった表現力とかが分かるんですよね。
私の贔屓作曲家、クラムはやたらと・・・ではないですがかなり多く引用を使ってます。
引用の使い方についてはショスタコーヴィチとクラムはずば抜けて凄いセンスがあるような気がします。
引用は何を=What、どこで=Where, どうして=Why、そしてどうやって=How、使うというのが効果の大きさを左右するんですけど、クラムは特にHowの部分がすごいなあと。
なので今日はちょっとクラムの「引用」についてちょっと紹介します。
<What & Why>
クラムはほとんどの場合ご丁寧にも引用の部分、さらに引用元を書いてくれてます。
「鯨の声」では進化の中に現れる「人間」を表すのにリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」のパロディ化した一節を挿入したり(ちなみに言われるまで分からなかったです、私は)。
マクロコスモス第1巻第5楽章「Phantom Gondelier」では幽霊船頭の不思議な詠唱、その悪魔的な性質を表すためにベルリオーズの「ファウストの功罰」の一シーンで魔物達が創作言語で呼びかけている場面を引用したり。
あと「Eine Kleine Mitternachtmusik」の「Golliwog Revisited」では曲自体がドビュッシーの「子供の領分」の「Golliwog's Cakewalk」のパロディなのにそこにリヒャルト・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲル」が姿を現したり。推測なんですが、この奇っ怪な、歪んだGolliwogの世界の中でさらにそれをかき回してくれる、というか・・・ユーモアと奇怪さをプラスする、という意図ではないかと思います。
<How>
クラムが凄い、と思うのは引用部分の、いわばプロデュースのしかた。
例えば絵でも文でも音楽でも、引用が使われてると「あ、これは○○だな」と思ったり、「ここでこれを持ち出すのは○○な意味があるのか」とか「ここでこれを持ち出すのは粋だな」とか思ったり、そういう効果があります。
でもクラムは引用を行うことで、本当に不思議で魔法のような、引用元の音楽自体とは違った、そしてそれ以上の意味と魅力を持つようになるんです。
まずは「Ancient Voices of Children」から「Todas los Tardes~」。バッハの「アンナ・マクダレーナ・バッハのための音楽帳」からの一節がトイピアノで奏でられます。時が静止したようなこの雰囲気の中でいかに儚く、まるでふるいおもちゃのような音でこのシンプルな(子供を表すような)音楽が奏でられて朽ちていく。長い「世界」の時間の中で、あのバッハの音楽もまた朽ちていくのか・・・という感じです。
そして「Black Angels」の「Pavane Lachrymae」。ここではシューベルトの歌曲+弦楽四重奏「死と乙女」が引用されています。特殊奏法(今日の一曲参照)で、しかもだんだん奏者がピッチを低くしていきながら弾く、という。これもまた「朽ち」を感じますね。前者と同じ「死にゆく」感覚。
さらにマクロコスモス第1巻第11楽章「Dream Images (Love-Death Music)」にはショパンの「幻想即興曲」の一節が。現れては消える響きのなかにふっと現れて、ほどけて行く。まるで夢の中のような、そしてまるで切ない初恋の思い出のような(loveとdeathの内Loveを表していることは確かですね)。この時周りの音楽のスタイルやタッチをちゃんとクラム風に、そして引用部分をしっかりショパン風に弾く事でコントラスト的な効果が得られる、ということもありますが、引用の最後の部分をスローダウンした上にペダルでぼかすことによって本当にほどけていく、夢の中に溶けていくような感覚が。
そういう風にクラムの音楽において引用は「過去」だったり「時間の流れ」を示す(またはそれに関連している)よう使われていることが結構あるような気がします。振り返る、心持ち。
クラムに限りませんが、引用は「シンボル」なんですよね。十字架や、非常口サインといっしょで。形に意味を持たせ、注意を引き、すぐさまその形が何を表しているかぴんとくるようにする。
でもどっちかというと暗号ですよね。もともとそのシンボルが何を意味しているかわからないといけない。でもその周りの状況からどうしてその曲がそこに使われているか、どうして使われているかというのを推察することもできます。
クラムの音楽の「引用が醸し出す効果」というのは物凄いと思います。もともと空間と時間を操るというか、そういう感じがあるのですがそれをさらに引用という「シンボル」を使うことで自分の音楽、元の音楽の意味と効果を増幅させて。
もともと暗号とか、シンボルとかサインとか好きなのでやっぱそういうところに惹かれるのかな~
勿論弾くにしてもクラムの意図とその音楽の魅力を最大限に引き出さなくちゃいけません。弾き方によってその効果は半減もしますし、倍増もします。楽しみながらその魅力を自在に操れるようになりたいですねえ・・・
いつのことになるやら・・・(汗)
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Black Angels」より「Pavane Lachrymae」
先ほど言及があった、Black Angelsという四重奏曲の一部です。
Black Angelsはいろいろ構造的に、数字に関してもいろいろ面白いことがあるのですがそれは別の楽章の話にとっておきます。
Black Angelsは3つのセクション、13の楽章(4+5+4)から成っていますが、このPavane Lachrymaeはその第2セクション「Absence」の最初に位置しています。
カルテットのうち3人がシューベルトの「死と乙女」の引用を弾いて、もう1人は全く別の、不思議な虫の鳴き声みたいな音楽を奏でる2層構造になっています。
さきほど触れましたが「死と乙女」のパッセージは特殊奏法で弾かれます。
普通はバイオリンなどはボディの部分、ブリッジに近いところを弓で弾いて首の部分、つまりボディでなく頭に近い方を弦を左手で押さえて音程を操りますが、この曲ではその逆になります。
つまり首のほうを弓で弾いて、ブリッジの方を左手で押さえる。伝わるかな~(汗)
この奏法には「音を不安定にさせる」という効果があります。こういう風に弾くのになれていないということだけでなく、弦楽器において音程、というのは弦の長さの中央から対称になってるので左手の動き(というのかな)も逆になりますし、それから張力の高い部分を指で押さえ張力の低い部分を弓で弾くことで音程を操りにくくし同時に音色のintensityを弱くする・・・
全てクラムは計算済ですよ♪
このPavane Lachrymaeは実は楽譜には2バージョン書かれています。
一つは「死と乙女」がそのまま引用されてるバージョン。
もう一つは「別版」として「死と乙女」を演奏する際だんだんと音程を下げていくバージョン。(先ほど書きましたが)
どちらも録音があります。このカルテットをSignatureとしているクロノス・カルテットは1つめのバージョン、そしてBrodsky Quartetは2つめのバージョン。
全体的な演奏、解釈や雰囲気はクロノスが上ですがBrodskyの比較的トラディショナルながらクロノスとは別の意味でクラムらしい演奏、そしてこの音程の見事な下がりっぷりもまた捨てがたいです。
Black Angelsを聴くときはどちらの演奏でもいいですが、同時にどっちの演奏も比べて聴くのがベストです。
終わりみたいになっちゃいましたが(汗)この「音程の下がるエフェクト」が恐ろしく効果的で。
最初は気づかないのにだんだん確実に音程が下がってる!ちょっと気持ち悪いけどそれがきっと狙った効果なんだな、と。正に音楽が朽ちていく感じ。
(弾く方は3人同時なので下がる度合いを合わせるのが大変そうです!)
Black Angelsは例えば冒頭はわりと騒音的な部分もあって、初めてクラムを聴く人、20世紀音楽に耳が慣れている人(慣れている人でも)にはちょっときついところもあるかと思います。
でもそれでこの曲を敬遠しないで欲しいな、と本当に強く思います。この曲でしか味わえないような美もありますし、慣れとクラムの音楽について知ることで騒音的な部分の意味や感覚が分かるようになり、楽しめるようになる、と確信しているので。
全力でおすすめ。
一応Brodsky Quartetの演奏をリンクしますね。私はこちらから聴きました。サウンドは先ほど書きましたがこちらが従来の弦楽四重奏に近い感じです。あとトラック分けが各楽章になってるのも良いです(クロノスの録音は各セクションでトラック分け)。
そしてなんとカップリング曲がここで引用されたシューベルトの「死と乙女」四重奏曲(こちらも弦楽四重奏曲最高峰の一つ!)、ということで2つの名曲、そしてその繋がりまで楽しむことができますよ♪
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