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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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「精神科医」について思った事いろいろ
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
録音はhopefullyまた近いうちに・・・
そして検索ワードにちらほらメンタルヘルス関連の言葉も出てきて、勉強中の患者&素人ながら嬉しいです。
どんな検索キーワードでたどり着いた方もここで何らか見つかるといいな、と思っています。

今日はちょっと色々思っていたことを・・・
ちょっと自分の立場で言うのはいけないことなのかなーと思いながら、半分愚痴だと思っていただければ。
こないだうちのドクターとのアポがあって、心理療法における「共感」の話をしたり、あとはぼんやりいつも思っていること中心です。

何回かここで書いてますが私は自分のドクターを信頼してて、好きで、ある程度師のように思ってます。
もちろん10年患者やってていつもそうだったわけではないですが。←(5月14日修正)
自分だったり周りの経験、そして論文でよんだりすることどれもが精神疾患の治療には医師のスキル(広く!そして詳細は後ほど)、患者の協力、そして両者の信頼が不可欠で、全部が強いことで治療がスムーズに進む、という・・・
それがもちろん理想で、もちろん現実は理想ほど上手くいかなくてもそれでもなんだかなあ・・・と思うのです。

一つの問題として、早期発見・早期介入がうまく行われてないことがあるのはどこも同じで・・・
やっぱり身体のお医者さんに行くよりも心のお医者さんにいくのはハードルがあるのかな、という印象はあります。
(注:オーストラリアでは大体かかりつけのGPがファーストコンタクトで(まあ理想ではそうですが)、そこで臨床心理士にまず照会してもらって、もしも薬やもっとcloseな治療の介入が必要な場合に初めて精神医に紹介してもらうのですが・・・)
身体に関して裸になって触れられるよりも心に関して裸になって触れられるのはためらわれる、というのも分かりますし、専門家とはいえ初めて会う他人ですし(いや、それでも初対面で全部なにもかも話せ、といいたいわけでもないのです)。
もちろん誰でも自分の事は自分が一番知っていると思います。1日24時間×○年間一緒にいるんですし。なのに知った風でいろいろ言われるのが不本意だと感じるのも自然な事だと思います。

・・・に加えてメディアにおける「精神科医」のイメージってあんま良くないのかも、と日本・オーストラリア両方のテレビを見て。
なんというか、あら探しというか、Nitpickingというか。「悪いところを探し出してきて突きつける」みたいなイメージを持ってる人、どれくらいいるのかしら。そうやって人格否定をされるのが怖い、というのがあるんじゃないかなーと。(特に精神疾患を患ったり心の調子が悪い人は周りを通常より怖く感じたり、自己評価・自信が低かったりしますから余計に)

あとは「見抜かれる」イメージも・・・でしょうか。
精神科医など、心理学を勉強した、ということで心を読まれるとか本質が見抜かれるとかそういうイメージ。
あくまで人間(または他の生物に至ることも)の行動に関する一般的な傾向の知識、なんですよね。
生きるための本能だったり、社会的な性質だったり、そういうところからあるていど予測できることはありますが人間と言っても千差万別で個人の行動、思考、感情とかはその人の経験などに基づいているのでぱっと見て分かるようなものではないですしね。

それから悪く見過ぎかと思いきやたまに聞くのが「問題が目に見えないものだというのをいいことに病気とされる」というイメージ。
これはでも・・・その、精神科医の仕事内容が重要になってきますね。
患者さんとちょっと話をして薬を出すだけならそれで儲けはたしかにでますが心理療法中心(特に「共感」についての論文で書いてあるようなみっちりタイプ)の治療をしてるなら医師の方の負担も本当に大きいですから得はどこにもないと思います。
(患者として自分のドクターを見続けて精神科医の仕事がどれだけ大変なものか身に染みてわかっているつもりです)
似たような感じで「こちらが専門知識を知らないのをいいことに~」というパターンも。もともと肩書きにコンプレックスや反感などを感じる人も珍しくないですからね。

テレビなどで見る精神科医は断言するような発言が多いのですが、(論文、経験などから)本来は患者さんの気づきを促したり、感情や思考の表現を助けたりするのが役割で・・・共感についての論文では「医師の立場から決めつけたり押しつけたりするのは非共感的だ」という患者の声がのってました。

少なくとも精神科医のポジション(そして同時に精神科医という専門家が必要な理由)というのは患者さんに対する個人的な感情などから生じる先入観、バイアスから離れた立ち位置から、冷静に、人間の心に関する医学的な知識と論理的思考を元に患者さんの状態を見極め、患者さんの精神的な健康のために動く、というものだと思います。
そして私の前の、そして今のドクターが言っていたことで、自分が本当に大切でもっと知ってもらいたいな、と思うのは「本来医師は患者さん(=患者さんの人格、人として)をjudgeすることはない」ということ。
この人はもうだめだ、とかこの人はおかしい、とかそういう判断を下さない、そういう仕事なんです。
さらに医師は(もちろん精神疾患に限らず)いつでも患者さんの味方なのです。いつも患者さんの状態が良くなることを願い、一見厳しかったり苦しみを伴うこともありますが患者さんの傍で患者さんの回復を支えるものなのです。
もちろん全員が全員そうではないですし、それでも難しいこといっぱいありますが、これが理想論に聞こえちゃったら困るな・・・とか何となく思ってます。(←5月14日修正)

なんだか長々すみません。
前回のエントリーの録音の言い訳みたいな、音楽の解釈、演奏、「原作にどれだけ忠実であるべきか」の話も忘れてません(言い訳ですので)のでまた後日。


今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 変ホ短調



op.39のはいくつか紹介してたみたいですがこちらのセットは初めてですね。
op.33は出版されてない曲が二つあるのでナンバリングが曖昧なのですが出版されたうちでは第3番、未出版を含めると第5番になるやつです。

今日ラフマニノフを選んだのは今日この曲を弾き始めた、ということにも合わせてラフマニノフもまた精神科医のお世話になり、回復を遂げた人間の1人だったという理由もあり。
交響曲第1番の初演が失敗に終わり(一説には曲の善し悪しではなく初演の指揮者が酔っぱらってたことが関係しているという話も)、それでラフマニノフはいわゆるMental Breakdownに陥り(神経衰弱、抑鬱などという話を聞いています)、全く作曲ができない状態になってしまいました。
その後彼はニコライ・ダーリという精神医にかかり、催眠療法(暗示療法)により作曲ができるまで回復したそうです。

(精神科医のお世話になった作曲家と言えばマーラーもそうですね。彼はあのフロイトに治療を受けたそうです。当時では最先端の治療なんでしょうね)

そんなラフマニノフもアメリカに渡り、作曲家よりはピアニストとしての仕事が多く。
今日のこの曲もまたそんな曲の一つだったのでしょうか。
でも12度(ドからその一オクターブ半ほど上のソ!)も届くといわれた巨大な手(背も大きかったそうです)をがっつり使う様な曲ではなく、むしろラフマニノフみたいな大きい手だと結構苦になりそうな。

とにかく細かい!動きとか全て。まるで弾くものすべて旋風のような。
私の手にはわりと有利に働くのですよ~既に弾いてて楽しいです♪
軽やかで素早いパッセージが多いのですが、それでも変ホ短調独特の暗さと深さは忘れたくない。
音は多いけどアーティキュレーションだったり音の爆発、うねりなどが本当に光る一曲です。
やっぱピアノはいいなあ~と。

今日この曲でよかったなーと思うのは正に今日メルボルンはこの曲ぴったりの天候でした。
雨降り、暗雲、冷たく湿った速く軽い風が渦巻く、そんな感じ。
日本でも低気圧、雨降りなどの言葉をtwitterで今日聴きますがそんな日にこの曲が皆さんとともにありますよう。


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