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いつもこのブログに訪れてくれてありがとうございます。
アクセスもちょっと前に1500を超えて、感謝を言いそびれてなんだかすみません(汗)
ここ数日冬季鬱の影響をひしひしと感じる様になりまして。
集中力の散漫、思考の鈍り、言葉での表現が難しくなったり。
情報のインプットが大分難しくなったり、他人のことに心を向けたりするのが難しくなったり。
あとは全体なおっくうさ、特に朝起きることが目立って難しくなったり、ご飯を作るのにも仕事、ピアノを始めるのにも腰が重かったり。
感情方面は比較的まだマシかな、と思いますが注意が必要なことを現在自覚しています。
(そして仕事が在宅なのは本当に今有り難いですね!)
ということで只今Twitterお休みしています。(フォロワーさん方心配かけてすみません)
「情報のインプットが大分難しくなったり、他人のことに心を向けたりするのが難しくなったり」の部分ですね、なによりも。
ネットで繋がってるのは誰かと一緒にいることとも独りでいるのとも違いますし、もともと一人の時間を必要としている度合いを過小評価しがちというか忘れがちというか。
過去の経験から対人トラブルを起こしやすい状態だと思うのでちょっとおとなしくしたほうが吉かも、ということで。
そしてこのブログも更新頻度が減ると思います・・・が、更新は続けますので引き続きよろしくお願いします。
(そもそもその前からちょっとブログ書くスピードとかまとまりとかが悪くなってきてましたね・・・)
つい最近まで自分は患者面しちゃいけないんじゃないかなーと思う程度に精神的に大丈夫な感じだと思ってたのですが、なんだかやっぱり侮ってたというか油断してたというか。
やはり冬はいかんですね(苦笑)
もう10年もこんな感じで・・・10年前よりは大分いろいろ改善しましたが毎年明確に「鬱だ」と分かる程度には落ちています。
だからこれからは今まで以上に意識的に自己管理しなきゃいけないです。
例えば季節性(冬季)の鬱でよくあるという炭水化物のcravingがちょっと気になり出すこの頃。
起床時間、服薬、そして毎日のいろいろをこなしていくこと、自己モニタリングが不可欠です。
あんまり無理はしちゃいけないのですが、やはりブログ書きが日課(ゆるいですが)になってることもあり、文章の組み立てとか集中した思考とか、自分の考えたり感じていることのstructuredな表現とか、できる範囲で使っていかないと余計に衰えてしまうかな、と思ったのでブログは完全ストップをなるべく避けることにしました。
あと昨日レクチャーに行ったのと、これからまたコンサートがあったりするので感想などはアップしていきたいなと思うので。
創作文書きもちょっと停滞気味なのですがこれも止める必要はないかな、ということでこちらもゆるゆる(まあアウトプットの波はいつでもありますしね)。
もちろんできないことであまり気を病まないように、は忘れちゃいけませんが。
鬱の症状で私が割とやっかいに感じるのが「普段楽しいと思う事、好きなことに対して興味を失う、楽しみを感じなくなる」あたりのことで。
ムキになるんですよね、楽しく感じないことが悔しいし嫌で。なんとか楽しみたいのにという時だからこそなんですよね。(いつもならできることができない、というのもそうですね)そこで自分を責めることが多いと自覚してて。
何にしても集中力は全般的に散漫なのですがツボにはまるとがっつりロックオンしてはまる癖は悪い方向に向かないよう上手く楽しく使えれば・・・と思います。
ピアノは鉄則としてトゥーランガリラ優先、何はなくてもトゥーランガリラ。
本当に弾く気力がないときでもパートとスコアと録音があれば色々できますし。
ソロのレパートリーの方も(大きくプランを変えることはないでしょうが)今だから弾ける曲、今だから弾きたい曲を取り入れて行けたらなあ、と。モチベーションの意味でも表現の意味でも。
長々と支離滅裂にすみません。
でもここまで(大分時間はかかってますが)やっと形にできたならまだ大丈夫かな、と思います。
闘病ではなく慎重めの自己管理、ということで。
一日一日やることやって全体的にはゆるゆるやっていきたいと思います。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 前奏曲とフーガ第23番 ヘ長調
精神状態が変わると音楽の感じ方も変わります。
先ほど仕事をしながらマーラー1番の第3楽章(Bruder Martinのカノンのやつ)を聴いてたんですがマーラーの中でもわりと構造が単純で、それぞれの楽器の音があんなにもはっきり示されているあの曲でも頭の中でばらしたり特定の音にフォーカスするのが難しかったり。
極端に色彩が多かったり極端に明るかったり派手だったりする曲も気圧されたり情報過多になるので避けがちです。(トゥーランガリラなんかそうですが、でもやはり諸々他の思いが勝ってるようです)
そんななか今日お皿を洗ってて耳に入ったこの曲は普段と良い意味で違う印象を持ちました。
あんまり今までこの曲に魅力を感じたことはなかったのですが・・・
ヘ長調はベートーヴェンの「田園」などに見られる牧歌的な曲によく使われるキー。
牧歌的・・・なのかしら、この曲は?前奏曲はちょっとあるかなあ・・・
でも本当に広さがあって、安堵する要素に溢れています。
そしてそこにショスタコらしい毒が入ってそれがまたコクというか深みを持たせて。
特にフーガの4度の音程で昇っていく様子が本当に開放的で好きです。
もちろん前奏曲のゆったりした感じも心地良いですし。
明るすぎない、焦らない感覚が今だからこそ響くのかも。
(それにしてもちょっとショスタコには珍しい感じの曲ですね。24個セットの曲集は結構ショスタコにとっていろいろ試してみる場でもあったのかもしれないな、と思ってます。)
アクセスもちょっと前に1500を超えて、感謝を言いそびれてなんだかすみません(汗)
ここ数日冬季鬱の影響をひしひしと感じる様になりまして。
集中力の散漫、思考の鈍り、言葉での表現が難しくなったり。
情報のインプットが大分難しくなったり、他人のことに心を向けたりするのが難しくなったり。
あとは全体なおっくうさ、特に朝起きることが目立って難しくなったり、ご飯を作るのにも仕事、ピアノを始めるのにも腰が重かったり。
感情方面は比較的まだマシかな、と思いますが注意が必要なことを現在自覚しています。
(そして仕事が在宅なのは本当に今有り難いですね!)
ということで只今Twitterお休みしています。(フォロワーさん方心配かけてすみません)
「情報のインプットが大分難しくなったり、他人のことに心を向けたりするのが難しくなったり」の部分ですね、なによりも。
ネットで繋がってるのは誰かと一緒にいることとも独りでいるのとも違いますし、もともと一人の時間を必要としている度合いを過小評価しがちというか忘れがちというか。
過去の経験から対人トラブルを起こしやすい状態だと思うのでちょっとおとなしくしたほうが吉かも、ということで。
そしてこのブログも更新頻度が減ると思います・・・が、更新は続けますので引き続きよろしくお願いします。
(そもそもその前からちょっとブログ書くスピードとかまとまりとかが悪くなってきてましたね・・・)
つい最近まで自分は患者面しちゃいけないんじゃないかなーと思う程度に精神的に大丈夫な感じだと思ってたのですが、なんだかやっぱり侮ってたというか油断してたというか。
やはり冬はいかんですね(苦笑)
もう10年もこんな感じで・・・10年前よりは大分いろいろ改善しましたが毎年明確に「鬱だ」と分かる程度には落ちています。
だからこれからは今まで以上に意識的に自己管理しなきゃいけないです。
例えば季節性(冬季)の鬱でよくあるという炭水化物のcravingがちょっと気になり出すこの頃。
起床時間、服薬、そして毎日のいろいろをこなしていくこと、自己モニタリングが不可欠です。
あんまり無理はしちゃいけないのですが、やはりブログ書きが日課(ゆるいですが)になってることもあり、文章の組み立てとか集中した思考とか、自分の考えたり感じていることのstructuredな表現とか、できる範囲で使っていかないと余計に衰えてしまうかな、と思ったのでブログは完全ストップをなるべく避けることにしました。
あと昨日レクチャーに行ったのと、これからまたコンサートがあったりするので感想などはアップしていきたいなと思うので。
創作文書きもちょっと停滞気味なのですがこれも止める必要はないかな、ということでこちらもゆるゆる(まあアウトプットの波はいつでもありますしね)。
もちろんできないことであまり気を病まないように、は忘れちゃいけませんが。
鬱の症状で私が割とやっかいに感じるのが「普段楽しいと思う事、好きなことに対して興味を失う、楽しみを感じなくなる」あたりのことで。
ムキになるんですよね、楽しく感じないことが悔しいし嫌で。なんとか楽しみたいのにという時だからこそなんですよね。(いつもならできることができない、というのもそうですね)そこで自分を責めることが多いと自覚してて。
何にしても集中力は全般的に散漫なのですがツボにはまるとがっつりロックオンしてはまる癖は悪い方向に向かないよう上手く楽しく使えれば・・・と思います。
ピアノは鉄則としてトゥーランガリラ優先、何はなくてもトゥーランガリラ。
本当に弾く気力がないときでもパートとスコアと録音があれば色々できますし。
ソロのレパートリーの方も(大きくプランを変えることはないでしょうが)今だから弾ける曲、今だから弾きたい曲を取り入れて行けたらなあ、と。モチベーションの意味でも表現の意味でも。
長々と支離滅裂にすみません。
でもここまで(大分時間はかかってますが)やっと形にできたならまだ大丈夫かな、と思います。
闘病ではなく慎重めの自己管理、ということで。
一日一日やることやって全体的にはゆるゆるやっていきたいと思います。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 前奏曲とフーガ第23番 ヘ長調
精神状態が変わると音楽の感じ方も変わります。
先ほど仕事をしながらマーラー1番の第3楽章(Bruder Martinのカノンのやつ)を聴いてたんですがマーラーの中でもわりと構造が単純で、それぞれの楽器の音があんなにもはっきり示されているあの曲でも頭の中でばらしたり特定の音にフォーカスするのが難しかったり。
極端に色彩が多かったり極端に明るかったり派手だったりする曲も気圧されたり情報過多になるので避けがちです。(トゥーランガリラなんかそうですが、でもやはり諸々他の思いが勝ってるようです)
そんななか今日お皿を洗ってて耳に入ったこの曲は普段と良い意味で違う印象を持ちました。
あんまり今までこの曲に魅力を感じたことはなかったのですが・・・
ヘ長調はベートーヴェンの「田園」などに見られる牧歌的な曲によく使われるキー。
牧歌的・・・なのかしら、この曲は?前奏曲はちょっとあるかなあ・・・
でも本当に広さがあって、安堵する要素に溢れています。
そしてそこにショスタコらしい毒が入ってそれがまたコクというか深みを持たせて。
特にフーガの4度の音程で昇っていく様子が本当に開放的で好きです。
もちろん前奏曲のゆったりした感じも心地良いですし。
明るすぎない、焦らない感覚が今だからこそ響くのかも。
(それにしてもちょっとショスタコには珍しい感じの曲ですね。24個セットの曲集は結構ショスタコにとっていろいろ試してみる場でもあったのかもしれないな、と思ってます。)
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