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たびたび自分の状態が仮病に感じたりそうでなかったりを繰り返してます、こんばんは。
確かにそこに今までと違う重さがあるようです。
レクチャーの感想の前に一つ。
今メルボルンのシティにあるショッピングセンターMyerのLonsdale Street側が大々的に改装されて通れなくなってるのですが(案外不便なんですよね)、Melbourne CentralのショッピングセンターからMyerに渡る連結部分にいま良い感じのコミュニティ・キッチン・ガーデンなるものができてて。
もともと日当たりが良いところなのですが、料理に使うハーブや野菜が育てて・飾ってあったり全体的に小さな屋内庭園みたいになってて、座るところもあって。ハーブや野菜についてはちょこっと説明があったり持って帰ってたりしてもいいみたいなことがあったりで。前回通りかかったとき結構人がたむろしてました。もう晩秋ですからね、屋内で日の光の暖かさを楽しみながらゆっくりできるところはポピュラーになっておかしくないです。
ものすごく素敵なスペースなのでMyerが新しくなってもなくならないで欲しいですね。
5月17日、以前予約しましたThe 13th Annual Bruce Woodcock Lectureに行ってきました。
Woodcock lectureはMental Health Fellowship of Victoria主催で毎年Schizophrenia Awareness Week(統合失調症について知るための週間)に行われるレクチャーです。
初めて参加したのですが、Arts Centreのあの「バレリーナのスカート」があるState Theatreになにやらレセプション?的なスペースがあって。
ちょっと全体的に高級感がありました。レクチャー前の軽食の肉まんと生春巻きだったり、お茶のブランドがTea Dropだったり、あとレクチャーやったところの雰囲気とかも。
(ミニグランドあったんですよね、コンサートとかもやったりするのかしら)
今回のレクチャーのトピックは「精神疾患を患う人の身体的な健康を考える」ということで。
肥満や喫煙など、社会的に問題とされている身体的健康の問題はその問題自体を解決するプログラムはあってもその原因に焦点をあてることは少ない、ということと、精神疾患の治療においても精神疾患自体の治療のみに目が向けられて何か身体的に現れてもそれが別の身体的疾患の症状だとは気づかれにくい、という問題について話がありました。
精神疾患と身体の健康についてレクチャーおよび付属のチラシに興味深いデータがあったのでいくつか。
1) 精神疾患を患っている人の平均寿命はそうでないオーストラリア人のそれより20年ほど短い
2) 統合失調症の合併症として自殺、てんかんに次いで多いのが糖尿病
3) 米・英・豪において吸われている煙草の量の半分(喫煙者の半分、ではなく)は精神疾患を患っている人により吸われている
4) 精神疾患を患っている人の身体疾患での致死率はそうでない人の2~3倍
5) メタボリックシンドロームは精神疾患と関連がある
・・・などなど他にもいろいろ。
精神疾患において身体疾患が起こりやすい、また悪化しやすい、気づかれにくいetc.背景には大まかに分けると次のような理由があります。
1) 精神疾患の症状の間接的な影響
例えば対人恐怖などで外に出て買い物もできない状態にいる人にとってスーパーにいって食材を買って・・・というのが難しくデリバリーで済ませてしまったり。
重度の鬱などで起き上がるのもやっとで、食事、運動面で不摂生になったり。
そういう症状の「結果」の積み重なりが身体的な不健康に繋がること。
2) 悪習慣にはまりやすい
喫煙、飲酒、衝動食いなど、レクチャーで例として取り上げられた患者さんの言葉を借りると「何もする気力がなく、でも何もしないでいるのは不安なとき、その隙間に入る」ような習慣が長引いたり悪化して身体疾患に至る例がかなりあるそうです(上記データ3もそれの現れでしょうか)。
3) 自分の健康を保つことが難しい
精神疾患を患っていなくとも自分の健康に気をつけるのはわりと手間がかかります。ましてや精神疾患の影響で自分のことにさえ構ってられない、居るだけでも相当しんどいのに、(特に独り暮らしの場合)自分の周りのことを料理、洗濯、掃除などなどやって料理もまた栄養バランスを考えて献立を考えて、プラス仕事、運動・・・本当に本当に容量オーバー。
4) 薬の副作用
精神疾患では長期にわたって投薬を行う場合が少なくありません。効き目と副作用を天秤にかけなくちゃいけない場合もあります。眠くて身体が重くて、でも病気の症状は抑えられるから続ける、など。あと体重増加が副作用としてある薬も少なくないですしね。
5) 社会的な繋がりの問題
スティグマの影響だったり、周りと問題を起こしてしまったり(または実際に起こしてなくてもそれを恐れていたり)、または症状の影響で外に出れなかったり、精神疾患を患う人における孤立が本当に大きな問題になっているそうです。
先ほどの「自己管理がかなり難しい」こともあり、自分で自分の状態に気づけないこともあり、そして助けを求めることができなかったり。
つまりは患者さんに病気・健康についての教育を行うだけじゃ済まない問題で。
いくら自分の状態に気づいていてもケアにアクセスできることができるわけじゃない、そしていくら知っていても自分の状態を適切に評価できるわけじゃない。
患者さんに責任はない、というわけではないのですが「自己責任」が問題の解決を妨げている、ということ。
なのでケアする側がもっと「手をさしのべる」ことが必要とされている、と。
そして手をさしのべるだけでなく傍に居て、患者さんと共に歩むこと、そういった長期ケアが必要になる、ということで。
それは患者さんの世話をするということでなく、患者さんの孤独だったり自分や周りに対する気づきを促し、自己管理を助ける存在になることが理想ということです。
このPeer supportのコンセプトを盛り込んだサポートプログラムは実験的にこちらで行われているそうですが、やはり今までのケアとは文化、性質が違うこともあってまだケアする側で戸惑いがあるそうです。
でもケアする側の精神・身体の健康においても好影響があるとの結果が出ているそうですね。
それから実際ケアする側、ケアされる側の人から「共に歩んだ」経験についてのお話があり。
あとこのMental Illness Fellowshipにはコミュニティ合唱団もあって、そのパフォーマンスもありました。
それから今メルボルンでNext to Normalというメンタルヘルスを扱ったミュージカルをやっているそうで、そのチケットが椅子の下にあるかも!?という抽選サプライズもあり(当たらなかった~!メンタルヘルス関連の舞台は久しく見てないので見たかった~!)。
要約すると大切だな、と思ったのは以下の点です。
1) 精神疾患における孤立とその結果の深刻さ、そして「友」がいることにより変わること
2) 積極的でEmpathyをベースにしたサポートの大切さ
3) 特に政府からの保障対象に入らなくなった、でも障害・疾患を持ってる人に対するケア
4) 精神疾患のみを治療するのではなくその人全体の健康を評価すること、そして個人に合わせた治療を行うこと
5) 様々な医療の仕組みが連携する必要性
そして最後に合唱団が歌ったLeonard Cohenの「Anthem」という歌からいいな、と思った歌詞を。
「全てのものにはひびが入っている、そしてそこから光が入ってくるんだ」
今日の一曲: カロル・シマノフスキ 「メトープ」より「ナウシカアー」
来ました!始めました、「メトープ」の最後の1楽章、もとい1人。
実は始めたばかりで頭もいつものような(?)キレもなく、他の二つの楽章ともハーモニーの構成が若干違うような感じで、まだまだ雲の中というところが多いです。
他の2つの楽章、「セイレーンの島」「カリュプソー」と一番目立ってこの「ナウシカアー」が違うところ、それは色気の有無でしょうか。すでに寂しいです(笑)
ナウシカアーは元の「オデュッセイア」でも色気要素なしですからね。とにかくしっかりしてて、知的で、気品があって。堂々としてます。ちょっと調べてみるにお母さん似でしょう。
他の2つの楽章が割と明暗曖昧なハーモニー使いなのに対してこの曲はとてもはっきりした、でも柔らかな光の世界。なんとなく黄金を思わせるような、不思議な、戦乱とは別のところで文化を培ってきた異国の音階のような。
そしてアーティキュレーションに関して、スタッカートの味わいが独特ですね。これもまた東方?異国の踊りのようで。
そして最後のところで「カリュプソー」の一部が入ってくるのは海を表しているのか、それともオデュッセウスとの別れを表しているのか。(有名な「私を忘れないで、あなたに命を与えた私を」の台詞のシーンかな?)
もいっかい「オデュッセイア」を読み返してじっくり世界観を構築してみたいと思います。
確かにそこに今までと違う重さがあるようです。
レクチャーの感想の前に一つ。
今メルボルンのシティにあるショッピングセンターMyerのLonsdale Street側が大々的に改装されて通れなくなってるのですが(案外不便なんですよね)、Melbourne CentralのショッピングセンターからMyerに渡る連結部分にいま良い感じのコミュニティ・キッチン・ガーデンなるものができてて。
もともと日当たりが良いところなのですが、料理に使うハーブや野菜が育てて・飾ってあったり全体的に小さな屋内庭園みたいになってて、座るところもあって。ハーブや野菜についてはちょこっと説明があったり持って帰ってたりしてもいいみたいなことがあったりで。前回通りかかったとき結構人がたむろしてました。もう晩秋ですからね、屋内で日の光の暖かさを楽しみながらゆっくりできるところはポピュラーになっておかしくないです。
ものすごく素敵なスペースなのでMyerが新しくなってもなくならないで欲しいですね。
5月17日、以前予約しましたThe 13th Annual Bruce Woodcock Lectureに行ってきました。
Woodcock lectureはMental Health Fellowship of Victoria主催で毎年Schizophrenia Awareness Week(統合失調症について知るための週間)に行われるレクチャーです。
初めて参加したのですが、Arts Centreのあの「バレリーナのスカート」があるState Theatreになにやらレセプション?的なスペースがあって。
ちょっと全体的に高級感がありました。レクチャー前の軽食の肉まんと生春巻きだったり、お茶のブランドがTea Dropだったり、あとレクチャーやったところの雰囲気とかも。
(ミニグランドあったんですよね、コンサートとかもやったりするのかしら)
今回のレクチャーのトピックは「精神疾患を患う人の身体的な健康を考える」ということで。
肥満や喫煙など、社会的に問題とされている身体的健康の問題はその問題自体を解決するプログラムはあってもその原因に焦点をあてることは少ない、ということと、精神疾患の治療においても精神疾患自体の治療のみに目が向けられて何か身体的に現れてもそれが別の身体的疾患の症状だとは気づかれにくい、という問題について話がありました。
精神疾患と身体の健康についてレクチャーおよび付属のチラシに興味深いデータがあったのでいくつか。
1) 精神疾患を患っている人の平均寿命はそうでないオーストラリア人のそれより20年ほど短い
2) 統合失調症の合併症として自殺、てんかんに次いで多いのが糖尿病
3) 米・英・豪において吸われている煙草の量の半分(喫煙者の半分、ではなく)は精神疾患を患っている人により吸われている
4) 精神疾患を患っている人の身体疾患での致死率はそうでない人の2~3倍
5) メタボリックシンドロームは精神疾患と関連がある
・・・などなど他にもいろいろ。
精神疾患において身体疾患が起こりやすい、また悪化しやすい、気づかれにくいetc.背景には大まかに分けると次のような理由があります。
1) 精神疾患の症状の間接的な影響
例えば対人恐怖などで外に出て買い物もできない状態にいる人にとってスーパーにいって食材を買って・・・というのが難しくデリバリーで済ませてしまったり。
重度の鬱などで起き上がるのもやっとで、食事、運動面で不摂生になったり。
そういう症状の「結果」の積み重なりが身体的な不健康に繋がること。
2) 悪習慣にはまりやすい
喫煙、飲酒、衝動食いなど、レクチャーで例として取り上げられた患者さんの言葉を借りると「何もする気力がなく、でも何もしないでいるのは不安なとき、その隙間に入る」ような習慣が長引いたり悪化して身体疾患に至る例がかなりあるそうです(上記データ3もそれの現れでしょうか)。
3) 自分の健康を保つことが難しい
精神疾患を患っていなくとも自分の健康に気をつけるのはわりと手間がかかります。ましてや精神疾患の影響で自分のことにさえ構ってられない、居るだけでも相当しんどいのに、(特に独り暮らしの場合)自分の周りのことを料理、洗濯、掃除などなどやって料理もまた栄養バランスを考えて献立を考えて、プラス仕事、運動・・・本当に本当に容量オーバー。
4) 薬の副作用
精神疾患では長期にわたって投薬を行う場合が少なくありません。効き目と副作用を天秤にかけなくちゃいけない場合もあります。眠くて身体が重くて、でも病気の症状は抑えられるから続ける、など。あと体重増加が副作用としてある薬も少なくないですしね。
5) 社会的な繋がりの問題
スティグマの影響だったり、周りと問題を起こしてしまったり(または実際に起こしてなくてもそれを恐れていたり)、または症状の影響で外に出れなかったり、精神疾患を患う人における孤立が本当に大きな問題になっているそうです。
先ほどの「自己管理がかなり難しい」こともあり、自分で自分の状態に気づけないこともあり、そして助けを求めることができなかったり。
つまりは患者さんに病気・健康についての教育を行うだけじゃ済まない問題で。
いくら自分の状態に気づいていてもケアにアクセスできることができるわけじゃない、そしていくら知っていても自分の状態を適切に評価できるわけじゃない。
患者さんに責任はない、というわけではないのですが「自己責任」が問題の解決を妨げている、ということ。
なのでケアする側がもっと「手をさしのべる」ことが必要とされている、と。
そして手をさしのべるだけでなく傍に居て、患者さんと共に歩むこと、そういった長期ケアが必要になる、ということで。
それは患者さんの世話をするということでなく、患者さんの孤独だったり自分や周りに対する気づきを促し、自己管理を助ける存在になることが理想ということです。
このPeer supportのコンセプトを盛り込んだサポートプログラムは実験的にこちらで行われているそうですが、やはり今までのケアとは文化、性質が違うこともあってまだケアする側で戸惑いがあるそうです。
でもケアする側の精神・身体の健康においても好影響があるとの結果が出ているそうですね。
それから実際ケアする側、ケアされる側の人から「共に歩んだ」経験についてのお話があり。
あとこのMental Illness Fellowshipにはコミュニティ合唱団もあって、そのパフォーマンスもありました。
それから今メルボルンでNext to Normalというメンタルヘルスを扱ったミュージカルをやっているそうで、そのチケットが椅子の下にあるかも!?という抽選サプライズもあり(当たらなかった~!メンタルヘルス関連の舞台は久しく見てないので見たかった~!)。
要約すると大切だな、と思ったのは以下の点です。
1) 精神疾患における孤立とその結果の深刻さ、そして「友」がいることにより変わること
2) 積極的でEmpathyをベースにしたサポートの大切さ
3) 特に政府からの保障対象に入らなくなった、でも障害・疾患を持ってる人に対するケア
4) 精神疾患のみを治療するのではなくその人全体の健康を評価すること、そして個人に合わせた治療を行うこと
5) 様々な医療の仕組みが連携する必要性
そして最後に合唱団が歌ったLeonard Cohenの「Anthem」という歌からいいな、と思った歌詞を。
「全てのものにはひびが入っている、そしてそこから光が入ってくるんだ」
今日の一曲: カロル・シマノフスキ 「メトープ」より「ナウシカアー」
来ました!始めました、「メトープ」の最後の1楽章、もとい1人。
実は始めたばかりで頭もいつものような(?)キレもなく、他の二つの楽章ともハーモニーの構成が若干違うような感じで、まだまだ雲の中というところが多いです。
他の2つの楽章、「セイレーンの島」「カリュプソー」と一番目立ってこの「ナウシカアー」が違うところ、それは色気の有無でしょうか。すでに寂しいです(笑)
ナウシカアーは元の「オデュッセイア」でも色気要素なしですからね。とにかくしっかりしてて、知的で、気品があって。堂々としてます。ちょっと調べてみるにお母さん似でしょう。
他の2つの楽章が割と明暗曖昧なハーモニー使いなのに対してこの曲はとてもはっきりした、でも柔らかな光の世界。なんとなく黄金を思わせるような、不思議な、戦乱とは別のところで文化を培ってきた異国の音階のような。
そしてアーティキュレーションに関して、スタッカートの味わいが独特ですね。これもまた東方?異国の踊りのようで。
そして最後のところで「カリュプソー」の一部が入ってくるのは海を表しているのか、それともオデュッセウスとの別れを表しているのか。(有名な「私を忘れないで、あなたに命を与えた私を」の台詞のシーンかな?)
もいっかい「オデュッセイア」を読み返してじっくり世界観を構築してみたいと思います。
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