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レクチャー・セミナーハンティング(笑)にいくつかメンタルヘルスに関連する団体のニュースレターをメール購読してるのですが、そのうちの一つにオーストラリア政府・VIC州政府の予算案に関する話が掲載されていました。
州政府はこれからの3~4年の取り組みとして5850万ドル(約50億円)をメンタルヘルス関連の研究、精神疾患の患者さんのためのリハビリ等の施設、コミュニティベースのメンタルヘルス施設・サービス、そして若い人のメンタルヘルスの用途に使うと好評。
国の政府は重症の精神疾患を患う人のためのケアの拡大、ケア提供・アクセスの改善、メンタルヘルスのプライマリケア、そして若い人や子どもの精神疾患予防・早期介入プログラムなどに15億ドル(約1290億円)を投入するとのこと。
お金が出たところで問題が解決するわけではないですが、これでメルボルン、そしてオーストラリアのメンタルヘルスケアがより良い物になるよう願っています。
(ちょっと気になるのは都市部から離れた地域、さらに原住民のメンタルヘルスケアについてこのニュースレターに書いてなかったこと。まあ予算案に含まれてないってことはまずあり得ないので書かれてないだけだと思いますが)
最近鬱状態になってipodのランダム再生で曲をくるくる飛ばしたり変えたりすることが多くなりました。
心地が落ち着きにくい、というかこれじゃないなあ、とかこれは聞きたくないかも、とか・・・不快までとはいきませんがちょっとでも「心地悪い」と感じる閾値が下がったように感じます。
もちろんちゃんとそれには理由もあり。
鬱状態になると身体・心にいろんな変化が起きますが、音楽を聴くという行為に影響があるものをいくつか挙げるとこんな感じになります。(あくまでも私個人の例です)
1) 気分の落ち込み(とそれに伴う「明るい」ものに対する過敏)
2) 脳の処理能力の低下(前頭葉の機能低下の一つ。人との会話を追うのはもちろん、本を読むのもままならない)
3) 自分の感情を適切に認識、処理、発散する能力の低下(これも前頭葉の機能低下の一つ)
4) エネルギーの低下(にともなう活動の低下)
5) 落ち着きがなくなる(↑のようになにもできない状態だけれど、なにもせずにいることもできない。集中力、さらに我慢できるレベルが低下する)
鬱状態で1)、3)、4)が重なるとわりと自分が「中途半端な状態」にいるような感じになるんですよね。
落ちるところまで落ちていない、という感覚もありますし、感情が発散されずに自分の手のちょっと届かないところでゆっくりと渦巻いている感じで。
下手な例えになりますが、庭の土の中に蛇が冬眠している、という感じでしょうか。掘り起こすにはちょっと深い。でもそこに確かに居ることは変わらない。
だから自分で望んでいる対処法としてはその感情から逃げたいとか、その感情がないといいなあ、ということではなくその感情にアクセスして、がっつり感じてから自分の手で発散したい、という欲求の方がずっと強いです。
ただ感情にアクセス、そして分析できる処理能力もなく、表現・発散できるエネルギーや集中力もない。
だからなるべくここの問題に対して音楽を使いたいですね・・・ただもっともそういう表現、発散を促す曲を自然に選んでしまうような気がします。自分がその時聴きたい曲っていうのは自分の状態、そして自分の欲求を本当に明確に反映していると思います。
こういう状態の時避けたい、というか避けてしまうのはこんな曲。
1) 明るい、派手、外向的な曲(気圧される、といいますか、光過敏症みたいなものです)
2) ポピュラーな曲(斜に構えてしまうので(汗))
3) 長い曲(集中力が続かない、飽きる)
4) 複雑な曲、特に感情contentが少ない曲(心というより頭に負担が大きい)
そして逆にこういうとき自然と惹かれる、選ぶ曲はこんな特徴が。
1) 暗い派手さを持っているパワフルな曲(自分で感情の細々したところが認識できないので自分の感情と音楽の感情が必ずしも完全一致しなくてもいいようです。とにかく発散!というか)
2) リズムが強い、パンチがある曲(リズムは前頭葉よりも脳の「原始的な部分」に働きかける、といろいろなところで聴いていますが、それが理由でしょうか。)
3) 感情が割とぎっしり詰まった曲(自分の中にあるけれどアクセスできない感情に手が届くようになるための刺激、ということかな。外と内が繋がって発散になるような気がします)
4) 重厚というか低音が強い曲(不快に感じる閾値が低くなるため、きんきんしていると普段は思わなくてもこういう状態の時は耳につきやすいようです)
耳から入ってくる言語を処理する能力が弱まっているため器楽・声楽は関係ないようです。
そして一般的に感度はリズム>ハーモニー>音色>メロディー>歌詞の順で良い・・・とあくまでも印象ですが。
やっぱりこういうときにショスタコーヴィチの音楽はぴったりですね。先ほどの特徴にもよく当てはまります。
あとはバルトークなどハンガリー勢も良いですし、ブラームスもフィットが良いです。
やはりどれもがっつり系。
鬱状態になって好みが若干変わったりもしますが、基本好きな曲は好き、という傾向はおおまかにみれば変わりないですしね。
実際にどの曲、とかはまだ根気と集中力と観察が不足していて全然まとまってないのですが。
なのでこれからゆるーく観察を続けてみようと思います。
5月24日捕捉: このエントリーで書いたのはちょっと騒がしい系統ばっかりに見られてしまいそうですが、もちろん心を穏やかにする、自分の中の不安、落ち着きない気持ちを穏やかにして望まない静寂をfillする静かめの音楽も聴きますし、有用だと思います。こちらもまたそのうち考えてまとめてみたいですね。
明日はマイケルのコンサートが国立アカデミーであるのでブログ更新はお休みです。
今日テレビでゴチ見ててサンドライトマトとかモッツァレラチーズとか美味しそうだったので5時半くらいに着くように行ってサウスメルボルンでピッツァを食べたいです!(7時開演だとこんなに早く食べなきゃ!でも病院ではこれくらいの時間でした(笑))
ということで次回は感想レポで・・・hopefully。
今日の一曲: ジョージ・クラム Madrigals 第1巻 第1楽章「Verte Desnuda Es Recordar La Tierra」
先ほど書きましたが今日のこのトピックにあった特定の曲、というのはまだ固まってないのでちょっとIcebreakerが長いこと欲しかったエリアから。
クラムの音楽はちょこちょこ紹介してて全体的に出し惜しみたいのですが、でもMadrigalsは4巻×3曲=12曲あるのにまだ完全なるノータッチ!ということで今回紹介します。
Madrigalsはソプラノ歌手と少人数の楽器アンサンブルで演奏される曲。
使われている楽器は4巻全て違います。フルートが入ったり、打楽器が入ったり、コントラバス、ハープなども。
第1巻はソプラノ歌手、ビブラフォーン、そしてコントラバス。
Madrigalsの歌詞はどれもロルカの詩からとられています。
この楽章の題の訳は「あなたを裸で見ることは大地を思い出すこと」となります。
即座に連想するのは「母なる大地」というコンセプト。
ロルカの詩の一部だけでなく「意味のない音節」も多く使われているこの音楽ですが、ソプラノ歌手が歌うこれらがあたかも大地、自然の言葉のようで。
そして「大地」の言葉にコントラバスって良いですね!ビブラフォーンの不思議な響きもいいですがやっぱりコントラバスのあのかすれた深い音色を聴くとどこか落ち着くものがありますよ。
クラムのコントラバスの使い方、私はとっても好きです。
今回Madrigals初紹介ということで第1巻第1楽章から始めてみましたが、今自分にとって発展途上のこの曲集で愛着を着実に育てつつあるのでまた日を改めて、もっと自分の中に根付かせてから他の楽章も取り扱いたいです♪
ちなみにリンクしたCD、曲の取り合わせも奏者の顔ぶれもピカイチですね。買っちゃおうかしら、今度。
(Jan DeGaetaniの歌、Zizi Muellerのフルートのコンビ聴きたい!)
州政府はこれからの3~4年の取り組みとして5850万ドル(約50億円)をメンタルヘルス関連の研究、精神疾患の患者さんのためのリハビリ等の施設、コミュニティベースのメンタルヘルス施設・サービス、そして若い人のメンタルヘルスの用途に使うと好評。
国の政府は重症の精神疾患を患う人のためのケアの拡大、ケア提供・アクセスの改善、メンタルヘルスのプライマリケア、そして若い人や子どもの精神疾患予防・早期介入プログラムなどに15億ドル(約1290億円)を投入するとのこと。
お金が出たところで問題が解決するわけではないですが、これでメルボルン、そしてオーストラリアのメンタルヘルスケアがより良い物になるよう願っています。
(ちょっと気になるのは都市部から離れた地域、さらに原住民のメンタルヘルスケアについてこのニュースレターに書いてなかったこと。まあ予算案に含まれてないってことはまずあり得ないので書かれてないだけだと思いますが)
最近鬱状態になってipodのランダム再生で曲をくるくる飛ばしたり変えたりすることが多くなりました。
心地が落ち着きにくい、というかこれじゃないなあ、とかこれは聞きたくないかも、とか・・・不快までとはいきませんがちょっとでも「心地悪い」と感じる閾値が下がったように感じます。
もちろんちゃんとそれには理由もあり。
鬱状態になると身体・心にいろんな変化が起きますが、音楽を聴くという行為に影響があるものをいくつか挙げるとこんな感じになります。(あくまでも私個人の例です)
1) 気分の落ち込み(とそれに伴う「明るい」ものに対する過敏)
2) 脳の処理能力の低下(前頭葉の機能低下の一つ。人との会話を追うのはもちろん、本を読むのもままならない)
3) 自分の感情を適切に認識、処理、発散する能力の低下(これも前頭葉の機能低下の一つ)
4) エネルギーの低下(にともなう活動の低下)
5) 落ち着きがなくなる(↑のようになにもできない状態だけれど、なにもせずにいることもできない。集中力、さらに我慢できるレベルが低下する)
鬱状態で1)、3)、4)が重なるとわりと自分が「中途半端な状態」にいるような感じになるんですよね。
落ちるところまで落ちていない、という感覚もありますし、感情が発散されずに自分の手のちょっと届かないところでゆっくりと渦巻いている感じで。
下手な例えになりますが、庭の土の中に蛇が冬眠している、という感じでしょうか。掘り起こすにはちょっと深い。でもそこに確かに居ることは変わらない。
だから自分で望んでいる対処法としてはその感情から逃げたいとか、その感情がないといいなあ、ということではなくその感情にアクセスして、がっつり感じてから自分の手で発散したい、という欲求の方がずっと強いです。
ただ感情にアクセス、そして分析できる処理能力もなく、表現・発散できるエネルギーや集中力もない。
だからなるべくここの問題に対して音楽を使いたいですね・・・ただもっともそういう表現、発散を促す曲を自然に選んでしまうような気がします。自分がその時聴きたい曲っていうのは自分の状態、そして自分の欲求を本当に明確に反映していると思います。
こういう状態の時避けたい、というか避けてしまうのはこんな曲。
1) 明るい、派手、外向的な曲(気圧される、といいますか、光過敏症みたいなものです)
2) ポピュラーな曲(斜に構えてしまうので(汗))
3) 長い曲(集中力が続かない、飽きる)
4) 複雑な曲、特に感情contentが少ない曲(心というより頭に負担が大きい)
そして逆にこういうとき自然と惹かれる、選ぶ曲はこんな特徴が。
1) 暗い派手さを持っているパワフルな曲(自分で感情の細々したところが認識できないので自分の感情と音楽の感情が必ずしも完全一致しなくてもいいようです。とにかく発散!というか)
2) リズムが強い、パンチがある曲(リズムは前頭葉よりも脳の「原始的な部分」に働きかける、といろいろなところで聴いていますが、それが理由でしょうか。)
3) 感情が割とぎっしり詰まった曲(自分の中にあるけれどアクセスできない感情に手が届くようになるための刺激、ということかな。外と内が繋がって発散になるような気がします)
4) 重厚というか低音が強い曲(不快に感じる閾値が低くなるため、きんきんしていると普段は思わなくてもこういう状態の時は耳につきやすいようです)
耳から入ってくる言語を処理する能力が弱まっているため器楽・声楽は関係ないようです。
そして一般的に感度はリズム>ハーモニー>音色>メロディー>歌詞の順で良い・・・とあくまでも印象ですが。
やっぱりこういうときにショスタコーヴィチの音楽はぴったりですね。先ほどの特徴にもよく当てはまります。
あとはバルトークなどハンガリー勢も良いですし、ブラームスもフィットが良いです。
やはりどれもがっつり系。
鬱状態になって好みが若干変わったりもしますが、基本好きな曲は好き、という傾向はおおまかにみれば変わりないですしね。
実際にどの曲、とかはまだ根気と集中力と観察が不足していて全然まとまってないのですが。
なのでこれからゆるーく観察を続けてみようと思います。
5月24日捕捉: このエントリーで書いたのはちょっと騒がしい系統ばっかりに見られてしまいそうですが、もちろん心を穏やかにする、自分の中の不安、落ち着きない気持ちを穏やかにして望まない静寂をfillする静かめの音楽も聴きますし、有用だと思います。こちらもまたそのうち考えてまとめてみたいですね。
明日はマイケルのコンサートが国立アカデミーであるのでブログ更新はお休みです。
今日テレビでゴチ見ててサンドライトマトとかモッツァレラチーズとか美味しそうだったので5時半くらいに着くように行ってサウスメルボルンでピッツァを食べたいです!(7時開演だとこんなに早く食べなきゃ!でも病院ではこれくらいの時間でした(笑))
ということで次回は感想レポで・・・hopefully。
今日の一曲: ジョージ・クラム Madrigals 第1巻 第1楽章「Verte Desnuda Es Recordar La Tierra」
先ほど書きましたが今日のこのトピックにあった特定の曲、というのはまだ固まってないのでちょっとIcebreakerが長いこと欲しかったエリアから。
クラムの音楽はちょこちょこ紹介してて全体的に出し惜しみたいのですが、でもMadrigalsは4巻×3曲=12曲あるのにまだ完全なるノータッチ!ということで今回紹介します。
Madrigalsはソプラノ歌手と少人数の楽器アンサンブルで演奏される曲。
使われている楽器は4巻全て違います。フルートが入ったり、打楽器が入ったり、コントラバス、ハープなども。
第1巻はソプラノ歌手、ビブラフォーン、そしてコントラバス。
Madrigalsの歌詞はどれもロルカの詩からとられています。
この楽章の題の訳は「あなたを裸で見ることは大地を思い出すこと」となります。
即座に連想するのは「母なる大地」というコンセプト。
ロルカの詩の一部だけでなく「意味のない音節」も多く使われているこの音楽ですが、ソプラノ歌手が歌うこれらがあたかも大地、自然の言葉のようで。
そして「大地」の言葉にコントラバスって良いですね!ビブラフォーンの不思議な響きもいいですがやっぱりコントラバスのあのかすれた深い音色を聴くとどこか落ち着くものがありますよ。
クラムのコントラバスの使い方、私はとっても好きです。
今回Madrigals初紹介ということで第1巻第1楽章から始めてみましたが、今自分にとって発展途上のこの曲集で愛着を着実に育てつつあるのでまた日を改めて、もっと自分の中に根付かせてから他の楽章も取り扱いたいです♪
ちなみにリンクしたCD、曲の取り合わせも奏者の顔ぶれもピカイチですね。買っちゃおうかしら、今度。
(Jan DeGaetaniの歌、Zizi Muellerのフルートのコンビ聴きたい!)
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