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今日レクチャーハンティング(?)をしていたら明日音楽心理学関連のレクチャーがあることが判明。
トピックとしては前回行った(でも感想をまとめなかった)レクチャーで扱われてた音の認識に関する話があるので、今度こそは勉強してまとめられるよう!と思ってます。
さて、昨日は国立アカデミーのピアノ関連ミニシリーズ(コンサートだけでなくセミナーなどもあるようです)の一部としてマイケルがコンサートで弾きました。
プログラム的にちょっと悩んでたのですがマイケルがこないだ話せなかったからコンサートで会おう、とチケットを取ってくれたので二つ返事で行ってきました。
今回はマイケルのリサイタル、ということでなく打楽器のEugene Ughettiとの共演曲もありました。
プログラムはこんな感じ:
Humphrey Searle ピアノソナタ
ベートーヴェン ピアノソナタ第29番「Hammerklavier」
Michael Kieran Harvey & Eugene Ughetti 「Homage to Liszt」
全曲切れ目なく演奏されました。ここはやっぱ奏者のこだわりですかね。
なんというか、ピアノをフィーチャーする週間だけにピアノの演奏、その楽器の壮大さだったりピアノが織りなす世界だったり、そういうものに焦点を当てているプログラムですね。
プログラムの説明などは今回マイケル自身が書いていて、ちょっと読んだだけでマイケルのぶっ飛んだ考えがいろいろ出てきたのでちょっと今の状態だと気圧されるため未だにちゃんとは読んでません(汗)
そのことを交えてまた後ほど。
ちなみにSearleはセリー音楽のイギリス人作曲家だったそうですが、彼がもっとも有名なのはリストに関する研究、そしてなによりもリストの音楽のカタログの作成だそうで。
なんとなくこう、リストのスピリットがあるような(マイケルの演奏かもしれませんが)。ピアノらしさというか、楽器に密着した感じがありました。
もともとベートーヴェンのハンマークラヴィーアはあんまり愛着がないというか、外向的でピアノっぽいというかVirtuosicというか、弾く側重視みたいなところがどうも苦手意識を感じてしまうのか・・・
あとマイケルとこの曲の相性ってどうなのかなあ、と思うところもあったりで。
今回の演奏、正直(本人も認めちゃっていますが)疑問に思う事、ちょっとこれはどうなんだろう、軽すぎやしないか、と不満に感じることありましたが、プログラムにありました彼の21世紀的なこの曲の解釈だったり、彼の世界が垣間見えたり、という意味では好きでした。あと技巧をひけらかすところでなく静まりかえった部分の繊細さはやっぱり光るんですよ。
そして最後の奏者2人により共同で(オンラインでのコミュニケーションにより!)作曲されたリストへのオマージュ。面白かったですね。
ピアノパートは所々にリストの曲からと思われるパッセージがでてきたり、そして打楽器とのかけあい。
ドラムキットを中心としたパーカッション、どうしてリストと?という印象がある方も多いと思いますがリストの爆発的な生命エネルギーを表現するには割と意外ながらも向いてるのではないかとこの曲を聴いて思いましたよ。
マイケルは以前にAddictというピアノとシンセサイザーを使った曲を書いているのですが、今回のピアノとパーカッションの組み合わせはそれに似たようなところがありました。
この曲の演奏を聴いてマイケルはやっぱり自分の作曲で特別輝いたな、という印象を持ちましたが、それよりもマイケルはなんらかの形でリストの精神(というか血的なもの)を身体と心に先天的にそなえてるんじゃないか、という印象が強かったですね。実際本場ハンガリーのリスト・アカデミーにいたこともあるのですが、それ以上に。
マイケルは本当に先ほどの言葉そのままになりますが爆発的な生命エネルギーを秘めていて。で、ピアノにおける技巧と表現力、頭の回転と知識、独特の感覚、全部合わせてああいう奇怪な解釈とバイタリティに溢れた、かなりめまぐるしい演奏をするんですよね。
頭の回転に表現する技量が追いついてるからああいう速い演奏になるのかな(笑)彼独特の世界があるんですよね。同じ感覚、知識を持ってない私みたいな凡人にはなかなか共感しづらいところもあるのですが、でも好きなんですよ。好き嫌いは分かれるのですが。
私の先生スティーブンも来てたのですがお友達(?)と一緒にいたのであんまり話せず。(残念極まりないなあ)
そしてコンサート後はマイケルたちとちょっと近くの静まりかえった小さなバーでちょっとだけ飲み物をご一緒しました。というかマイケルが奢ってくれました。
国立音楽アカデミーの最寄り、徒歩2分(笑)にあるButterfly Club。ちょっとアヤシイ感じのライティングとまるで民家のような部屋の連なり、そして所狭しと飾られてる飾り物・・・
でも平日とあって人がいなくて静かでいい感じでした。暖炉の前に椅子持ち寄って。私だと一人とか同い年の友達とだとあんまり入りづらい雰囲気なのですが、こういう体験もできて良かったです。これはこれで味わい深い♪
(ちなみにキャバレーのショーをやるときとか週末はけっこう入るみたいですね。週末のコンサートのときに賑わってたのを見たことがあります。)
コンサートが終わっても話はちょこちょこ音楽周り。
メルボルンの音楽重鎮の人間関係ちょいゴシップだったり、あと今こちらでやってる某オペラプロダクションに着いて。なんだかものすごく悪い、という話だったのですが。
見てみないとそりゃあ評価はできませんが、要するに話としてはそのオペラに限らず「ポピュラー(=陳腐)なものを低クオリティで提供することの悪」についての懸念の話になり。
演奏・プロダクションのクオリティはもちろんですが、クラシックに限らずポピュラーで当たり障りないような曲ばっかり並べても人々に音楽を好きになってもらうことはできない、という話だったり。プログラムは多少知られていないものでも本当にいい音楽を本当にいい演奏で届けることの大切さについて熱く語ってましたね、年配陣プロ軍団(笑)
でも全体としてはそういうとこメルボルンの音楽シーンはちゃんとしてると思いますよ。室内楽でもオケでもリサイタルでも、レパートリー的に大抵新しい発見は聴く度にありますし、ポピュラー系統はライトミュージック音楽専門のコンサートに限ってますし、いつもプログラムを見る度に好き嫌い別として凝ってるなあ、良い曲揃いだな、と思いますし。
リサイタルを組むときも、マイケルのリサイタルだったり(今回もね!)とくにPiano Landmarksではそれ全体、そしてその中の各コンサート、各奏者のプログラムの選曲全てにコンセプトだったり意味があったりで。私も本当にそういうプログラム組みに憧れるんですよね。
聴衆に音楽を好きになってもらうにはどうするか、そして聴衆の「音楽の体験」について本当に考えさせられる話でした。(そして同時にメルボルンの音楽家の捉え方というか真剣に考えてるってことが分かってやっぱり安心します。)
ゆっくりマイケルと話す時間はなかったですし、次いつメルボルンに来るかわからないって言ってましたが全体的に本当に楽しかったです。やっぱり彼の演奏はいつ聴いてもにやりとします。
明日は先ほども書きましたがレクチャーです。感想まとめられますように・・・
今日の一曲: ベンジャミン・ブリテン 無伴奏チェロ組曲第1番 「Bordone」
今回のコンサートとほぼ繋がりはない今日の曲のチョイス。
実はクラムの音楽のことを考えているときにDrone(ドローン、単音・重音の(伝統的には持続的で動かない)ベースライン)について考えてて。
それで民族音楽においてのドローン、分かりやすいところだとこちらでもよく生で聞けるバグパイプやDidjeridooもそうですし、あとそこから調べてインドのタンブーラ、そして日本の薩摩琵琶もそうだと知って。
で、薩摩琵琶が下の2本の弦を開放弦のドローン(非連続音)として使う、という話を聞いて、そして実際に音を聞いてこれはブリテンの無伴奏チェロのあれじゃないか!とひらめいて調べてみたらこの楽章の名前Bordoneがラテン語圏(?)でドローンのことを指すこと、そしてロルカの詩でも同じBourdonという言葉が使われてることを知り。
でも実際そう思って聴いてみるとブリテン日本の影響受けてるんじゃないか?という感は本当に強いですね!
薩摩琵琶の雰囲気だったり、インドのタンブーラにも似ていて。
持続的ではなく、たまにピチカートとして現れ、響くドローン。持続的ではないから広がる響き・空間があるんですよね。
無伴奏のチェロ組曲といえばもちろんバッハのものが有名です(このブログでも以前紹介しましたね、またいつかやりたいです)。が、もちろんチェロのための無伴奏のレパートリーはそれに限りません。
コダーイの無伴奏ソナタ(これも以前紹介した覚えが)もかっこいいですし、このブリテンの無伴奏組曲も独特の世界を確立しています。
バッハの無伴奏組曲は音で空間を満たすような、Richnessというか満足さ、暖かさ、fullnessがあるのですが、ブリテンの無伴奏組曲は全く逆とも言える効果があります。
一人でちゃんと音楽は完全に成り立っている、そこに完璧さはあるけれど同時に独りであることの孤独、そしてその「1人」の周りの無限大の空間のからっぽさみたいなものも同時にあって。
そしてやっぱりブリテンの「闇」の性質はいいです。ドライだけど深い。
そういうところもひっくるめてこの曲は盲目の琵琶法師の語りみたいだな、と思います。
独りの語りですよね。独特の世界と観点と表現で。語りの間聴き手がしんと静まることで目の見えない語り手の周りに果てしなく広がる闇も。
やっぱブリテン東洋に影響受けてるのかなー。(再び)
(そしてブリテンのこの3つの組曲、まだまだ勉強&聴き不足。もっと親しんで身につけたいです)
トピックとしては前回行った(でも感想をまとめなかった)レクチャーで扱われてた音の認識に関する話があるので、今度こそは勉強してまとめられるよう!と思ってます。
さて、昨日は国立アカデミーのピアノ関連ミニシリーズ(コンサートだけでなくセミナーなどもあるようです)の一部としてマイケルがコンサートで弾きました。
プログラム的にちょっと悩んでたのですがマイケルがこないだ話せなかったからコンサートで会おう、とチケットを取ってくれたので二つ返事で行ってきました。
今回はマイケルのリサイタル、ということでなく打楽器のEugene Ughettiとの共演曲もありました。
プログラムはこんな感じ:
Humphrey Searle ピアノソナタ
ベートーヴェン ピアノソナタ第29番「Hammerklavier」
Michael Kieran Harvey & Eugene Ughetti 「Homage to Liszt」
全曲切れ目なく演奏されました。ここはやっぱ奏者のこだわりですかね。
なんというか、ピアノをフィーチャーする週間だけにピアノの演奏、その楽器の壮大さだったりピアノが織りなす世界だったり、そういうものに焦点を当てているプログラムですね。
プログラムの説明などは今回マイケル自身が書いていて、ちょっと読んだだけでマイケルのぶっ飛んだ考えがいろいろ出てきたのでちょっと今の状態だと気圧されるため未だにちゃんとは読んでません(汗)
そのことを交えてまた後ほど。
ちなみにSearleはセリー音楽のイギリス人作曲家だったそうですが、彼がもっとも有名なのはリストに関する研究、そしてなによりもリストの音楽のカタログの作成だそうで。
なんとなくこう、リストのスピリットがあるような(マイケルの演奏かもしれませんが)。ピアノらしさというか、楽器に密着した感じがありました。
もともとベートーヴェンのハンマークラヴィーアはあんまり愛着がないというか、外向的でピアノっぽいというかVirtuosicというか、弾く側重視みたいなところがどうも苦手意識を感じてしまうのか・・・
あとマイケルとこの曲の相性ってどうなのかなあ、と思うところもあったりで。
今回の演奏、正直(本人も認めちゃっていますが)疑問に思う事、ちょっとこれはどうなんだろう、軽すぎやしないか、と不満に感じることありましたが、プログラムにありました彼の21世紀的なこの曲の解釈だったり、彼の世界が垣間見えたり、という意味では好きでした。あと技巧をひけらかすところでなく静まりかえった部分の繊細さはやっぱり光るんですよ。
そして最後の奏者2人により共同で(オンラインでのコミュニケーションにより!)作曲されたリストへのオマージュ。面白かったですね。
ピアノパートは所々にリストの曲からと思われるパッセージがでてきたり、そして打楽器とのかけあい。
ドラムキットを中心としたパーカッション、どうしてリストと?という印象がある方も多いと思いますがリストの爆発的な生命エネルギーを表現するには割と意外ながらも向いてるのではないかとこの曲を聴いて思いましたよ。
マイケルは以前にAddictというピアノとシンセサイザーを使った曲を書いているのですが、今回のピアノとパーカッションの組み合わせはそれに似たようなところがありました。
この曲の演奏を聴いてマイケルはやっぱり自分の作曲で特別輝いたな、という印象を持ちましたが、それよりもマイケルはなんらかの形でリストの精神(というか血的なもの)を身体と心に先天的にそなえてるんじゃないか、という印象が強かったですね。実際本場ハンガリーのリスト・アカデミーにいたこともあるのですが、それ以上に。
マイケルは本当に先ほどの言葉そのままになりますが爆発的な生命エネルギーを秘めていて。で、ピアノにおける技巧と表現力、頭の回転と知識、独特の感覚、全部合わせてああいう奇怪な解釈とバイタリティに溢れた、かなりめまぐるしい演奏をするんですよね。
頭の回転に表現する技量が追いついてるからああいう速い演奏になるのかな(笑)彼独特の世界があるんですよね。同じ感覚、知識を持ってない私みたいな凡人にはなかなか共感しづらいところもあるのですが、でも好きなんですよ。好き嫌いは分かれるのですが。
私の先生スティーブンも来てたのですがお友達(?)と一緒にいたのであんまり話せず。(残念極まりないなあ)
そしてコンサート後はマイケルたちとちょっと近くの静まりかえった小さなバーでちょっとだけ飲み物をご一緒しました。というかマイケルが奢ってくれました。
国立音楽アカデミーの最寄り、徒歩2分(笑)にあるButterfly Club。ちょっとアヤシイ感じのライティングとまるで民家のような部屋の連なり、そして所狭しと飾られてる飾り物・・・
でも平日とあって人がいなくて静かでいい感じでした。暖炉の前に椅子持ち寄って。私だと一人とか同い年の友達とだとあんまり入りづらい雰囲気なのですが、こういう体験もできて良かったです。これはこれで味わい深い♪
(ちなみにキャバレーのショーをやるときとか週末はけっこう入るみたいですね。週末のコンサートのときに賑わってたのを見たことがあります。)
コンサートが終わっても話はちょこちょこ音楽周り。
メルボルンの音楽重鎮の人間関係ちょいゴシップだったり、あと今こちらでやってる某オペラプロダクションに着いて。なんだかものすごく悪い、という話だったのですが。
見てみないとそりゃあ評価はできませんが、要するに話としてはそのオペラに限らず「ポピュラー(=陳腐)なものを低クオリティで提供することの悪」についての懸念の話になり。
演奏・プロダクションのクオリティはもちろんですが、クラシックに限らずポピュラーで当たり障りないような曲ばっかり並べても人々に音楽を好きになってもらうことはできない、という話だったり。プログラムは多少知られていないものでも本当にいい音楽を本当にいい演奏で届けることの大切さについて熱く語ってましたね、年配陣プロ軍団(笑)
でも全体としてはそういうとこメルボルンの音楽シーンはちゃんとしてると思いますよ。室内楽でもオケでもリサイタルでも、レパートリー的に大抵新しい発見は聴く度にありますし、ポピュラー系統はライトミュージック音楽専門のコンサートに限ってますし、いつもプログラムを見る度に好き嫌い別として凝ってるなあ、良い曲揃いだな、と思いますし。
リサイタルを組むときも、マイケルのリサイタルだったり(今回もね!)とくにPiano Landmarksではそれ全体、そしてその中の各コンサート、各奏者のプログラムの選曲全てにコンセプトだったり意味があったりで。私も本当にそういうプログラム組みに憧れるんですよね。
聴衆に音楽を好きになってもらうにはどうするか、そして聴衆の「音楽の体験」について本当に考えさせられる話でした。(そして同時にメルボルンの音楽家の捉え方というか真剣に考えてるってことが分かってやっぱり安心します。)
ゆっくりマイケルと話す時間はなかったですし、次いつメルボルンに来るかわからないって言ってましたが全体的に本当に楽しかったです。やっぱり彼の演奏はいつ聴いてもにやりとします。
明日は先ほども書きましたがレクチャーです。感想まとめられますように・・・
今日の一曲: ベンジャミン・ブリテン 無伴奏チェロ組曲第1番 「Bordone」
今回のコンサートとほぼ繋がりはない今日の曲のチョイス。
実はクラムの音楽のことを考えているときにDrone(ドローン、単音・重音の(伝統的には持続的で動かない)ベースライン)について考えてて。
それで民族音楽においてのドローン、分かりやすいところだとこちらでもよく生で聞けるバグパイプやDidjeridooもそうですし、あとそこから調べてインドのタンブーラ、そして日本の薩摩琵琶もそうだと知って。
で、薩摩琵琶が下の2本の弦を開放弦のドローン(非連続音)として使う、という話を聞いて、そして実際に音を聞いてこれはブリテンの無伴奏チェロのあれじゃないか!とひらめいて調べてみたらこの楽章の名前Bordoneがラテン語圏(?)でドローンのことを指すこと、そしてロルカの詩でも同じBourdonという言葉が使われてることを知り。
でも実際そう思って聴いてみるとブリテン日本の影響受けてるんじゃないか?という感は本当に強いですね!
薩摩琵琶の雰囲気だったり、インドのタンブーラにも似ていて。
持続的ではなく、たまにピチカートとして現れ、響くドローン。持続的ではないから広がる響き・空間があるんですよね。
無伴奏のチェロ組曲といえばもちろんバッハのものが有名です(このブログでも以前紹介しましたね、またいつかやりたいです)。が、もちろんチェロのための無伴奏のレパートリーはそれに限りません。
コダーイの無伴奏ソナタ(これも以前紹介した覚えが)もかっこいいですし、このブリテンの無伴奏組曲も独特の世界を確立しています。
バッハの無伴奏組曲は音で空間を満たすような、Richnessというか満足さ、暖かさ、fullnessがあるのですが、ブリテンの無伴奏組曲は全く逆とも言える効果があります。
一人でちゃんと音楽は完全に成り立っている、そこに完璧さはあるけれど同時に独りであることの孤独、そしてその「1人」の周りの無限大の空間のからっぽさみたいなものも同時にあって。
そしてやっぱりブリテンの「闇」の性質はいいです。ドライだけど深い。
そういうところもひっくるめてこの曲は盲目の琵琶法師の語りみたいだな、と思います。
独りの語りですよね。独特の世界と観点と表現で。語りの間聴き手がしんと静まることで目の見えない語り手の周りに果てしなく広がる闇も。
やっぱブリテン東洋に影響受けてるのかなー。(再び)
(そしてブリテンのこの3つの組曲、まだまだ勉強&聴き不足。もっと親しんで身につけたいです)
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