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今日は珍しく(?)朝から出かけました。
まずはシティでブランチ。以前見つけたCentre Placeのカフェ「ロルカ」に(大きなテーブルの相席で)席があったのでフレンチトースト(with梨のコンポート)を注文。
フレンチトーストなのになぜかスペインの名前が付いてる事情はよく分からないのですが、ブリオーシュで作ったフレンチトーストは香ばしくて上品な感じがしました。量的にもちょうど良くて。
周りを見るとなにやらパンを添えた黒い平たい鍋にトマトソースだったりグリーンピースが入ってたりする料理を頼んでたようでそちらも興味津々(出るときにメニューを見てみたらなんとかFlamencaとかいうやつだったかも?)。
しょっぱい料理は今後ランチに(または金曜日だけ夕方もやってるのでパエリヤとかTapasとかも食べてみたいです!)。
この時点で12時前。まだ1時間も潰す時間がある!ということでシティをぶらぶら。
Collins Streetから伸びるアーケードを行ったり来たり。
ここ数年リピートで使ってるBody ShopのBody butterをまず購入。
あんまり乾燥肌じゃないのでフルーツ/フローラル系統が良いかな、と思うのですが、でもナッツ系の方が香りが落ち着いてるのでBrazil Nutsにしました。(ココナッツがちょうど良いはずなのですが一緒に住んでる妹が香りが嫌いなので・・・)
あとThe Metropolitan Museum of Arts Storeを見たり、以前財布を買ったBraun Buffelを見たり。そのあとはBlock ArcadeとRoyal Arcadeを抜けて。
(Block Arcadeのなんだかクラシックなティーハウスのディスプレイのケーキが美味しそうだった!クリームのたっぷりはさまってるLamington、そして明らかに美味しそうなトッピングのパブロバ、タルトなどなど・・・結構通りがかりに見とれてる人いました)
そして郵便局に寄った後はカフェなどがあるらしいけど未だ行ったことがないHardware Laneを見物。
そのままMcKillop Streetに繋がるのでHaunted Bookshopにも寄りました。
オカルト、ファンタジー、ゴシックなど小さいながらも深く濃い品揃えのHaunted BookshopはAlchemy Gothicのアクセサリーもたくさん取り扱ってるのでじっくり物色。そのうち購入したいな、と真剣に思ってます。
(一番充実してるのはでもタロットですね。カタログみたいのがあって、本当に種類が多いんです!)
いつもラジオのクラシックチャンネルが店内では流れてるんですが、今日はメシアンのコンセール・ア・キャトルが流れてました!(笑)
そしてその後リハーサルへ。
オケで弾くのは3年ぶり、最後がユースオケでレスピーギの「ローマの松」のピアノパートだったためチェレスタはもっと長いこと弾いてません。
自分のパートのエントリーとか、練習したところはできるんですが、オケにおいての耳の澄まし方、指揮者とのコミュニケーション、勘や感覚など今日のリハーサル(トゥーランガリラは前半だけでした)だけではまだちょっと自信のないところも。
前半だけ、ということでなるべく多くの楽章をリハーサルする方針で・・・一番(ピアノとチェレスタにとって)難しい第5,第10楽章、そして個人的に安心感が早いとこ欲しい第6楽章は結局やらなかったです(汗)
やったのは第1,2,3,4,7,8楽章。もちろんやって良かったですし、自信はつきましたがこれからユースオケは(学校が休みになるので)2週間リハーサルがないため先ほどの懸念楽章をやらないのはどうしても心配・・・
オケの配置としてはピアノがオケの前に、そして私はホルンの後ろ隣(?)に陣取ってます。
(ちなみにホルンは後ろ向きに音をだして、本来なら何回かバウンドしたあとの音が聴衆に入るため私のポジションにいると荒削りのまま聞こえます。音量としてはチェレスタが盾になってるので大丈夫なのですがいつもと違った不思議な音が聞こえます)
ピアノとチェレスタは同じ時に同じパートを(たまに2人だけで!)弾いたりもしてるのですが、弱音のデュエットが多くてこちらはピアノの音が聞こえないし、向こうはチェレスタの音全般聞こえないし、でどうするかなーという状態です。
チェレスタはもともと音の小さな楽器(特に古い楽器は)。基本pとかppとか書いてあってもそこそこ大事なパートなら無視してmfくらいで弾くのがちょうど良い、と経験から知ってるのですがその感覚も久しぶりで、そしてこの曲の複雑で繊細かつパワフルな性質からなかなか掴めないですね。
ピアノよりももっとパートがかぶってるのは鉄琴。大学のオケからの知り合いがわりと近くで弾いています。
打楽器はなんと11人体制!(後期ロマン~20世紀前半だったら多いスタンダードが5人体制のはず)
まだ全員はそろってなくてビブラフォーンとか銅鑼が聞けてないのが残念なのですが近いうち全員そろうそう。
もちろん11人いるので楽器の種類も多い!普段使われてるティンパニやシンバル、バスドラムだけでなくマラカス、ウッドブロック、鉄琴、ビブラフォーン、鐘(tubular bell)などなど。
楽器が多いだけでなく、従来のオケと比べて打楽器が演奏する頻度が圧倒的に多くかけもちが少ないのも人数が増える理由でしょうね。
今後オンド・マルトノの奏者と楽器がこちらに来たらピアノ、チェレスタ、オンド・マルトノ、そして打楽器で追加のリハーサルをするそうです。11人の打楽器奏者とスケジュールの都合を付けようとマネージャーさんが奔走してくれてるみたいで。
実現するといいなあ、と願ってます。リハーサルは多いに越したことはないですし、この楽器の組み合わせである意味曲を支えているようなものだと思うので(笑)案外音楽が成り立ってしまうのではないかな~と思ったり。
メシアンは色彩、鳥の歌、いろいろな音楽の要素で知られていますが彼自身は自分は「リズムの作曲家」だと言っていたそうです。
それがこのオケのリズムセクションに強く表れているのではないでしょうか。
トゥーランガリラ交響曲。この曲の魅力だったり、この曲に自分が感じるものを言葉で表現するとどうしてもぐるぐるして詰まってしまうのですが・・・
トゥーランガリラの意味は本当にたくさんのことを含めています。時、リズム、愛、恋、命、死、作用、演奏などなど・・・つまりはこの世界を回すもの、と私は解釈しています。
時の刻み、季節の移り変わり、愛などの本能(性愛を含む)、天体の動き、歌、鼓動、生と死のサイクル・・・
トゥーランガリラは世界そのもので、でも普通に生きている私たちの周りの世界よりもずっと鮮やかで生き生きとしていて。
それはこの曲が表す人間、自然、季節、天体、命、時・・・一つ一つが、そして全てが一つとなって強烈に「生きて」いることを表現しているからだと思います。
小さいものから大きなものまで、全てが発している生命エネルギーが音楽となっていて。それぞれ違ったリズムとサイクルで生きて動いているからこの曲はたくさんの違うリズムと色彩が組み合わさってる、ということなんだと思います。
それが全部合わさって、増幅されて物凄いエネルギーになって。メシアンの音楽全般「喜び」の濃縮された強烈なエネルギーが放射状でなく壁のように直撃するため「怒り」にも似た感覚に映るんですよね。
こうやって2つ段落を書いてみて結構書けたな、と思う反面これじゃあまだまだ表面の話に過ぎないな、とも感じます。
でも言葉にならない感覚で感じていて、理解していて・・・
7月の演奏までに(リハーサルは限られてますが)もっと深めていけたらな、と思います。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン トゥーランガリラ交響曲 第8楽章 「愛の敷衍」
えーっと、日本語の題はWikipediaからコピペしました。「敷衍」がなにか分からないのですが、フランス語の「Développement d'Amour」は分かるのでそれで理解しています。
指揮者Fabianがこの楽章を「一番難しい楽章」と称していましたが、ピアノとチェレスタに限ってはこの楽章は一番難しくはないかな・・・
でも難しいのは確かです。オケ総動員、速いセクションのめまぐるしさ、1小節ごとに変わったりもするテンポや拍子、リズムと楽器使いの複雑さ、そして奏者と指揮者のスタミナ、集中力・・・
全て難しい!
メシアンは敬虔なクリスチャン、そしてカトリック信者として知られています。
ただ彼の信仰はかならずしもキリスト教、カトリック宗派のものとは一致していません。
音楽的に(特にこの曲インドや東洋の影響を濃く受けていますが信仰に関してもアニミズムに近い、自然崇拝だったり、汎神論に近い考え方も持っていたと聞いてます。
それを考えると「20のまなざし」「アーメンの幻影」を見る目も変わりますし、「鳥のカタログ」という曲集の存在ももっと明らかになりますし、何よりもこのトゥーランガリラ交響曲に関して多く説明がつきます。
先ほど「愛などの本能」のところで「性愛を含む」と書きましたが、なんとなくこの第8楽章にそれを感じる様な気がします。
性の交わりというのは命を生み出す(唯一の)行為だ、という「生と死のサイクル」の一部として、というのと・・・
あとやはりインド神話における性愛にも繋がるような気がします、イメージ的に。
スピリチュアルな愛と肉体の愛、どちらもが極みに届いて一つになった、そんな感じ・・・
メシアンの音楽はそういう本能だったり精神だったりに繋がることもありますが、それを本当にメカニカルに創り上げている、というか・・・
実際世界ってそういう風にできてるんだな、と感じます。
そのメカニズムから神秘なんだな、と。
神秘的で、神話的で、ダイナミックで、究極の命そのもののような、でも同時にものすごく複雑なこの楽章をどう勧めればいいか、本当に見当もつかないのですが・・・
メカニズムのことは後にしてとりあえずこの曲の盛り上がり方、そして高みに上りつめて、クライマックスのそのおおらかで強烈な性格、そしてなによりもそこからだんだん降りてくるところの他では味わえない感覚を楽しんでもらえたら、と思います。
(あら、リンクしたCDでは「愛の展開」と訳されていますね。先ほどの敷衍も調べてみましたがどっちも・・・どうなのかなあ、と。フランス語にそれほど精通しているわけではないのですが音楽の性質からして良い言葉があるといいな、と思ってます。)
まずはシティでブランチ。以前見つけたCentre Placeのカフェ「ロルカ」に(大きなテーブルの相席で)席があったのでフレンチトースト(with梨のコンポート)を注文。
フレンチトーストなのになぜかスペインの名前が付いてる事情はよく分からないのですが、ブリオーシュで作ったフレンチトーストは香ばしくて上品な感じがしました。量的にもちょうど良くて。
周りを見るとなにやらパンを添えた黒い平たい鍋にトマトソースだったりグリーンピースが入ってたりする料理を頼んでたようでそちらも興味津々(出るときにメニューを見てみたらなんとかFlamencaとかいうやつだったかも?)。
しょっぱい料理は今後ランチに(または金曜日だけ夕方もやってるのでパエリヤとかTapasとかも食べてみたいです!)。
この時点で12時前。まだ1時間も潰す時間がある!ということでシティをぶらぶら。
Collins Streetから伸びるアーケードを行ったり来たり。
ここ数年リピートで使ってるBody ShopのBody butterをまず購入。
あんまり乾燥肌じゃないのでフルーツ/フローラル系統が良いかな、と思うのですが、でもナッツ系の方が香りが落ち着いてるのでBrazil Nutsにしました。(ココナッツがちょうど良いはずなのですが一緒に住んでる妹が香りが嫌いなので・・・)
あとThe Metropolitan Museum of Arts Storeを見たり、以前財布を買ったBraun Buffelを見たり。そのあとはBlock ArcadeとRoyal Arcadeを抜けて。
(Block Arcadeのなんだかクラシックなティーハウスのディスプレイのケーキが美味しそうだった!クリームのたっぷりはさまってるLamington、そして明らかに美味しそうなトッピングのパブロバ、タルトなどなど・・・結構通りがかりに見とれてる人いました)
そして郵便局に寄った後はカフェなどがあるらしいけど未だ行ったことがないHardware Laneを見物。
そのままMcKillop Streetに繋がるのでHaunted Bookshopにも寄りました。
オカルト、ファンタジー、ゴシックなど小さいながらも深く濃い品揃えのHaunted BookshopはAlchemy Gothicのアクセサリーもたくさん取り扱ってるのでじっくり物色。そのうち購入したいな、と真剣に思ってます。
(一番充実してるのはでもタロットですね。カタログみたいのがあって、本当に種類が多いんです!)
いつもラジオのクラシックチャンネルが店内では流れてるんですが、今日はメシアンのコンセール・ア・キャトルが流れてました!(笑)
そしてその後リハーサルへ。
オケで弾くのは3年ぶり、最後がユースオケでレスピーギの「ローマの松」のピアノパートだったためチェレスタはもっと長いこと弾いてません。
自分のパートのエントリーとか、練習したところはできるんですが、オケにおいての耳の澄まし方、指揮者とのコミュニケーション、勘や感覚など今日のリハーサル(トゥーランガリラは前半だけでした)だけではまだちょっと自信のないところも。
前半だけ、ということでなるべく多くの楽章をリハーサルする方針で・・・一番(ピアノとチェレスタにとって)難しい第5,第10楽章、そして個人的に安心感が早いとこ欲しい第6楽章は結局やらなかったです(汗)
やったのは第1,2,3,4,7,8楽章。もちろんやって良かったですし、自信はつきましたがこれからユースオケは(学校が休みになるので)2週間リハーサルがないため先ほどの懸念楽章をやらないのはどうしても心配・・・
オケの配置としてはピアノがオケの前に、そして私はホルンの後ろ隣(?)に陣取ってます。
(ちなみにホルンは後ろ向きに音をだして、本来なら何回かバウンドしたあとの音が聴衆に入るため私のポジションにいると荒削りのまま聞こえます。音量としてはチェレスタが盾になってるので大丈夫なのですがいつもと違った不思議な音が聞こえます)
ピアノとチェレスタは同じ時に同じパートを(たまに2人だけで!)弾いたりもしてるのですが、弱音のデュエットが多くてこちらはピアノの音が聞こえないし、向こうはチェレスタの音全般聞こえないし、でどうするかなーという状態です。
チェレスタはもともと音の小さな楽器(特に古い楽器は)。基本pとかppとか書いてあってもそこそこ大事なパートなら無視してmfくらいで弾くのがちょうど良い、と経験から知ってるのですがその感覚も久しぶりで、そしてこの曲の複雑で繊細かつパワフルな性質からなかなか掴めないですね。
ピアノよりももっとパートがかぶってるのは鉄琴。大学のオケからの知り合いがわりと近くで弾いています。
打楽器はなんと11人体制!(後期ロマン~20世紀前半だったら多いスタンダードが5人体制のはず)
まだ全員はそろってなくてビブラフォーンとか銅鑼が聞けてないのが残念なのですが近いうち全員そろうそう。
もちろん11人いるので楽器の種類も多い!普段使われてるティンパニやシンバル、バスドラムだけでなくマラカス、ウッドブロック、鉄琴、ビブラフォーン、鐘(tubular bell)などなど。
楽器が多いだけでなく、従来のオケと比べて打楽器が演奏する頻度が圧倒的に多くかけもちが少ないのも人数が増える理由でしょうね。
今後オンド・マルトノの奏者と楽器がこちらに来たらピアノ、チェレスタ、オンド・マルトノ、そして打楽器で追加のリハーサルをするそうです。11人の打楽器奏者とスケジュールの都合を付けようとマネージャーさんが奔走してくれてるみたいで。
実現するといいなあ、と願ってます。リハーサルは多いに越したことはないですし、この楽器の組み合わせである意味曲を支えているようなものだと思うので(笑)案外音楽が成り立ってしまうのではないかな~と思ったり。
メシアンは色彩、鳥の歌、いろいろな音楽の要素で知られていますが彼自身は自分は「リズムの作曲家」だと言っていたそうです。
それがこのオケのリズムセクションに強く表れているのではないでしょうか。
トゥーランガリラ交響曲。この曲の魅力だったり、この曲に自分が感じるものを言葉で表現するとどうしてもぐるぐるして詰まってしまうのですが・・・
トゥーランガリラの意味は本当にたくさんのことを含めています。時、リズム、愛、恋、命、死、作用、演奏などなど・・・つまりはこの世界を回すもの、と私は解釈しています。
時の刻み、季節の移り変わり、愛などの本能(性愛を含む)、天体の動き、歌、鼓動、生と死のサイクル・・・
トゥーランガリラは世界そのもので、でも普通に生きている私たちの周りの世界よりもずっと鮮やかで生き生きとしていて。
それはこの曲が表す人間、自然、季節、天体、命、時・・・一つ一つが、そして全てが一つとなって強烈に「生きて」いることを表現しているからだと思います。
小さいものから大きなものまで、全てが発している生命エネルギーが音楽となっていて。それぞれ違ったリズムとサイクルで生きて動いているからこの曲はたくさんの違うリズムと色彩が組み合わさってる、ということなんだと思います。
それが全部合わさって、増幅されて物凄いエネルギーになって。メシアンの音楽全般「喜び」の濃縮された強烈なエネルギーが放射状でなく壁のように直撃するため「怒り」にも似た感覚に映るんですよね。
こうやって2つ段落を書いてみて結構書けたな、と思う反面これじゃあまだまだ表面の話に過ぎないな、とも感じます。
でも言葉にならない感覚で感じていて、理解していて・・・
7月の演奏までに(リハーサルは限られてますが)もっと深めていけたらな、と思います。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン トゥーランガリラ交響曲 第8楽章 「愛の敷衍」
えーっと、日本語の題はWikipediaからコピペしました。「敷衍」がなにか分からないのですが、フランス語の「Développement d'Amour」は分かるのでそれで理解しています。
指揮者Fabianがこの楽章を「一番難しい楽章」と称していましたが、ピアノとチェレスタに限ってはこの楽章は一番難しくはないかな・・・
でも難しいのは確かです。オケ総動員、速いセクションのめまぐるしさ、1小節ごとに変わったりもするテンポや拍子、リズムと楽器使いの複雑さ、そして奏者と指揮者のスタミナ、集中力・・・
全て難しい!
メシアンは敬虔なクリスチャン、そしてカトリック信者として知られています。
ただ彼の信仰はかならずしもキリスト教、カトリック宗派のものとは一致していません。
音楽的に(特にこの曲インドや東洋の影響を濃く受けていますが信仰に関してもアニミズムに近い、自然崇拝だったり、汎神論に近い考え方も持っていたと聞いてます。
それを考えると「20のまなざし」「アーメンの幻影」を見る目も変わりますし、「鳥のカタログ」という曲集の存在ももっと明らかになりますし、何よりもこのトゥーランガリラ交響曲に関して多く説明がつきます。
先ほど「愛などの本能」のところで「性愛を含む」と書きましたが、なんとなくこの第8楽章にそれを感じる様な気がします。
性の交わりというのは命を生み出す(唯一の)行為だ、という「生と死のサイクル」の一部として、というのと・・・
あとやはりインド神話における性愛にも繋がるような気がします、イメージ的に。
スピリチュアルな愛と肉体の愛、どちらもが極みに届いて一つになった、そんな感じ・・・
メシアンの音楽はそういう本能だったり精神だったりに繋がることもありますが、それを本当にメカニカルに創り上げている、というか・・・
実際世界ってそういう風にできてるんだな、と感じます。
そのメカニズムから神秘なんだな、と。
神秘的で、神話的で、ダイナミックで、究極の命そのもののような、でも同時にものすごく複雑なこの楽章をどう勧めればいいか、本当に見当もつかないのですが・・・
メカニズムのことは後にしてとりあえずこの曲の盛り上がり方、そして高みに上りつめて、クライマックスのそのおおらかで強烈な性格、そしてなによりもそこからだんだん降りてくるところの他では味わえない感覚を楽しんでもらえたら、と思います。
(あら、リンクしたCDでは「愛の展開」と訳されていますね。先ほどの敷衍も調べてみましたがどっちも・・・どうなのかなあ、と。フランス語にそれほど精通しているわけではないのですが音楽の性質からして良い言葉があるといいな、と思ってます。)
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