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今日も仕事→ピアノ→仕事のサンドイッチ。
一旦はまると勢いが付いてのめり込む性質がたまにちらほらと。良いことです。
トゥーランガリラのパートもやっと安心感を覚えるようになりました。
自分のパート、そして自分のパートと周りのオケの絡みだったり、音楽全体のとらえかただったり。
トゥーランガリラの各楽章ってどれも例えば同じメシアンの「20のまなざし」だと最大級の第6楽章、第10楽章とかそっちに似てるんですよね。がっつり。
チェレスタパートとはいえやはり周りの音楽を把握してなくちゃいけないのは変わりないので(メシアン慣れしてても)大変です。
トゥーランガリラのチェレスタパートってなんとなく異色な感じがします。
(3年チェレスタ弾いてないギャップももちろん考慮してですが・・・)
まずは弾く頻度が多いことがそうで。
そしてそれと関連してるんですが、不思議なパートだな、と。
チェレスタのパートって普通は鉄琴ともハープともピアノともヴィブラフォーンとも違う音色を生かしたソロがどこかにある前提で書かれてるんですよね。
もともとチャイコフスキーがくるみ割り人形の「金平糖の精の踊り」でソロを弾かせるために引っ張りだした楽器ですし。
でもトゥーランガリラの場合はほとんど鉄琴orピアノとかぶってますし、意味があるんだかないんだか(おそらく聞こえない)分からない伴奏ともいえないようなパートが延々と続き。
こないだ「一般的にチェレスタのパートはpとかppとか書いてあっても無視してmfで弾く」と書いた覚えがあるのですが、トゥーランガリラだとちょっとそこ自信ないんですよね。全オケが弾いてるところとかは遠慮なしに弾いちゃっていいんだろうけど、鉄琴とかピアノとのソロっぽいところでお互い聞こえてるかどうか分からなくてどう音量をバランスしたらいいんだろう、と本当に悩みます。結果やっぱりchicken outして聞こえてないのかも。
チェレスタとは(弾いてない期間が多いにしても)長い付き合いです。
一生チェレスタだけ弾いていけるとは思いませんが(笑)馬の合う楽器です。
前述「金平糖の精」で有名になり、なにかときんきらきん♪ではないですが音が「可愛い」イメージがある、そしてそれ以上のものは期待されていないであろう楽器。でもそれだけじゃあ私は好きになれないですよ。やっぱりバルトーク以降の闇のなかで妖しく不安定にきらめく「闇のチェレスタ」あってこそです。
チェレスタは教えてくれる人がいないものですから、リハーサルの場でいろいろ実験したりしていろいろ学んで来ました。(とても直感的に身体で覚えたようなものなので実際自分が何をまなんだか説明するのも難しいですし他人に教えようとしたらできなさそうですが・・・)
やっぱりピアノと似て非なるものです。チェレスタの方ができることの幅はもちろん少ないですが、決してそればかりではなく。
例えばチェレスタを弾いてるとペダルの使い方は大分違いますし(ぼかしエフェクトを期待されることが多いのと音量の関係でペダルを使う機会は多いです。テクニックもいろいろ違います)、キータッチも全然違いますし。
(割とジェスチャーが大きくなるような気がします)
ピアノでピアノ音楽を弾くのと、ピアノでチェレスタパートを練習するのと、チェレスタでチェレスタパートを弾くのは違うなあ、と思います。
チェレスタの前に座った途端条件反射で、というよりはチェレスタを弾く感覚とチェレスタの音をフィードバックとして自然と適応していく、という感じ。
チェレスタに関してはちょっとプライドみたいなものもあって。
大学で1年先輩の友達で、メル響やユースオケなどの裏方に関わってる人がいるんですけど、その人に在学中「メルボルンで一番のチェレスタ奏者」と評されたことがありまして・・・
それを本当に糧にしてるんです、ずっと。弾かない時期から戻ってきた今もまだ。そうでありたいですもの。
チェレスタが好きで、本当に自分のエリアと思ってますから。
本当に好きなんですよ。チェレスタを弾いてると楽器を、そして一音一音を本当に大事にするような気がするんです。
楽器自体に癖があって、あと古い楽器使ってるとトーンが均一じゃなかったりして、一つ一つの音の癖を分かってないとちゃんと響かなかったりとか。
あと音のアタックからその余韻まで、どうやったらこのちょっと見くびられている楽器の音に気づいてもらって、驚いてもらって、チェレスタの魅力を知ってもらえるか・・・それをこの手でどうやってやってみせるかということに燃えるんですよね。
チェレスタを本当に美しく響かせて、その表現の幅とポテンシャルを音楽をもって証明したいという思いに関しては負けません。
(だからこそメル響でも弾きたい!)
ここでチェレスタ弾いた曲をリストしてみようかとも思ったんですが思ったよりは長かったので別の機会に。
実はユースオケ、次のコンサートはホルストの「惑星」があるんでチェレスタのパート、狙ってます(笑)
これも一回弾いてるんですが何回でも弾きたいです!海王星海王星!(笑)
これからピアニストでももちろんいたいけれどチェレスタ奏者でももちろんいたい。
なのでリハーサル数(=チェレスタに触れられる機会)は少ないですがとりあえずまずはトゥーランガリラを頑張ります!
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「トゥーランガリラ交響曲」 第2楽章「愛の歌 I」
チェレスタが聞こえる楽章は既にほとんど出し尽くしてしまった!というコンサートに向けてのトゥーランガリラ紹介ラッシュのたたり(汗)
ということで少ーしだけチェレスタが聞こえるこの楽章で。(後半ちょっとだけです~)
ものすごくざっくり音楽を分けるとその源は「歌」と「踊り」に分けられる、と思っています(まあ外れてはいないと思います。ただものすごくざっくりしてるだけで)
ただ「愛の歌」というわりにはこの曲、「踊り」のエレメントが大分強い気がしますねえ。
愛にもいろいろありますが、この楽章の愛はとても歓喜に満ちて、どこか片思いというか初々しいところがあって。(繰り返しになりますが、カルミナ・ブラーナに似てるんですよ!)
胸の高鳴りというか、うれしさで跳ね回るような。イレギュラーなリズムにアップダウンの激しいメロディー(弦楽器奏者はさぞ大変だろうな!)。
で、ちょこちょこ「歌」っぽいセクションをはさむんですが、弦+オンド・マルトノの息の長ーい、ちょっと不思議な音色が割と感情抑えめだけどそれが美しく。
様々なテンポ、様々な性格のセクションがありますがどれもとっても生き生きしてます。
それはやっぱりメシアン独特のリズムの生命力がありますし、途中でホルン軍団(意外と4人だけなんですよね)の頑張り&パワフルさも聞けて。
途中で割と速めの、休まる気配のない「子守歌」もあります。これをどう解釈したらいいのか迷うところですが「愛の歌」とあるくらいですから恋い焦がれて眠れない、愛の夢を見たい・・・という見方もできそうですね。
メシアンのいう「愛」は男女の愛に限らないのですが・・・
でも音楽の全て=世界の全ての命が愛に満ちている、生き生きして動いている、という感じはあります。
そういうと他の楽章と一緒のこと言ってるじゃないか、どう違うんだ!という話になりますが・・・
この「愛の歌 I」に関してはなにか透明感があるような気がします。風のような、若いなにかが。
例えばこないだの第8楽章のような激しさはないような気がします。(第2楽章ですしね、盛り上がりはこれから、ということでしょうか)
下手なりのトゥーランガリラ紹介、今度また続きます~
一旦はまると勢いが付いてのめり込む性質がたまにちらほらと。良いことです。
トゥーランガリラのパートもやっと安心感を覚えるようになりました。
自分のパート、そして自分のパートと周りのオケの絡みだったり、音楽全体のとらえかただったり。
トゥーランガリラの各楽章ってどれも例えば同じメシアンの「20のまなざし」だと最大級の第6楽章、第10楽章とかそっちに似てるんですよね。がっつり。
チェレスタパートとはいえやはり周りの音楽を把握してなくちゃいけないのは変わりないので(メシアン慣れしてても)大変です。
トゥーランガリラのチェレスタパートってなんとなく異色な感じがします。
(3年チェレスタ弾いてないギャップももちろん考慮してですが・・・)
まずは弾く頻度が多いことがそうで。
そしてそれと関連してるんですが、不思議なパートだな、と。
チェレスタのパートって普通は鉄琴ともハープともピアノともヴィブラフォーンとも違う音色を生かしたソロがどこかにある前提で書かれてるんですよね。
もともとチャイコフスキーがくるみ割り人形の「金平糖の精の踊り」でソロを弾かせるために引っ張りだした楽器ですし。
でもトゥーランガリラの場合はほとんど鉄琴orピアノとかぶってますし、意味があるんだかないんだか(おそらく聞こえない)分からない伴奏ともいえないようなパートが延々と続き。
こないだ「一般的にチェレスタのパートはpとかppとか書いてあっても無視してmfで弾く」と書いた覚えがあるのですが、トゥーランガリラだとちょっとそこ自信ないんですよね。全オケが弾いてるところとかは遠慮なしに弾いちゃっていいんだろうけど、鉄琴とかピアノとのソロっぽいところでお互い聞こえてるかどうか分からなくてどう音量をバランスしたらいいんだろう、と本当に悩みます。結果やっぱりchicken outして聞こえてないのかも。
チェレスタとは(弾いてない期間が多いにしても)長い付き合いです。
一生チェレスタだけ弾いていけるとは思いませんが(笑)馬の合う楽器です。
前述「金平糖の精」で有名になり、なにかときんきらきん♪ではないですが音が「可愛い」イメージがある、そしてそれ以上のものは期待されていないであろう楽器。でもそれだけじゃあ私は好きになれないですよ。やっぱりバルトーク以降の闇のなかで妖しく不安定にきらめく「闇のチェレスタ」あってこそです。
チェレスタは教えてくれる人がいないものですから、リハーサルの場でいろいろ実験したりしていろいろ学んで来ました。(とても直感的に身体で覚えたようなものなので実際自分が何をまなんだか説明するのも難しいですし他人に教えようとしたらできなさそうですが・・・)
やっぱりピアノと似て非なるものです。チェレスタの方ができることの幅はもちろん少ないですが、決してそればかりではなく。
例えばチェレスタを弾いてるとペダルの使い方は大分違いますし(ぼかしエフェクトを期待されることが多いのと音量の関係でペダルを使う機会は多いです。テクニックもいろいろ違います)、キータッチも全然違いますし。
(割とジェスチャーが大きくなるような気がします)
ピアノでピアノ音楽を弾くのと、ピアノでチェレスタパートを練習するのと、チェレスタでチェレスタパートを弾くのは違うなあ、と思います。
チェレスタの前に座った途端条件反射で、というよりはチェレスタを弾く感覚とチェレスタの音をフィードバックとして自然と適応していく、という感じ。
チェレスタに関してはちょっとプライドみたいなものもあって。
大学で1年先輩の友達で、メル響やユースオケなどの裏方に関わってる人がいるんですけど、その人に在学中「メルボルンで一番のチェレスタ奏者」と評されたことがありまして・・・
それを本当に糧にしてるんです、ずっと。弾かない時期から戻ってきた今もまだ。そうでありたいですもの。
チェレスタが好きで、本当に自分のエリアと思ってますから。
本当に好きなんですよ。チェレスタを弾いてると楽器を、そして一音一音を本当に大事にするような気がするんです。
楽器自体に癖があって、あと古い楽器使ってるとトーンが均一じゃなかったりして、一つ一つの音の癖を分かってないとちゃんと響かなかったりとか。
あと音のアタックからその余韻まで、どうやったらこのちょっと見くびられている楽器の音に気づいてもらって、驚いてもらって、チェレスタの魅力を知ってもらえるか・・・それをこの手でどうやってやってみせるかということに燃えるんですよね。
チェレスタを本当に美しく響かせて、その表現の幅とポテンシャルを音楽をもって証明したいという思いに関しては負けません。
(だからこそメル響でも弾きたい!)
ここでチェレスタ弾いた曲をリストしてみようかとも思ったんですが思ったよりは長かったので別の機会に。
実はユースオケ、次のコンサートはホルストの「惑星」があるんでチェレスタのパート、狙ってます(笑)
これも一回弾いてるんですが何回でも弾きたいです!海王星海王星!(笑)
これからピアニストでももちろんいたいけれどチェレスタ奏者でももちろんいたい。
なのでリハーサル数(=チェレスタに触れられる機会)は少ないですがとりあえずまずはトゥーランガリラを頑張ります!
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「トゥーランガリラ交響曲」 第2楽章「愛の歌 I」
チェレスタが聞こえる楽章は既にほとんど出し尽くしてしまった!というコンサートに向けてのトゥーランガリラ紹介ラッシュのたたり(汗)
ということで少ーしだけチェレスタが聞こえるこの楽章で。(後半ちょっとだけです~)
ものすごくざっくり音楽を分けるとその源は「歌」と「踊り」に分けられる、と思っています(まあ外れてはいないと思います。ただものすごくざっくりしてるだけで)
ただ「愛の歌」というわりにはこの曲、「踊り」のエレメントが大分強い気がしますねえ。
愛にもいろいろありますが、この楽章の愛はとても歓喜に満ちて、どこか片思いというか初々しいところがあって。(繰り返しになりますが、カルミナ・ブラーナに似てるんですよ!)
胸の高鳴りというか、うれしさで跳ね回るような。イレギュラーなリズムにアップダウンの激しいメロディー(弦楽器奏者はさぞ大変だろうな!)。
で、ちょこちょこ「歌」っぽいセクションをはさむんですが、弦+オンド・マルトノの息の長ーい、ちょっと不思議な音色が割と感情抑えめだけどそれが美しく。
様々なテンポ、様々な性格のセクションがありますがどれもとっても生き生きしてます。
それはやっぱりメシアン独特のリズムの生命力がありますし、途中でホルン軍団(意外と4人だけなんですよね)の頑張り&パワフルさも聞けて。
途中で割と速めの、休まる気配のない「子守歌」もあります。これをどう解釈したらいいのか迷うところですが「愛の歌」とあるくらいですから恋い焦がれて眠れない、愛の夢を見たい・・・という見方もできそうですね。
メシアンのいう「愛」は男女の愛に限らないのですが・・・
でも音楽の全て=世界の全ての命が愛に満ちている、生き生きして動いている、という感じはあります。
そういうと他の楽章と一緒のこと言ってるじゃないか、どう違うんだ!という話になりますが・・・
この「愛の歌 I」に関してはなにか透明感があるような気がします。風のような、若いなにかが。
例えばこないだの第8楽章のような激しさはないような気がします。(第2楽章ですしね、盛り上がりはこれから、ということでしょうか)
下手なりのトゥーランガリラ紹介、今度また続きます~
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