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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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心の隙間、とか・・・
大分久しぶりに料理地味ーに失敗しました。
タマネギすりおろしのソースこがしたり片栗粉はたくの忘れたり鶏肉の解凍が十分じゃなく観音開き失敗したり・・・あわてながら妙なところぼーっとしてた結果こうなったのですが・・・
失敗してもまずくは決してなかったのでなんだか実感湧いてません(汗)

何かにつけて最近思い出すのが以前のレクチャーで聞いたヘビースモーカーの話を思います。
「何もする気力がなく、でも何もしないでいるのは不安なとき、その隙間に入る」のが煙草を吸うことだったと、そして気づけばその1本の煙草=その場限りの安心を得るためならなんでもする、と思うようになった、という。
喫煙を止めさせるようにするのではなく、その隙間だったり、気力がないことだったり、安心を求める原因だったりの根本をなんとかしていくことが大切だ、という話だったのですが。
(件のレクチャーの感想はこちらです。メンタルヘルスの間接的な問題いろいろについて。

所謂身体的だけでなく心理的に中毒・依存になるものってそういう傾向があるような気がします。
まずは普段の生活でどんなに頑張っても得られない感覚を与えてくれるということ。お酒に酔ったりドラッグのトリップだったり、一服吸って安心を覚えたり、競馬で夢中になったり結果に激しい喜びや悲しみを覚えたり。あとは食べる、というのもそうですね。生きている人間らしい感覚(感情を含む)を感じたり、現実の苦しみなどから逃げたりできる、そういうものに依存したり。

あともう一つの傾向としては「あまり労力を使わないけれど自分で何かしているようになれる、かつ時間をつぶせる」ものに依存・中毒しやすいのかな、と。日本だったらパチンコ、オーストラリアだったらPokies。ゲームだったり、あとはtwitterもこのカテゴリに入るかな。ケースによっては自傷も。例えばテレビを見るとか音楽を聞くとか、完全に受け身だとやっぱりそわそわするから自分の意志でやっている、という感覚がないと気が済まないというか満たされないというか・・・という。

そういう心の隙間だったり、気力がないけどrestlessになる感じは私も(特にこの季節は)多々思いあたりがあります。色々ピアノや音楽を聞くことを使いますが上記労力が要るとかそわそわするとか、必ずしもいつも効果的なわけではないです。
むしろ調子が悪ければ悪いほどメンテナンス措置は効果が薄れる・実行できない傾向にあります。
ダメなときはなにをやってもダメ。(それを知っておくのは大切ですよね。無理にポジティブに、とかあがくのが逆効果になるときは本当に多いですし、まずは自分の状態を正しく認識するところ・自分の限界を認めるところから始めなきゃだめなので)

自分のそう言う弱さをこうやってはっきり論理的に認識するまえから「はまって抜けられなくなる性格だなー」というのは知ってるのでなるべく避けるようにはしています。お酒は例外ですが一応気をつけて・・・一応。
でもいろいろそわそわしているときにする癖とか沢山ありますね(汗)

心の隙間そのものだったり悪癖そのもの、というのは必ずしも害につながるわけではないですが。
中毒・依存が身体に及ぼす害もそうですが、そうなることによって中毒・依存を断ち切るため、さらにはその原因となった心の隙間に関わる心の問題を解決できないような思考サイクルに陥ったり・・・
そういう様々な害に繋がるものなんですよね。
とくに精神疾患を抱えている人はそういう傾向に関するリスクが高いですし。(依存しやすい、抜けにくい、精神疾患が心の隙間を創り出す、などの理由で)

何もできない、よりも何かできるようでできないような、というような状態が辛く感じることも多いです。
特に責任感の強い人だと「何にもできない状態じゃないから何かしなきゃ」という焦燥をより強く感じると思いますし、何もできない状態のときにできなかった、やりたかった事がたまってたり・・・一応休もう、とも思いにくいでしょうし、休もうとしたところでそわそわして休めなかったり。あとそういう状態の人にとって「何か自分でやった」という感覚に覚える安心がより強いのではないでしょうか。

責任感の強さはまあ別として私も「迷ったら休む」ことが苦手で、休もうとしても焦燥感を感じたりします。
幸い仕事を一旦始めるとのめりこむほど集中し(ピアノ・・・は日によります)、寝る時は問題なく寝れるのですが起きている間何もしないでいるのがとにかく苦手。
書き物をしたり論文を読んだり耳たぶ丸めたりちょこちょことっかえひっかえして過ごしています。

こういった「何もできないわけじゃないけど何かできるわけでもないどうしようもないそわそわする感覚」というのは精神疾患の症状ではないわけで。
でも精神疾患を持ってる人の多くは経験したことがありますし(日常的に経験している人も多いはず)、そうでない人もよく経験する感覚だと思います。
それ自体は害は少ないですし、気分や調子の変化とともに自然に消失する感覚ではありますが、長く続いたり、不適切な方法で対処してしまったり(お酒に走ったり)するともっと重大な問題になりかねない側面もあり。

こういう状態って心と体が「何かを欲している、でもなにか分からない」と訴えてる、心の中にあるものに対する気づきのきっかけとなる状態でもあるんですよね。
だからまずはこの感覚の後ろに何が隠れているのかちゃんと自分の心のなかをさぐってみてできればケアしてあげる、場合によってはお医者さんとかプロの対応を仰ぐことは本当に大切だと思います。(特に先ほど書きました「不適切な対応」というのはそれから目を背ける、逃げる行為そのものですからね)
ただ原因がとりあえずのところないばあい、または分かっててもどうしようもない場合は改めて「どうしようもないんだ」と認めて、その感覚が去るのを待つ・やりすごすのもまた大切だと思います。

特に私に取っては無駄なあがきは今の季節エネルギーを無駄に消費することに繋がりますからね。
なんとかやりすごしながら、でも問題を見過ごすことないようのりきらないと。
人の行動や思考、感情の裏には心理、というかきっかけや理由があって・・・
お酒に、自傷に走りたいと思ったら何かがおかしい、そのサインを(自他共に)見逃さないように肝に銘じないといけませんね。


今日の一曲: ウジェーヌ・イザイ 無伴奏バイオリンソナタ第5番 第1楽章



最近イザイの無伴奏ソナタを全く扱ってなかったな~と思いチョイス。
でも大切な第2,3,4番とかは・・・どうも出しそびれてしまう。いつか紹介しますね・・・

第5番第1楽章、いつかこれをどこかのコンサートのアンコールで聞いたことがあります。
録音で聞く前で本当に初めてで、ちょっとびっくりした記憶が。
あんまりバイオリンリサイタル的なものは(友達の以外は)行かないですし、大学でイザイを弾くような人はいないですし(そんだけ難しいんです!)。

バイオリンというとロマンチックだったり機敏だったり情熱的だったり、なにかと感情と直結しているイメージが強いです。イザイの無伴奏ソナタも実際感情表現がものすごく濃いものが多く。
そのなかでこの曲はちょっと例外的というか。言い表すなら「印象派的」でしょうかね?
「夜明け」のタイトルの通りこの曲ではバイオリンが4本の弦全部に渡る分散和音をつかって静寂・静止から起こる光、そして変わりゆく色彩を鮮やかに表します。
そこには人間のいる余地はないような、とても絵画的な、心洗われる自然そのもののような音楽。
あの小さい楽器から無限の風景、世界が広がるのは本当に凄いです!
(ぜひぜひ大きなホールで生で聴きたいですよね♪)

弦楽器って左手で音を決めるため忙しく動く左手が難しいと思う人もいるようですが、実は音色を決める右手の方が細かい調整など本当に難しいんです。
例えば、物理的にいえば手が楽器から遠ざかるごとに力が入りにくくなる、つまり弓を引く・押す際の弾き始めと弾き終わりの音を均一するためには本当に力の加減が大変で。
その他にも弓の位置や右手の力調整で音が大きく変わりますし。
そんな右手の努力、繊細さはこの曲で縁の下の力持ちとなってます。

バイオリンという楽器をイザイはどのソナタでも限界まで持っていくのですが、なかなかこういう方向の限界は聴けません。とってもユニークな世界をお楽しみ下さい♪

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