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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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調子・生活・感情・音楽
(冬における私の不調の話はもう耳にたこができるほど聞いたと思いますが今日もそんな感じです・・・すみませぬ。)

いろいろやりたいことやらなくちゃいけないこといっぱいのこの頃。
ヘアカットの予約は入れましたし、Tax returnも済ませたんですがそろそろ録音もできるかな、レッスンも決めた方がいいかな、とか美術館いついこうとか誕生日ディナーの鍋なに入れようとか友達のBaby showerなに持ってこうかとか・・・
妙に慌ただしい脳内。

仕事は今大きい案件が来ててまだ数日かかることは確実なのですが納期がまだまだなのでちょっとペース落としてもいいかな、という感じ。
ピアノはそれぞれの曲で壁があっていろいろトライしているところ。あ、あと今度のユースオケの「惑星」のチェレスタパートの練習も始めました。

とりあえず見た目朝ちゃんと起きて(ちょっと寝坊してることはしてますが)仕事やってピアノもやってまた仕事やって、家事もそこそこやってはいます。
ピアノを休んだり仕事の納期を延ばしてもらったりする必要もなく日常を過ごしているわけですが・・・
それが楽々こなせてるか、といったらやっぱり違うんですよね。
ぎりぎりのところでぎりぎりじゃなくとどまってる、というレベルでしょうか。
気持ち的にこれ以上いろいろやり始めたらいけないな・・・という自覚があり。

後から実感したのですがトゥーランガリラの頃はちょっと無理しましたね。ちょっと行き届かないところもありましたし後で大分ダメージ来ました。
でもそれも大学在学中の無理と比べたら微々たるものなのかもしれませんが。
大学のオーケストラでマネージャーをしてたころがやっぱり一番無理してたと思います。もちろん学業も自分の演奏もありましたが、その上にですからね・・・
楽しかったですし、やってよかったと思ってるのには変わりないですが(特に秋~冬に入ると)本当に苦しい時期でもありました。

こういうときの不調は全体的な疲れやすさ、腰の重さ、気分のレベルが若干低め、というのもあるんですが「疲れててもそれをなんとかするのが大変面倒くさいのでor疲れに気づけなくてずんずん進んでしまう」というのがあります。(だからトゥーランガリラやオケマネージャー・大学生活のように後から手痛いしっぺ返しがくるんです)
それでなくても普段から自分を強制的に休めたり人に頼ったり甘えたりがちょっとだけ苦手だったりするので・・・
でも環境的にはピアノ教えやオケマネージャーよりも今の在宅翻訳の仕事のほうが「無理させない」という意味ではいいかな・・・と思います。ただ仕事も練習も一人なので(笑)自分が気づいてなんとかしてあげなくちゃいけない、という自覚をもっと持った方がいいですね。

それから今年特に気になる、というか目につく不調のサインが「気分のブレーキが利かない」ということ。
一応診断名は「双極性障害(II型)」でその一番主とする特徴が気分の変動(up & down)なんですが・・・
特に上方向に気分が変わるとき、まるで自分の手をすりぬけていくようにはっきりと自分の意志に反して気分が高揚していくいやーな感覚があります。(その過程がまざまざ感じられる気持ち悪さと無力さ!)
もともと気分の高揚については(焦燥感などと共に)主に春先に問題となる症状で、本来冬は低めの感情が続くのが常なのですが・・・
今年はなんだか感情のねじがゆるい感じがします。

自分の意志に反して気分が上がってしまうのは一見良いことなようでそうでないです。
気分が上がる≠調子が良くなる、ではないですからね。軽躁状態はほんとうにしんどいです。本当に。
頭のなかはぐるぐるするし、自分の思考と感情と行動がばらばらになってついていかなくなったり、焦燥と感情の高揚でエネルギーがどんどん抜けていく感じが。そしてあとで気分がデフォルト以上に落ち込む。

一応軽躁状態を引き起こすトリガーみたいなのはあって、その一つとして一部の音楽が挙げられます。
その筆頭がトゥーランガリラなどメシアンの「歓喜」を表す音楽で。
眩しく鮮やかな色彩、躍動感あるリズムなどに自分のねじのゆるんだ感情が反応してあれよあれよとつり上げられてしまう。
リハーサルの後とか数時間興奮状態のまま、とかありましたもの・・・
(私にとっては軽躁のほうが鬱状態よりも手に負えない感がずっと強いのです)
他にはスクリャービンの音楽とかでもありますね。
実際にどういう作曲家の、どういう特徴を持った音楽が(自分に、そして一般に)軽躁を引き起こすようなのかはまだ分かっていませんが、本当に興味深いです。

その動きに気づいたときにちゃんとブレーキ踏んではいるんですけどね・・・やっぱりトリガーをなるべく避けるしかできることはないのか。そこもこれから探ってかなくちゃいけないです。

あと「軽躁状態」自体についてももちょっとこのブログで書きたいなーと思いますね。
自分にとってはとっても身近なことなんですけどいざ説明するとなると難しい。説明するにもなかなか文面で伝わりにくいですし、もちろん当該状態になってる間は説明できませんしね。
勉強か経験か、どちらのアプローチをとればいいのかさえも今はわかりませんがきっといつか。


今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第1楽章



今練習している曲の中で、そしてもしかしたら今まで弾いた曲の中で自分に合うことトップクラスの曲だと思います。
プロコフィエフらしいか?といったら他にもプロコフィエフらしい曲はいっぱいあるのですが、独特のキャラクターと魅力を備えたピアノソナタです。

きっちりしているようだけど気まぐれだったり、腹黒いようで実はロジカルでストレートだったり・・・
終始影がさしたような暗さの中で動と静が蠢きます。
特に最初の部分でちらっと出て中間部で執拗に繰り返されるリズムの格好良さが私の一番お気に入り♪
(機械とか、あと機関車が進むような感じに似ていますね~)

まだまだ練習は音さらいの段階ですが(再現部がなにげに難しい!ソナタ形式の変則がちょっと技巧的に裏目にでるのです・・・)、この楽章において「理想のバランス」というものを考えるようになってきてます。
情熱とクールのバランスだったり、自由に動かすlaid backな部分ときっちりしたforward driveのバランスだったり、鋭いスタッカートと流れるレガートのバランスだったり。
それらの「自分の中のバランス」を見つけたときに自分にとってのベストな解釈が生まれるんだろうな、と思います。

少なくとも情熱とクールのバランスはなんとかしたいですね~
弾いてるときは感情に流され気味なのか「情熱」の面が勝り気味だと思います(特に中間部・・・)。でもプロコフィエフとかショスタコーヴィチとか、ソヴィエトならではの機械的キャラクター、鉄鋼の冷たさなどもどんどん前面に押し出していきたいですし。
表面的には冷たさがでるといいな。

いろいろ自分でも試行錯誤しなきゃですがそれには色んな録音を聴くのも必要ですね。大学では何人か弾いた人いるのですがCDがもっと欲しいです。(ということでリヒテルをリンクしました。)

この曲を弾き始めて本当に「出会った!」感が強いんですよね。他の楽章もこんな感じで進めてけるといいなと願ってます。

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