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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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オープンなようでクローズド(楽器と性格:チェロ)
大分間が開いてしまったのでそろそろ、と。
身内(いわば身内、ですが)評価は両極端寄りになりやすいので気をつけながらいきます~
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。

チェロ、というのはオケで使われる楽器のなかで比較的自立した、というか自己完結、というか音楽的に自給自足できてる楽器だと思います。
音域は低音から高音まで広く、弦楽器みんなでそうですが4本あるため4音の和音までなら弾けますし。
モーツァルト、ハイドンの時代には例えば弦楽四重奏でいやいやベースラインを担当することが多かったですがただのベースラインだけでなくメロディー、カウンターメロディー、伴奏と幅広い役を演じることが可能で、機動力、表現力、音の深さなど多々な特徴を持っている楽器です。

チェロを弾く際は楽器に付いているスパイクを床に刺して、広げた足の間に楽器を構えるユニークなスタイルです。チェロを弾くときは女性を抱くように、と言われるそのフォーム。音の性質もこのスタイルも男性的な性質、として包容力を連想させますね。
他のほとんど楽器と違って立って弾く事が不可能な楽器ではあります。(頑固さの連想?)そして奏者の前後左右にかなりスペースが要ることも特徴的。オケマネージャーとしてステージのセットアップすると分かるんですが、他の楽器と比べて大分椅子の間の間隔が広いんです。(例えばトロンボーンは前後のスペースが必要ですが座るのは本当にお互い近くてもいいようです。)

チェロを弾いてる人になぜチェロを弾き始めたか、と尋ねると「音が美しいと思ったから」というパターンが結構多いです。例えばピアノやバイオリンのように「習わされた」パターンではなく自分で選んで進む道、という自覚が強いのでしょうか。
そして音の美しさ重視は(もちろんどの楽器にもありますが)必ずしも高級志向ではなくともクオリティを激しく重視する傾向も。

チェロだけのアンサンブル(8人、12人など)というのがよくありますがチェロ奏者同士の結束はなかなか強いと思います。
ただホルン達のような仲良し集まりではなく、お互いの実力を評価し合い認め尊敬するライバル関係、そして個人主義な人々の集まり。かなり実力主義だと思います。そして馴れ合いとは無縁な印象。
全般的にはあんまり社交的な人達ではないんです。そんなに外向的・社交的ではないですし、広い浅い関係は得意でなく、なかなか他人に心を許せず、あと他人から傲慢にうつる場合も少なくなく。
なので友人関係は少なく、濃く。一旦チェリストの尊敬、そして信頼を得ることができるとものすごく義に厚い・・・という印象があります。
実際以前「一度チェリストになったら一生チェリスト」と私も言葉をいただいてますし(このエントリー参照)

バッハが6つの無伴奏組曲を書いてチェロのキャパシティを披露してからベートーヴェンとそのちょっと後くらいまで、チェロの能力が作曲家達に比較的過小評価されていた時期、というのがありました。
(ハイドンが協奏曲書いたりしてますが、例えばオケや弦楽四重奏などのアンサンブルで、の話です)
だからチェリストはみくびられるのが嫌い、というかプライドが高い印象があるように見受けられます。
自分のことは自分が一番知っている、という自負だったり、自分の道は自分で選びとことん極める、という・・・
(要するに我が強いんですが、そんなチェリスト同士やっていけるのはお互い妥協できないということを尊重しているからではないかと推測・・・)
自分に(そして他人に)厳しい、向上心の強いタイプです。

チェロのレパートリーの大きさはわりと広く、アンサンブル・オケでもいいパートもらえることがロマン派以降多くなりました。
ぎりぎりピアニストみたいに自分の好きに選べるくらいの大きさかな。
でもチェリストは結構「本当に良いと思ったもの」ばかり弾く傾向にあるのでわりとコンサートなどで聴かれるレパートリーはぐっと狭まる傾向にあります。20世紀の作品は比較的好かれない(後述)のでほったらかしな部分も若干あります。
だからチェリストって好みだったり興味は大分広いんだけど、本当に好き!というものはごくごく少なく。(そして本当に嫌い!というものも少ないですがその嫌いの度合い半端ないです)
広いスキルと視野を持ち合わせてもいるんですが一度思い込んだりロックオンしたりはまったりすると周りが見えなくなる暗い視野が狭くなる傾向も。

チェリストって頭の回転が速いと言うよりは熟考型で、いろんな分野の知識動員して考え理論的に表現するタイプ・・・と思いきや理性の強さをしばしば感情の強さが超えてしまうほどの感情的な性質。
喧嘩なんかしようものならかなりの感情レベルを伴った理論攻め(注:その「個人なりの」理論)で、先ほど書きましたようなプライドの強さなどなどから自分が納得いくまで引き下がらないようなことになるような・・・
(一応大学在学中色んな楽器の人と友達でしたが私を含めたチェロ奏者には喧嘩的なものが多いような気がしますよ・・・)
その感情中心な性格が関係しているのかなかなか20世紀音楽とか前衛音楽にはチェロ奏者はとっつきづらいようです。弾いてて自分が満足するようなレパートリーというとやっぱり感情豊かなロマン派になるのか・・・

悪く言えば頑固で我が強く、気に入らないことがあると居ても立ってもいられないような性質にも関わらず、チェリストがリーダー的なポジションに進んでおさまることはあまりないです。
自分以外の人間に責任はもてない、ということもありますがあんまり権力的なものを好かない、というのもあるんでしょうか。チェロセクションにおいてのリーダーはセクションをまとめるポジションというよりはベストプレーヤーとしての印象が強いように思われます。

ちなみにその足を広げて弾くスタイルからか体力的なものかチェロは昔は主に男性が弾く楽器した。でも今は結構女流チェリスト多いですね。(ジャクリーヌ・デュ・プレは偉大な先駆者です♪)
女性のチェリストには頭が良くて男勝りな、でも凛とした女性らしさを備えた美人が多い印象があります(私は別です、念のため・・・)。
強いですよ~チェロの女性(笑)

ということでチェロの楽器と性格エントリーでした。
まだまだ語り残したみたいなところがある気がしないでもないですがまたいつか。
そして次回(いつになるかわかりませんが)紹介する、チェロのお隣さんでもあるビオラとの対照も是非お楽しみに。


今日の一曲: アントニン・ドヴォルザーク チェロ協奏曲 第1楽章



チェロ奏者に「チェロのレパートリーの王様は何?」と聴いたらまあ百発百中この曲をあげるでしょう。
(同様に一番偉大なチェリストは?と尋ねたら十中八九ロストロポーヴィチと帰ってくるのではないかと)
全てのチェロ奏者が目指す、チェロ音楽の王道中の王道・・・といったら大袈裟に聞こえますが案外そんなに誇張もしてないんです。
ドヴォルザークはピアノ協奏曲もバイオリン協奏曲も書いてますがドヴォルザークのコンチェルト、つまりドボコンといったらこのチェロ協奏曲を指す、それだけ偉大な曲なんです。
(私はバイオリン協奏曲もものすごく好きですが)

この曲はチェロという楽器の魅力の全てを本当に最大限に引き出す、チェリストが弾くには本当に最高な曲ですが聴く側にとってもとっても素晴らしい曲。
チェロの音色に惚れられる、もありますが注目すべきは協奏曲を通して本当にシンフォニーのように贅沢で豊かなオケの音楽。この第1楽章のエンディング近く一帯なんかドヴォルザーク自身の交響曲よりもSymphonicです(私の印象ですが)。

豊かな感情、凛とした尊厳、甘いロマンスに磨き上げられた技巧。
そしてドヴォルザークの音楽に共通する懐かしさだったり、ほどよい土臭さだったり。
色んな意味で「最高峰」のクオリティの音楽です。
先ほどチェリストが激しくクオリティ重視と書きましたがそんなチェリストがこぞって愛し敬う曲ですから。
(こんなにハードルあげてもまだびくともしない曲です)
彼らの評価にだまされたと思って一度聴いていただきたい曲です。
(元チェリストとして盛大に推薦します♪)

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