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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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コンサートからコンサートへ、ソロレパートリーのこともちょっと。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
一日ずっと音楽もオケも全てが輝いていました~

そんなコンサートの日の最終リハーサルで撮影された写真が今ちょうどMelbourne Youth MusicのFacebookページにアップされていました。こちらです~
今回がっつり写っておりますチェレスタ奏者(笑)木管セクションの楽器持ったショットとかも好きな写真です。そして指揮者さんはやっぱり黒シャツの方が似合いますね♪
写真撮影するのは知ってたんで気持ちみんな背伸ばしてる感もありますがちょっとリハーサルの雰囲気が伝わるかな、と思います。是非ご覧ください~

そんなコンサートの余韻も感謝の思いも冷めないまますでに次の演奏のお仕事が来ました。

<メルボルン大学音楽科オーケストラ コンサート4>

指揮者:Fabian Russell

[プログラム」
ラヴェル 道化師の朝の歌
デザンクロ Incantation, Threne et Danse (トランペット:Josh Rogan)
ストラヴィンスキー 春の祭典

会場:Melbourne Town Hall
10月30日 午後5時開演 入場無料

(コンサートの詳細はメルボルン大学音楽科サイトのページに)


私はデザンクロの第2楽章(Threne)でパートがあるそうで。チェレスタパートが打楽器のパートに書き込まれていたため見落とされてたそうです(笑)昔はチェレスタは主に打楽器奏者が弾いてましたからね~
見て分かると思いますが前回のコンサートと指揮者・ソリストともに同じ。オケのメンバーもおおかたユースオケとかぶってると思います(笑)
基本使えるとこは在学生を使う大学オケなので参戦は卒業以来。指揮者さん自らからのお呼びで、なんだかお抱えチェレスタ奏者みたいになってます(笑)
また彼と、そしてトランペットの彼と、それから他のたくさんの奏者とお仕事できて嬉しいです。このコンサート期間もあっという間なのでなるべく長く自分の中で続くことを願っています。

今週はコンサートが終わって一段落、といくつか新しい曲をピアノの方でも始めました。
今のレパートリーはこんな感じ:

メシアン 「鳥のカタログ」より第8楽章「ヒメコウテンシ」
クラム Eine Kleine Mitternachtmusik
プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第2楽章
ラヴェル 「クープランの墓」より「フーガ」
バルトーク 「戸外にて」より第1番「笛と太鼓と」
スクリャービン 「炎に向かって」

クラムは早いとこ楽譜をコピーしていろいろ解釈とか書き込みたいですねー!色々分析してがっつり考えたいのにできないもどかしさ!
ヒメコウテンシはネットで鳥の鳴き声を一つずつ確認しながら(フランス語ですがこのサイトがものすごく使えます)音をさらってよりピアノっぽさを消すよう、より鳥に近づけるよう試行錯誤中。
プロコフィエフとラヴェルはどっちも一見そんなに難しくないながらかなりトリッキー(でも難しい、というのとは違うかな-)な曲で頭、腕・指をひねっています。
春夏に向かって心地良く心を傾けられる曲がそろったところで遠くないうちにレッスンを受けれるように(先生に渡すお土産もありますし)がんばりたいと思います。

今日はメルボルンは暖かく28℃くらいありましたし(精神医とのアポのついでにFitzroyのVictorian Gothicというお店でアルケミーゴシックの品揃えを見てきました~)、明日もまた暑くなりそうですが明日はどうやら一日仕事と練習で忙しくなりそうです。
音楽の方をいろいろやってるとたまに翻訳の仕事も比較的しんどく感じますがなんとか進まないと、ですね。

オーケストラ生活に戻る来週の月曜日が楽しみです♪


今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「クープランの墓」より「フーガ」



「新古典派」としてのラヴェルを語るときにかならず引き合いにだされるピアノ曲「クープランの墓」。各楽章が第一次世界大戦で亡くなったラヴェルの友人に捧げられている、バロックや古典といわれる時代の様式にのっとって書かれた曲です。
のっとって、とは言いましたが曲の性格自体はとってもラヴェルらしい、ハーモニーなんかもこの時代のフランスの感じがものすごく強いです。

バロックからロマン派初期までの時代には「フーガを素晴らしく書くこと」が作曲家としての技量の一つのものさしだったと言われています。バッハが当時から高く評価されてきたこともそれに関わってますし、ベートーヴェンなんかはフーガがかけない作曲家、と言われることに悩んでいた節もあると聞いています。
(ベートーヴェンの表現はああいう曲には向いてないのかな、と思います。様式を壊したがる人ですから。ただベートーヴェンの書くフーガも決して下手とかじゃないんですよ。ちょっと変わってますが)

所謂理系な感じの作曲家の筆頭にあがるラヴェルがフーガという様式をどうやって操るか、生かすか、その中で羽ばたくか、というのは興味深いものがあります。
この曲は間違いなくフーガでありながらものすごーくラヴェルらしい!と言う特徴も多いです。アーティキュレーションの使い方だったり、透明なハーモニー、透明さを失わないような声部の重ね方・・・
ものすごく不思議な曲で、それが私はものすごく好きです。
これは他の作曲家にも他の様式でも再現することのできない、本当に唯一無二の音楽だと思います。

ちなみに20世紀においてフーガという様式の枠をどんどん広げ変えるような動きが起きましたが、それはこの曲だけでなくヒンデミットやショスタコーヴィチもやってることで、20世紀のフーガの広がり、そしてバロック時代との比較など見てみるといろいろ面白いと思いますよ。

それからクープランの墓は一部の楽章がオーケストラ編曲(ラヴェル自身)、そして木管五重奏のために編曲(複数)されています。ちょろっときいた限りではラヴェルのフレーバーを失わない、魅力的でナチュラルな編曲です♪

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