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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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キーワードto音楽:悲しみを表す言葉
前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪
相変わらずの舞い上がり様で(汗)
舞い上がりついでに余談ちょっと。指揮者さんが19歳でプロのオケで弾き始めたと書きながら「すげえな自分は19歳のとき何やってたんだろう」と思い返してみたら、ちょうど彼に出会ったのが私が19の時でした。
おあとがよろしいようで。

今日はキーワードto音楽、悲しみを表す言葉です。
今回は自分で言葉を見つけてcompileしました。「喜び」よりも「悲しみ」の方が作曲家が偏るような気配があったのですがなんとかだぶりは2つに押さえました。
やっぱりこういう感情の方が得意不得意がある、ということなのか。

悲嘆(ひたん): ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第9楽章「O Delvig, Delvig!」
悲しい、に加えて対象の人間に対する嘆く、惜しむ、やりきれないような感情を激しく、涙をともなって表現するようなイメージでのチョイス。この曲の「嘆く」弦の音が本当に強烈で、悲しみの中の悲しみとも言えそうな感情のかたまりです。

絶望(ぜつぼう): マーラー 交響曲第6番 第4楽章
闇のなかで光を求めて苦しみ抜いて、何度ともなく堕とされて、それでもまた光に憧れる。望みを全て失う、それまでの壮絶な苦しみはこの曲でしか味わえないと思います。最後の最後のとどめの和音なんかもうすごい、ここまで打ちのめすのか、という。マーラーならではの体感です。

慟哭(どうこく): プロコフィエフ 「ロミオとジュリエット」より「ジュリエットの葬式」
これはもうダントツで。ロミオが仮死状態のジュリエットを抱いて踊るシーン、イタリア人のステレオタイプみたいな激情が踊りにも、そして音楽にも表れます。まるで声を上げているのが聞こえるような、オーケストラが叫ぶような。(でも弾いてるとめっちゃ楽しいんですよ)

愁傷(しゅうしょう): ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 第2楽章
「愁」という文字に「秋」という字が入ってるのがもろに影響しているチョイス。心がちくちく痛むような、寂しげな空気が漂うような、もの悲しげで思いにふけるような。ピアノの音もオーケストラの音もものすごーく繊細で、特に速いスケルツォから出てくるところのほどけるような音楽が素敵。

断腸(だんちょう): イザイ 無伴奏バイオリンソナタ 第3番
これはバイオリンの弦がかつて(そして一部今も)動物の腸で作られていることにちょっとかけています。でもそれを除いても「断腸」と言えるほど、内からの苦しみにのたうちまわる、心が締め上げられるような音楽です。さすがバイオリン、というかバイオリンでしか表現できない狂おしさですね。

沈鬱(ちんうつ): ブラームス ピアノ四重奏曲第3番 第1楽章
作曲家自身により「自分の頭にピストルを向けている」イメージが語られているこの曲(「若きウェルテルの悩み」からの一シーンだそうで)。ひたすら暗く、内向きに、どうしようもなく迷い苦しむ、重みとふさぎ込んだ感がある音楽。なんといってもビオラとチェロの深みがこの言葉には似合います。

悲痛(ひつう): フォーレ エレジー
チェロで表す、痛みを伴った悲しみ。ハ短調という調とチェロの音色(特に高音にかけて)の強烈さ、感情の強さ。やっぱり主人公チェロが負うものが大きいのか、ピアノ伴奏版でもオケ伴奏版でも印象は結構変わりません。
(extra episode: 私が最初に精神病院のティーンセクションに入院したとき、ピアノがなかったんでチェロを持ち込んでもらったんですがそれに影響を受けて患者仲間の一人も一度両親にチェロを持ってきてもらったみたいで、夜にこの曲を弾いているのを聴いたのがものすごく思い出に残っています。)

哀切(あいせつ): バーバー 弦楽のためのアダージョ
悲しみを表す曲の王道といったらこの曲なんですが、どの言葉に当てはめるかが問題でした。断腸、とも違う、もっと鋭い「切る」という字が入ったこの言葉にどうだろう、という結論で。やっぱり悲しみに伴う「痛み」に関しては弦楽器が強いですね。クライマックスにかけての痛々しさはリアルな、という感覚を通り越した極みがあります。

傷心(しょうしん): チャイコフスキー 「白鳥の湖」 第4幕より「小さな白鳥の踊り」
これもさっきのロミジュリと一緒でバレエの主人公の心象からのチョイス。王子は(悪気はないとはいえ)おディールを選んでしまい、人間にもどる望みも断たれ、愛にも破れ。白鳥の湖でのオケの主人公はオーボエですがこの曲はクラリネットが活躍。ため息、悲しみ、そしてあきらめが感じ取られます。

悲愴(ひそう): ショスタコーヴィチ バイオリン協奏曲第1番 第3楽章
「悲愴」と名の付く曲はいくつかありますが、今回もそれらは省き。そうするとやっぱりこの曲は「悲愴」と呼ぶにふさわしいのでは、と思います。各所で私からの言及がほとんどない曲ですが、それもまたこの曲に対する思いの強さ、音楽の性質として言葉で語れないような強烈さがあって。改めてこの言葉とともにこの曲をおすすめします。

ここにリストした曲、普段はあんまり言及が少ないことを改めて思い知ってます(汗)
これをきっかけとしておすすめできれば、そしてここをきっかけに聴いてもらえば、と思います。

明日はちょっとコンサートに行って来ます。
国立アカデミーの生徒、そしてトゥーランガリラの彼がBrett Deanの音楽をMelbourne Recital CenterのSalonで演奏、ということで。
聴いたことないタイトルばっかりなので比較的新作が多いのかな。そして楽器編成もわからないし誰が弾いてるかも未だにほとんど知らない。
ということでいろいろ楽しみです。ただMelbourne Recital Centerは初めてなのですでに場所見知り(汗)数年前にできた、2つホールがある素敵そうなところですがね~


今日の一曲はまたお休みです。キーワードto音楽なので。

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