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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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オーストラリアと同性婚(自分の身の回りのこととして)
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
日頃訪れていただいている読者さん、いつもどうもです~

今日はちょっとまだ考えまとめ中、自分でもなかなかまとまってない話について・・・

このところ(大雑把な時期範囲ですが)オーストラリアで盛んに叫ばれていることがあります。
それは同性同士の結婚を法律で認めてはどうか、ということです。
いろんな新聞やネットで何回も国民意識を調べる投票が行われていますが票の伸びこそ違えどどこにいっても賛成が多数で。
さっさと法変えちゃえよーという声が良く聞かれます。

同性結婚を法律で認めるかどうか、というのはもう何年前からも議論されていたことで、確か高校の英語の授業で新聞などから時事問題を読んだり分析したり意見を交わし合ったり文にしたり、という授業でもわりと「ベタな方の」トピックという認識だったんですよね。つまりメディアでよく扱われる、結構身近であり活発に議論が行われている、そして価値観や社会に大きな影響を与える、というトピックで。
それが最近特に認めようじゃないか、という一般社会からのプレッシャーが強くなってきてる、というか。
社会の価値観に法律・行政が追いついていない一例だと思います。

毎年秋に行われるシドニーのMardi Grasのお祭りの規模から垣間見れると思いますが、オーストラリアはジェンダーマイノリティの方がかなりいますし、社会としては割とそういう人に対して寛容な国のようです。
街で女性同士、男性同士で手を繋いだりキスしたりだとかはそんなには珍しくないですし、話すにも同性が好きでも異性が好きでも特にみんな扱いは変わりません。
オーストラリアは一応キリスト教徒の多い国ではあります。ただ知り合いに同性愛者の人がいたりするケースも多く、そういう人が差別されたりせず、好きな人と幸せになることを願っている人がきっと多いのかなーと思います。そういう意味では本当にこの国の多くの人に影響する問題だと思われますね。

音楽を始め芸術畑にはゲイが多い、ということは一般的に言われています。実際にそうなのかは分かりませんが音楽関連で人付き合いをするようになってから知り合いにゲイの方がだんだん増えて、今年になってからはゲイの(直接の)友達も数人できました。
色々話を聞く限りでは例えば日本の新宿二丁目みたいにゲイの方が集まるエリア、というのはないようなんですが特化したクラブやなんかはあるみたいで。
いろいろなんだかとっても身近なことになりつつあり、新しく知ること学ぶことたくさんあります。

こないだ書きましたが友達、後輩たちがなんといっても愛しいので(笑)みんな幸せになって欲しいなと思っています。
恋人がいるとかいないとかもまだわかりませんが、例えば同性愛者の友達が結婚したいなーと思ってて結婚できなかったら悲しいな、つらいな、とは思います。
結婚=幸せとは限らないし、結婚が幸せの唯一の形だとは思わないし、幸せになるには結婚しなくちゃいけないとも思いませんが結婚を望む人が異性だろうが同性だろうが結婚できるようになるといいな、と。

以前このブログに書きましたが私も自分で同性が好きか異性が好きか、スタンスが大分曖昧なところにあるので。今まで恋愛対象として好きになった人は男性だけれど女性に心惹かれるところも多々ありますし、女性をこれからを好きにならないとは限らないし。ついでながらなかなか他人を恋愛対象として見ないようになったのでどっちにはっきりした偏りがあるわけではない、みたいなところもありますし。
だから将来自分が同性を好きになってつきあって結婚したいと思って、そういう壁があったら辛いだろうな、とも思います。

一見他人事とも見えることけれど本当は他人事じゃない、とっても身近で大切な話なんですよね。
ただ全く変わる見込みがないわけでなく、きっと同性婚はオーストラリアで(国レベル、または州レベルで)法律で認められることは間違いないと思います。
それに関してどれくらい時間がかかるのか、が今のところわかりませんが・・・民意は賛成、ということみたいなので。そんなに悲観はしていません(少なくとも私は)。

私の直接の友達、知り合いだとまだ男女で結婚する人も少ないです・・・友達の友達とかなら結構居ますが。こないだ出産した友達も結婚はしない、ということですし。結婚式なんか高校生の時に数学の先生の結婚式行ったっきりです(笑)
異性同士でも同性同士でも幸せを祝える機会になるべく多く立ち会えるといいな、と願っています(自分のことは完全にほったらかしで(笑))


今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「くるみ割り人形」より「金平糖の妖精の踊り」



同性愛者、と一口に言ってももちろん一人一人個人の性格はありますし、大まかなタイプも複数あります。
いわゆる「おネエ」と呼ばれる雰囲気がある人だったり、全くそういったわかりやすい雰囲気・特徴がない人だったり。
女性が嫌いな男性のゲイの方もいれば、女の子たちとまるで自分が同性であるかのようにアクティブにつるむ男性のゲイの方もいます。
そんななかチャイコフスキーは恋愛対象としては男性に惹かれるけれど、女性を美しい、別の意味で愛しい存在として見ていたようです。(ロルカと似た感じですね)

チャイコフスキーがいわゆる「おネエ」的な面があったという話は聞きませんが、ものすごく内向的でこじんまりしたスケールの音楽を書くときのとても女性的な繊細さは大変特徴的です。
「くるみ割り人形」の主人公、小さな少女クララの愛らしさ、勇敢さ、そして素直さ、かわいらしさ、純真さはステージにダンサーが立つまでもなく、言葉なきこの音楽にあふれています。

さらにこの「金平糖の妖精の踊り」。
金平糖の妖精が誰か、というのは複数解釈がありますが(お菓子の国の女王である、とかクララが変身した姿だったり)、そのはかなくしなやかながら凛とした部分もある、ある意味「象徴的(symbolic)な」女性の化身ともいえる、そんな不可思議な、ガラス細工をも思わせるような「存在」・・・
バレエの衣装も白いチュチュに銀色の刺繍や飾り、とまるで雪のような、氷のような、人間離れした感覚を思わせます。
それをチャイコフスキーはおそらく同性愛者として独特な感性と表現で創りあげます。

ご存じのとおり、この「金平糖の妖精の踊り」はチェレスタという楽器が世に出ることとなった初めての曲といわれています。
やわらかく丸く、機動力と繊細さ、愛らしさを兼ね備えなおかつ鍵盤で弾けるというこの楽器の特性は(もちろんその用途と意味、表現の幅は現代において大きく広がりましたが)今でもこの金平糖の妖精という存在と深く深く関連づけられています。
そしてこの曲から今に至るまで私がチェレスタの魅力について一番強く思うこと、それは「チェレスタは闇の中で一番美しく輝く」ということです。
有名な曲ではありますがあらためて耳を傾けていただければ、と思います。

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