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前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
このシリーズもあと2回。あんまり間があかないようにします~
最近ちょっと仕事の手違い?というのかな?で数日休みがあり。
ピアノの練習だったり家のことだったりしながら過ごしてました。(明日からまた仕事です)
最近暖かくはなってきたものの天気が不安定で、低気圧から高気圧に変わるときにどうもうとうとしてしまって。
ほとんど毎日昼寝していました。どうしても体が必要とするんですよね。
そんななか今週末に向けてのプランが動き出しました。
8月21日に出産した友達の、その赤ちゃんに会いにまた北東の方へ向かうことになったのです♪
Facebookで写真はもう何枚か見てその可愛いことやたまらない!のですが実際に会いに行くのはこれが初めて。大変楽しみです。
(Facebookでみた写真、お父さんが写真をとってるのかお父さんと赤ちゃんの写真はまだないんですよねー。でも友達がすっかりお母さんの表情になってて本当にびっくり!オーストラリアで初めて学校に行ったあの5年生の日に初めて話した時のことを思い出しました・・・)
Southern Cross駅からバスで金曜の夜みんな(というほど多くもないですが)で出発、日曜の夜戻る、というプラン。もしかしたら仕事持ってかなきゃいけないかもですがまた息抜きになるといいな、と思います。
向こうのバス停からいきなり相乗りになるけど赤ちゃんびっくりしないでねー(汗)
ピアノの練習はわりとはかどってる感じです。
というのも割と苦になることなく音楽的に自分にしっくり来る、好きで弾いてる感じの曲ばっかりなので。
ちなみに以前のせたのとあんまり変わってませんがリストはこんな感じ:
メシアン 「鳥のカタログ」より第8楽章「ヒメコウテンシ」
クラム Eine Kleine Mitternachtmusik
プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第2楽章
ラヴェル 「クープランの墓」より「フーガ」
バルトーク 「戸外にて」より第1番「笛と太鼓と」、第4番「夜の音楽」
スクリャービン 「炎に向かって」
今クラムでいろいろ迷ってますね-。一応1~4楽章まで弾いてますが曲全体、各楽章のイメージ・・・というか自分の創り出したい世界がまだまだはっきりしてなくて。
ツイッターでも真夜中に延々つぶやいてたんですが、「都会の音楽」が得意じゃないのと、元になった音楽がまたジャズなのがまだうまいこと「つかめて」ない要因だったり。
ゆっくりブレインストームとかイメージをふくらませるようなmind frameになってないんで・・・(特にこの曲は夜に考えるのが一番なので、夜にもうちょっと心に余裕を持ちたいところ・・・)
あとはシティで夜バーでお酒飲んだり歩いたりして、ってのもこの曲には効きそうかも・・・?せっかく暖かくなったんだからもうちょっと飲みに行きたいぞー。
その分バルトークの「夜の音楽」やメシアン、ラヴェルなんかは日本で経験した夏の風景やsoundscape、こちらで今感じ始めている春夏の感覚をぐんぐん表現に繋げて行けてるかな、と思います。
「自然の音楽」という属性もそうですが、「ピアノをピアノでなく他の音に似せる」という曲が性に合ってるような気がします。
スクリャービンとプロコフィエフはどっちかというと最近妹のDVDで見てる聖飢魔IIの演奏の影響をちらほらと目立たないところで(=ちょっと言葉では説明しにくいのでしないでおく)感じています(笑)いえ、まじめな話。スクリャービン特に。
スクリャービンは今ページがちょっと破れつつあるので暗譜中(笑)音さえ覚えられれば表現の方はゆるぎない!という感じ。この曲が自分にしっくり来てるのがちょっとまだびっくりながら本当に心地良い!
(でも暗譜難しいですね・・・音の連なりがロジカルじゃないので。)
スクリャービンもラヴェルも音の連なりを見ながら聴きながら弾いていくだけでそれらを「どう」弾くかが自ずと分かってくるのがとっても気持ちいいです。ラヴェルはそのままナチュラルにそれを変えず、スクリャービンはそれをちょっと誇張して、というかもうちょっと増幅して。
クラムは他の曲よりももっともっと表現を大げさに、がキーかな、と思ってます。パロディーだったりジャズやブルースっぽいのだったり、ちょっとtheatricalな方向に持っていけるか・・・うーん。
クラムに関してはちょっと焦ったりしてる節もあります。トゥーランガリラの彼も近いうちこの曲を弾き始めるので、それまでに完璧に弾けなくてもいいけど自分なりの解釈だったりアイディアだったりをしっかり持っておきたい、というのがやっぱり本音かな。
あんまり意識しちゃあいけないけれど、頑張らなきゃ。
今はまだですが、そのうち「プログラムに組める曲」というのを集め始めなきゃ、と思ってます。ただ曲を集めるんじゃなくなんか共通点を繋いでみたり、弾くのとは違う表現方法。
とりあえず数集めなきゃ始まりませんがね-(苦笑)
でも今弾いてる曲はそのための力になってくれると思います。特にスクリャービン。そして力になるかわからない曲の生かし方も考えたいです。
一応昨日一時帰国のときから構想してる絵に手を付けたもののいろいろできてないことやりたいことまだまだいっぱいで。
あと会いたい友達もいっぱい居るんでなんとか都合を付けないとなあー・・・
もっと外にでたい欲が高まるメルボルンの11月です(笑)
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Eine Kleine Mitternachtmusik」より第4楽章「Cobweb and Peaseblossom」
ただいま考えあぐねたり音をさらったりいろいろ楽しんでる一曲です。
CobwebとPeaseblossomはシェークスピア「真夏の夜の夢」にでてくる妖精の女王ティターニアに仕える妖精たちの名前(他にMothとMustardがいるそうです)。
「夜」と「魔法」がこの曲に登場することになった要因となるキーワードかなー・・・これもまた弾き手(私)の解釈の加減で変わりますが・・・
「真夏の夜の夢」といえばメンデルスゾーンがバレエにしたのが有名ですが、この楽章が「スケルツォ」であること以外はメンデルスゾーンの作品とはどうやら関連はない様子・・・?(メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」で一番有名な楽曲の一つが「スケルツォ」、というつながりで)
これらの妖精の扱いもまたどうやら原作とバレエでは違いそうなので、きっとクラムはシェークスピアの原作をベースにしている・・・と思われます。
この曲自体はクラムの典型的なスケルツォ。
(マクロコスモス第1巻の第2楽章「プロテウス」と似ていますが、性格の違うマクロコスモス第2巻第6楽章「ガーゴイル」とも似たところがあったり)
気まぐれで唐突な強弱差だったり、断片的なパッセージの遊技だったり、ふいに訪れるサスペンスに満ちた休符だったり・・・
あー、なんでクラムはこの楽章に「パック」の名を付けなかったんでしょうね、というくらいの悪戯、気まぐれ、小さなささやかな魔法。
はねたり転がったりはじけたり・・・決して派手ではないし大がかりでもないけれど、この手で自由に動かせるのに思わず悪戯妖精のような笑みを浮かべてしまいます(笑)
クラムもこういうスケルツォをいくつも書いたのは彼自身こういう悪戯的な音楽が、魔法が好きだったからなのかな・・・と推測しています。
このシリーズもあと2回。あんまり間があかないようにします~
最近ちょっと仕事の手違い?というのかな?で数日休みがあり。
ピアノの練習だったり家のことだったりしながら過ごしてました。(明日からまた仕事です)
最近暖かくはなってきたものの天気が不安定で、低気圧から高気圧に変わるときにどうもうとうとしてしまって。
ほとんど毎日昼寝していました。どうしても体が必要とするんですよね。
そんななか今週末に向けてのプランが動き出しました。
8月21日に出産した友達の、その赤ちゃんに会いにまた北東の方へ向かうことになったのです♪
Facebookで写真はもう何枚か見てその可愛いことやたまらない!のですが実際に会いに行くのはこれが初めて。大変楽しみです。
(Facebookでみた写真、お父さんが写真をとってるのかお父さんと赤ちゃんの写真はまだないんですよねー。でも友達がすっかりお母さんの表情になってて本当にびっくり!オーストラリアで初めて学校に行ったあの5年生の日に初めて話した時のことを思い出しました・・・)
Southern Cross駅からバスで金曜の夜みんな(というほど多くもないですが)で出発、日曜の夜戻る、というプラン。もしかしたら仕事持ってかなきゃいけないかもですがまた息抜きになるといいな、と思います。
向こうのバス停からいきなり相乗りになるけど赤ちゃんびっくりしないでねー(汗)
ピアノの練習はわりとはかどってる感じです。
というのも割と苦になることなく音楽的に自分にしっくり来る、好きで弾いてる感じの曲ばっかりなので。
ちなみに以前のせたのとあんまり変わってませんがリストはこんな感じ:
メシアン 「鳥のカタログ」より第8楽章「ヒメコウテンシ」
クラム Eine Kleine Mitternachtmusik
プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第2楽章
ラヴェル 「クープランの墓」より「フーガ」
バルトーク 「戸外にて」より第1番「笛と太鼓と」、第4番「夜の音楽」
スクリャービン 「炎に向かって」
今クラムでいろいろ迷ってますね-。一応1~4楽章まで弾いてますが曲全体、各楽章のイメージ・・・というか自分の創り出したい世界がまだまだはっきりしてなくて。
ツイッターでも真夜中に延々つぶやいてたんですが、「都会の音楽」が得意じゃないのと、元になった音楽がまたジャズなのがまだうまいこと「つかめて」ない要因だったり。
ゆっくりブレインストームとかイメージをふくらませるようなmind frameになってないんで・・・(特にこの曲は夜に考えるのが一番なので、夜にもうちょっと心に余裕を持ちたいところ・・・)
あとはシティで夜バーでお酒飲んだり歩いたりして、ってのもこの曲には効きそうかも・・・?せっかく暖かくなったんだからもうちょっと飲みに行きたいぞー。
その分バルトークの「夜の音楽」やメシアン、ラヴェルなんかは日本で経験した夏の風景やsoundscape、こちらで今感じ始めている春夏の感覚をぐんぐん表現に繋げて行けてるかな、と思います。
「自然の音楽」という属性もそうですが、「ピアノをピアノでなく他の音に似せる」という曲が性に合ってるような気がします。
スクリャービンとプロコフィエフはどっちかというと最近妹のDVDで見てる聖飢魔IIの演奏の影響をちらほらと目立たないところで(=ちょっと言葉では説明しにくいのでしないでおく)感じています(笑)いえ、まじめな話。スクリャービン特に。
スクリャービンは今ページがちょっと破れつつあるので暗譜中(笑)音さえ覚えられれば表現の方はゆるぎない!という感じ。この曲が自分にしっくり来てるのがちょっとまだびっくりながら本当に心地良い!
(でも暗譜難しいですね・・・音の連なりがロジカルじゃないので。)
スクリャービンもラヴェルも音の連なりを見ながら聴きながら弾いていくだけでそれらを「どう」弾くかが自ずと分かってくるのがとっても気持ちいいです。ラヴェルはそのままナチュラルにそれを変えず、スクリャービンはそれをちょっと誇張して、というかもうちょっと増幅して。
クラムは他の曲よりももっともっと表現を大げさに、がキーかな、と思ってます。パロディーだったりジャズやブルースっぽいのだったり、ちょっとtheatricalな方向に持っていけるか・・・うーん。
クラムに関してはちょっと焦ったりしてる節もあります。トゥーランガリラの彼も近いうちこの曲を弾き始めるので、それまでに完璧に弾けなくてもいいけど自分なりの解釈だったりアイディアだったりをしっかり持っておきたい、というのがやっぱり本音かな。
あんまり意識しちゃあいけないけれど、頑張らなきゃ。
今はまだですが、そのうち「プログラムに組める曲」というのを集め始めなきゃ、と思ってます。ただ曲を集めるんじゃなくなんか共通点を繋いでみたり、弾くのとは違う表現方法。
とりあえず数集めなきゃ始まりませんがね-(苦笑)
でも今弾いてる曲はそのための力になってくれると思います。特にスクリャービン。そして力になるかわからない曲の生かし方も考えたいです。
一応昨日一時帰国のときから構想してる絵に手を付けたもののいろいろできてないことやりたいことまだまだいっぱいで。
あと会いたい友達もいっぱい居るんでなんとか都合を付けないとなあー・・・
もっと外にでたい欲が高まるメルボルンの11月です(笑)
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Eine Kleine Mitternachtmusik」より第4楽章「Cobweb and Peaseblossom」
ただいま考えあぐねたり音をさらったりいろいろ楽しんでる一曲です。
CobwebとPeaseblossomはシェークスピア「真夏の夜の夢」にでてくる妖精の女王ティターニアに仕える妖精たちの名前(他にMothとMustardがいるそうです)。
「夜」と「魔法」がこの曲に登場することになった要因となるキーワードかなー・・・これもまた弾き手(私)の解釈の加減で変わりますが・・・
「真夏の夜の夢」といえばメンデルスゾーンがバレエにしたのが有名ですが、この楽章が「スケルツォ」であること以外はメンデルスゾーンの作品とはどうやら関連はない様子・・・?(メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」で一番有名な楽曲の一つが「スケルツォ」、というつながりで)
これらの妖精の扱いもまたどうやら原作とバレエでは違いそうなので、きっとクラムはシェークスピアの原作をベースにしている・・・と思われます。
この曲自体はクラムの典型的なスケルツォ。
(マクロコスモス第1巻の第2楽章「プロテウス」と似ていますが、性格の違うマクロコスモス第2巻第6楽章「ガーゴイル」とも似たところがあったり)
気まぐれで唐突な強弱差だったり、断片的なパッセージの遊技だったり、ふいに訪れるサスペンスに満ちた休符だったり・・・
あー、なんでクラムはこの楽章に「パック」の名を付けなかったんでしょうね、というくらいの悪戯、気まぐれ、小さなささやかな魔法。
はねたり転がったりはじけたり・・・決して派手ではないし大がかりでもないけれど、この手で自由に動かせるのに思わず悪戯妖精のような笑みを浮かべてしまいます(笑)
クラムもこういうスケルツォをいくつも書いたのは彼自身こういう悪戯的な音楽が、魔法が好きだったからなのかな・・・と推測しています。
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