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前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪
ABCのClassic 100 Countdown、まだまだ続いております。スポーツに匹敵する盛り上がりです、一人で(笑)(まとめはこちら)
今日は41位まで来ましたが、Sculthorpe2曲(Kakadu、Small Town)にEdwards2曲(Dawn Mantras、バイオリン協奏曲Maninyas)とオーストラリアの音楽祭りでした♪いいですね!オーストラリアの音楽を国民が票を入れるほど愛しているということも素晴らしいですが、違うスタイルで「オーストラリアの音楽」を探して言った2人の作曲家の作品を対照的に聴けるのもまた貴重。
まだSculthorpeもEdwardsもまだ候補曲が残ってますし(Sculthorpeのレクイエム入ってないかな)、Vineなどの作曲家も居ますし。世界中で名曲とされている曲のなかにオーストラリアの曲がどれくらい上位に食い込んでくるか楽しみです。
そしてオーストラリアの曲に出会えてよかったです(Maninyas以外はお初)。そしてオーストラリアの音楽にものすごくほっとするもの、これがHomeだ、みたいな感覚を本当に覚えて。(それについてはまたちょっと後に)
本当によかったです。
ということで本来は今回は同じ「国毎に音楽紹介」でドイツ音楽をやろうと思ってたのですが、急遽オーストラリアにチェンジすることにしました。ネタはだいたいまとまってるのでドイツもあんまり間開けずにやりたいと思います(礼)
実はオーストラリアの音楽についてはこちらのエントリーで前取り扱ってますが、それを二番せ・・・じゃなくてちょっとだけ参照しながら話を進めたいと思います。
オーストラリアはイギリスから来た流刑囚(このことについては上記エントリーを参照)だったり、それよりもはるかに多いイギリスを初めとしたヨーロッパからの移民によりたてられた国です。
なので白人社会においての民族音楽的影響はヨーロッパ、特にイギリスが大変強いです。少なくともオーストラリア建国当時口ずさまれていた歌や奏でられていた音楽は移民するまえのお国のもので、それをベースにオーストラリアの新しい音楽が作られた、という経緯でしょうね。
そして歴史を積み重ねていく内に原住民アボリジニとの関係だったり、イギリスとの関係だったり、周りの国の関係だったり、いろいろオーストラリアの国としてのスタンスが変わっていって。
それと同時に音楽的なオーストラリアのアイデンティティについても見直す必要がでてきます。
それで見つめ直した結果今も進歩し続けるオーストラリアの音楽ができたわけです。
イギリス・ヨーロッパ以外のオーストラリア音楽への影響はなにがあるか。
まずは原住民アボリジニの音楽ですね。長く伸ばされるドローン(民族楽器Didjeridooをまねたり、実際に使ったり)や、打楽器の変拍子だったり速く長く繰り返されるリズムなどに見られます。(このリズムの強さが例えば日本の音楽よりも自分がオーストラリアの音楽を心に近く感じる要因だと思います)
Peter Sculthorpeなどは地理的に近いアジアの影響も指摘しています。例えばtuned percussion(音の高低があるベルや銅鑼など)の使い方なんかはなるほどインドネシアのガムランだったり、日本を含む他のアジア諸国の音楽の影響がちらほら見られたり。
でもなんといってもオーストラリアの音楽にアイデンティティを見つけるに当たって作曲家たちが目を付けたのがこの国の自然ですね。世界の他のどこにも見つからない色彩や生き物や気候や、そういうものを表現しようとした結果今のオーストラリアの音楽のユニークさがあるのかな、と思います。
あとは現代社会の(例えばクラシック以外のジャンルの音楽の)イメージやエレメントを取り入れてみたり、というのにも割と積極的だったり。
でも社会的なトピックを直接的に扱うことは少ないような気がします。シンボリック、というか抽象的、というか。それもまたお国柄なのかな。
そんなオーストラリアのクラシック音楽は現代音楽、というか今正に進歩中で、話に上る作曲家のほとんどが今も存命中・活動中です。
さらに私の友達でも作曲をやっている友達が何人かいて、オーストラリアの作曲の未来を担っています。
カウントダウンについてもかきましたが、オーストラリアではクラシック音楽のいわゆるマニアじゃない人でもオーストラリアの現代音楽を愛してサポートしている人が結構いるようなので。
ただただ素晴らしいと思いますね。もっと外にもオーストラリアの音楽が知られて欲しいです。
(実際この企画でいろんな人が投票して、好き嫌いはともかくオーストラリア内外の現代音楽に興味をもったり出会ったり発見したりしているようで。とっても良い機会になっているようですね)
それではオーストラリアの主な作曲家とスタイルを前回にならって紹介します。
(ジャンル紹介はするほど得意ジャンルがかたまってなかった・・・)
パーシー・グレインジャー (子供たちのマーチ「丘を越えて彼方へ」、ロンドンデリーの歌、リンカーンシャーの花束) 古き良きイギリスを持ってきたような、民謡に基づいた作品が多いです。あと吹奏楽も。
ピーター・スカルソープ (レクイエム、カカドゥ、小さな町、太陽の音楽IIII) 私の印象としては「湿ったオーストラリア」。熱帯雨林などのイメージが強く、Didjeridooを使ったり、原住民の音楽の影響が濃い音楽。
ロス・エドワーズ (バイオリン協奏曲Maninyas、Ecstatic Dances, Dawn Mantras) 虫の声を模したようなスタイル、変拍子のリズムが特徴的で、尺八を用いることでも知られています。
カール・ヴァイン (ピアノ協奏曲、ピアノソナタ(3曲)、5つのバガテル) 私の友人であるマイケルとの活動が多く、そのためピアノ曲を多く書いて、かなりリズムが強く技巧の凝った音楽を書きます。
ブレット・ディーン (Polysomnography、Ariel's Music、Komarov's Fall) とっても理系で複雑な、綿密だけれど繊細な音楽を書きます。最後の曲はサイモン・ラトルの「惑星」関連のプロジェクトに向けた一曲。
マシュー・ハインドソン (Speed、罪と罰、AK-47) 現代社会・都会よりのスタイル。テクノをベースにしたSpeedはよく知ってますが他のはまだ・・・
グレアム・クーネ (Elevator Music、Inflight Entertainment、Powerhouse) こちらもモダンなリズムが特徴的なスタイル。オーケストラの中での打楽器の活躍がめざましいです。
マイケル・キーラン・ハーヴィー (48 Fugues for Frank、Addict、ピアノソナタ) 上記マイケルです(笑)本人のものすごい思考と感情と技巧を尽くして表現するピアノ作品が印象的。クラシック音楽の伝統の精神を組みながら強く現代と結びつけるスタイルです。
他にもBrenton Broadstock、Nigel Westlake、Malcolm Williamsonなどたくさん居ますがまだ聞き込まないと書けないので割愛させていただきます。
オーストラリアの諸作曲家のプロフィールや作品などはAustralian Music Centreのウェブサイトでデータベース化されています。試聴・楽譜などもある様子?
そして今日カウントダウンで放送されていたオーストラリアの音楽はこちらのバックナンバー(part 9, 10)で聴けます。なかなかない機会だとおもうので是非お試しあれ。
今日の一曲: ピーター・スカルソープ 「小さな町」
今日初めてであった曲です(もちろんカウントダウンで)。
諸外国のオーストラリアに対するイメージ、というのはやっぱり「田舎」というのがあるかもしれません。
ただっぴろいほぼ不毛な土地にみすぼらしい小屋建てて羊飼ってカンガルーがはねてて・・・というのは若干言い過ぎかもしれませんがそういうイメージを抱かれてるな、という感じはありますよ(笑)
田舎は田舎でもやっぱり日本の田舎とも、アメリカの田舎とも、イギリスの田舎とも違います。
足下の枯れた草、めまぐるしく移り変わる空、つねに皮がむけてるユーカリの木、鳥の声・・・
そしてそこに流れる乾いた、ゆっくりとした、そしてどこかそれでも厳しいものがある、そんなユーカリの匂いをした空気がまた独特で。
この曲を聴いたときそんなオーストラリアの「田舎」を強く思いました。
まるでユーカリのあの灰緑の色と、空の青と、大地の赤が見えるような。
そこに流れる空気と時を感じられるような。
そして周りの果てしなくはないけれどゆったりとした、がらんとした距離を感じるような。
完全に人間の世界でもなければ完全に自然世界でもないこの境界にたたずんでいるような、そんな感じでした。
この曲ではあるメロディーが引用されます。
それは11月11日、終戦記念日(第1次世界大戦)で黙祷を捧げるときにトランペット(正確にはビューグル)のソロで演奏される「Last Post」というファンファーレのようなもの。(静かなファンファーレですが)
結構田舎の方にいくと戦争の記念碑が建ってたりするのをよく見ますし、きっとああいう町だと町の一カ所で黙祷と共に奏でられるビューグルの音が周りのbushに響き渡っていくのかな、と・・・
(そういうこともあってこの「小さな町」自体も11月11日に演奏されることが結構あるですよ、ラジオのトークによると)
こうやってこの曲だったり、カカドゥ、Dawn Mantras、Maninyasを聞いてると自分がいかにオーストラリアに馴化したか、というのが身にしみます。
自分にとって「故郷」というのはとりあえずのところないと思ってるのですが、こういう音楽を聴いてるとat homeな感覚というか、「オーストラリアっぽい」のが親しく、誇りに思えて、自分のことのように思えて。
音楽って結構みんなそうなんですが、自分の愛するオーストラリアをこの国の音楽には感じます。
もっとそんなオーストラリアの音楽と出会いたいですね。
リンクはメルボルン交響楽団の演奏(試聴付)。指揮者は大分お年ですが偉大な指揮者として有名なJohn Hopkinsです。(一度だけ彼のバトンで弾いたことあります・・・チェロを)
同じCDに入っています以前紹介した太陽の音楽IIIもおすすめの曲です♪
ABCのClassic 100 Countdown、まだまだ続いております。スポーツに匹敵する盛り上がりです、一人で(笑)(まとめはこちら)
今日は41位まで来ましたが、Sculthorpe2曲(Kakadu、Small Town)にEdwards2曲(Dawn Mantras、バイオリン協奏曲Maninyas)とオーストラリアの音楽祭りでした♪いいですね!オーストラリアの音楽を国民が票を入れるほど愛しているということも素晴らしいですが、違うスタイルで「オーストラリアの音楽」を探して言った2人の作曲家の作品を対照的に聴けるのもまた貴重。
まだSculthorpeもEdwardsもまだ候補曲が残ってますし(Sculthorpeのレクイエム入ってないかな)、Vineなどの作曲家も居ますし。世界中で名曲とされている曲のなかにオーストラリアの曲がどれくらい上位に食い込んでくるか楽しみです。
そしてオーストラリアの曲に出会えてよかったです(Maninyas以外はお初)。そしてオーストラリアの音楽にものすごくほっとするもの、これがHomeだ、みたいな感覚を本当に覚えて。(それについてはまたちょっと後に)
本当によかったです。
ということで本来は今回は同じ「国毎に音楽紹介」でドイツ音楽をやろうと思ってたのですが、急遽オーストラリアにチェンジすることにしました。ネタはだいたいまとまってるのでドイツもあんまり間開けずにやりたいと思います(礼)
実はオーストラリアの音楽についてはこちらのエントリーで前取り扱ってますが、それを二番せ・・・じゃなくてちょっとだけ参照しながら話を進めたいと思います。
オーストラリアはイギリスから来た流刑囚(このことについては上記エントリーを参照)だったり、それよりもはるかに多いイギリスを初めとしたヨーロッパからの移民によりたてられた国です。
なので白人社会においての民族音楽的影響はヨーロッパ、特にイギリスが大変強いです。少なくともオーストラリア建国当時口ずさまれていた歌や奏でられていた音楽は移民するまえのお国のもので、それをベースにオーストラリアの新しい音楽が作られた、という経緯でしょうね。
そして歴史を積み重ねていく内に原住民アボリジニとの関係だったり、イギリスとの関係だったり、周りの国の関係だったり、いろいろオーストラリアの国としてのスタンスが変わっていって。
それと同時に音楽的なオーストラリアのアイデンティティについても見直す必要がでてきます。
それで見つめ直した結果今も進歩し続けるオーストラリアの音楽ができたわけです。
イギリス・ヨーロッパ以外のオーストラリア音楽への影響はなにがあるか。
まずは原住民アボリジニの音楽ですね。長く伸ばされるドローン(民族楽器Didjeridooをまねたり、実際に使ったり)や、打楽器の変拍子だったり速く長く繰り返されるリズムなどに見られます。(このリズムの強さが例えば日本の音楽よりも自分がオーストラリアの音楽を心に近く感じる要因だと思います)
Peter Sculthorpeなどは地理的に近いアジアの影響も指摘しています。例えばtuned percussion(音の高低があるベルや銅鑼など)の使い方なんかはなるほどインドネシアのガムランだったり、日本を含む他のアジア諸国の音楽の影響がちらほら見られたり。
でもなんといってもオーストラリアの音楽にアイデンティティを見つけるに当たって作曲家たちが目を付けたのがこの国の自然ですね。世界の他のどこにも見つからない色彩や生き物や気候や、そういうものを表現しようとした結果今のオーストラリアの音楽のユニークさがあるのかな、と思います。
あとは現代社会の(例えばクラシック以外のジャンルの音楽の)イメージやエレメントを取り入れてみたり、というのにも割と積極的だったり。
でも社会的なトピックを直接的に扱うことは少ないような気がします。シンボリック、というか抽象的、というか。それもまたお国柄なのかな。
そんなオーストラリアのクラシック音楽は現代音楽、というか今正に進歩中で、話に上る作曲家のほとんどが今も存命中・活動中です。
さらに私の友達でも作曲をやっている友達が何人かいて、オーストラリアの作曲の未来を担っています。
カウントダウンについてもかきましたが、オーストラリアではクラシック音楽のいわゆるマニアじゃない人でもオーストラリアの現代音楽を愛してサポートしている人が結構いるようなので。
ただただ素晴らしいと思いますね。もっと外にもオーストラリアの音楽が知られて欲しいです。
(実際この企画でいろんな人が投票して、好き嫌いはともかくオーストラリア内外の現代音楽に興味をもったり出会ったり発見したりしているようで。とっても良い機会になっているようですね)
それではオーストラリアの主な作曲家とスタイルを前回にならって紹介します。
(ジャンル紹介はするほど得意ジャンルがかたまってなかった・・・)
パーシー・グレインジャー (子供たちのマーチ「丘を越えて彼方へ」、ロンドンデリーの歌、リンカーンシャーの花束) 古き良きイギリスを持ってきたような、民謡に基づいた作品が多いです。あと吹奏楽も。
ピーター・スカルソープ (レクイエム、カカドゥ、小さな町、太陽の音楽IIII) 私の印象としては「湿ったオーストラリア」。熱帯雨林などのイメージが強く、Didjeridooを使ったり、原住民の音楽の影響が濃い音楽。
ロス・エドワーズ (バイオリン協奏曲Maninyas、Ecstatic Dances, Dawn Mantras) 虫の声を模したようなスタイル、変拍子のリズムが特徴的で、尺八を用いることでも知られています。
カール・ヴァイン (ピアノ協奏曲、ピアノソナタ(3曲)、5つのバガテル) 私の友人であるマイケルとの活動が多く、そのためピアノ曲を多く書いて、かなりリズムが強く技巧の凝った音楽を書きます。
ブレット・ディーン (Polysomnography、Ariel's Music、Komarov's Fall) とっても理系で複雑な、綿密だけれど繊細な音楽を書きます。最後の曲はサイモン・ラトルの「惑星」関連のプロジェクトに向けた一曲。
マシュー・ハインドソン (Speed、罪と罰、AK-47) 現代社会・都会よりのスタイル。テクノをベースにしたSpeedはよく知ってますが他のはまだ・・・
グレアム・クーネ (Elevator Music、Inflight Entertainment、Powerhouse) こちらもモダンなリズムが特徴的なスタイル。オーケストラの中での打楽器の活躍がめざましいです。
マイケル・キーラン・ハーヴィー (48 Fugues for Frank、Addict、ピアノソナタ) 上記マイケルです(笑)本人のものすごい思考と感情と技巧を尽くして表現するピアノ作品が印象的。クラシック音楽の伝統の精神を組みながら強く現代と結びつけるスタイルです。
他にもBrenton Broadstock、Nigel Westlake、Malcolm Williamsonなどたくさん居ますがまだ聞き込まないと書けないので割愛させていただきます。
オーストラリアの諸作曲家のプロフィールや作品などはAustralian Music Centreのウェブサイトでデータベース化されています。試聴・楽譜などもある様子?
そして今日カウントダウンで放送されていたオーストラリアの音楽はこちらのバックナンバー(part 9, 10)で聴けます。なかなかない機会だとおもうので是非お試しあれ。
今日の一曲: ピーター・スカルソープ 「小さな町」
今日初めてであった曲です(もちろんカウントダウンで)。
諸外国のオーストラリアに対するイメージ、というのはやっぱり「田舎」というのがあるかもしれません。
ただっぴろいほぼ不毛な土地にみすぼらしい小屋建てて羊飼ってカンガルーがはねてて・・・というのは若干言い過ぎかもしれませんがそういうイメージを抱かれてるな、という感じはありますよ(笑)
田舎は田舎でもやっぱり日本の田舎とも、アメリカの田舎とも、イギリスの田舎とも違います。
足下の枯れた草、めまぐるしく移り変わる空、つねに皮がむけてるユーカリの木、鳥の声・・・
そしてそこに流れる乾いた、ゆっくりとした、そしてどこかそれでも厳しいものがある、そんなユーカリの匂いをした空気がまた独特で。
この曲を聴いたときそんなオーストラリアの「田舎」を強く思いました。
まるでユーカリのあの灰緑の色と、空の青と、大地の赤が見えるような。
そこに流れる空気と時を感じられるような。
そして周りの果てしなくはないけれどゆったりとした、がらんとした距離を感じるような。
完全に人間の世界でもなければ完全に自然世界でもないこの境界にたたずんでいるような、そんな感じでした。
この曲ではあるメロディーが引用されます。
それは11月11日、終戦記念日(第1次世界大戦)で黙祷を捧げるときにトランペット(正確にはビューグル)のソロで演奏される「Last Post」というファンファーレのようなもの。(静かなファンファーレですが)
結構田舎の方にいくと戦争の記念碑が建ってたりするのをよく見ますし、きっとああいう町だと町の一カ所で黙祷と共に奏でられるビューグルの音が周りのbushに響き渡っていくのかな、と・・・
(そういうこともあってこの「小さな町」自体も11月11日に演奏されることが結構あるですよ、ラジオのトークによると)
こうやってこの曲だったり、カカドゥ、Dawn Mantras、Maninyasを聞いてると自分がいかにオーストラリアに馴化したか、というのが身にしみます。
自分にとって「故郷」というのはとりあえずのところないと思ってるのですが、こういう音楽を聴いてるとat homeな感覚というか、「オーストラリアっぽい」のが親しく、誇りに思えて、自分のことのように思えて。
音楽って結構みんなそうなんですが、自分の愛するオーストラリアをこの国の音楽には感じます。
もっとそんなオーストラリアの音楽と出会いたいですね。
リンクはメルボルン交響楽団の演奏(試聴付)。指揮者は大分お年ですが偉大な指揮者として有名なJohn Hopkinsです。(一度だけ彼のバトンで弾いたことあります・・・チェロを)
同じCDに入っています以前紹介した太陽の音楽IIIもおすすめの曲です♪
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