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一つ前のエントリーに拍手ありがとうございます♪
クリスマス絵、大晦日ストーリーの作業が終わり、月曜朝納品の仕事も終わり。
今はピクニックに持ってくものに悩みながら、Kris Kringleのプレゼントに悩んでいます。
私がプレゼントをあげることになってる子は友達の友達で、今まで何回か会ってます(こないだの金曜日も合わせて)。運動障害を持ってる子なのでどんな物だったら使ってもらえるかな、と悩んでます。
Kris Klingleは以前も書きましたが匿名なので日本ぽいものとかルピシアのお茶とかは選べないんですよね~
さて、こないだの木曜日のコンサートの感想へ。
プログラムはこんな感じでした:
指揮者:Jonathan Nott
Brett Dean 「The Lost Art of Letter Writing」(バイオリン:Frank Peter Zimmermann)
(休憩)
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
最初の曲は今年生誕50周年をオーストラリア中で祝われている作曲家Brett Deanの作品。今回コンサートに来てステージ上で曲の解説もしました。
「The Lost Art of Letter Writing」はバイオリン協奏曲の形式をとっていて、4つの楽章それぞれが19世紀後半に著名人、主に芸術家によってしたためられた手紙をモチーフとしています。
楽章と関連する著名人はこんな感じ:
1. ハンブルク、1854年(ヨハネス・ブラームス)
2. ハーグ、1882(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ)
3. ウィーン、1886(フーゴ・ヴォルフ)
4. ジェリルデリーの手紙、1879(ネッド・ケリー)
作曲者によるとソロのバイオリンは手紙の送り主と受け取り主の間を行ったり来たりしながら、音楽はその手紙に込められた思いや思考などを表現する、ということらしいです。
ブラームスの恩師の妻であるクララ・シューマンに対する秘めた思いだったり、ゴッホやヴォルフの内なる狂気の徴候に対する自覚の告白のようなものだったり、オーストラリア代表ネッド・ケリーの自分や仲間・家族の潔白を主張する強い思い、そういうものが強烈にあふれた音楽でした。
今年はBrett Deanの様々な作品に出会う機会があったのですが、この曲も他の作品に負けず劣らずの複雑さで、一回聴いただけでなんとも言えない感じはあるのですが、好きな曲であることは確かです。バイオリン協奏曲というジャンルの中で(一回聴いただけでも)すでに自分の中のランキングのなかで上位に食い込んでますし、もっと知りたい、もっと聴きたい!という思いが強いです。
印象としては例えばベルクのような「現代のバイオリン協奏曲」という色が強いですね。美しいメロディーと技巧中心、というよりはメインはソロバイオリンながらも「音楽全体」としての世界の表現が主、といいますか。
楽器編成ですぐ目立ったのはマリンバが3台あること!そのマリンバの奏者達が他の打楽器もいくつか担当していたり、かなり複雑かつ充実した打楽器パートでした。
そしてBrett Deanの作品で好きな低音木管!バスクラもコントラフォルテも大活躍、ぶいぶい言ってましたよ~(笑)
第1楽章で突然ブラームス風の音楽がぶわっと沸き起こった箇所のインパクトもすごかったですが、なんといっても私が心惹かれたのは第3楽章と第4楽章。第3楽章で打楽器やフルートが創り出す不思議な空間と色彩だったり、第4楽章でのオケ、そしてソロバイオリンの強烈さだったり。第4楽章はリズムがなんというかオージーだと思いました。リズムのパターンが、というよりはリズムの強さが、といえばいいのでしょうか。
今回コンサート会場には上記の手紙のうちヴォルフの物を除く3つのファクシミリが展示されていました。
この 「The Lost Art of Letter Writing」という題は「失われた「手紙を書くこと」の芸術」と訳することができますが、手紙を自分の手で書くことで思いを伝えることの「芸術」が今の世で失われつつあることへの懸念だったり、残念に思うことを表現した曲で。
結局見て読めるのはネッド・ケリーの手紙なのですが、こうやって昔の人が残した手紙を見るとそれが芸術であり、なにか本当に大事な思いが込められていることが分かります。ブラームスの流れるような筆跡と行間を広くとる傾向だったり、ゴッホの細かい字でびっしり書かれている、挿絵入りの手紙だったり。
ネッド・ケリーの手紙は本当にびっくりしました。オーストラリアではものすごく有名な、盗賊だったり義賊だったりした、無法者でブッシュレンジャーという人物なのですが、ものすごーくきれいな字を書くんですよ。経歴を調べてみると良いところの家を出てるわけじゃなくて(そもそもそれで権力にたてついたりしてたのですが)、だからこそこんなに綺麗な字でしっかりした文で自分の思いをしたためる、というのはものすごく心に来る物がありました。もっとネッド・ケリーについて知らなきゃ、と(汗)とりあえず基礎知識はこちらのwikipediaで。
後半のショスタコーヴィチ 交響曲第5番は逆にものすごく馴染みのある曲です。小さい頃から、おそらく生まれる前から聞いている曲。
今回こうやって生で聞いて(そこまで珍しい機会ではないのですが)改めて両親がこういう素晴らしい音楽で、玄人にも愛されるすごい音楽で育ててくれたことに感謝の思いを強く抱きました。この曲が本当に愛しいですし、何度でも聴きたい・弾きたいと思いますし、いつでも自分にとって一番のホームグラウンドであることが本当によかった、と思えて。
曲についてちょっと簡単に。ショスタコーヴィチはソヴィエト時代、しかもスターリンの時代を生きた作曲家なのですが作曲家人生のある時期に政府から作風などについて批判を受けて、ものすごい窮地に陥ったことがあります。それはもう自分だったり周りの人だったりが監視だったり命の危険にさらされたり、かなり厳しい状況にあって。そんな時に政府への「返答」として書いたのがこの交響曲第5番なんです。政府好みの前衛的でない、聴きやすい音楽に仕立てながら、音楽に全く疎い役人達に分からないように皮肉もたっぷり盛り込んで、しかもそういう背景抜きでもがっつり音楽としてのクオリティが高い作品を書いた、というわけです。
ショスタコーヴィチは理不尽な権力への反抗の象徴みたいなところもありますし、そういう「芸術を見る目がないお役人には分からない」ような繊細な、ただし強烈な「本音の表現」を見事にやってのけるすばらしい表現者で。音楽スタイルが好き、曲が好き、時代背景も好き、という以外にそういうところでも本当に尊敬している作曲家です。
そんな強烈な曲だから、演奏も平凡なものではすませられません。今回のメル響の演奏はやっぱりパワフルで、本当に聴いていて満足でした。
(ちなみに創作のオケいくつかに弾かせてる曲で、割と「あ、あの人が弾いてるとこ」とか言って脳内忙しくなるのですが、それでもこの曲そのままを自分として楽しむ余裕もあって、なんだかそんな自分にほっとしました)
今回やっぱりメル響の弦セクションの強さが光りましたね。バイオリンからコントラバスまでエネルギッシュ!コントラバスは本当にかっこよかったですよー。第1楽章とか、あと第3楽章(第3楽章はチェロやオーボエもすごかった。もともととってもpreciousな音楽ですが、演奏も今回なんだか貴重でしたね)。
第2楽章は本当に皮肉の色が強くて、「ショスタコこれじゃ政府にばれるんじゃないか、怒られるんじゃないか」と思われるほど痛烈で、痛快なキャラクターでした。そしてこの楽章はファゴット+コントラフォルテ隊がめっちゃ活躍してましたね~
ショスタコお得意(というかソヴィエト音楽お得意)の木琴の音もものすごく印象強かったです。そしてトランペットの格好良さ、ホルンセクションの頼りがい・安定といったら気持ちいいのなんのって(笑)
そういえば第4楽章の最後でティンパニが2つずつ同じ音に調音してあることに初めて気づきました。(ラ・ラ・レ・レ、と調音して音をダブルで叩く、という)道理でパワフルなわけだ!そして改めて見ると格好いい!メル響はティンパニは女性奏者だから余計に!
(そういえば第4楽章ってかなりテンポ変化あるんですが、意外なテンポのチョイスがいくつかあって、決して「違うなあ」と思わず「こういうのもアリかな」と思えたのが面白かったです)
ということでDeanでは新しい世界を見つけ、ショスタコではがっつり自分の軸をとりもどした、という本当に充実なコンサートでした。もう一回聴きたくなる演奏・プログラムでしたね~
今年のメル響シーズン(自分にとっては)最後のコンサートとしては本当にこれ以上の物はない!という。
すっかり長くなってしまったので今日の一曲は今回もお休みにして、次回このコンサートのプログラムから選んで紹介しようかな、と思ってます。
クリスマス絵、大晦日ストーリーの作業が終わり、月曜朝納品の仕事も終わり。
今はピクニックに持ってくものに悩みながら、Kris Kringleのプレゼントに悩んでいます。
私がプレゼントをあげることになってる子は友達の友達で、今まで何回か会ってます(こないだの金曜日も合わせて)。運動障害を持ってる子なのでどんな物だったら使ってもらえるかな、と悩んでます。
Kris Klingleは以前も書きましたが匿名なので日本ぽいものとかルピシアのお茶とかは選べないんですよね~
さて、こないだの木曜日のコンサートの感想へ。
プログラムはこんな感じでした:
指揮者:Jonathan Nott
Brett Dean 「The Lost Art of Letter Writing」(バイオリン:Frank Peter Zimmermann)
(休憩)
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
最初の曲は今年生誕50周年をオーストラリア中で祝われている作曲家Brett Deanの作品。今回コンサートに来てステージ上で曲の解説もしました。
「The Lost Art of Letter Writing」はバイオリン協奏曲の形式をとっていて、4つの楽章それぞれが19世紀後半に著名人、主に芸術家によってしたためられた手紙をモチーフとしています。
楽章と関連する著名人はこんな感じ:
1. ハンブルク、1854年(ヨハネス・ブラームス)
2. ハーグ、1882(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ)
3. ウィーン、1886(フーゴ・ヴォルフ)
4. ジェリルデリーの手紙、1879(ネッド・ケリー)
作曲者によるとソロのバイオリンは手紙の送り主と受け取り主の間を行ったり来たりしながら、音楽はその手紙に込められた思いや思考などを表現する、ということらしいです。
ブラームスの恩師の妻であるクララ・シューマンに対する秘めた思いだったり、ゴッホやヴォルフの内なる狂気の徴候に対する自覚の告白のようなものだったり、オーストラリア代表ネッド・ケリーの自分や仲間・家族の潔白を主張する強い思い、そういうものが強烈にあふれた音楽でした。
今年はBrett Deanの様々な作品に出会う機会があったのですが、この曲も他の作品に負けず劣らずの複雑さで、一回聴いただけでなんとも言えない感じはあるのですが、好きな曲であることは確かです。バイオリン協奏曲というジャンルの中で(一回聴いただけでも)すでに自分の中のランキングのなかで上位に食い込んでますし、もっと知りたい、もっと聴きたい!という思いが強いです。
印象としては例えばベルクのような「現代のバイオリン協奏曲」という色が強いですね。美しいメロディーと技巧中心、というよりはメインはソロバイオリンながらも「音楽全体」としての世界の表現が主、といいますか。
楽器編成ですぐ目立ったのはマリンバが3台あること!そのマリンバの奏者達が他の打楽器もいくつか担当していたり、かなり複雑かつ充実した打楽器パートでした。
そしてBrett Deanの作品で好きな低音木管!バスクラもコントラフォルテも大活躍、ぶいぶい言ってましたよ~(笑)
第1楽章で突然ブラームス風の音楽がぶわっと沸き起こった箇所のインパクトもすごかったですが、なんといっても私が心惹かれたのは第3楽章と第4楽章。第3楽章で打楽器やフルートが創り出す不思議な空間と色彩だったり、第4楽章でのオケ、そしてソロバイオリンの強烈さだったり。第4楽章はリズムがなんというかオージーだと思いました。リズムのパターンが、というよりはリズムの強さが、といえばいいのでしょうか。
今回コンサート会場には上記の手紙のうちヴォルフの物を除く3つのファクシミリが展示されていました。
この 「The Lost Art of Letter Writing」という題は「失われた「手紙を書くこと」の芸術」と訳することができますが、手紙を自分の手で書くことで思いを伝えることの「芸術」が今の世で失われつつあることへの懸念だったり、残念に思うことを表現した曲で。
結局見て読めるのはネッド・ケリーの手紙なのですが、こうやって昔の人が残した手紙を見るとそれが芸術であり、なにか本当に大事な思いが込められていることが分かります。ブラームスの流れるような筆跡と行間を広くとる傾向だったり、ゴッホの細かい字でびっしり書かれている、挿絵入りの手紙だったり。
ネッド・ケリーの手紙は本当にびっくりしました。オーストラリアではものすごく有名な、盗賊だったり義賊だったりした、無法者でブッシュレンジャーという人物なのですが、ものすごーくきれいな字を書くんですよ。経歴を調べてみると良いところの家を出てるわけじゃなくて(そもそもそれで権力にたてついたりしてたのですが)、だからこそこんなに綺麗な字でしっかりした文で自分の思いをしたためる、というのはものすごく心に来る物がありました。もっとネッド・ケリーについて知らなきゃ、と(汗)とりあえず基礎知識はこちらのwikipediaで。
後半のショスタコーヴィチ 交響曲第5番は逆にものすごく馴染みのある曲です。小さい頃から、おそらく生まれる前から聞いている曲。
今回こうやって生で聞いて(そこまで珍しい機会ではないのですが)改めて両親がこういう素晴らしい音楽で、玄人にも愛されるすごい音楽で育ててくれたことに感謝の思いを強く抱きました。この曲が本当に愛しいですし、何度でも聴きたい・弾きたいと思いますし、いつでも自分にとって一番のホームグラウンドであることが本当によかった、と思えて。
曲についてちょっと簡単に。ショスタコーヴィチはソヴィエト時代、しかもスターリンの時代を生きた作曲家なのですが作曲家人生のある時期に政府から作風などについて批判を受けて、ものすごい窮地に陥ったことがあります。それはもう自分だったり周りの人だったりが監視だったり命の危険にさらされたり、かなり厳しい状況にあって。そんな時に政府への「返答」として書いたのがこの交響曲第5番なんです。政府好みの前衛的でない、聴きやすい音楽に仕立てながら、音楽に全く疎い役人達に分からないように皮肉もたっぷり盛り込んで、しかもそういう背景抜きでもがっつり音楽としてのクオリティが高い作品を書いた、というわけです。
ショスタコーヴィチは理不尽な権力への反抗の象徴みたいなところもありますし、そういう「芸術を見る目がないお役人には分からない」ような繊細な、ただし強烈な「本音の表現」を見事にやってのけるすばらしい表現者で。音楽スタイルが好き、曲が好き、時代背景も好き、という以外にそういうところでも本当に尊敬している作曲家です。
そんな強烈な曲だから、演奏も平凡なものではすませられません。今回のメル響の演奏はやっぱりパワフルで、本当に聴いていて満足でした。
(ちなみに創作のオケいくつかに弾かせてる曲で、割と「あ、あの人が弾いてるとこ」とか言って脳内忙しくなるのですが、それでもこの曲そのままを自分として楽しむ余裕もあって、なんだかそんな自分にほっとしました)
今回やっぱりメル響の弦セクションの強さが光りましたね。バイオリンからコントラバスまでエネルギッシュ!コントラバスは本当にかっこよかったですよー。第1楽章とか、あと第3楽章(第3楽章はチェロやオーボエもすごかった。もともととってもpreciousな音楽ですが、演奏も今回なんだか貴重でしたね)。
第2楽章は本当に皮肉の色が強くて、「ショスタコこれじゃ政府にばれるんじゃないか、怒られるんじゃないか」と思われるほど痛烈で、痛快なキャラクターでした。そしてこの楽章はファゴット+コントラフォルテ隊がめっちゃ活躍してましたね~
ショスタコお得意(というかソヴィエト音楽お得意)の木琴の音もものすごく印象強かったです。そしてトランペットの格好良さ、ホルンセクションの頼りがい・安定といったら気持ちいいのなんのって(笑)
そういえば第4楽章の最後でティンパニが2つずつ同じ音に調音してあることに初めて気づきました。(ラ・ラ・レ・レ、と調音して音をダブルで叩く、という)道理でパワフルなわけだ!そして改めて見ると格好いい!メル響はティンパニは女性奏者だから余計に!
(そういえば第4楽章ってかなりテンポ変化あるんですが、意外なテンポのチョイスがいくつかあって、決して「違うなあ」と思わず「こういうのもアリかな」と思えたのが面白かったです)
ということでDeanでは新しい世界を見つけ、ショスタコではがっつり自分の軸をとりもどした、という本当に充実なコンサートでした。もう一回聴きたくなる演奏・プログラムでしたね~
今年のメル響シーズン(自分にとっては)最後のコンサートとしては本当にこれ以上の物はない!という。
すっかり長くなってしまったので今日の一曲は今回もお休みにして、次回このコンサートのプログラムから選んで紹介しようかな、と思ってます。
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