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前のエントリーに拍手どうもです~
仕事に練習に大分忙しいです。あとちょこちょこ身の回りのこともやったりで。今日は3時半くらいの時点で疲労時計がすでに7時半くらいをさしてましたねえ・・・
そんなこんなで少しずつブログのネタもメモってはいるのですが考えが詰められずで事実上のネタ切れとなっております。
こないだ「現在のレパートリー」エントリーを書きましたが、なんとかバルトークからプーランクに移行。
プーランクは15の即興曲から5つ選んで弾くことに。なるべくキャラクターが違うやつを選んでます。一つはシューベルト献呈の華やかなワルツだったり、一つはエディット・ピアフ献呈のシャンソン風の(頭一つ抜きん出て)美しい一曲、それからこれまたちょっとシャンソン風&フルートソナタのスロー楽章風のだったり、それからあとちょっとひねた鋭さを持ち合わせたの2つ。
プーランクのひねくれというかいじらしさは良く思うのですがたまの知久さんの音楽に見られるものにものすごく似てて。「きみしかいない」とか「電車かもしれない」とか、歌詞だったり息づかいだったり(楽器パートを含む)、あとハーモニーもちょっと似てるかな。なんとか参考にして取り入れたりしてみたいですね。
今は自分の弾いてる曲に他ジャンル(主に音楽で、ですが音楽に限らず)で感じたこと学んだことを積極的に取り入れたい傾向があって。たまだったりクレズマーだったり聖飢魔IIだったり。はっきりとは言葉で表現するのは難しいんですが、ちょこちょこいろいろ意識して実験してます。
自分の表現の幅を広げたい、というのももちろんありますが、基本手に入れたら使いたいタイプなのもあり。
最近思ったんですが自分は五感でも、それ以外の感覚でもとにかく「体感する」ことが何よりも喜ばしく感じて(それが自分の中に入ってくる感覚でも表現して出て行く感覚でも)。
そして色んな感覚をおもちゃとか宝のように自分の中に大切に、いつでも感じられるように、そして表現に使えるように収集するのが常で。
もちろん感覚にジャンルは関係ないですし(感覚の種類間でも無意識に・意識的に翻訳がありますしね)、だから本当に今ありとあらゆるものを自分の中に取り入れて感じたい、(音楽などを通じて)表現したいお年頃なんです。
ちょうど今日仕事ではちょっと骨の折れる英和翻訳を終わらせたところで。
時間かかるんですよね~英語の文を読むのは日本語を読むよりも若干遅いですし、日本語の文を書くのはちょっと苦労しますし。
そういえば前回一時帰国したときに翻訳が速い、というお言葉をにコーディネーターさんからいただいたのですが、それ以来自分が翻訳するときにどういうプロセスが働いているのか意識的に考えてみたのですが・・・
簡単にいうと音楽を演奏するときとプロセス自体はそう変わらないと思います。
目の前にある文を読んで自分の中に取り込んで、「自分の物として」から、(あたかも自分のオリジナルとして発しているように)もう一つの言語でアウトプットする。
言語→言語だと割とそれが速くできる。(もともと読むのは速いですし)自分の中で読むだけで意味はすぐ分かるのですぐ「自分のものになる」。
音楽だともうちょっと時間がかかる。言葉でないからですが(笑)
でもそうやって音楽に時間をかけるのはやっぱり大好きです。
作曲家や曲の意図を分かろうとして、音楽からなにを感じるか、何を連想するか、そこからどんな音楽を、世界を創るか、自分の中のコレクションから何を使うか、どう繋げるか、音をどう動かすか、とにかく何をどうしようかと考えたり実験したり、感覚を探ったりするのが本当に楽しくて。
だからこないだから弾いてるあのプロコフィエフの「分からない、なじまない」プロセスも今ものすごく楽しいです(笑)
今日久しぶりに「音楽と心」のノートブックにちょろっとメモしたんですが、音楽は作曲家・演奏家の見解を演奏家・聴き手に押しつけるものでなく、発信する側が受信する側の中に感覚を「沸き起こす」ものなんですよね。
割と私は普段からちと押しつけがましい傾向があるので自分への戒めとしても書いたんですが(汗)
でもそういう「感覚が沸き起こる」のが好きで、自分が聴き手に「沸き起こす」ができたらすごいな、と思うし。もっとこれからいろいろ考えていきたいな、と考えてます。
(そういえば新神話主義の色々もこの「沸き起こる」プロセスだったり、沸き起こすものについていろいろ関連した見解があるな、と思ってこんどまた復習せねばと思っています。)
音楽に携わるにあたって「ピアノを弾く」とか「音を弾く」ということに捕らわれることなく音楽の表現、ジャンルを超えた音楽、音楽を超えた世界の表現を考えたり探索できることは素晴らしいと思います。環境によっては私の場合そこまで考えられる余裕がなくなるだろうな、というのも分かってるので今は家で一人でピアノ弾いてるだけですがのびのびこうやって色々できるのは幸せなんだろうな、と思います。少なくとも一部は。
大学みたいに他の音楽家の影響が少ない環境ですがいろいろ刺激と影響と工夫とアイディアと表現を飽きなく求め続けたいです。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第2楽章
この交響曲、どの楽章をすでに扱ったか思い出せないのですが、Brett Deanの曲はさすがに一回聴いたあとこんなに時間がたっちゃあ紹介できないのでなんとかこの曲に。
第2楽章もこのシンフォニーでのハイライトではないんですが、だからこそちょっとフォローしとかないと、と思いまして。
とにかくまず強調したいのは:ショスタコの5番は各楽章も全体としても素晴らしい曲で、時代を表す音楽(前のエントリー参照)としても、純粋に音楽としてもものすごく魅力的で、個々の楽器もオケとしての音もいいですし、是非是非全曲、そして一度だけでなく何度もよく聴いて欲しい曲だと思っています。
さて第2楽章。3拍子の舞踏、大体ワルツのようなリズムの比較的短い曲です。
ワルツというのは優雅なイメージですが、この曲は冒頭の低音弦のエントリーからものすごく足踏みが重い!ここからすでにショスタコの強烈な皮肉毒舌キャラクターが始まってるわけですね。
とにかくGrandなところは大げさに、そして品がない、ぶしつけなワルツなんです。
この曲の魅力というのがやっぱりその品のない、ぶしつけで、卑しいところだと思うんです。さらにはそれがいわゆるカリカチュアとして、その対象となっている人物だったり(人物とは限りませんが)に悪意を持っておもいっきりこきおろしていることがはっきりと分かる、その対象がものっそ嫌なやつなんだな、というのが分かって一緒に嘲笑できる、そういうところだと思います。
(この場合はおそらくソヴィエト政府のお偉いさん方がその対象なんでしょうね)
言葉での皮肉を伴った冗談、というのもたまに上手く伝わらないときがありますが、それをより分かりやすく、効果的に音楽でやってしまう、それが伝わってしまう(少なくとも伝えたくない人以外には(笑))のはやっぱりショスタコの表現力のすごさですね。
実際のところどうやって(楽器使い)そうやって皮肉なテイストをだしているかについて一部を書くことはできるのですが、今回はなるべくそういうところにはフォーカスせず、聴いて全体的に感じ取ってもらいたいと思います。理屈で分からなくともちょっとにやりとしてしまう、そんなところが数々ありますので。
でも活躍している楽器についてこれは言っておかないと気が済まない。中間部~後半でファゴット(2本)+コントラファゴットだけでしばらく弾いてるところがあるのですが、ファゴットもコントラファゴットも普段はあんまり目立たないため是非この大活躍に耳を傾けて欲しいです。メル響の演奏だとコントラファゴットの代わりにコントラフォルテを使うので生演奏でホールの後ろに座っても最低音がくっきり聞こえるのですが、ステレオで聴く場合はちょっと音量を上げていただけるとこれらの楽器の頑張りが聞こえると思います。
頑張れファゴット!頑張れコントラファゴット!
リンクした演奏は実際に私が持っているCDで、本場ソヴィエトの演奏&ショスタコと親交のが深く彼の作品を多く振ったムラヴィンスキーの指揮によるもので。作品の真髄をある意味がっちりとらえてるな、と思う演奏です。第1楽章から第4楽章までなによりも「らしい」演奏、という印象。ちょっとトランペットのスタイルが「?」となるところもありますが素晴らしい録音なのでお勧めですよ~
仕事に練習に大分忙しいです。あとちょこちょこ身の回りのこともやったりで。今日は3時半くらいの時点で疲労時計がすでに7時半くらいをさしてましたねえ・・・
そんなこんなで少しずつブログのネタもメモってはいるのですが考えが詰められずで事実上のネタ切れとなっております。
こないだ「現在のレパートリー」エントリーを書きましたが、なんとかバルトークからプーランクに移行。
プーランクは15の即興曲から5つ選んで弾くことに。なるべくキャラクターが違うやつを選んでます。一つはシューベルト献呈の華やかなワルツだったり、一つはエディット・ピアフ献呈のシャンソン風の(頭一つ抜きん出て)美しい一曲、それからこれまたちょっとシャンソン風&フルートソナタのスロー楽章風のだったり、それからあとちょっとひねた鋭さを持ち合わせたの2つ。
プーランクのひねくれというかいじらしさは良く思うのですがたまの知久さんの音楽に見られるものにものすごく似てて。「きみしかいない」とか「電車かもしれない」とか、歌詞だったり息づかいだったり(楽器パートを含む)、あとハーモニーもちょっと似てるかな。なんとか参考にして取り入れたりしてみたいですね。
今は自分の弾いてる曲に他ジャンル(主に音楽で、ですが音楽に限らず)で感じたこと学んだことを積極的に取り入れたい傾向があって。たまだったりクレズマーだったり聖飢魔IIだったり。はっきりとは言葉で表現するのは難しいんですが、ちょこちょこいろいろ意識して実験してます。
自分の表現の幅を広げたい、というのももちろんありますが、基本手に入れたら使いたいタイプなのもあり。
最近思ったんですが自分は五感でも、それ以外の感覚でもとにかく「体感する」ことが何よりも喜ばしく感じて(それが自分の中に入ってくる感覚でも表現して出て行く感覚でも)。
そして色んな感覚をおもちゃとか宝のように自分の中に大切に、いつでも感じられるように、そして表現に使えるように収集するのが常で。
もちろん感覚にジャンルは関係ないですし(感覚の種類間でも無意識に・意識的に翻訳がありますしね)、だから本当に今ありとあらゆるものを自分の中に取り入れて感じたい、(音楽などを通じて)表現したいお年頃なんです。
ちょうど今日仕事ではちょっと骨の折れる英和翻訳を終わらせたところで。
時間かかるんですよね~英語の文を読むのは日本語を読むよりも若干遅いですし、日本語の文を書くのはちょっと苦労しますし。
そういえば前回一時帰国したときに翻訳が速い、というお言葉をにコーディネーターさんからいただいたのですが、それ以来自分が翻訳するときにどういうプロセスが働いているのか意識的に考えてみたのですが・・・
簡単にいうと音楽を演奏するときとプロセス自体はそう変わらないと思います。
目の前にある文を読んで自分の中に取り込んで、「自分の物として」から、(あたかも自分のオリジナルとして発しているように)もう一つの言語でアウトプットする。
言語→言語だと割とそれが速くできる。(もともと読むのは速いですし)自分の中で読むだけで意味はすぐ分かるのですぐ「自分のものになる」。
音楽だともうちょっと時間がかかる。言葉でないからですが(笑)
でもそうやって音楽に時間をかけるのはやっぱり大好きです。
作曲家や曲の意図を分かろうとして、音楽からなにを感じるか、何を連想するか、そこからどんな音楽を、世界を創るか、自分の中のコレクションから何を使うか、どう繋げるか、音をどう動かすか、とにかく何をどうしようかと考えたり実験したり、感覚を探ったりするのが本当に楽しくて。
だからこないだから弾いてるあのプロコフィエフの「分からない、なじまない」プロセスも今ものすごく楽しいです(笑)
今日久しぶりに「音楽と心」のノートブックにちょろっとメモしたんですが、音楽は作曲家・演奏家の見解を演奏家・聴き手に押しつけるものでなく、発信する側が受信する側の中に感覚を「沸き起こす」ものなんですよね。
割と私は普段からちと押しつけがましい傾向があるので自分への戒めとしても書いたんですが(汗)
でもそういう「感覚が沸き起こる」のが好きで、自分が聴き手に「沸き起こす」ができたらすごいな、と思うし。もっとこれからいろいろ考えていきたいな、と考えてます。
(そういえば新神話主義の色々もこの「沸き起こる」プロセスだったり、沸き起こすものについていろいろ関連した見解があるな、と思ってこんどまた復習せねばと思っています。)
音楽に携わるにあたって「ピアノを弾く」とか「音を弾く」ということに捕らわれることなく音楽の表現、ジャンルを超えた音楽、音楽を超えた世界の表現を考えたり探索できることは素晴らしいと思います。環境によっては私の場合そこまで考えられる余裕がなくなるだろうな、というのも分かってるので今は家で一人でピアノ弾いてるだけですがのびのびこうやって色々できるのは幸せなんだろうな、と思います。少なくとも一部は。
大学みたいに他の音楽家の影響が少ない環境ですがいろいろ刺激と影響と工夫とアイディアと表現を飽きなく求め続けたいです。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第2楽章
この交響曲、どの楽章をすでに扱ったか思い出せないのですが、Brett Deanの曲はさすがに一回聴いたあとこんなに時間がたっちゃあ紹介できないのでなんとかこの曲に。
第2楽章もこのシンフォニーでのハイライトではないんですが、だからこそちょっとフォローしとかないと、と思いまして。
とにかくまず強調したいのは:ショスタコの5番は各楽章も全体としても素晴らしい曲で、時代を表す音楽(前のエントリー参照)としても、純粋に音楽としてもものすごく魅力的で、個々の楽器もオケとしての音もいいですし、是非是非全曲、そして一度だけでなく何度もよく聴いて欲しい曲だと思っています。
さて第2楽章。3拍子の舞踏、大体ワルツのようなリズムの比較的短い曲です。
ワルツというのは優雅なイメージですが、この曲は冒頭の低音弦のエントリーからものすごく足踏みが重い!ここからすでにショスタコの強烈な皮肉毒舌キャラクターが始まってるわけですね。
とにかくGrandなところは大げさに、そして品がない、ぶしつけなワルツなんです。
この曲の魅力というのがやっぱりその品のない、ぶしつけで、卑しいところだと思うんです。さらにはそれがいわゆるカリカチュアとして、その対象となっている人物だったり(人物とは限りませんが)に悪意を持っておもいっきりこきおろしていることがはっきりと分かる、その対象がものっそ嫌なやつなんだな、というのが分かって一緒に嘲笑できる、そういうところだと思います。
(この場合はおそらくソヴィエト政府のお偉いさん方がその対象なんでしょうね)
言葉での皮肉を伴った冗談、というのもたまに上手く伝わらないときがありますが、それをより分かりやすく、効果的に音楽でやってしまう、それが伝わってしまう(少なくとも伝えたくない人以外には(笑))のはやっぱりショスタコの表現力のすごさですね。
実際のところどうやって(楽器使い)そうやって皮肉なテイストをだしているかについて一部を書くことはできるのですが、今回はなるべくそういうところにはフォーカスせず、聴いて全体的に感じ取ってもらいたいと思います。理屈で分からなくともちょっとにやりとしてしまう、そんなところが数々ありますので。
でも活躍している楽器についてこれは言っておかないと気が済まない。中間部~後半でファゴット(2本)+コントラファゴットだけでしばらく弾いてるところがあるのですが、ファゴットもコントラファゴットも普段はあんまり目立たないため是非この大活躍に耳を傾けて欲しいです。メル響の演奏だとコントラファゴットの代わりにコントラフォルテを使うので生演奏でホールの後ろに座っても最低音がくっきり聞こえるのですが、ステレオで聴く場合はちょっと音量を上げていただけるとこれらの楽器の頑張りが聞こえると思います。
頑張れファゴット!頑張れコントラファゴット!
リンクした演奏は実際に私が持っているCDで、本場ソヴィエトの演奏&ショスタコと親交のが深く彼の作品を多く振ったムラヴィンスキーの指揮によるもので。作品の真髄をある意味がっちりとらえてるな、と思う演奏です。第1楽章から第4楽章までなによりも「らしい」演奏、という印象。ちょっとトランペットのスタイルが「?」となるところもありますが素晴らしい録音なのでお勧めですよ~
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