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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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ピアノの表現の幅を探索してみる
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
最近こういう事にちょっとアクティブな探索をしてて、クリエイティブな方向にわりとテンションが高いのですがどうやら軽躁ではないようです。気をつけていろいろ探っていきたいと思います。

ということで今日のエントリーもそれにつながってるような方向性で。
アイディアのきっかけはデーモン閣下の昔(1990年)のソロアルバム「好色萬声男(こうしょくよろずごえおとこ)」について読んでたことで。(ちなみに名義は小暮伝衛門、だそう)
いつも通りWikipediaが詳しいし分かりやすいのですが、様々なジャンルの音楽を歌う、だけでなく、そういういう話をちょっと超えて伝統音楽だったり、漢詩だったり、他の形でも取り入れたりの表現の一環として閣下が歌い上げていく、というアルバムで。Girls Rock(これはこれでまた面白い)は妹が2枚持ってるんですけど、「好色萬声男」もものすごく聴いてみたい!

で、そこで思ったのは「声でそれだけの表現の幅を追求するならピアノでももっとやってみるべきだよな」、ということで。
ピアノは一度に弾ける音の数も多いですし、音域も広く、スタミナの制限も一部の楽器ほど厳しくはなく、一人で完全に成り立つ楽器であり、とにかく「表現の幅が広い」ということが当たり前になっている楽器で。それをちょっと弾き手も聴き手も(ただし最近の作曲家はこの通りではない!)当たり前に思いすぎてるところがあるような気がして。
それなら、自分がピアノの「本当の」キャパシティ、魅力、ピアノができることを知ってもらいたい、と思うならどのような曲を選ぶか、というのを考えてみました。とりあえず「選ぶ」方で。他のことについてはまた後ほど。
例によって選んでたら20世紀ばっかりになったので20世紀に絞りました(実質的に「絞って」はいないですが)。あとなるべくピアノ独奏曲を選びました。
もちろんここでいくつか曲を選んだだけではピアノの表現の幅の全ては網羅できないのですが、まずはとっかかり、的な勢いで。

1) ラフマニノフ 前奏曲ニ長調
「歌うピアノ」としてセレクト。声と違ってピアノはそのメカニズムから鍵を弾いたあとは音量は下がるばかり、つまり音を同音量で伸ばしたりクレッシェンドをかけたりすることができないのですが、この曲でのメロディーはあたかも歌われているような豊かな伸びようを見せます。

2) リゲティ 練習曲第9番「めまい」
この曲の特徴は「液体的なピアノ」。ハンマーで弦を叩く楽器にもかかわらずまるで液体のように流れるような下降音形。なかなかこういう曲はないんですよね。書く方もそうなんですが、弾く方のタッチもこのエフェクトを極めるにはめちゃくちゃ難しいんですよ、いわずもがなですが。

3) グラナドス 「ゴイェスカス」より「愛と死」
ピアノは他の楽器から「機械的な楽器」と言われることもありますがこれでもか、というほど人の感情を繊細に、ダイナミックに反映できるんだ!という「感情的なピアノ」。愛の炎、焦り、死別の悲しみ、絶望、孤独、などなど、十も百も移り変わる人の心模様をしっかり隅々まで表現します。

4) プロコフィエフ トッカータ
上記の「機械的なピアノ」だったらきっとこの曲かな。感情を挟む余地がない、ものすごく冷徹な感じで音の動きは容赦なく、ひたすら続いていく。人の指で奏でる、というよりは本当に打つ・叩く感覚がすごいのです。「人間が弾くにはちとトリッキーじゃないか」とも思われるパッセージも機械のようにきびきびと。

5) ラヴェル 「鏡」より「蛾」
この曲を選んだキーワードは「気まぐれなピアノ」。繊細さ、という感覚の種類もいろいろありますが、どんなに気持ちが変わろうともその気持ちにぴったり添って、変化する気持ちをすぐに正確に捉える、という意味での「繊細な表現」が比較的に容易にできるのがピアノという楽器。飛んだり止まったり、夢見がちだったり。

6) カバレフスキー 前奏曲第16番
ピアノは聴き手から見えるところはほとんど木でできていますが、その中の弦やフレームなどかなり大きな部分は金属製。ソヴィエトの作曲家はその歴史文化によるものかこの「金属のピアノ」のサウンドを得意としています。例えばロマン派のピアノのぬくもりとは全く別の処にある重くて冷たく硬い音。

7) モンポウ 「内なる印象」 第1楽章
ピアノにおいて「技巧」を披露するとなると一般的に音は多くなりますが、そういう華麗さ、派手さ、音の数をがっつり削っても、それでもピアノの美しさは残っている、「シンプルなピアノ」を表す一曲。短い、小さい曲ですが、そこには本当にpreciousなものが秘められている。

8) バルトーク ピアノ協奏曲第1番 第3楽章
20世紀になると(オケでの活躍も増えたからか)割とピアノを「打楽器」として用いる傾向が強まった気がします。メシアンにしろ、クラムにしろ、ショスタコにしろ。でもその源はやっぱりバルトーク、ということで実際オケと、打楽器と並べてその「打楽器としてのピアノ」のサウンドの役割を味わってもらいたいとこの曲を。

9) シマノフスキ 「メトープ」より「セイレーンの島」
ピアノはその機動力、音域、メカニズムやタッチからたまに本当に音に羽根が生えたような、人間の手をちょっと離れたような動きと音をする事が可能で。自由に、軽やかに、そしておおらかに空を賭けたり、空中でホバリングしたり、静かに舞い降りたり・・・「翼を持ったピアノ」になれるんだなあ、とこの曲を以前弾いて思いました。

10) スクリャービン 練習曲 op.42-5
平凡な曲ではないけれど、特に抜きん出てるようなこともない・・・と思われる曲ですが、本当は「複雑なピアノ」という特徴を反映してると思います。翔けながらうねりながら溺れ沈み、エクスタシーと究極の苦痛を同時に表し、強くも脆く、ものすごく奥深い世界がこの短い曲には現れてて、そういうところが本当に好き。

11) Vine バガテル第5番 「Threnody for all the innocent victims」
ピアノという楽器は図体がでかいです(笑)が、本当に繊細な表現も可能です。それこそ触ったら壊れてしまいそうな「はかないピアノ」。この曲を弾いたときはキーを押すのではなく撫でるようなタッチで弾いて、ペダルをの響きも使って。表現の幅はこの時代にこっち方向にもさらに広がっています。

12) メシアン 「アーメンの幻影」より第1楽章「創造のアーメン」
音域の広さと豊かな余韻(音が持続しない、というのはポイントだと思う)で創り出す「宇宙的なピアノ」のサウンド。今回はピアノ2台の曲ですが、その2つのピアノで無限の時間、無限の空間とその中に宇宙が生まれる、そのエネルギーができる、というのはやっぱすごいと思いますよ。

・・・そして「表現の幅」といえばちょっと分類に困った13曲目の言及が必要だと思うんですよ。クラムのマクロコスモス第2巻の第10楽章「Voices from Corona Borealis」。曲のスケールとしては小さいですが、特殊奏法を駆使して(それしか使わない。あと口笛)ピアノ1台で創り上げてるとは思えない不思議な世界、孤独の空間を表現するのがユニークで、ピアノによる表現という意味ではものすごく特別な位置にあると思います。


ということで出してみました。
結構自分で弾いた曲なんかも出てきて、今後また弾いた時にこういうところを目指すべきなんだな、という開眼もあり。で、やってみると先ほど書いたようにいろいろ網羅できてないんでこれからパート2以降でまた試みてみたいと思います。

「ピアノの表現の幅にチャレンジする」というコンセプトは演奏のプログラムを組む際にも参考にしたいと思ってます。弾くときはなるべく曲集単位で選びたいですしもうちょっと一貫性や共通エレメントがないとまとまりがなくなりますが・・・
今回曲を選ぶに当たって「表現がユニークな曲を選んでコンセプトをくっつける」か「表現のカテゴリを選んでそこから代表曲を選ぶか」というのはものすごく悩んだところで、次回曲を選ぶにしても、将来このコンセプトで演奏プログラムを組むにしてもいろいろ検討しなくちゃいけないところだとなあ、と。

表現の幅にチャレンジするような曲は(「ピアノらしい」ピアノのレパートリーよりも)好きな傾向にあると思います。例えばここでは選びませんでしたが「鳥のカタログ」なんかも「ピアノでピアノ以外の物をリアルに表現する」音楽ですしね。やっぱり「幅を広げる」、ピアノでどれだけのことができるか、というのは自分がもっと追求すべきことだと思いますし、だからこそ「ピアノらしいサウンド」を外れた曲をこれからもがんがん弾いていきたいです。
自分の中にある世界をもっともっと広げながら、表現する方法も広げて。少なくともいまそういうことに目が向いてるんでとことん追求していきたいと思います。


今日の一曲はお休みです。うまく紹介にはなってないのですがこんなに曲をお勧めしてしまったので。


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