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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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88色の音のパレット
まずはちょっとした問題を。

黒くて白くて足が3本に金の靴下一足半、これなーんだ?

それはクラシック音楽に普通に使われる楽器の中で一番演奏人口が多い楽器、ピアノです。
 
ぴあのふぉるて
これは私が大学で愛用していた練習室のピアノです。この練習室、わからないかもしれませんが非常に狭くて、他の人があんまり使わない(ピアノ以外の人は使えないくらい狭いです)のでよく住んでました(?)。

ピアノ。正式名はピアノフォルテ。
親戚楽器はいろいろいますが、音の強弱がつけられる、つまりピアノ=弱、フォルテ=強でピアノフォルテ、ということです。
まさに「私はピアノであり、フォルテである」(聖書の「黙示録」をもじってみました)

ちなみに大学時代私のあだ名はピアノでした。ピアノを弾くのとは関係なしにピアノの「小さな、ソフトな」という意味合いがなんとなく私に合ったそうで。
おっと脱線。それまで主流だったハープシコードにはないその特徴がピアノをポピュラーにし、そして生まれてからピアノはずっとずっと進化し続けてきたんです。

例えばベートーベンのころと比べて今は鍵盤の鍵の数も88と増え(ベーゼンドルファー製のピアノはもっとあります)低音から高音まで幅広い音域の音を出すようになり。

そしてメカニズムもずいぶんと変わりました。

他の楽器の奏者の人はピアノは楽器よりも機械に近いって言うんですよ。
まあ極端に言えば声は特別ですし、それに弦楽器なんか手作りで作られ、楽器はだいたい奏者の動きが楽器と一体になって音がでる、という感じですが・・・ピアノはキーを指で押したあとピタゴラスイッチですからね(笑)

でも人間の繊細なところをこれだけ忠実に表現できる機械はどこにもないと思います。
強弱はもちろん、音質、ペダルによる細やかな表現・・・弾く人間さえどう動けばいいかわかっていれば何でもそれに大して忠実に音に反映させる。
キーを押して、それがフェルトで包まれたハンマーを動かし弦を叩く・・・それだけなのになんでこんなに細やかな表現ができるんだろう?と不思議でたまりません。
どんなに技術が進んだ今でも電子ピアノはどうしても本物のピアノに追いつかないのはまるでカメラが人間の目に追いつかないというのと似たようなところがありますね。

そしてピアノの不思議なところがもうひとつ。
ピアノっていうのは鍵盤、ボディ、ハンマー、弦を押さえる仕組みなどが木でできていて、そしてフレーム、弦、ペダルなどが金属でできているんです。
だからピアノは弾き方や曲によって音が木製になったり、金属製に変身したりするんです。
例えばショパン、モーツァルト、ブラームスやベートーベンでは木製の色が強く、バルトークは半々、ショスタコーヴィチやプロコフィエフなどは金属感が強いです。

そしてピアノは何も鍵盤やペダルのみで弾くものではありません。いつもはハンマーが弦を弾く、撥弦楽器の一種ですが、何もそれに限ったことではなく・・・
前少しお話しましたが特殊奏法ではピアノの中の弦を弾いたり(はじいたり、のほうの弾いたりです)、ピアノの弦を押さえたまま鍵盤を弾いたり、ピアノの弦の上に紙を置いたりしてピアノを弾いたり、ピアノを叩いたり・・・
弦楽器になったり、打楽器になったりもするのです。
(上記の奏法はグランドピアノのみでできるものであり、正しくやらないと(正しくやっても?)ピアノを傷めることになる可能性があるので経験を積んだピアニストにより作曲家がやれっていっているときのみ試すことをお勧めします)

実は今日は久しぶりにその特殊奏法を多用するジョージ・クラムの音楽を弾きました。うちのピアノはアップライトですのでできるだけやりましたが彼は本当にピアノの表現の世界を広げましたねー。
弾くたびに音の範囲が広がり、実験してみることで新しい音が生まれるのがくすぐったいやらうれしいやらで。

ずっとずっとピアノを弾いていきたいです。仕事とか趣味というものを超えて、人間として抱く思い、表現したいことをみんな受け止めて形にしてくれるこの楽器が好きだから。
グランドピアノの前に座ってるとまるでそういう風に包み込んでくれる大きな存在と向き合っているようで・・・機械ではなく、血の通った存在と一緒にいるようで、ものすごく落ち着くんですよ。

いつかはベーゼンドルファーの・・・なんて贅沢は言わずともグランドピアノと一緒に住みたいです。


今日の一曲: ジョージ・クラム 「マクロコスモス」第2巻 より 「Litany of the Galactic Bells」



ピアノの素晴らしさ、音の幅、クラムの表現方法・・・全部何とかしようとして「マクロコスモス」の中で多少妥協して落ち着いたのがこの曲。
実際弾いたこともあります。マクロコスモス第2巻全12曲の3分の2ほど弾いたはずです。そしてそれらの一つ一つを弾きながらピアノで出せる音、音の間の間についてたくさん、たくさん考えさせられました。

そのうちの「Litany of Galactic Bells」。銀河の鐘の連祷、と訳されているのを見ましたが・・・
まるで超新星の爆発のような輝かしい、幾色の光が夜空に、宇宙に輝いているような和音の爆発。
そして追憶のような遠い歌の上にきらめく遠い星・・・
ほどけたような、切ないベートーベンの「ハンマークラヴィーア」ソナタからの一節。それがまた夢で聞いているようにほどけて行き・・・というようなイメージで私個人は弾いてます。

ペダルを踏んだままにしていることが多いクラムの音楽。ピアノをやっている人なら音がにごるのでは?と思うかもしれませんがその濁ったおとの響きがまた複雑な背景を作り出し、ペダルを踏んだままある種のソフトなタッチで弾くことでこの曲で聞かれるような夢の中のような雰囲気を作り出せるみたいです。

ちなみにマクロコスモス第1巻、第2巻はそれぞれの曲に12星座(プラス献呈した人のイニシャル)が割り当てられてますが、この曲は獅子座。たぶん獅子座流星群をあらわしてるのではないでしょうか。

クラムも金属製の音を得意としているため大音量で高音の玉虫色の不協和音は耳障りに感じるかもしれませんがぜひこの天文ショーに耳を傾けていただきたいです。

最後に。クラムの音楽は大変詳細的に指図が書いてありますが、録音によってその解釈や結果的に出る音にずいぶんと差がでます。上に上げたのは私も所有している録音で、Margaret Leng-Tanという現代音楽専門の女性ピアニストのものです。これが一番オーソドックスっぽいかなーということですが。
あんまりでも聴かないんですよね。やっぱり自分の頭の中、心の中に聴こえる自分の解釈が自分に一番しっくりくるので。

クラムはもっと弾きたいですしもっといろんな人に知ってもらいたいです♪

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